第14話 殺人鬼VS市松人形<3>



二人は湖のほとりに並んで座っていた。

既に日も暮れ、湖の水面には、綺麗な満月が浮かんでいる。

ミウはなかなか口を開かず、ジェイ君も、そんな彼女を急かすことなく、ただじっと湖を見つめていた。


「ミウねー。いつもびくびくして過ごしてたんだぁ」


ふいに、ミウがそんなことを言った。


「みんなができることがミウにはできなかったし、できなかったら怒られるから。一生懸命やるんだけど、いつも失敗して怒られるんだ。だから、今度はいつ怒られるのかなって、ずっとおびえてた」


いつもマイペースで、天真爛漫なミウとは思えない発言だ。

ジェイ君は、そんな彼女の話を黙って聞いていた。


「柚子とはねー。ミウが小学校の時にいじめられてて、その時に助けてくれたのがきっかけで、仲良くなったの。柚子はよく怒るけど、不思議と怖くなくてね。だから、いつも一緒にいたの。ミウが失敗して怒られる時は、いつも柚子が怒ってくれたら最高だなーと思って」


ミウが「そう思うでしょ?」と聞くと、ジェイ君はこくりとうなずいた。

それを見て、ミウは嬉しそうに続きを話し始めた。


「瞳はね。絶対に怒らないの。まあ、ときどき叱られるけど。でも叱る時はね。ミウができないことをできなかった時に叱るんじゃなくて、できるけどしなかった時だけなの。どうして怒られるのかがわかってると、こんなにすっきりするんだなぁって思った」


ミウは星が光る空を見上げた。


「それでねー。ミウ、わかったの。どうして二人は怖くないのかって。きっと二人は、ミウのことを見てくれてるからなんだよ。他人と比べたりとか、そんなんじゃなくて。ちゃんと、ミウのことを見てくれてるの。びくびくしてなくてもいいよって、そう言ってくれるの」


ミウは自嘲気味に笑った。


「柚子の言う通り、ミウはポンコツだからさ。申し訳なさそうにしとかないとダメだし、ごめんなさいって、ずっと頭を下げてなきゃいけない。……きっと、三人でいるのが幸せすぎて、それを忘れちゃってたんだね。柚子と喧嘩しちゃったのも、いっちゃんが怒っちゃったのも。ぜんぶ、ミウがポンコツだから──」

「ポンコツじゃない」


ミウは、ジェイ君の方を見上げた。


「柚子が言っていた。ミウには、自分にはない才能があると」

「……柚子が?」


ジェイ君はうなずいた。


「ポンコツというなら俺だ。俺は人生ゲームが弱い。誰かと話すのも、うまくない。常識に疎くて、三人が笑っている時に、何を笑っているのか分からない」

「ジェイ君の良いところ、いっぱいあるよ! 強いし、それに勇敢! 死なない! 黙って話を聞いてくれるし、あと優しい‼」


ジェイ君は、ぽんとミウの頭を撫でた。


「ミウは物怖じしない。良いマスクを見抜くセンスもある。じゃんけんで絶対勝つ方法も知っているし、それを俺に教えてくれた。今だって、俺の良いところをたくさんあげてくれた」


