第11話チャプター3-2


 セリアの目に映った町の姿は変わっていた。いい意味ではなく、悪い意味で。

 驚くほど廃(すた)れてはないにしろ、以前ほどの賑やかさは何処にもなかった。数多く建ち並んでいた露店も数えるほどしかなく、置いている品物自体はあまり変わりないが、人々に活気がなかった。それが町の雰囲気をこんなにも変えているのだとセリアは気付く。

 声を張り上げて、商品を売り捌く店主も居なければ、セリアを驚かせ、楽しませてくれた傀儡師達の姿も見当たらない。居るのは、重く沈んだ表情で夕食の材料を選んでいる女性か、そんな人達に自分の扱う品を勧めもしない商人達ばかりであった。

『どうして…? この町には何があったの?』

 そう思わざるを得ない。

 たった二年という月日でこれほどまでに町の容貌が変わることは考えにくかった。他の町を多く知っているわけではないが、外・内渉を司る星の神子達の教えからでは想像もつかない。事の真意を確かめようと、道行く一人の行商人らしき男を捕え、問いただす。

「すみません、この町は…一体、どうしてしまったのでしょうか? 以前とはずいぶん様子が…」

「んぁ?」

 突然腕を捕まれ、立ち止まらされた男は、何故そんなことを聞くのか、というような怪訝な顔つきをしてぶっきらぼうに答えた。

「なんだい、嬢ちゃん、あんた…外の国から来たのかい? だったら諦めて戻った方がいいぜ。もうこの国に価値はないよ」

「え…?」

 今度はセリアが不思議そうな表情で返した。

「嬢ちゃん、この前はここにいつ来たんだい?」

「二年ほど前ですが…」

「二年前か…。そのぐらいが最盛期だったのかものなぁ…」

 しみじみと感慨深く町の衰盛を語る男は、一向にセリアの質問の答えを話す素振りはない。焦(じ)らされるような態度を取られたセリアは、さらに強く男に尋ねた。

 すると、その行商人はセリアの勢いに気圧されたのか、仕方なしといった感じで町の状況を語る。

「この国ではもう金は産出しないんだとよ」

「金が、出なくなった?」

「あぁ、もう全部堀尽くしちまったのか、まだ隠されているけれども見つかっていないだけなのか、どっちにしても、ほとんどの金鉱は封鎖されちまったって話だ。」

 この商人はその金が目当てだったのか、遙々リートンにまで出向いたのに、無駄骨に終わったんだよ、と言わんばかりに肩をすくめた。

「ですが、金が出なくなったぐらいで、どうしてこんなにも町の雰囲気が変わってしまうのですか? 国としての財産はまだ蓄えているでしょうに?」

「何も分かっちゃいねぇな、嬢ちゃん。いいかい、国の財産とかは身分も地位も上の方のやつらの問題であって、この国の住人にとっちゃ、そんなこたぁ関係ないんだよ。金が出なくなったと言うことは、そこで働いていた鉱山堀り達の仕事が無くなる。リートンは鉱山士が多くいるらしいから、今となってはそのほとんどが失業中って訳だ。ってな事で、もちろんほとんどの家族には給付が配分されない。つまり、物を買う金すら残ってねぇんじゃねぇの、この雰囲気を見ると。

 そうなると、露店をやってても買いに来る奴がいないんじゃぁ、商売あがったりだから、店をたたんじまう。そんなこんなの悪循環。それがこの町の現状だ。わかったかい?」

 長々と説明を終えた男は、大きく息をつき、セリアに納得を求めた。

 しかしセリアはさらに問い詰め続ける。

「では…、では、王族達は何をやっているのですかっ? こんなにも民達が苦しんでいるというのに、何もしないはずがないでしょう?」

「ここの王族達は無能なんだよ」

 ボソリと突き放すように言う。

「無能…」

「あぁ、無能だね。何やらここの国の身分のおたけぇ奴らは自分たちだけでは何もできないらしい。姫神子やら神子とやらに頼って、信託を待っているんだとよ。そんな神頼みばかりに頼っている国の王様は無能以外になんて言うんだよ」

「………」

「あんたもやる事やったんなら、さっさとこんな国、おさらばした方がいいぜ。なんせ、こんな国の現状につけ込んで、お隣さんのリヴィールが攻め込むってな話しも流れているぐらいだからな。まっ、それに巻き込まれないように気を付けな、嬢ちゃん」

