第12話チャプター4-1
【レヴィウス歴 六四八年】
[ルシーナ=アストラル 二十一歳 セリア=ジル 十三歳]
1
太陽の儀式の日の前日、セリアとルシーナは太陽の神殿敷地内にある小高い丘の上を歩いていた。
神殿は広い。七つある神殿は、どれをとってもとてつもなく広大である。
神殿という建物自体の大きさは、各国の宮殿程度の大きさなのだが、それを囲っている敷地面積の広さと言えば、神子信仰が国教の国だけに尋常ではなかった。
リートンの国土の中心に位置するところに太陽の神殿が聳(そび)え立っており、それを取り囲むように、残り六つの神殿が点在する。
北に月の神殿。南に星の神殿。後の四方向に、大地、風、水、火の神殿が建てられていた。それぞれの神殿には、その神を示した自然があり、水の神ならば、川が流れ、大地の神であれば、神殿は山中に設けられている。
星の神殿の場合は、対外関係を司る神であるので、リートンの玄関として、国の門の役目を果たすために、南にあるリヴィールとの開拓路の場所に建てられている。そのため、リヴィールからリートンに訪ねたり、リートンから外界に出るためには必ず星の神殿を通り抜けなければならないようになっている。
太陽の神殿においてはリートン国内の中心にある高地の上に立てられており、この国の中で太陽に最も近い場所である。さらにその敷地内部には、少し離れたところに別宮殿があり、書物庫や金貯蔵庫、宝物庫なども建築されているので、他の神殿のどれよりも太陽の神殿の敷地面積は広かった。
セリアとルシーナは、宝物庫から太陽の神殿に向かう途中にある小高い丘の上に向かっていた。厳密に言えば、この丘の頂上が太陽に最も近いのかも知れない。神殿はもとより、その他の建物、街までも見渡すことが出来、まさに天上界にいる神になったような気分に浸れるのだ。二人はそこに辿り着くと、共に肩を並べて、腰を下ろした。
時は夕暮れ、黄昏時。二人の正面に輝く太陽は、下の部分が地平線に僅かに掛かっていて、世界を朱に染めていた。
ふと、後ろを見上げれば目立つほどの輝きではないにしろ、薄明るく月も昇っていて、光度の高い星が幾つかちらほらと瞬いている。
そんな何気ない景色を眺めながら二人は沈黙し続けていた。相手が話し出すのをどちらも待っているようだ。
セリアはルシーナに呼ばれてここまで来た。儀式を明日に控え、一年間学んできたことを認(したた)めていた書の最後になるであろう一頁を書き出すところであった。
突然、ルシーナが部屋に訪れたのである。セリアはそのルシーナの目を見たとき、すぐに頷いた。ルシーナは何も言わなかったが、何を言いたかったのか察したのであろう。そういうセリアもルシーナに話したいことがあったので、機会としては丁度良かったのかも知れない。
そうした経緯で今、二人はこの丘にいるのだ。
陽が沈むのは早い。先程まで、地平線近くにあった太陽は、ほんの一時(ひととき)でその半分ほどを地に沈ませる。そんな時、セリアの方から沈黙を破り、ルシーナに語りかけた。
「私は、この時が一日の中で一番好きです」
「……」
「その中でも、この丘の上から見る太陽が、他の何よりも大好きです」
「……」
それでもルシーナは一向に話そうとはしない。じっと静かにセリアの言葉を受け止めているかのようだ。
「昼でもなく…夜でもなく…。星に包まれて、太陽と月が共に過ごせる僅かな時間。
ルシーナ様が初めて、私を連れてきて下さった場所。それがこの丘であり、この時間でした。私は今でも覚えています。外の国のことをいろいろ話して下さったときのことを…」
「……」
言葉を紡ぎ終わると、セリアはルシーナの方をちらりと見る。ルシーナはじっとセリアの顔を見つめていて、セリアはすぐに目を逸らした。瞳を閉じ、大きく息を吸い、心を落ち着けるためにゆっくり吐き出す。
そして優しく穏やかな眼差しでルシーナを見つめ返した。
「私は明日、太陽の神の元に嫁ぎます」
「セリア…君は、本当にこの国に神がいると思っているのかい?」
「……」
今度はセリアが黙り込む。
