第17話 殺人鬼VS女の子



「ジェ、ジェイ君! 追いかけて‼」


柚子の慌てた言葉に、ジェイ君はうつむくだけだった。


「ど、どうしたのジェイ君⁉ きっと瞳、混乱してるだけだから。誤解を──」

「俺に、追いかける資格はない」


そう言われて、二人は思わず黙ってしまった。

何か、自分たちの知らない重い事情が二人にあることを、なんとなく理解できたのだ。


「で、でも……どうしていきなり……」

「たぶん、確信したんだろうね。行方不明になっていた調査隊員とジェイ君が別人だと。おそらく、死体でも見つけたんじゃないかな」


統島が三人に写真を見せた。


「禍玉の発掘調査隊の写真だよ。ここに写っているのが、瞳ちゃんの母親。そしてこれが、その婚約者だ。オレも瞳ちゃんも、この人物を彼だと勘違いしていたんだよ」


柚子とミウは、渡された写真をじっと見つめた。


「これ……おかしくない?」


ふいに、柚子がそんなことをつぶやいた。


「何がおかしいんだ? オレも瞳ちゃんも確認したけど、変なものは何も写っていない」

「だってこれ、二年前って書いてあるよ」


その写真には、端に小さく年月が書かれてあった。

日付は、確かに二年前のものだ。


「調査隊の斬殺事件は“二年前に起きた事件”だ。整合性は取れてるだろ」

「いやいや、おかしいって! だって瞳は、生まれてこのかた、父親に会ったことがないんだよ?」


統島は、思わず固まった。


「……え?」

「う~ん。ミウ、よくわかんない。どういうこと?」

「瞳が物心ついた時から、瞳の父親は亡くなってたってこと。だからこの写真の人物が瞳の父親のはずがないのよ」

「あ、そっか! じゃあ、さっき瞳が言ってたのは……?」

「瞳も混乱してたのよ。だから、この日付を見落としちゃった。たぶん、この写真の人は瞳の母親の再婚相手だったんじゃないかな。だから……だからよくわからないけど、ジェイ君は何も悪くないってこと!」


統島は、じっと写真を見つめていたかと思うと、突然瞳が駆けだした方向へと走り出した。


「え? ちょ、ちょっと、統島さん‼」


柚子達の声も聞かず、統島は三人の視界から消えてしまった。


「わ、私達も行こう!」


柚子達が走り出そうとする。

しかし、ジェイ君はうつむいたまま動かなかった。


「俺はいい」


その言葉に、二人は立ち止まった。


「さっきの言葉で思い出した。たとえ瞳の父親を殺したわけじゃないとしても。俺は……ここにいちゃいけない存在だったんだ」

「なに言ってるの? ジェイ君はどこにいてもいいよ。ミウが保証する」


ジェイ君は首を振った。


「前に、ミウは俺のことを、あのオオトカゲとは違うと言ってくれた。だが、本当は同じなんだ。オオトカゲとも、市松人形とも、俺は同じだ。誰かを傷つけることでしか、自分を表現できない。三人と一緒にいて。そこが、あまりにも居心地が良くて、忘れていた。俺は世界の最も汚い部分でしか生きていけない。だがら瞳達は、そんな汚い部分には、決して立ち入っちゃいけないんだ。三人がいる場所は聖域で、どこまでも純粋で明るくて……。だから、俺のような存在は──」

「勝手にきれいごとを押し付けないで‼」


柚子の突然の叫びに、ジェイ君は思わず黙った。


「私達は、別にきれいでもなんでもない! ジェイ君が勝手にそう思ってるだけでしょ⁉ そんなの、ママとやってること同じだよ!」


興奮し、肩で息をしていた柚子は、自分を落ち着かせるように深呼吸すると、まっすぐにジェイ君を見つめた。


「ジェイ君は、ただ言い訳が欲しいだけ。そうやってここに留まる理由が欲しいだけ。そんなの、ただ逃げてるだけじゃん! ……何があったとか、よく分かんないけどさ。ジェイ君はこのままでいいの? 瞳と仲直りしたくないの? ちゃんと自分の気持ちを話さなくちゃいけないって、ジェイ君が私に教えてくれたことでしょ?」


ジェイ君の目が、大きく見開いた。


「ええと……、ミウ、よくわかんないけどさ。そういう場所にいるジェイ君が、ミウ達といることって、ジェイ君にしかできないことだと思うの。だから……難しいこと考える必要ないよ。瞳が許してくれなかったら、ミウ達も説得するしさ。それでもダメだったら……ジェイ君の話を聞いてあげる! ジェイ君が、ミウ達にしてくれたみたいに!」


