吹き荒れる突風のような歩みはいつしか止まり、桜の雨も止んでいた。代わりに青空に広がるのは白い雲と、花火の打ち上げられる、パン、パンという乾いた音音。友達同士、放課後に遊びに行く時のような、浮ついた空気と熱気。


 何かのアトラクションの入り口らしいゲートには『ようこそ! 素敵な場所へ』と

書かれている。遠くに、遊園地らしいジェットコースターや観覧車、ゴーカートやお店らしきものが見える。


 空色の涙をこぼすメイクを施したピエロが、風船を持って軽やかな足取りでやって来た。


「さあさあ、『ネバーランドよりも楽しいところ』へようこそ! 本日はゆっくり、ゆっくり、楽しく、楽しく過ごしてくださいね、ケタケタケタケタ」


 不気味に笑いながら、ピエロは雪華に、ピンク色の風船を一つ。僕にも渡そうとし

て、すってんころり。つかんでいた風船は全て空へと旅立った。


「あー、あー、あー、あー、ごめんねごめんね、転んじゃった、無くしちゃった、でも帰らないでね、帰らないでね、帰らないでね、うううう」


 ピエロは、メイクが落ちちゃうんじゃないかってくらいに大げさに泣いている。すごく、不気味だった。雪華は僕の心中とは正反対に、風船を貰ってにこにこしている。


 というか、何なんだここ。この辺りにこんなところあったっけ? あるわけない。いったいここはどこなんだ? 僕はいったい、どこにいるんだ?


「言いませんでした?『ネバーランドより楽しいところ』だって」


 僕の心を読み取ったように、雪華が何を今更と言うように笑っている。また、細くて綺麗な手に引かれて、僕はゲートを潜った。ゲートの見張りをしているのは、ブサイクなちいさいアヒル?だった。アヒル?は特に入場料を取るわけでもなく、被っていたこれまた小さい帽子を羽で器用につかんで脱帽して、お気をつけてというようにウインクをするだけだった。


 中はもっとすごいことになっていた。空飛ぶホウキに乗った魔女が夜空ではなく昼間の空を飛び交い、大きなネコがアイスクリームを売っている。ジェットコースターに乗っている人は、勿論ほんの数秒くらいしか視覚にはとらえられないけれど、トカゲだったり鳥だったり、果てはフライパンやお皿だったりして、どう見ても人間のお客様じゃない。


 全員着ぐるみと思い込むには無理があった。だってフライパンなんて、胴体とかどうなってるんだよ。針金のように細い人っていうけど、ほんとに針金とかフライパンのとってほど胴体細い人なんていないだろ。


「すいませーん、キャラメルアイスとネコミルクアイスのダブル一つー! ほら、仁さんも何か頼みましょうよ」


 雪華は全くこの視界に映る者たちが気にならないらしく、アイスクリームを売っている店に走り寄って、アイスを注文した。アイスをもらう前に、でっかいネコのフカフカの首筋をなでなでしている。ゴロゴロゴロ、とでっかいネコは満足そうに喉を鳴らした。どうやらこれが代金の代わりらしい。


 喉を撫でながら、雪華はアイスを受け取ってすらいないのに、すでにとろけるような笑顔を浮かべていた。ネコ好きだったもんなあ。いつもぬいぐるみ抱っこしてたくらいだし。僕も同じようにして(すごくふかふかしてた)、バニラアイスをぷにぷにした肉球のお手手から受け取る。


「おいしいです~」


 ガブガブガブ、と雪華は作法なんてゴミ箱に捨てたと言わんばかりの勢いでアイスにがぶりついている。お陰で鼻やほっぺ、果てはおでこや服にまでくっついてしまっている。  


 ずいぶんと会っていなかったのに、初めて会った時のままの、ちっちゃい子どもみたいだった。


「ほら、雪華、アイスついてるよ」


 僕はポケットからティッシュを取り出して、雪華の顔をふいた。なんでティッシュなんか持ってるんだろ。今朝入れたっけ? なんて思いながら、ちょっと顔を上げて、高い位置にある雪華の顔を拭いてやる。ついでに服も拭いちゃうか。新しいティッシュを引っぱり出しながら、雪華の服に、

 胸の位置に、手を置く。


「「あ」」


 ハモった、と思った瞬間、拳が飛んできて、僕の体は宙に浮いていた。地面に叩きつけられる衝撃。


「ご、ごめんなさい、仁さん!」


 アイスも風船も地面に放り出して、雪華は僕に駆け寄ってきた。


「頭打ってませんか? 動かさないほうがいいですか?」


 僕は首を振った。殴られた腕は痛いけど、落ちたのも尻からで、モチはぺったんぺったんつくことになったけど、致命傷じゃない。それにしても、見た目はあんまり変わってないけど、元気になったみたいでよかった。


 そして、胸触ったお陰で雪華も結構成長してる、じゃなかった、現実を突きつけられた。


 痛いということは、どうもこれは僕が見ている夢ではないということだ。


「あの、べ、別に仁さんに触られるのが嫌なんじゃなくて、ちょっとビックリして」

「ぼ、僕は平気だけど、アイスと風船が」


 僕に言われて、やっと雪華は自分が今何にも持ってなくて、風船は空に、アイスは地面に転がってしまっていることに気がついたらしい。でも雪華はガッカリすることも怒ることも無く、


 


 その跳躍を見たカエルはお殿様の前で土下座する民衆のように頭を地面に擦り付け、ウサギは自信をなくして長い耳をしょんぼり垂らすことだろう。


 もはや空にインクを少しこぼしたような小さい点になってしまった雪華は、やがてピンクの風船を掴んで舞い降りてきた。スカートが咲いた花のように、フワリ広がる。


 音もなく着地。傷なんて一つもない。伸ばした髪の毛だけが、落下の際に起きる風に逆らえず、天に向かってバラける。宙に散らばった瞬間の彼女の金色の髪の毛は、まるで空に向かって咲く菜の花のようだった。


 僕くらいでっかい、さっきのアイスクリーム屋の店主がのっそりのっそりやって来て、雪華にまたアイスを差し出す。


 彼女はまた店主の喉をゴロゴロやってからアイスを受け取り、一息ついたというようにまたアイスを豪快にかじった。いたずらっぽく、僕に向かってウインクする。


「問題は、ないですよね」

「う、うん」


 僕はなんとかうなずいた。うなずきながら、どうも今この場所で起こっていることに対して、おかしい、変だと言うのはヤボというか、意味のないことのようだと思った。

 大体僕は、似たような体験を何度も何度もしてきたじゃないか。

 雪華とのごっこ遊びを通して。

 へんてこりんな世界に生きる人達に、なりきっていたじゃないか。

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