ミウは指折り数え、ぱあと顔をほころばせた。


「ほんとだ! いっぱい良いとこある‼」

「誰でもできることができないのは、ミウが特別な証だ。ミウには、誰にもできないことができる才能があるんだ」

「じゃあジェイ君も同じだね!」

「え?」

「ジェイ君も、きっと誰にもできないことができるんだよ。だってミウと同じだもん! ミウ、ジェイ君と同じだと思ったら、なんだか自信でてきた!」


誰にもできないこと。

それは今までなら、ただの殺戮だった。

しかし、本当にそれは誰にもできないのだろうか。

あのオオトカゲだって、あの人形だって、それくらいのことはできる。

だが、この子たちを守れるのは、きっと──


「柚子と瞳はね。ミウの命の恩人なの」


ジェイ君はそれを聞いて、ミウの頭に腕を回し、抱きしめてあげた。


「ジェイ君もだよ。ジェイ君も、ミウの命の恩人。だから、困ったことがあったらいつでも言ってね? きっとミウが助けてあげるから」

「ああ。……ありがとう」


ジェイ君はお礼の言葉を述べた。

誰かに感謝の言葉を伝えられることが、こんなにも安心するものなのだということを、ジェイ君は初めて知った。




◇◇◇



「ミウ、大丈夫かな……」


もう何度目かも分からないつぶやきを、柚子は発した。


「だいじょうぶよ。ジェイ君がちゃんと見ていてくれてるから」

「それより、心配すべきはオレ達の方だろ。今あの人形の『遊び』に巻き込まれたら、生きて帰れる保証はない。ここで別れるというのは、ちょっと安直じゃないか?」

「どっちにせよ、もう一度巻き込まれないといけなかったから」


統島は眉をひそめた。


「……なに?」

「あの人形をちゃんと倒せるように、弱点を探る必要がある。次に巻き込まれた時に、それを調べるつもりだったの」

「……あきれるな。それで死んだら元も子もないんだぞ」

「それでも、ずっとジェイ君に付きっきりになってもらうより、よっぽど現実的な対処方法だわ」


統島はため息をついた。


「誰もかれもが、君みたいに呪いへの耐性があると思わない方がいい。柚子ちゃんだって──」

「言っておくけど、私はこの子の判断に全部賭けてるから」


統島は呆れてものも言えないようだった。


「柚子……」


瞳は目を潤ませながら、柚子を見つめた。


「なによ、その顔。言ったでしょ。私達、親友だって」


その言葉に、瞳は笑みを浮かべてうなずいた。


「ミウだって、親友なんだから。だから絶対、助けてあげないと」


瞳は、ぷっと吹き出し、柚子の頭を撫でてあげた。


「いつもそれくらい素直だったら、喧嘩なんてしなくてもよかったのにね」

「しょ、しょうがないでしょ! 面と向かって言うのは……は、恥ずかしいし」


顔を赤くしてうつむく柚子を見て、くすくすと笑っていた時だった。

その笑い声に、別の何かが混じっていることに、三人は気付いた。

はっとして振り向くと、コテージのドアのところに、市松人形がいた。


「遊ぼう?」


その瞬間、辺りが闇に包まれた。

明るかったコテージは見る影もない。

その中で、市松人形が宙へ浮き、こちらへ近づいてくる。


「おままごと」


それを聞いて、統島は、ほっと息をついた。


「どうやら簡単なものを引いたようだね」


しかしそれに反し、瞳は顔をこわばらせていた。

人を殺すという悍ましい意志が形になった呪いの力。そんなものが、簡単なものなんて用意するとは思えない。


「今日は私がママの役なの。ママはパパの帰りを待って、お夕食を作るのよ」


市松人形の背後から布が現れ、床に敷かれた。その上に、茶わんや皿が置かれていく。


「今日はごはんとお味噌汁と、お団子を作ったの」


そう言うと、市松人形の髪が床を覆うほどに伸びていき、食器に蓋をした。

カラカランと固いものが茶わんの中で転がる音がしたかと思うと、ボトッ、ボトッ、と、今度は水分を含んだ何かが落ちる音が聞こえる。さらにジュワアアと水を注ぐような音がして、食器を覆っていた髪が散る。