 男はくしゃり、とセリアの髪を撫でると片手を軽く上げ、人気の無くなった街道を歩いていった。その姿はやがて砂埃に紛れ、霞んでしまう。

 セリアは別れの挨拶すらもせずに、吹き抜ける風に身を任せてずっと立ち竦んでいた。

『この国が…滅びる?』

 あの男はそう言った。もちろん、事の信憑性は定かではないが、嘘を言っているようにも見えない。

『民が苦しんでいるというのに、神々は私たちに何も教えを下さらないと言うの?』

 また、新たな現実を突きつけられる。二年前の事と重ね合わせると、セリアの悩みは一層深くなる。

『本当に…神は、いないというの?』

 信じたくはないが信じざるを得ない。神の存在というあやふやで掴み所のない信心よりも、目の前に広がる現実の方が重く、心に突き刺さっているのだ。

 あまりにも現実離れしたように思える話は真実なのか? あの男の言うとおり、本当にこの国は滅亡の危機に瀕しているのだろうか? 神の存在真理に続いて、暗雲立ちこめる国の幾末の話はあまりにも大きすぎて、しばらくの間セリアは呆然と砂煙の中に立ったまま、動けなかった。

 そしてフラフラと風に流され、夢遊病者のように町を歩き始める。

瞳はどことなく虚ろで、町を歩く人間達と何ら変わりない状態に陥っていた。

『自分が生まれ、育った国が滅びようとしているのに、私は何もできないの?』

『私は何のための姫神子なの?』

『何故、何の苦しみも知らずに私は生きて来れたの?』

『いつか生け贄になるため?』

『いつか民を救うため?』

『私は民を救えるの?』

『生け贄になることで、民は本当に救われるの?』

『私の死は無駄じゃないの? 意味のある死に値するの?』

『私が生け贄になっても、金が沸いてくるわけじゃない。王族が無能でなくなるわけでもない。ましてや、神子信仰の心など欠片もないリヴィールが侵略の意図を改めるなどと言うことは、考えられない』

『それでは私が生け贄になることに意味はない。今まで通り、無駄な死になってしまうのではないの?』

『意味のある死』

『姫神子としての義務』

『義務としての死』

『そして、この国を救う方法』


『私には何が出来るの?』


 幾多の問いかけがセリアの中で生まれ出てくるが、それは当てもなく彷徨い、何処へともなく溜められていく。重く、苦しく、セリアは鬱屈し続ける。

 気が付くと裏街道を抜け、二年前のあの場所に辿り着いていた。全ての問いが始まった『生きることに疲れた者が住まう地』だ。 

そこは、表通りとは違い、全く変わってはいなかった。くすんだ砂の臭い。籠もった風の香り。狭苦しく舞う砂埃。相変わらずぶら下がるように、キィキィと微妙なバランスで揺れる木の看板。二つの支えのうち、一つだけでその状態を保っていたのに、二年経っても地に落ちてはいなかった。まさに二年前そのままで、過去に還ったような感覚を覚える。

 元々、悪い環境だっただけに、これ以上落ちようがなかったと言えないこともない。

その廃墟のような町を、セリアは何も考えずにただ黙々と歩き出し、目に映るものを眺めていた。唯一、以前と違うところは、人の姿が見当たらないと言うことであった。

 木看板や、建物と違い、人は動くものなので、偶然、誰一人として見かけなくとも珍しいことではない。元々、住人の少なかった場所だ。表の街ですら、人気が無くなってきているのに、ここが賑わうはずもなく、もしかしたら、早々にこの街から引き上げたのかも知れない。いくらか裏通りを回ってみても、やはり人の影は見つからなかった。

 しかし、その代わりに見つけたものがあった。

街の角でセリアは目に入ったそれをじっと見つめていた。

セリアの前には、建物が取り壊された後に出来たような小さな広場があり、まだ多少の瓦礫は残っているものの、子供達が遊ぶには丁度良い広さだった。

 その広場を三方、取り囲むように建っている家屋の壁には、石で殴り描いたような落書きが残っていたのだ。

 まさに子供が描いたようなお世辞にも上手とは言えない家の絵や、動物の絵、人の絵などが壁一杯に描かれている。その絵の上か下か、重なるように言葉も刻みつけられており、誰に伝えたかったメッセージなのか、今となっては定かではない。もちろん色など付いていない。壁の色である黄土色をベースに彫り込まれており、何度か同じ線をなぞらないとここまではっきりとは残らないだろう。

 それでも流れる歳月の風雨、そして砂塵は徐々にその絵や言葉にも綻びを生み、古そうなものは元の原形を留めていない。言葉もはっきり読みとれるものから、ある程度想像しないと言葉の意味すら通じないものまである。

