15

「あ──。盛り上がっているところ、悪いんだが」


 グオッホン、というわざとらしい咳払いが、お互いだけに向けられていた意識を戻した。目の前に、腹から綿を出したでっかいぬいぐるみが立っている。化け猫フックだった。


「あなたは──、いえ、あなたたちは──」


 全身の痛みに顔を歪めながらも、雪華には化け猫フックが誰なのか、いや、なんなのかすぐにわかったみたいだった。僕がいない時も、夜眠る時も一緒にいたぬいぐるみ達は、言葉なんかかわさなくたってわかるんだろう。雪華が苦しんでいるのに、僕は嫉妬と苛立ちで、どうにかなりそうになっていた。


「そう睨むな。男の嫉妬ほどうっとおしくて気持ち悪いものもない」


 僕をたしなめて、化け猫フックはふかふかのぬいぐるみの手を、青白い雪華の頬に当てた。まるでずっと昔を懐かしむような顔で、雪華は化け猫フックの顔を見る。


 化け猫フックの笑顔は、どう形容したらいいのか判別がつかない。友達を勇気づけるようでも、子をいたわる親のようでもあった。


「「オレは」「ぼくは」「あたしは」ずっと雪華と一緒にいた。まだものを喋れなかった時でも、苦しくて泣いている時も。雪華がカエルの王子になれと言えば、「クマだろうと」「猫だろうと」「ライオンだろうと」カエルになったし、友達だと宣言すれば、友達になった」


 様々なぬいぐるみの意識が多重音声のようになって、雪華に語りかける。悲しい合唱のように。


「残念ながら、本当の王子にも、友達にもなれなかったが」

「違う……」


 雪華は首を振った。一人で死ぬのが嫌だと僕に言った時と同じくらい、激しい否定だった。


「仁さんや、お母さんやお父さんと、あなたたちと……そんなの、どっちが上かなんて」


 雪華はまた咳き込んだ。汚れた口元を、化け猫フック達は手が汚れるのも構わずに拭って、持ち主と同じように首を振る。


「ぬいぐるみと、生きている人間と同等にしちゃいけない。物を言わず、感情もぬくもりもない「俺」「ぼく」「あたし」達が、何百体いようと、雪華の寂しさを埋めてやれなかったのは事実だ」

「だけど……あなたたちは……ゲホッ」

「お前たちは……今、喋って、思いやりの感情を持ち主に向けているじゃないか」


 むせた雪華の言葉を引き取って、僕は言った。化け猫フックは面食らったようにキョトンとして、それからニヤリと笑う。前にも見たチェシャ猫笑い。


「言うねえ、王子様。さっきまで嫉妬に狂ってたくせに」

「茶化すなよ、本気で言ってんのに──」

「その本気とやらは、大事なお姫様に言った告白や、一緒に死んでもいいって言ったのと同じくらいの本気なのか?」


 義手の切っ先を喉に突きつけられたような、厳しい声だった。僕は言葉に詰まる。


「お前は馬鹿で情けないやつかもしれないが、雪華に似たようなことを聞かれたとしたら、しっかり即答が出来るだろう? 「俺」「ぼく」「あたし」達と、人間の違いってのは優先順位からもわかる。大事な人間と、大事にしてるぬいぐるみ、両方が崖から落っこちそうになってたとして、ぬいぐるみを優先するやつはいない。そういうことだ」


 化け猫フック達は顔を伏せた。涙を流さすに泣いているのかもしれなかった。


「そうでなくちゃいけないんだ」


 今度の声の響きは、出来の悪い生徒に徹底的に教える教師のようだった。


「本当に二人で、現実で生きるなら」


 ぬいぐるみの手が、雪華の金の髪を、そっと撫でる。さっき血を拭ったせいで、綺麗な髪に血の色がついてしまう。擦って拭き取ろうとするけれども、やっぱり取れなくって、化け猫フックたちは慌てていた。


 その仕草は本当に生きていて、ぬくもりも感情もあるようだった。僕と雪華が微笑むと、化け猫フック達も笑った。

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