1-3

 目を覚ましたキズタが捉えたものは、見知らぬ天井だった。彼が現在住んでいる叔父の木造建てのソレとは全く異なっている。まだ夢の中にいるのかとも思ったが、妙なリアリティーがそれを否定している。

 自分は何をしていたんだっけ? ぼんやりと今日の出来事を思い出そうとした。

 普通に朝起きて、登校して授業を受けて下校して、で、その最中に停止していたはずのトラックが坂を下ってきて、丁度下の方にいたキズタは引かれそうになって、それで、意識を失って……っ!!

 ぼんやりとした頭でそこまで思ってから、ようやくガバッと上半身を起こす。


「――痛!」


 体重を右手に預けたとき、違和感を覚えた。それは、キズタが言うほど痛くはなく、どちらかというと疼く程度のものだったが、想定外な感覚に、彼は危うくバランスを崩してしまいそうになった。

 何とかバランスを持ち直して違和感がある右手を注視する。


「……血? あ、いや……何だコレ?」


 一瞬、血かと思ったが、それにしてはどこか綺麗で、まるで模様のようだった。いくらかこすってみたが、どうも消えそうにない。

 正体の分からない異物が、自分の身体に存在するという例えようのない気持ち悪さを覚える。どうにか理解しようと頭を動かそうとして、頭を振った。


 ――違う。今はそんなことを考えている暇はない。


 彼には、解決するべき問題が数多あまたあった。現在地、ここに来た理由はもちろんとして、目下一番の問題は話が通じないということだ。それらを何とかして、ようやくこの謎の異物と対峙できるのだ。


 第一の問題はやはりなんと言っても言葉である。

 言葉が通じないというのは、致命的だ。感情表現などは身振り手振りで何とかなったとしても、細かなところはどうにもならない。現在地にもよるが、もし、ここが国外だった場合、彼は帰宅することができなくなってしまう。

 パスポートがないのは勿論、事情を話そうにも言葉が通じない時点でそれは不可能なのだ。そんな状態ではどうあがいたって帰れない。


「はあ」


 溜息一つもらす。お腹の奥の方がぎゅうっと痛みだした。その感覚はキズタが嫌いなものだ。否応なく、あの時のことを想起してしまう。あの、トラウマとでも言うべき出来事を。

 熱くなった目頭を誤魔化すように目を瞑る。それから何時ものように鍵に手を伸ばそうとして、首にそれがないことを知る。


「え……?」


 首から胸、腹部と確認していくごとに、キズタは焦った。ポケット――は、存在していない。下校時には着ていたはずの学生服から、今まで着たこともないような奇妙な服装へと着替えさせられていた。

 彼には知るよしもないが、それはブレーと呼ばれるズボンと、ブリオーと呼ばれる膝丈のチュニックであった。

 十数秒で、自分が鍵を身につけていないことを理解するや否や、彼はすぐさま部屋中を見回した。


 白を基調としたこざっぱりとした部屋。本当に必要最低限のものしか置かれておらず、清潔感よりも不気味さが先行する。

 幸いなことに、鍵は彼が寝ているベッドからそう遠くないテーブルの上に乗っていた。それを視認した瞬間、彼は腕を伸ばす。

 ギリギリ届かず、放り出された彼の身体はそのまま床の上に転がった。

 バン! という音が部屋中に響く。

 背中から落ちたため、本来なら数秒間のたうち回るところなのだが、キズタは痛みよりも鍵を優先した。這いつくばるように移動し、テーブルの脚に全体重を預けるようにして立ち上がる。


 そして、彼が鍵を手に入れるのと、部屋のドアが開けられたのはほとんど動じだった。


「ちょ、だ、大丈夫!? なんか、すっごい音がしたんだけど!?」


 紛れもない日本語。

 数時間ぶりに訊くその発音は懐かしさすら感じた。

 おもむろにキズタの首が、声のした方へと曲がる。

 その間にも声の主は、彼の方向へとズンズンと歩いてきた。

 そこにいたのは――。


「怪我はしてないようね。……まあ、ビックリしたかもだけど、あんまり慌てないでね。これでも私の部屋だから、壊されると少し困るの。それと、そのごめん」


 赤く肩くらいの長さで切られている髪。赤い左眼に白い右眼。赤いドレスでこそないが、その衣装は全体的に赤い――。


「私の血で、あれ、ダメにしちゃったから……。その、本当にごめんなさい」


 ――間違いなく、キズタを血みどろにした少女であった。

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