『クオイト(馬鹿)』

『ハンナニオンス(死んでしまえ!)!』

『エンル ニ デ ガーダ(私の好きな人は…)』等々、その場、即興で描いたような落書きであった。

 二年前のことがあってから、セリアは独学でこの街に隠れている一部の言語を学び、基本的な会話ぐらいは出来るようになっていた。少し難しくなってくると文献も少なくなり、書物だけでは補いきれなかったのだ。ルシーナの監視の目が光る中、街に出ることも出来ず、この言語の勉強はそこで止まっていた。

 それでも、所詮、子供が描くような言葉なので今のセリアでも十分に読み取ることが出来る。

 セリアは風にたなびく長い髪を後ろに回し、じっとその落書きに視線を走らせていた。

 その意味のないような落書きの中にも、

『死にたくない』

『お腹空いた』

『いつか幸せになれる』等、辛苦の想いを切々と書き綴ったものもあり、セリアはそんな言葉を見つける度に心を痛めた。これを描いた子供達は、一体どんな苦しみの中で、この想いを誰に伝えたかったのだろう。叶わぬ願いだと分かっていても、それでも誰かに伝えたくて、これを描いたのだろうか。それとも『いつか幸せになれる』と信じて生きていたのだろうか。

 この言葉を描いた子供達は、今、セリアの前にはいない。生き続ける苦しみと寂寥(せきりょう)成る唯一の願いを壁に書き残して、どこかへ去っていってしまったのだ。

 息が…出来ない。

 壁に残された数々の想いが、痛烈に心の柔らかい部分を切り刻む感じを覚え、すぐにでもその場を離れたくなった。


『私には何が出来るの?』


 さらに奥深く彫り込まれる問い掛け。

 俯き、首を振る。

両の手で頭を抱え、しゃがみ込む。

我慢する間もなく、涙があふれだし、嗚咽が止まらない。


『私は、いったい、どうしたらいいの…?』


うるんだ瞳を上げ、ぼやけた視界の片隅に、一瞬、何かが見えた。

「え…?」

 咄嗟に手の甲で瞳をぬぐい、何を見たのか確認する。

 何も変わってはいなかった。もちろんそんな数秒で何が変化するというのだ。崩れた壁も、彫り込まれた落書きも、積み上げられた瓦礫の山も、何一つ微動だにしていなかった。

「今、何かが…」

 何か動くものが横を過ぎったわけではない。顔を上げた瞬間、セリアの瞳は何かを見たのだ。幻影を見たのか、陽の光が何かに反射して、何かが見えた気がしただけなのかは分からない。

 だが、あの時、セリアの心は感じたのだ。神の信託のようなものを。まだ一度も信託を受けたことはないが、恐らく先程のような感覚なのだろう。

 セリアの瞳はもう一度、広場と壁を凝視する。

割れて入ったヒビの一つ一つや、文字を一文字一句見落とさないように、壁や地面に近づき、顔を寄せながら、必死に探し続けた。何度も何度も、同じ場所を繰り返し見ては、次の場所に行く。

しかし、それをしばらく続けても、何も見つかりはしなかった。

信託などではなく、思い込みと錯覚のせいだったのかと諦めが入りかけた時、ふとした事に気付く。

 もう一度同じ場所で、同じ動作をすれば、同じものが見えるのではないかという基本的なことが頭に浮かんだのだ。セリアは急いで壁から離れ、街道に近づき、同じ場所に立つと正面の壁をじっと見つめた。

 そして、同じように俯き、しゃがみ込み、一度、心を整える。

頬にまとわりつく髪と共に、ゆっくりと顔を上げた。


「あ……」


───────────私は何をやっていたのだろう……。


 再び目に映ったものが何かを確信したとき、まずセリアはそう思った。

『私に出来ること』

 その答えも出た。

 セリアが見たもの。それは、正面の壁一杯に描かれた落書きであった。左端から右端まで大きく渡って描かれており、一つの文字が大きいために、近づきすぎると他の文字と入り交じって、ただの線になってしまっていたのだ。だから、少し遠く離れないと、言葉の全貌は明らかにされない。それ故、涙でにじんだ瞳で顔を上げた瞬間、他の文字がぼやけ、霞んだときに初めて見えた気がしたのだ。


