四章・終わりの雪と氷のセカイ
1
「仁さんが嘘つきの恐がりなら、雪華は狼少年が狼に乗って逃げ出すくらいの嘘つきの恐がりです」
心臓に矢が突き刺さったままの雪華が、柔らかそうな唇を動かして、ぽつぽつと語り出す。
「いいえ、嘘つきですらありません。最近体が苦しくて、メールの内容を考えるのも、携帯のボタンを押すのも辛いとも言えず、勝手に、一方的に、仁さんとの交流を、小人の髭みたいにバッサリ、切ってしまったのだから」
告げられた事実は辛かったけれども、僕は意外と冷静に受け止めることが出来た。冷静にというか、鍵のかかっていないドアを開くような感じだった。それは、いつでも開けることが出来たんだ。
ただ僕が見たくないからドアを閉めていただけで。事実はいつも僕のそばにあった。僕の心の中に、不思議にあたたかい雪の華が咲いているみたいに。
「治すための治療に専念するので、しばらくメールが出来ません、くらいのメールを送るべきでしたね。いつだってそんな素敵なハッピーエンドを、雪華と仁さんは思い描いていたのに。昔は一人遊びが得意だったんですけど、いつの間にか一人では上手く演じることが出来なくなってしまったみたいです」
いつか見た、宝石の涙を雪華はポロポロとこぼしていた。だけどそれは錯覚で、雪華の流す涙は涙のまま、船の甲板に落ちるばかり。まるで夢のハリボテから、現実がにじみ出して来たみたいだった。
「日に日に、体が苦しくて動かなくなっていくんです。呪いみたいに。仁さんが知らないのは当たり前です。雪華がお母さんとお父さんに口止めしましたから。絶対に仁さんと仁さんのお父さんやお母さんには言わないでって」
宝石の代わりにこぼれるのは、僕が直視したくないと願っていた現実だった。
「雪華の、最期のお願いだと思って、って」
現実は、深く深く僕を突き刺した。体の震えが止まらない。冷や汗が止まらない。
後から効いてくるキツい薬のようだった。お姫様の食べた即効性の毒リンゴと、どっちが苦しいだろう。
ボロボロ涙が出た。理屈なんかわからない。ただ涙が出た。焦げたものを大量に口の中に押し込まれたみたいに、胃と喉と口が全部気持ち悪い。食ったものも内蔵も夢も希望も全部、吐いて空っぽになりたい気分だったけれども、吐くまではいかないのがおとぎ話より不思議だった。
「ごめんなさい。ごめんな・・・・・・さい」
はらはらと雪華の青い瞳から涙がこぼれ落ちる。涙は宝石にはならなかったけれども、代わりに悲しみで凍り付いた。ポロン、ポロン、ポロン。瞳から落ちた氷が、空の雲を呼んだ。
呼んだ雲が、彼女に同調するように泣き叫んだ。ひらひらと花びらのように舞い落ちる雪。
雪。
雪。
雪。
風が彼女の真っ赤なリボンをさらっていった。二つに結んだ長い髪が解けて、金色の川が宙に形成される。
桃色のワンピースが、色を失ったように、白いスノードロップ色に変化する。
「苦しくて、辛くて、痛くて・・・・・・。でも、そんな姿、あなたに見せたくなくて・・・・・・、なのに、仁さんに会いたくて・・・・・・。最期に、もう一度だけ、昔みたいに・・・・・・仁さんとおとぎ話の中で、過ごしたかった。そしたら、いつの間にか、仁さんの前に現れていたの」
雪華の金色の髪に、雪が降り積もる。
キラキラと夢の輝きを誇る冬のカケラは、彼女の頭の上でひときわ輝いて、氷のティアラを作り上げた。
「ごめんなさい・・・・・・ごめんな、さい・・・・・・」
雪華を取り囲むように、雪が彼女の周囲を踊り狂う。螺旋を描くような雪の軌道は、僕と彼女を隔てるような壁を作り上げた。
壁は空を突き破るように高く、高く伸び上がり、やがて一つの塔が出来上がった美しきラプンツェルの閉じ込められた場所のように、窓の一つもない。
最初で最後の、彼女が突きつけた絶縁状だった。作り上げられた塔の壁の周りを、再び雪が螺旋を描きだす。
踊り狂った雪片が雪に覆われた地面に落ちると、鋭いトゲをびっしりと全身につけた茨が、寒さをものともせずにグングン成長し、遙か彼方の、塔の上までをもトゲだらけの体で覆い尽くす。
「あなたの命を奪ってしまえば、永遠に一緒にいられるとも考えました。でも出来なかった」
甘いお菓子の家のような声は、短剣を捨てて海に身を投げた人魚姫のように、発するそばから泡となり消えていく。
「わたし、仁さんのことが──」
そこから先の言葉は雪風と拒絶の心に遮られて、聞こえなかった。僕はと言えば、トゲトゲギザギザの茨に遮られて、塔に追いすがることすら出来ない。さっき化けネコフック船長を斬り伏せた短剣で茨を切っても、とりつくしまがない怒った女の子みたいに、切った端からばんばん再生してしまう。
怒っているのならまだいい。でもこの中で雪華はきっと、泣いているに違いないのに。
「そんな武器じゃダメだな」
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