2ー6

 その襲撃者の姿はキズタが思っているほど屈強ではなかった。

 長身の成人男性どころか、まだ年端もいかない子供のようである。

 商業都市だから生じる極端な貧富の格差。それによって捨てられた子供が、罪を犯すことで何とか命を繋いでいるのだろう。


 縄で両手を縛られた状態でキズタは、今更ながらに自分の過ちを悟った。

 ルシラから離れないこと。それは何も、一人で裏路地に行くなという意味だけではなかった。文字通り離れてはいけなかったのだ。

 格差の光と闇は混ざり合わないように見えて、その境界線は実に曖昧なはずだった。光の住人が闇の世界へと向かえば殺されるが、しかし、その逆は必ずしも成立しないのだから。幾分か躊躇させる原因になるとはいえ、生存のためであればある程度のリスクは容易に呑み込むだろう。それこそ、少しであれば光の世界に飛び込んでくることぐらいできるに違いない。


 ガリッとキズタは唇を噛んだ。


 しかし、ここまで窮地に追い込まれている彼でも、まだ絶体絶命というほど致命的な状況にはなっていなかった。活路はまだ十分にある。

 縄で縛られてこそいたが、そこまで頑丈なものではなくゆえに、引きちぎることは容易だったのだから。


 襲撃者は縛られている彼を冷たく見下ろしていた。目以外は布で隠れており、性別の判断が難しい。目測で身長は一四〇センチくらいだろうか。

 彼ないし彼女は、少年とも少女ともとれる声を発した。


「あなたはオーカム家のメイドで合っていますか?」

「え――。ああ、うん」


 一瞬、『オーカム家』という言葉に引っかかるものの、すぐにアンの家名であることを思いだした。それから、メイドという部分を肯定する。生命の危機に直面している現在、女と見られていることを気にしていられるような余裕はない。

 いや、そもそも女と侮られていなければならなかった。

 襲撃者はキズタの頷きを見て、胸をなで下ろすようにして溜息を吐いた。


「あなたをここまで連れてきたのは、他でもありません」


 持っていたナイフを木製のテーブルに突き立てた。それから、おもむろに両手を広げた。

 キズタはその行動の意図をくみ取りかねた。全く意味が分からない。


 だが、例え意味が分からなくとも、それが決定的な隙になることぐらいは容易に分かる。


 今だと心の中で思った直後、彼は縄を無理矢理引きちぎって走り出した。

 女だと見くびっていたせいか、その仕事はあまりにも不出来で、いとも簡単に拘束は解かれてしまった。


「え?」


 困惑を露わにする襲撃者を体当たりで吹き飛ばしながら、勢いを殺すことなくその建物から脱出する。


 あとは、この裏路地を出られれば窮地を脱せる!


 キズタは心の中でそう思った。決して追いつかれないように、彼は疾走する。

 しかし、出口がどこだか分からない。流れていく風景に変わりはなく、実は同じ場所をグルグルと回っているだけなのではないかという思いが生じる。


 まるで迷宮だ、と彼は思った。


 それは少々大げさな表現だが、的は射ていている。

 実際、裏路地は廃れた画一的な建物が取り壊されもせず残されており、なおかつ路も表通りのような舗装がされていない。よって、延々と続く同じ風景は人の記憶を攪乱かくらんし、複雑に入り組んだ路は迷子をさらに深い闇へと誘う。


 走り回ることで、キズタの頭はだいぶ冷めてきた。それ自体は本来、いいことなのだがこの場合はマイナスに働く。

 自分の走る速度が、ちょっとした自転車のそれを超えていることに気がついたのだ。


 ――ある程度、身体能力が高くなるの。


 もはや懐かしい一昨日の記憶が浮上した。

 頭の片隅には確かにずっとあったが、こういう形で実感することになるとは思わなかった。そして、知識と経験のギャップはちょっとやそっとでは埋まらない。

足を止めてしまおうか? 頭の中をそんな思いがよぎる。


 しかし、後方から飛来したナイフがその考えを消した。


 足元に突き刺さったそれは、間違いなく敵意の表れ。いや、そこから滲み出る嫌な感じは殺気だ。

 バクバクと心臓が警鐘を鳴らしていた。


 逃げろ。逃げろ逃げろ逃げろ――っ!!