『きっと……必ず、セリア様が僕達を助けてくれる』


 目の前の土壁には、そう彫り込まれていた。

『セリア様が助けてくれる』


セリアはその言葉を復唱した。


『どうして、今まで気付かなかったのだろう? 私がすべきこと、私が出来ることは、すぐ近くにあったんだ。私はずっと前からそれを知っていた』


 姫神子としての義務。それは、『民を救うこと』であり『国を護ること』である。

 そして、姫神子にしかできないこと。それは『人の心を動かすこと』であった。

 この二年間、セリアは、自分が生け贄になることは無駄ではないのか、と思っていた。神のいない世界で、物理的に自分がこの世から消えても何も変わりはしないと。

 だが、それは間違っていたのだ。

確かに、セリアが死んだところで、物理的な面では何も変わりはしない。セリアやルシーナはこれまで生きてきた中で見せつけられた現実によって、神など存在しないのではないか、と疑っていた。

 しかし、民の場合はどうだろう? 答えは否だ。

生まれた頃からこの国には七つの神がいると教えられ、その恩恵を受けて今まで生きて来れた、と考えているのだ。この悪化している国の状況ですら神の意図だと信じている者も多い。

 そんな民衆の前で、神の化身と崇められている姫神子が「自分が生け贄になることは無駄であり、嫁ぐべき神などいない。だから、自らの力で道を開けよ」などと言うとどうなる? 無駄な混乱を招くだけではないのか?

 ただでさえ国がこのような状態なのに、この上、皆の精神的支えである神の存在をいきなり否定されては、さらなる不安を募らせるだけだろう。その不安は恐れとなり、周りの者達と同調し出すと、集団の心理は増幅し、恐慌を来たす。それこそ、本当の意味でこの国は滅亡してしまうのではないか? 今の民達が平穏に暮らせるのも、神の存在を信じ続けているからであり、これからも信じるに値する存在だからである。

 だからこそ、セリアは生け贄にならなければならない。太陽の神の元に、嫁入りせねばならないのだ。そして民衆の心に平常を取り戻し、正しき方向に導く。

 それこそが姫神子としての義務であり、姫神子にしかできない務めでもあるのだ。心の均衡を取り持ったところで、民達が正しき方向に進んでくれるとは限らないが、そこからは自分の役目でない。

 自分の役目はあくまでも国民達の心に平穏をもたらすこと。

それだけではあるが、それこそが最も重要なのだ。国が落ち着いた頃に、誰かが先導者となり、正しい方向へと導いていけばいい。

 誰かとは、恐らくルシーナになることだろう。『神々に選ばれし従者』と称される彼であれば、道を踏み外すことなく、この国を、民衆達を永きに渡る平穏と安定の未来へと誘ってくれるはずだ。共に肩を並べてその時代(とき)を歩くことは出来ないが、彼が歩くべき道を創りだし、整えることぐらいは出来る。信託が降り、儀式が行われるその日まで、セリアはもっとこの国のことを学び、書を綴ろうと心に決めた。それはほんの少しでも、神が示した道を歩くルシーナの助けになればいいという考えからであった。

 神が創りだした道と言えど、恐らくこの国を取り囲む大自然よりも険しく、脆く、そして闇に包まれていることだろう。僅かな光でも良い。ルシーナが迷ったとき、道を先示す一条の光となりうれば、それで。

 頭の中では靄がかっていて、形を成さなかったものが、次第に整っていき、その様が明らかにされていく思考の道程は、セリアの二年間に及ぶ悩みを一気に吹き飛ばした。

こんな所にいても何も始まらないとばかりに、居ても立ってもいられなくなり、セリアの心は急いた。だが、その心を押さえつけ、もう一度あの言葉の前に立ち、それを呟く。

 そして強く頷き、神殿へと駆け出した。




 セリアが神殿に帰り着いた頃、その時を申し合わせたかのように、太陽の儀式の日が決まった。一年後の太陽が最も高く昇る日に行われるのである。

 姫神子は『最も美しい時』に太陽の神に嫁入りするといわれている。その『美しさ』とは、外見や容貌ではなく、心の中に迷いや曇りが一点もないような、いわば内面的に『最も美しい時』を示していたのかも知れない。


 本当は何が正しいのか、何が間違っているのか、誰も分かりはしない。

 神は人を裁けるが、人は神を裁けない。だから誰しもが悩み、迷っている。

 自らの苦悩の果てに生まれるのは喜びか、それとも虚しさか。

風に舞い散った子供達の想い。行方も知れずに彷徨い、届くのは誰の心の中か。

 姫神子としてのセリア=ジルではなく、一人の人間としてのセリア=ジルはいつも静かに問い掛けていたのかも知れない。

いつ、自分の背中にある羽根を開き、羽ばたくのかと。


 全ての答えは、神のみぞ知る。

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