2-9

 ほんの数年前まで、フーリアには父と母がいた。

 彼女は二人が今、どこで何をしているのか知らない。興味こそあるがそれを確かめる術を持たない。いや、それ以前に想像すらできていなかった。

 一二歳を迎えると同時に、顔も知らない男の妻となることを生まれる前から約束されており、必要最低限の知識しかフーリアは学習できなかった。いわゆる箱入り娘である。

 言葉遣いとマナー。それからいくらかの魔法を教わった程度だ。


 商人として栄えていた彼女の両親は、別に冷酷な『妖精族エルフ』でも何でもない。夫婦関係は険悪なそれではなかったし、子供に対しても酷い仕打ちはなかった。ただ、険悪でなかったとは言っても、冷めていたことまでは否定できないし、子供の世話をメイドに任せっきりにしていたことは事実である。

 ここまでなら悲劇でも何でもないし、どころかよくある話でもあるだろう。それに、フーリア自身、その環境は不満をもっているわけではなかった。当たり前のように料理は美味しかったし、服だって綺麗で清楚なものばかりだ。

 強いて言えば外に出してもらえなかったことは物足りなかったが、外に出る危険性を説かれていくうちに好奇心は恐怖へと変わっていった。


 フーリアは漠然と自分が何かに飢えていることを理解していた。だが、それが何なのか両親の下では終ぞ分からなかった。感じることはできても、考える力を彼女は奪われていたのだから。

 羽をもがれた鳥は不幸であるが、思考を奪われた人間は必ずしもそうではない。不幸であることに気がつかなければ、それは幸福であることに違いないのだから。傍から見れば酷く歪んで間違いだらけの幸せでも、当人から見れば紛れもない幸福なのだ。

 ゆえに、フーリアが不幸になったのは、いや、自分が不幸なのだと気がついたのは、この世に生を受けて一一年が経過した時だった。


 親の商売が成り立たなくなったのだ。

 彼女の両親の仕事は、簡単に言えば魔黒石を売ることだった。魔黒石というのは、言ってしまえば魔力の結晶体であり、主に魔獣の体内から入手できる。冒険者はこれをギルドで換金してもらうことで収入を得るのだが、ギルドはそれを商人に売りつけることで元を取っていた。


 しかし、魔黒石の用途は実に様々だ。魔道具の動力源にもなり、魔法の威力を底上げすることまでできてしまう。今の社会にとって必需品と言っても過言ではない代物だ。

 いくら初期費用がかさむからといっても、そんなものを流通の盛んな零ノ国で売って、利益を出せないはずがない。ゆえに、彼らの商売が行き詰まったのは魔黒石の需要が下がったからではない。売る権利を剥奪されたのだ。

 ある『人間族ヒューマン』の貴族がギルドに賄賂を渡すことで、独り占めすることに成功したのだ。仕入れ先を失った両親は莫大な損害を抱えた。今まで築いてきた資産をもって、それらの損害は打ち消したが、その代わりかなりの資産を失ってしまった。もっとも、普通に慎ましく生活すればやっていけなくもなかったのだが、すっかり浪費癖のついていたその家族が破綻するのはそう長くかからなかった。


 富も名誉も失うことになった二人は、やがて家を売り払い、娘をも捨てた。

 こうしてフーリアは親と住む場所を失い、あれだけ危険だと教えられてきた外の世界に放り出されてしまった。


 そして彼女は自分が不幸な人生を歩んでいたことを知る。

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