第18話 殺人鬼VS女の子<2>



呪ってあげる。

笑みを浮かべながらそう告げる瞳の言葉を聞いても、柚子もミウも、意味が分からず呆けていた。


「う、嘘だよね? そうやって、私達を驚かそうとしてるんでしょ? ねぇ、ひと──」


瞳へと歩を進める柚子を、ミウが押し倒した。

その瞬間、柚子のすぐ後ろにあった木が、まるで雑巾のように一人でに絞られ、へし折れた。


「ちっ」


瞳が露骨に舌打ちをする。

柚子は、目尻に涙を溜めながら、瞳を見上げた。

瞳は、そんな柚子に軽蔑の目を向け、ふっと笑ってみせた。


「本当に。あなたはいつまで経っても何もできないのね。そうやって、誰かに守られるばかりで。私はね。もうあなた達のお守りは、ごめんなのよ」


柚子はぽろぽろと涙を流していた。

ショックで、身体が動かなかった。

瞳が、ゆっくりと手を掲げようとした時だ。


パシンと、瞳の頬をミウが叩いた。


「そんなひどいこと言っちゃ、めっ!」


じろりと、瞳はミウを睨んだ。

彼女の首を掴み、歪に笑ってみせる。


「お返し」


瞳が力を込めようとした時、彼女の目の前にある木に、マチェットが突き刺さった。

遠くで立つジェイ君を、瞳は睨んだ。


「お前の狙いは俺だろ?」

「……よく分かってるじゃない。私のお父さんを殺した仇‼」


ミウを突き飛ばし、ジェイ君に向かい合う。


「待って! ジェイ君はあなたの父親を殺してなんかない! あの写真の人は──」

「うるさいっ‼」


瞳は柚子に手を掲げた。

その時、木に突き刺さっていたマチェットを、ジェイ君が引き寄せた。

瞳は瞬時にそれに気づき、避けるために屈みこむ。


「二人とも、こっちだ‼」


二人は、慌ててジェイ君の方へ駆けだした。

ジェイ君は近くにいた統島を肩に背負い、二人を押すようにしてその場を離脱した。




◇◇◇



「この辺りまでくれば、もう大丈夫だろう」


ジェイ君は統島を降ろし、茂みの影に隠した。

他の二人は肩で息をしていて、へたり込むように地面に座る。


「瞳……一体、どうしちゃったの……?」


息も切れ切れに、柚子は言った。


「呪いに憑りつかれたんだ」


二人はジェイ君の方を向いた。


「全部思い出した。俺はここの番人じゃない。全てあいつに操られていただけだった」

「あいつって……?」

「本当の番人。この場所に人間を閉じ込めるという呪いを持った、諸悪の根源だ」


いつも抑揚のないジェイ君が、珍しく吐き捨てるように言った。


「あいつが何者なのかは俺もよく分からない。だがその能力はだいたい分かる。自分自身をママと呼ばせることで、他者を操ることができる能力だ。今までは、ずっとそれで俺を操り、この場所に来た人間を殺していた。だが、俺の洗脳が解けかけたことを知り、瞳に鞍替えしたんだ」