「この世界に神なんていやしない…。だから、君が生け贄になっても何も変わりはしない。だってそうだろ? 君が死んで、金が沸いてくるか? 腐敗した王政が立ち直るのか? 何もかもが振り出しに戻るだけで、何も変わらないんだ」
「ルシーナ様…」
「人は、今こそ今までの行いを考え直し、罪を償うべきなんだ。君は神なんかじゃない。一人の人間なんだ。生け贄になるなんて、馬鹿げている…。君は死ぬべきじゃない…」
「民は私のことを神と崇めてくれています。それを信じて疑わない。神は存在し、自分たちをきっと救ってくれるという信念が、その者達にとっての全てなのです。私は彼らを裏切ることは出来ません」
「どうして!」
「私は今まで、とても豊かに暮らしてきました。国に飢饉が訪れようと、何が訪れようと、私はそれを知らずに幸せに生きてきました。それは姫神子としての権利なのです。自由、というものに対して、責任が伴うように、権利には義務が背中合わせにあります。私の義務。それは、太陽の神の元に嫁入りし、人々を救うことです」
「それは、過去に死んだ神子達の亡霊に取り憑かれた長老達の考え方だ。時代は変化する。
国はそれに対応していかなければならない。姫神子の義務は、人々を救うことではあるが、生け贄になることじゃない。生け贄にならなくても、民衆は救えるんだ。君と俺で他の神子達を説得する。民達が君のことを『神』と崇めているのなら、君が民衆に説明すればいい。それから少しずつ、二人でこの国を変えていけばいいじゃないか。人々の心も一緒に…」
「『神』である私が、人々に『神はいない』などと言うのですか? それでは民衆の心はどうなります? 私たちの心に『神』はいなくとも、人々の心の中には確かに『神』は存在するのです。もし私が儀式の日に民達の前でそのようなことを言えば、どうなると思いますか? ただでさえ、国が闇に満ちようとしている中で、そんなことを聞いた人々は余計に混乱し、不安を募らせるだけです。そうなっては民の心は二度と戻りません。深く静かに滅びの道を歩むことになるのだけです」
「そんなことはない。いきなりじゃなくてもいい。ゆっくりと時間を掛けて少しずつ変えていけばいいじゃないか。俺とセリアならそれが出来る」
「ルシーナ様。この国は病んでいます。このまま放っておけば、滅びの一途を辿るだけです。確かに、儀式を行い、国民達の心に平常を取り戻しても、その後に何もしなければ、それは振り出しに戻るだけでしょう。でもそれは、何もしなければ、の話です。人々の心に平穏を取り戻し、前へ進むための力を与える。それが出来るのはこの国において私一人だけなのです。それは姫神子としてするべき事であり、姫神子にしかできないことです。
ルシーナ様、あなたが私の死を無駄にしようとしているのです。私が太陽の神に嫁ぐことを無駄にしないで下さい。意味のある死にして下さい。一人の人間としてこの国に生まれ、神のように育てられた私の存在意義がそこにあります。私は死してこそ、意味のある人間なのです」
「違うっ!」
「何が違うというのですか? 民達の願いは救われること。私の望みは民達を救うこと。二つの思いが同じだというのに、あなたはこれ以上何を望むというのですか!」
「俺の望みはセリアを死なせたくない。ただ……ただ、それだけだ!」
「それはエゴです!」
「この国で…、君の前では俺の願いなどエゴに過ぎないのかも知れない。だけど、故郷を失い、家族を失った俺にとって、セリアはこの国での大事な家族なんだ。俺はその大切な人間をもう二度と失いたくない…」
「ルシーナ様…。私を死なせてはくれませんか? 私はまだ十余年ほどしか生きてはおりませんが、もう充分、ルシーナ様やファムル長老には可愛がってもらいました。ルシーナ様を兄のように慕い、教えの師として敬い、ファムル長老を母のように思っております。その、ルシーナ様にとっての妹の、たった一度の願い事を聞いてはくれないでしょうか? いつものルシーナ様のように、優しく、温かく、見送って下さい……」
「セリア……」
