2-8
「『ウィング』というのは、私の家族――いえ所属する集団のことです」
潜伏場所は先程と変わっていて、廃れてからもうかなり経ちそうな店である。木造のそれは所々朽ちかけており、かまどがないことから辛うじて鍛冶屋の類いではないことが分かるが、それ以外に業種を特定できそうなものはなかった。二人はそこにあった棚の影に隠れている。
棚は本来、商品をところ狭しと並べ人に見せるものだというのに、何もないどころか、身を隠すために扱われているというのは、どこか皮肉的で物寂しいものがあった。
キズタはそんな空間でフーリアの言葉に集中している。今度は拘束などされていなかった。というか、話を聞く限りにおいて、彼女は先程も拘束するつもりはなかったらしい。
彼にしてみれば、それはあり得ないの一言に尽きるのだが、彼女が言うのは「あれは敵意がないことを表していたんです」とのことらしい。縄で縛ったのは、移動中暴れないようにするためで、ナイフを手放して敵意がないことを示した後は解放しようとしていたらしい。
正直、苦しい言い訳にしか聞こえなかった。
とはいえ、どれだけ怪しいと思っても逃げることはできない。先程の繰り返しになってはかなわないからだ。
聞きたいことは沢山あったし、敵だと思っていた奴に助けられたという混乱は未だ残っている。しかし、彼はその思いを殺して耳を傾けていた。話を聞く方が疑問を解決するよりも先だと判断したためだ。それに、話を聞く中で疑問はいくらか解消されるはずだ。
「ある日、帰ってくるとメンバー全員が消えていました。だから、助けてほしいのです。我々はあなたに救いを求めているんです」
……。
沈黙が訪れる。
全てを言い切ったとでも言いたげに少女はこちらの反応を伺っていた。
――いや、どうしろと!?
あまりにも簡潔で、シンプルすぎるがゆえに知りたい情報が全くもって提示されなかった。そもそも、当たり前のように出てきた『ウィング』という単語の意味が分からない。集団の名前だろうことは分かるが、しかし、どのようなものなのかハッキリしない。
よし、予定変更。と彼は質問を試みた。
「悪いけど、もう少し詳しく話してくれないかな?」
「詳しく、ですか? そんなに難解な話ではないと思いますが?」
「そりゃ、そこまで難しくないけど。簡潔すぎて、大事な情報が抜けてるんだ。もう少し詳しくできないか? 例えば、どんなことを目的としていたかとか、せめてそれだけでも教えて欲しい」
集団を作ると言うことは何らかの目的があるはずだ。キズタはそこからどのような業種か判断しようとした。場合によっては、逃げ出す覚悟を決める。もちろん、すぐ逃げ出すようなことはしない。今逃げても二の舞を演じるだけである。あくまでも、逃走の機会を待ち、ここぞという時にすぐ逃げられる心積もりをしておくだけだ。
フーリアはその問の答えに窮したようだが、やがて疑問系ながらもこう答えた。
「生きるため、だと思います?」
「いや、それはそうだけど……」
「何か違うんですか?」
それは――違わない。どのような行動だって、結局は生きるため、生きていくために収束すると彼は思うから。無論、自殺という例外も存在するが、そこは正常な人間の思考から外れた行為のため、彼はあえて除外している。
だが、違う。キズタが聞きたかったのは、そう言うことではないのだ。
「じゃあ、生きるために何をしているんだ?」
「質問の意図が分かりかねます。一体全体何を訊きたいと言うのです?」
どのように質問すればいいのだろうとキズタが頭を悩ませている中、彼女は流石に言葉足らずだと思ったのか話し始めた。
「私達は生きるために活動しています。本当にそれだけです。敵があれば殺しますし、飢えていれば物を奪います。本当にそれだけです。私達はそうやって生きてきたんです。あなたは他に何を訊いているのですか?」
キズタは自分が聞き間違えたのではないかと疑った。それ程までに彼女は自然だった。まるで悪びれる様子もなく、いや、悪いことをしっかりと認識して、それでも自分達の生命を優先する決意ができているからこそ悪びれていないのだ。
およそ彼が受け入れることのできない倫理観。嫌悪の対象にさえなる。
「……人を殺せるのか? そんな個人的な理由で」
「? 何を言っているんですか? あなただって個人的な理由で害虫を殺めるでしょう?家畜を殺すのでしょう? 当たり前のことではないのですか?」
絶句する他なかった。
彼女の言葉は別段、真新しい物でも何でもない。それどころか、どこかで聞いたことのありそうな発言だ。
でも、それはそんなにも純粋に、当たり前のことを否定されたような顔をして言う言葉ではないだろう?