「ちょ、ちょっと待って。よく分からないんだけど……。じゃあ、ジェイ君は一体なんなの?」

「俺は元々、誰かを守るために生まれた。禍玉を使用した、瞳の母親を守るために」


ずっと湖の底で眠っていた自分に聞こえてきた声を、今でははっきりと思い出せた。

『私を助けて。この場所から逃げさせて』

その願いを聞き入れ、ジェイ君は目を覚ましたのだ。


「詳しいことは俺もよく分からない。だが、調査隊の人間達は、瞳の母親の婚約者を疎ましく思っていたようだ。そしてその感情が極限まで高まり、虐殺が行われた」


目を覚ました時、ジェイ君は湖の底からその光景を見ていた。

調査隊の人間が、輪になって集まり、婚約者を溺れさせているところを。


「俺達のマドンナに手を出したお前が悪いんだ」


ジェイ君はそこで、そんな声を聞いていた。


「奴らは婚約者の死体をバラバラにして埋め、今度は瞳の母親に手を出した。俺が奴らを殺さなければ、彼女はそこで殺されていただろう」


ジェイ君はうつむいた。


「……私情はあった、と思う。俺も、死んだ婚約者と同じだったから。人々から疎み妬まれ、この場所で殺された。だから──」

「もういいよ」


ミウが、ジェイ君の言葉をストップさせた。


「だいじょうぶだよ。よくわかんないけど、きっとジェイ君はだいじょうぶ」


そう言って微笑みかけてくれるミウに、ジェイ君は何も言えなかった。


「……と、とにかく! 瞳が誰かに操られてるだけなんだってことは分かった。だったら、瞳を助けてあげよう! いつも瞳は私達を助けてくれた。だから今度は、私達が瞳を助ける番よ!」


ミウも、ジェイ君も、力強くうなずいた。

三人の気持ちは、完全に一致している。

瞳を助ける。

そのために、今できることを全力でやるのだ。


「それにしても、瞳のあの攻撃はなんなの? ジェイ君を吹き飛ばしたり、木をねじ切ったり」

「奴の能力は念力だ。射程内に入れば、そのまま圧縮されて殺される」

「最強じゃん……」


思わず本音がぽろりとこぼれた。


「だが、その射程はかなり短い。せいぜい2メートル程度だ」


しかし、2メートルだろうと3メートルだろうと、近づけなければ倒す術はない。

三人は懸命に考えるが、その能力を打開する有効な手段は、なかなか思いつかなかった。


「こんな時、瞳がいれば……」


呪いの打開策を考えるのは、いつも瞳だった。

その瞳がいないとなれば、もはや為す術がない。


「あきらめるな」


ジェイ君が、いつもの淡々とした口調で言った。


「……そうだよね。ごめん。私達がしっかりしないとだよね!」


柚子は、ぱんぱんと両手で自分の頬を叩いた。


「ねぇ。瞳はジェイ君について誤解してるんだよね? その誤解を解いたら、攻撃を止めてくれるとか、ないかな?」

「止めた方がいい。奴の洗脳は恨みを増幅させることで効果を発揮するもののようだが、恨みというのはそう簡単に消えるものじゃない」

「……でも、今はそれしか方法がないなら、試してみるのも──」


柚子の声が止まった。

ジェイ君が、自分の口元で人差し指を立てていたからだ。


「……動きが止まった」


言葉短に、ジェイ君は言った。

追いかけっこをしている最中に立ち止まっているのだ。

何か良くないことをしようとしていると考えて、間違いないだろう。


辺りはしんと静まり返り、動物や虫の声しか聞こえない。


ゥゥ……


その中で、微かに空気を切り裂くような音を、ジェイ君は捉えた。


「何の音?」


柚子もそれに気付き、音の方を振り向く。

彼女の目の前には、三十センチほどの岩があった。

それが念力によって猛スピードで飛来したものだと柚子が気付いた時、ぐしゃりと音がして、辺りに血が飛び散った。


ミウが悲鳴をあげた。

咄嗟に柚子を抱き寄せたジェイ君の腕が、千切れて吹き飛んだのだ。


「走るぞ‼」


ジェイ君は統島を担ぎ、二人を引っ張りながら走った。


「ジェジェ、ジェイ君! 腕がっ! 腕がっ‼」

「あとでくっつけるから大丈夫だ」

「くっつくの⁉」


再び距離を取り、三人は姿を隠す。

これでひとまずは安心だろう。

しかしこのかくれんぼは、圧倒的に向こうが有利だった。


「厄介だな。物体を使用すれば、範囲は無限大に広がるわけか」

「そうだ! ジェイ君が瞬間移動を使って、不意打ちすればいいんじゃない⁉」


どれだけ念力が強力だろうと、使えなければ意味がない。

ミウの提案はなかなか有効なもののように思えた。

しかし、ジェイ君は首を振った。


「空間移動は相手の隙に入り込む能力だ。周辺にある注意の逸れた場所に現れ、相手を襲う。だが、今の瞳はまったく隙を見せてくれない。周囲二メートルを、常に念力で圧縮させることで、俺の能力を封じているんだろう」