ミウが、にっこりと笑った。

二人を見比べ、ジェイ君はぼそりと言った。


「……俺は、過ちをいくつも犯してきた。それでもいいのか?」

「失敗ならミウの方がたくさんしてるよ!」

「ここにいる資格がない。それでもいいのか?」

「資格なんて、そんなもの必要ない。だって私達四人は……親友でしょ?」


微笑みかける二人を見て、ジェイ君はゆっくりとうつむいた。

今まで、ずっと疑念でしかなかったものが、確信に変わる。

自分はきっと、これを望んでいたのだ。

殺戮の毎日の中で、嘆きと悲しみの咆哮の中で、ただ、誰かにありがとうと言われ、自分に微笑みかけてくれることを。


ジェイ君は力強くうなずいた。


「分かった。もう逃げない。ちゃんと瞳と話して、……そして、みんなでこの湖から脱出しよう」


柚子は頬を緩ませ、拳を突きだした。

ミウも、黙ってそれに倣う。

ジェイ君は二人を見回してから、突き出された二人の拳に、自分の拳をぶつけた。




◇◇◇



瞳は息を荒くしながら、木の幹に手をついた。

先程から、頭痛が酷い。

何かを考える度に、頭が割れるようだ。


滴るように地面へ落ちる大量の汗が、今の自分の異常な状態を示していた。


「……信じてたのに」


一緒にいたいと言ってくれたジェイ君に裏切られた。

柚子も、ミウも、いずれ自分を裏切るに違いない。

二人にふさわしくない自分は、いずれ二人から離れなければならなくなる。

自分はただ一人になりたくなかっただけ。

そのために、ずっとずっとがんばってきたのに。


みんな、自分の側からいなくなる。

柚子も、ミウも、お母さんも。みんなみんな、いなくなる。


「……嫌だよ」


ぽろぽろと涙を流しながら、瞳はつぶやいた。


「もう、一人は嫌だ……」


瞳が膝をついた、その時だった。


『かわいそうに』


ふいに声が聞こえてきて、思わず瞳は振り返った。


「誰⁉」

『あんなに誰かを求めていたのに。あんなに必死にみんなを守っていたのに。結局、お前のそばには誰もいない。お前は永遠に孤独なんだよ』

「やめて……。もうやめて‼」


瞳は耳をふさぎ、その場にうずくまった。

涙を流し、子供のように身体を震わせながら。


『私が側にいるよ』


その声に、瞳の震えは止まった。


「……え?」

『私はずっとお前の側にいる。お前が誰であろうと、何をしようと、ずっと側にいてあげる。私だけは、お前の味方だから』

「私の……味方……」


ゆっくりと、瞳は立ち上がった。

どこからともなく聞こえる声の主を探して、辺りを見回す。


『そうだよ。だからほら。私のことは、ママとお呼び』

「……マ……マ……」


その時、瞳の目の前に白い煙のようなものが現れた。

その老婆の形をした煙は、笑いながら瞳の身体の中へと入っていった。




◇◇◇



「ジェイ君! 本当にこっちで合ってるの⁉」

「瞳かどうかは分からないが、誰かが一か所に留まっている」


三人は林の中を小走りに歩いていた。

ジェイ君だけで瞳のところへ行くという案もあったが、いざという時の宥め役は必要だろうということで、結局三人で向かうことになったのだ。

しばらく歩くと、林の中にある、だだっ広い空間に出た。

そこに誰かが立っていることに、三人はすぐに気付いた。


「……統島さん?」


すぐに彼だと気付いて声をかけるが、返事がない。

統島は立ってはいるが、うなだれていて、まるで動かなかった。

それがどういう状況なのかは、少し近づけばすぐに分かった。


統島の肩に、幹から生える枝が突き刺さり、宙づりになっていたのだ。


「統島さん‼」


三人は慌てて駆け寄った。

彼は大量に出血し、青い顔をして目を瞑っている。


「……まだ生きている」


木から解放して地面に寝かせると、ジェイ君は鼓動を確認してから言った。

その言葉に、柚子達は、ほっと息をつく。


「でも、一体誰が。もしかして……」


嫌な予感が、三人の頭に過ぎった。

突然、統島の手が柚子の服を掴んだ。


「きゃっ! な、なに⁉」

「……ひ……ちゃ……。の……だ……」


何かを懸命に伝えようとしているが、途切れ途切れで、まるで意味が分からなかった。


「とにかく、この男をコテージまで運──」


その時、突然ジェイ君に頭痛が走った。


「ど、どうしたの?」


思わず頭を抱えて膝を落とすジェイ君に、ミウが心配そうに声をかける。

その間、ジェイ君の頭の中では、今まで見たこともなかった様々な記憶が交錯していた。


「……瞳が危ない」


ジェイ君がぼそりとつぶやき、身を翻そうとした時だった。

突然、その巨体が吹き飛んだ。


何本もの木をへし折り、ジェイ君は地面を転がった。

二人が唖然として動けない中、何かが地面を踏みしめる音が聞こえた。


ゆっくりと、何かが歩いて来る。

二人は、ごくりと息を飲んだ。

月の光に照らされた地面に、何者かの足が見える。

闇の中から、ゆっくりとその全貌を現したのは、二人がよく知る人物だった。


「瞳! 無事……だっ……た……?」


柚子の声が、途中で消えた。

ミウが思わず、口元を押さえる。

彼女に生じている異変に、二人はいち早く気付いていた。


「私は無事よ。二人とも」


そう言って、瞳はにこりと笑った。

服は血塗れで、顔にも血痕が付着しているのに、まるでそれに気付いていないかのように。

二人は怯えた目で、血に塗れた瞳を見つめていた。


「ああ、これ? 違う違う。私の血じゃないわ。これは統島さんの血」


腕についた血痕を舌でなめとり、瞳はにやりと笑った。


「ムカつくこと言うものだから、つい、ね。安心して? 二人には痛い思いはさせない。一瞬で殺してあげるから」


二人には、瞳が何を言っているのか分からなかった。

動けないでいる二人を見て、まるでご馳走を前にする肉食動物のように、瞳は目をぎらつかせた。


「私を一人にする奴なんて、もういらない。だから……私が全員、呪ってあげる」


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