それと同時に、瞳が慌てて柚子の目を覆った。


「うわあ‼」


統島が思わず悲鳴をあげる。

瞳も、改めて食器の中身を見て、思わず吐き気を催した。


「これ……もしかして、肉倉さん……」


唯一、皿に置かれた丸い団子だけはまともに見えるが、その赤黒い色からして、おぞましい食材が使われていることは間違いない。


その時、突然、窓ガラスが盛大に割れた。

三人が驚いていると、ガラスの破片が一人でに動き出し、人形の目の前にあった団子に突き刺さった。

鋭く尖るガラスの破片がウニのように突き出る、地獄の団子が完成した。

そこに至り、ようやく全員が思い知った。

このおままごとの恐ろしさを。


「パパの役は……」


ゆっくりと、市松人形が宙を回り、統島の方を向いた時に、ぴたりと止まった。


「ま、待て。オレは嫌だ」


市松人形の髪が伸び、統島の身体にからみつく。

それは統島の身動きを封じ、首が動かないように固定する。


「やめろ! そんなもの食えるわけないだろ‼ やめ……あがぁ‼」


髪の毛が口の中に入って来て、無理やり顎をこじあける。


「はい、あーん」


団子が宙に浮き、ゆっくりと統島の口へと近づいていく。


「かーごーめーかーごーめー」


ぴたりと、団子が止まった。

瞳は冷や汗を浮かべながらそれを確認し、柚子の手を握った。


「かーごのなーかのとーりーはー」


そう言って、有無を言わさず周り始める。

人形は何かを思案しているようだった。

やがて、統島を拘束していた髪が解かれ、彼はしりもちをついた。


やっぱり食いついてきた、と瞳は思った。

ミウの言う通り、この人形が寂しさから誰かと遊びたいのなら、自分のやりたい遊びより、誰かがやっている遊びに便乗することを選ぶはずだと思ったのだ。


瞳はせき込む統島の手を取り、無理やり立たせた。

これで、人形を囲む輪は完成した。


「いーつーいーつーでーやーるー」


くるくると回っていると、柚子は人形の顔を見て、はっとした。


「ま、待って! こいつ、目を瞑ってない‼」


柚子の言う通り、人形は目を開けたまま、じっと前を向いていた。


「よーあーけーのーばーんーにー」


しかし瞳は歌をやめない。


「いや、正確には、瞑ってるかどうか分からない、だな。というか、視覚があるかどうかも疑わしい。もしもまったく違う感覚で周りを認識しているなら、一環の終わりだ」

「つーるとかーめがすーべったー」


瞳が一切止まる気がないことを、二人も悟った。

こうなったら、一縷の望みに賭けるしかない。


「うしろのしょうめん、だーれだー?」


音楽が終わり、三人はぴたりと止まった。

人形の真後ろは瞳だった。

その時、柚子と統島は、人形がゆっくりと微笑んだように感じた。

もう終わりだ。柚子が瞳の名前を叫ぼうとした時だった。


「どうしたの? 早く名前を言ったらどう?」


笑みを浮かべていた人形が、硬直した。


「ほら早く。わざわざ声を出して、後ろが誰か教えてあげてるのに」


瞳はにやりと笑った。


「もしかして、私の名前が分からないとか?」


あっ! と、柚子が声をあげた。


「別次元へ逃げ込んでいる時は、当然声も聞こえない。あなたが私に関しての情報を得られる時間は、ここに姿を現したこの時だけ。あなたの中では勝つ算段があったんでしょうけど、詰めが甘過ぎるわよ」


人形は喋らない。


「さぁ! 私の名前を言ってみなさい‼」


人形の身体が震え出す。

徐々にその身体が大きくなり、それが二メートル近くなったところで、人形は翻り、大口を開けて瞳に飛び掛かった。


思わず瞳が目を瞑った瞬間、人形は煙になって消えた。


尻もちをついた瞳に、ミウとジェイ君が駆け寄った。


「瞳! だいじょうぶ⁉」


声をかけられ、瞳は辺りを見回した。

どうやら、無事に帰って来れたらしい。


「……だいじょうぶ。けが人はいないわ」


その言葉に、二人は、ほっと息をついた。

しかしそれもつかの間、ミウが全員に向けて頭を下げた。


「みんな、ほんとにごめん! ミウの問題なのに勝手に投げ出して、みんなだけ危険に──」


ミウが頭を上げた時、柚子はその鼻をゆっくりと摘まんだ。


「ふげ⁉」

「ごめんはなしって、昨日話したでしょ? 誰かの問題は、三人の問題なんだから」

「柚子……」


鼻声で、ミウはつぶやいた。


「ね?」


にこりと微笑む柚子を見て、ミウはじんわりと目尻に涙を溜めた。


「う、うわーん! ごめんね柚子ー‼ 本当のこと言って傷つけて‼」

「ホントのことって……。まあいいけどさ」


ミウの背中をぽんぽんと叩いてやる柚子を見て、瞳は安堵の笑みを浮かべた。


「ところで、人形はどうだったの?」

「こっちには一瞬たりとも姿を現さなかった。さすがにこうなると、俺でも殺せない」


どうやら、『遊び』に敗北したことを悟った瞬間に、姿を消したらしい。

誰かを襲う時間は作れないが、代わりに倒される心配もない。

完全な長期戦の構えを取るつもりのようだ。そしてそれをされると、こちらも為す術がない。


「かなり警戒されているね。これはもうお手上げかな」

「いいえ……」


瞳は、人形の行動を思い出しながら、言った。


「ジェイ君。ルールというのは、呪いの意思を凌駕するものなの?」

「……どういうことだ?」

「この湖周辺から出られないのが、ジェイ君の呪いだって言ったわよね? それをジェイ君の意思でどうにかすることはできないの?」

「無理だ。呪いは怨念によってできたものだが、意思ではなく力だ。人間が物理法則を無視できないように、俺達も呪いを100%コントロールすることはできない」

「だったら、いけるかもしれない」


瞳は、自分の作戦を説明した。


「……確かに、それなら可能性はある」


ジェイ君の言葉に、瞳は思わず笑みを浮かべる。


「でも、それじゃあ作戦としては半分だ。問題は、そういう状況にどうやって持っていくか、だろ?」


統島の言葉に、再び全員が考え込む。


「はい!」


突然、ミウが元気よく手を挙げた。

統島と柚子が、疑わしい目をミウに向ける。

そんなことお構いなしに、ミウは、ふふんと笑ってみせた。


「ミウに考えがあります」


別に、自信満々なわけではない。

間違ってるかもという気持ちも、また迷惑をかけてしまうかもという気持ちも強くある。

だがミウの頭には、先程ジェイ君に言われた言葉が、ぐるぐると回っていた。

その言葉を胸に、ミウは堂々と自分の考えをみんなに伝えた。

誰にもできない、ミウにしかできないことをするために。



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