 こうして、キズタは徐々に徐々に追い詰められ、先程のように追い詰められるのであった。


 ――もう、ダメかもしれない。


 冷たい地面に這いつくばったまま、キズタはそう思った。


 直後、彼の機動性を削ぐべく足に向かってナイフが投げられる。

それは一直線に彼の足へ吸い込まれていく。時間にして一秒とかかっていない。

痛みを覚悟したキズタは目を瞑った。


……。

…………。

………………?


 どれだけ待とうとも、痛みはやってこない。意味が分からず目を開けたキズタが捉えたものははためくボロい布であった。だが、それはどこかで見たことがある。そう、先程拉致されたときに襲撃者が着ていたものだ。

 小さな背中を前にキズタは戸惑いを隠せない。てっきり、あのナイフは目の前の襲撃者が放ったものだと思っていたのだから。

 けれども、事態は彼の混乱を解消することを待たないまま進行する。


 風が強くなったと思った刹那、数多のナイフが投擲された。

 煌めく刃先。――だが、ことごとくあらぬ方向へそれて地面に突き刺さる。


「手を引きなさい!」


 少年とも少女とも判断がつかぬ声。


「彼女は私の客人だ! 否、我々『ウィング』が招いた者だ! 今回は見逃してやるが、それでもまだ何かしてくるのであれば、容赦しないと思え!」


 それは警告である。撤退以外の動きを取れば殺すという意思表示。


「チッ。残党がまだいたのか」

「――ッ! お前、何か知っているのか!?」


 残党という言葉に襲撃者が反応する。


「ハハハ! だったらどうした? でも、まあ教えてやる義理はねえしよお。とりあえずここは引いてやるよ。また今度改めて会いに行ってやるさ!」


 こちらは少年のような声であった。まだ変声期はきていないのだろうが、それでも女の子のそれではない。彼は結局、建物の影から一歩も姿を見せず、そのまま気配を消した。

 襲撃者は追いかけようと姿勢を低くしたが、それよりも先にキズタを確保し直すことが先決だと判断したらしい。


「大丈夫ですか? 全く、あなたが急に逃げるから変なのに絡まれるんですよ?」

「あ、いや、その……?」


 キズタは目の前の存在にどう接すればいいのか分からない。単純に敵だということはなさそうだが、ここに連れてこられた経緯を思えば、客人という言葉は鵜呑みにはできない。


「む。どうやら信頼関係がまだ築けていないようですね。……ああ、そうでしたそうでした。考えてみれば、まだ自己紹介すらしていませんでした」


 そう言って彼女は、顔を覆っていた布を取った。

 白い短髪に長い耳。――考えるまでもなく『妖精族エルフ』だと分かるその容姿。

 彼女は仮面を外すように笑顔を浮かべた。


「私の名はフーリア。『ウィング』のメンバーです。それと同時に、あなたに救いを求める者でもあります」


 彼女が手を差し伸べてきたことで、キズタは自分が地べたに座ったままであることを思い出した。女の子座りになっていた事実を隠すように、手を握りながら立ち上がった。

 それはまるで、お姫様を救う白馬の王子様という構図だが、キズタが男であることを加味すると情けない状況だ。


 ともあれ、こうして襲撃者あらためフーリアの行動理由が朧気ながら判明したわけであるが、そうであるならば彼女の行動には疑問を覚えるばかりである。

 第一、救いとは言っても何に対してなのか全く分からない。


 キズタは疑問を解消すべく口を開けたが、その前にフーリアは、

「とりあえずこのままいるのは危ない。ですので、どこか一目のつかない場所にでも行きましょう。詳しくはそこで話しますから」

 と言って、彼の手を掴んで歩き出してしまった。


 言うタイミングを逃してしまったキズタは大人しくそれに従うほかなかった。

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