それは理論が間違っているかどうかの違いではない。価値観が根本的に違っているのだ。
背筋に冷たい物が走り、頬には冷や汗が伝う。
キズタには、目の前の少女が自分とは徹底的に違う何かに見えて仕方がなかった。種族の違い、『
スタート地点から同時に相反する道へと進んでしまっている。どれだけ想像しようとも二人の歩む道が重なるビジョンが見えてこない。想像できない。
こんな奴からは一刻も早く逃げなければならない。ずっと一緒にいたら、こっちの常識を壊されてしまう。キズタの理性は精一杯の警告を告げる。
――しかし。
どれだけ理性が叫ぼうが、頭で理解していようが、彼の身体は全く動こうとはしなかった。本能が彼をこの場に引き留めていた。それは、今から逃亡に移っても勝算がないからという訳では決してない。もっと根本的で子供のような我が儘な感情だ。
なんか嫌だ。どうしても、嫌なのだ。
分からない。キズタは自分の感情が全く分からなかった。心の中で生じた矛盾はともすれば、自分が空中分解して行っているのではないかという錯覚を彼に植え付けた。
せめぎ合う理性と本能。どちらに従えばいいのか判断できない。
本能が彼女を助けるべきだと主張する。
違うだろう? と彼は自分自身に問うた。
自分が嫌な思いをしてまで誰かを構うなんてそんなのいつものキズタじゃない。そんなのは自分のキャラではない。
人助けなんてもっと強い奴がするべきなのだ。自分に降りかかる火の粉も消せないような彼なんかは間違ってもしてはならない行為。
下手にかかわってもいいことなどない。その場をかき乱して終わるのが目に見えている。
だと言うのに――。
ふと、目の前の少女と目が合った。
その碧眼は綺麗ではあったが、どこか儚い。風前の灯火とでも言うのだろうか、下手をすれば今すぐにでも消し飛んでしまいそうだ。彼女は何をもって消失に抗っているのだろうか。分からない。キズタには想像すらできない。でも、その目が彼をこの場につなぎ止めているのは確実だった。
――ああ、ダメだ。
原理は分からないし、心は拒絶していた。
でも、彼の本能は、目の前の少女はどのような形であれ、救われなければならないと告げていた。いや、どのようなというのも本当は間違いだ。キズタは彼自身の手で救わなければならないと思っている。
でも、でも――!
彼の心は分裂し拮抗状態を保ったまま頭の中を巡っていた。その時、ふと懐かしい記憶が思い出の中から浮上してくる。
セピア色の風景が途端に色づく。鼻を抜ける懐かしい記憶が引き出しの奥に眠っていた彼女の声を引っ張り出してきた。
何度も何度も繰り返し言われた言葉。
『……キズ君は、優しい人になるのよ』
卑怯だと彼は内心思った。こんなのどうやって抗えばいいのか分からない。知らず知らずのうちに彼の手は首下の鍵へと伸びていく。
ひんやりとした感触が伝わるとともに、彼の決意も固まった。
それは偽善かもしれない。いや、確実に偽善であった。思いでの中の成撫に向けての偽善だ。しかし、傍から見れば、フーリアの味方になったことに変わりはなかった。
その根底にあるのが何であれ、彼の心はおおかた決まった。
迷いは依然として存在していたが、その点に関しては全く問題ない。彼は常に迷いを断ってきたのだから。時に本能を殺し、時に理性を殺した。感情を殺し、自分さえも殺せる。
その繰り返しで、彼はこの数年間を生き延びてきた。
今更この程度の自己矛盾でどうにかなることはない。悩んでも壊れることは決してない。今は苦しくとも、その痛みは気がつけばどこかに消えているに違いないのだから。
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