「常に⁉ そんなのどうやって倒せっていうのよ!」


思わず、柚子が悲鳴のような声をあげた。


「……一つだけ、方法がある」


為す術なしと思われた状況で、ぼそりとジェイ君がつぶやいた。


「な、なになに⁉」

「瞳は今、操られた状態だ。なら、その洗脳を解けばいい。洗脳している奴には、自分の遺体がある。確信はないが、おそらくそこを媒体に、霊体となって瞳の身体を乗っ取っているはずだ。だからその遺体を破壊すれば、あるいは……」

「それだ! ていうか、もうそれしかない! さっそく──」


ふいに、統島がジェイ君の服の裾を掴んだ。


「……が……。……か…………し……の…………だ……」


まただ。

統島は何かを伝えようとしている。

ジェイ君は、じっと統島を見つめて考える。


ふとその時、ジェイ君は瞳の動きがおかしいことに気付いた。

ずっと自分達を追っているのだと思っていたのだが、微妙に方向がずれているのだ。


「……やられた」


思わず、ジェイ君はつぶやいた。


「ど、どうしたの⁉」

「コテージにある武器を壊された。最初から、瞳の狙いはそれだったんだ。俺達の注意を引き、その隙に武器を破壊する。そうすれば、遠距離から遺体を破壊するのは不可能になる。あとは家の前に陣取れば、もはや弱点はない」


二人の顔に、絶望の色が浮かんだ。


「……はっ! ミウ、すごいこと考えた‼ 今のうちにジェイ君のお家に行って、遺体を破壊すればいいんだ‼ 天才的アイデア‼」

「いや、天才ってほどでもないと思うけど」

「善は急げなり~!」


ミウがそう言って駆けだした。

その時、ジェイ君の耳に空気を切り裂く無数の音が聞こえた。


「待てっ‼」


ジェイ君がミウを抱え、地面に転がった。

その瞬間、破壊された武器の破片が、雨あられと飛来した。

木々を貫通し、なおも衰えることのない破片の弾丸は、一瞬の内に林の中を蹂躙する。

ジェイ君はミウに覆いかぶさるようにして、倒れてきた木々やその破片、はじけ飛んだ石から彼女を守った。


「ふ、二人とも大丈夫⁉」


猛攻が止むと、攻撃の射程外にいた柚子が、木の陰に隠れながら叫んだ。

その声に返事をする代わりに、ジェイ君は自分の身体に倒れていた木々を押しのけて立ち上がる。


「こ、こわかった……」


ミウが足をがくがくと震わせながら、つぶやいた。


「狙われたな。俺達が慌てて家に戻ると予測したんだろう」


ジェイ君はミウを立たせてやりながらそう言った。


「ジェイ君、身体ぼろぼろ……」


ミウが泣きそうな顔で言うので、ジェイ君はぽんと頭を撫でてあげた。


「しかし、厄介なことになったな。さっきの騒動の間に、瞳は定位置についたらしい」


ジェイ君が、遠くを見ながらそう言った。

先程の猛攻で木々がなくなり、ここからでもトタン小屋が見えるようになっていた。

その小屋の目の前には、じっとこちらを睨む瞳がいる。


ジェイ君は、黙って瞳の方へ歩いて行った。

慌てて、二人も彼について行く。


「ようやく観念した?」


お互いに対面すると、瞳はそう言って笑みを浮かべた。


「冗談! 絶対アンタを倒して、瞳を助けるんだから」


その言葉に、瞳は吹き出した。


「アハハハ! 吹き込んだのはジェイ君ね? 違う違う。間違ってるよ、二人とも。これは私の意思なの。確かにママには力を貸してもらっているし、ママの言葉で踏ん切りがついた。でもそれだけ。あなた達を殺すのは、私がそう望んだからよ」