陽は地平線に沈み、僅かな光が漏れるだけだ。月が輝きだし、煌めく星の数も増してくる。世界が漆黒に包まれようとしていた。街の明かりは、まだ数えるほどしか灯っておらず、昼の町の様子から想像すると、その光の数だけしかこの国には人が住んでいないような気がする。もちろん、そんなはずはないのだが、やはり国全体が哀しみと寂しさに包まれていた。
「…私には、心残りが二つあります」
俯いていたルシーナは、唐突に話し始めたセリアの方を見上げる。しかし、既に日も暮れて、闇も深くなりつつあるので、その姿はぼやけて、目が闇に慣れない限り、輪郭だけしか確認できない。それでもその方向をじっと見つめていた。
「一つは、この国の行く末を見守れないのが、残念でなりません。きっとルシーナ様が導き手となり、民を正しき道へと導いて下さるとは思うのですが、共に肩を並べて歩けないのが、心残りの一つです」
「もう一つは?」
ルシーナが闇に語りかける。
「もう一つは……。今は言うべきではありませんね。いつか、分かって下さる時が来ると思います」
言葉の最後は呟くように小さな声だった。
「……」
ルシーナは何も言わない。
「ルシーナ様、そろそろ夜も深くなってきました。私は明日の儀式の準備がありますので、先に神殿に戻らせていただきます……」
立ち上がったセリアは深く御辞儀をした。しかしその動きが…止まる。
闇に慣れてきたルシーナの瞳に映ったのは、小刻みに震えるセリアの肩だった。
音もなく、動くものもなく、闇と静寂に包まれた丘の上。
どれぐらいの時間がたったのだろう。一瞬だったのか、数刻だったのか。
セリアはサッと身を翻し、ルシーナに背を向ける。そして、足早に丘を降り始めた。
「待ってくれ、セリア…」
セリアの動きがピタリと止まる。しかし後ろは振り向かない。
「俺は正直、迷っていたんだ。信託が降りてからのこの一年間、セリアが何をしていたのか、知らない訳じゃない。君はただ単に犠牲になることではなく、何故、犠牲にならなければいけないのかまで考えて、その答えに気付いた。…だけど、死なせたくはなかった。
自らの道を歩き始めた君を、俺は…、俺は優しく見送るべきなのだとは思うけれども、あの日の出来事を思い出す度に、君を死なせてはいけない、そう思ったんだ…」
話しながら、徐々にセリアの側に寄っていく。小さく地面を踏みしめる音だけが二人の間に響いた。
「十三年前、俺は正直、神様を恨んだよ。神様がいるのなら、何で家族を助けてくれなかったんだってね。なんでこんなにもつらい試練を与えるかってね。それから俺は神の存在を否定し、信じなくなった。
そんな俺が、この国の神子として生きていくのか、外の世界で一人、生きていくのか選択を迫られたとき、俺の父さんが言い残した言葉を思い出したんだ。だから己の過去を捨て、この国の神子として生きていくことを誓ったんだ」
ルシーナはその距離が僅かにまで迫ったセリアにスッと近づき、お互いの身体を寄せ合う。その仕草に少し戸惑ったセリアだったが、ルシーナの胸にその身を任せ、言葉の続きを聞いた。
「ルシーナ様の御両親は、何という言葉を託されたのですか?」
そっと静かにルシーナの胸にセリアは耳を当てる。ルシーナの鼓動を感じる。温かさを感じる。自分の胸の高鳴りと同調しだし、セリアはゆっくりとルシーナの腰に手を回した。
「父さんと母さんは、俺にこう言ったんだ…」
その刹那、ルシーナの腕が素早く動く。二人の間で鈍い音がした。
「何故…ルシー…ナ、さ…」
ルシーナの腰に当てていたはずのセリアの両腕は力無く垂れ下がり、立つこともままならないのか、セリアはルシーナにもたれ掛かってきた。ズルリと身を崩していくが、ルシーナはそれを身体全体で受け止める。そして、力強く両腕で華奢な身体のセリアを軽々持ち上げると、そのまま歩き出した。
「生きろ、そして大事なものを護れって言われたんだ…」
ぐったりと、物言わぬセリアに向かって最後の言葉を紡ぐ。
「絶対に君を死なせたりはしない。たとえ、この命が失われることになっても……」
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