「うそだ! 瞳がそんなの望むわけない‼」

「本当よ。どれだけ献身的に尽くしても、結局それは無意味だって気付いたの。どれだけ頑張っても。どれだけ取り繕っても。結局私は、あなた達とはいられない」


瞳は、うつむきながらそうつぶやいた。

今までの高圧的な態度とは裏腹に、どこか悲哀にあふれている。


「そんなことない。三人で誓い合ったじゃない。私達はずっと──」

「私のことを何も知らないからそんなことが言えるのよ‼」


瞳の悲鳴のような叫びは、二人を黙らせるには十分だった。


「……どうせ壊れるなら、さっさと壊しちゃった方がいいじゃない。私がこの手で二人を殺せば、永遠に一緒にいられる」


二人の視線が、小屋の戸口の方へ向けられる。

そこには、ジェイ君の腕があった。

瞳の攻撃で千切れてしまったものだ。

それは、イモムシのように指を動かし、瞳の背後から家へと侵入するところだった。


「だから私は──」


その時、瞳の顔色が変わった。

瞬時に背後を振り向き、中へ入ろうとするジェイ君の腕を掴んだ。


「……残念でした。ジェイ君一人ならまだしも、分かりやすい反応をしてくれる二人がいるこの状況では、あまり有効な策ではなかったようね」


暴れるジェイ君の腕を掴んだまま、瞳は頬を緩ませた。


「いい加減気付いたら? あなた達じゃ私に勝てない。今の私に……隙は無い」

「いいや。見えたぞ、隙が」


瞳は鼻で笑った。


「ハッタリを──」


瞳の動きが止まった。

千切れたジェイ君の手に、何かが握られていることに気付いたのだ。


「お前がそれを見せようとしていたことには、以前から気付いていた。どういう理由なのか分からず、ずっと黙っていたがな」


瞳は、それをよく知っていた。

何故なら、それには彼女の願いが込められていたから。

知らず知らず、しかしそれでも、ずっとそれに向けて祈り続けた瞳にとって、それは無視できないものだったから。

もしかしたら。いやきっと。これを持っている人が、自分のお父さんなのだと、願ってきたから。

ジェイ君の手に握られていたのは、禍玉の欠片だった。

瞳の持つ欠片とぴったり合致する、もう片方の欠片。


その瞬間、ジェイ君が煙になって消えたかと思うと、瞳の背後に現れた。

一瞬の内にマチェットを抜き、それを瞳に向けて思い切り振りかぶる。


「ジェイ君、ダメ‼」


瞳はジェイ君を見た。

その大きく見開かれた、殺戮者の目を。


「ひっ!」


思わず、瞳は手で顔をガードし、念力を集中させる。

それは獲物の行動だった。

狩られる側が見せる、咄嗟の防衛本能だった。

しかし、ジェイ君の狙いは瞳ではない。


身体を翻し、振りかぶったマチェットを投擲する。

それは、開け放たれた戸口に吸い込まれ、テーブルに飾られていた頭蓋骨を両断した。



キャアアアアアア‼



この世のものとは思えない悲鳴をあげ、瞳はその場に倒れ込んだ。


「本来の瞳なら、俺の行動の意図を察して、圧殺するなり、マチェットを潰すなりしていただろう。だが、力に溺れたお前はできなかった。……瞳なら、決して忘れなかったはずだ。呪いに打ち勝てるのは、いつだって、勇気ある人間だけだということを」


ジェイ君は、近くに転がっていた自分の腕を取り、乱暴にくっつける。

手を開け閉めし、小さくため息をついた。


「感覚が戻るまで、しばらくかかりそうだ」


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