第9話 殺人鬼VSオオトカゲ<3>



女の姿をしたオオトカゲは、ジェイ君に突き刺した舌を引き抜いた。

どさりとジェイ君が倒れるのを確認すると、逃げた二人を追おうと背を向ける。


が、ジェイ君がゆっくりと立ち上がるのに気づき、オオトカゲは驚愕の目を向けた。

普通なら出血多量で死んでいる傷だ。

だというのに、まるで意にも介していない。


ジェイ君がこちらに近づこうとしているのに気づき、オオトカゲはすぐさま手を舌に変え、ジェイ君の肩を貫いた。

ジェイ君はその反動で半歩後ろに下がったが、すぐにその舌を掴み、引き抜いてみせた。

それを見て、オオトカゲは首をかしげた。


「オ前……オレと同ジ」


再びこちらへ歩いて来るジェイ君に、オオトカゲはもう片方の手を掲げてみせた。

その瞬間、指が無数の舌へと変わり、ジェイ君の身体をめった刺しにして、再び木に磔にした。


「何故、あいツらを庇ウ?」


ゆっくりと、オオトカゲはジェイ君に近づきながら言った。


「オレたチは恨みヲ晴らスタめにコこにいる。全テを憎むタめニ立ってイル。そウだロう?」


ジェイ君は喋らない。

代わりに、オオトカゲが口を開いた。


「手を組モう。オレとお前ガ組めば最強ダ。あいつラを簡単ニ皆殺しにデきる。そうすレば、すぐニでもココから出て行ってヤる。あいつラの死体ガ欲しいナラ、食うのモやめよう。破格の条件だロ?」


ジェイ君は何も言わず、舌を掴んで引き抜こうとしている。


「……交渉決裂カ」


特に残念がる様子もなく、オオトカゲは言った。


「そうイえば、さっき見せた瞬間移動。使ってこナいな」


オオトカゲは、にっと笑った。


「捕まってイると、できナいんだロ?」


その途端、ジェイ君を貫いていた舌がぶちりと千切れ、そのままぐるぐると木に巻きついた。


オオトカゲは片方の腕を舌に変え、近くの木を切断した。

その巨大な丸太を舌で巻きつけ持ち上げると、そのままジェイ君に向かって投げつける。

それはジェイ君の身体に激突し、その場に転がった。


オオトカゲの攻撃は止まらない。

何本もの木を投げつけ、投げつけ、その度に大木が折り重なり、ジェイ君の身体が埋まっていく。

その身体が、木々の山で見えなくなった頃、ジェイ君を磔にしていた舌を戻すと同時に、その隙間にダメ押しの一本を刺し込んだ。


グチュリと、何かが抉れるような音が聞こえ、辺りがしんと静まり返る。

にんまりと笑い、オオトカゲは元の姿に戻ると、そのまま林の中を素早く駆けて行った。




◇◇◇



柚子は自分のコテージに駆け込むと、すぐにドアにカギをかけた。

ジェイ君と別れてから、全速力でここに戻って来たため、息も切れ切れだ。

なんとか呼吸を整え、誰も追って来る気配がないことを確認し、ほっと息をつく。

瞳達はジェイ君がきっと守ってくれるはずだ。

だから今は、自分の身を守らないと。


一応、どこかに隠れていようかと部屋の中を歩き回っていた時だった。


ドン‼


突然、そんな音がドアから響き渡った。

明らかに普通じゃない。

柚子は隠れる場所を探して、急いで辺りを見回した。


ドン‼ ドン‼


ドアを打ち破ろうとしているのだろう。

どんどん音は強くなっている。

恐怖でパニックになりそうになりながらも、柚子はベッドの下に潜り込もうとし、はたと思い出した。


ミウが、クローゼットに隠れていたらだいじょうぶだと言っていたのを思い出したのだ。

柚子は慌ててクローゼットの中に隠れた。


ドオン‼


凄まじい音と共にドアが吹き飛んだ。

そこから、ぬっとオオトカゲの顔が姿を現すのを、鎧戸の隙間から確認できた。

思わず悲鳴をあげそうになるのを、柚子は両手で自分の口を押さえることで、なんとか堪える。


ズシン、ズシンと音をたて、オオトカゲは部屋に入って来た。

オオトカゲは、きょろきょろと辺りを見回している。

ふと、床下収納庫の扉を見つけると、その尖った牙で扉をかみ砕き、それを放り投げた。

ガシャアンと、クローゼットの近くの床にぶち当たり、柚子は思わず目を瞑った。

オオトカゲは床下収納の中を覗き、何もないと分かると、すぐに次の場所を探し始める。


ふと、長いしっぽが、ベッドのまくらに当たった。

その瞬間、ドスドスドス‼ と、鋭いしっぽの先端が、ベッドを何度も貫いた。

柚子は身体の震えが止まらなかった。

ミウの言っていたことを思い出していなければ、今頃ベッドの下で死体になっているところだ。


オオトカゲが、柚子のいるクローゼットをじっと見つめた。

もはや、探していない場所はここだけだ。

オオトカゲが、ゆっくりとクローゼットに近づいて来る。

柚子はガタガタと身体を震わせていた。


差し込んでいた光が、ふっと消え、代わりに、爬虫類のぎょろついた目が彼女の前に現れる。

オオトカゲが、クローゼットに手をかけようとした時だ。


カランと何かが鳴り、オオトカゲが音のした方へ首を向けた。


「ギイイイイィイ‼」


突然甲高い声をあげ、オオトカゲはコテージから逃げ出した。

何が何やら分からず呆然としていた柚子は、オオトカゲが戻ってこないことを悟ると、ゆっくりとクローゼットから出て来た。

そこに転がっていたのは、柚子のリュックサックから零れ出た、母親が無理やり持たせた殺虫スプレーだった。




◇◇◇



オオトカゲから逃げてきた瞳とミウは、暗い林の中を、手をつなぎながら歩いていた。


「ジェイ君だいじょうぶかな……。なんか刺さってたけど、死んじゃったりしないかな……?」


泣きそうな顔でミウが言った。

瞳は、そんなミウの頭を、優しく撫でてあげた。


「ジェイ君の強さはミウが一番知ってるでしょ? だからだいじょうぶ」

「……そうだよね。だいじょうぶだよね」


だいじょうぶ……な、はずだ。

瞳は不安になりそうな顔を笑顔で覆い隠しながら、そう思った。

そうでもしないと、頭が爆発してしまいそうだった。

もしもジェイ君がやられてしまったら、柚子やミウを守る人がいなくなる。

それにもしかしたらジェイ君は──


ふいに、ミウが、ぎゅっと手を握ってきた。

後ろを振り返りながら、心配そうな顔をしているミウは、まるで親に身を寄せる子犬のようだ。

それを見て、瞳は自分の中にある邪念を振り払った。

ダメだ。今は“もしも”について考えている時じゃない。

今、ミウが頼りにできるのは自分だけなのだ。

その自分が、先に使い物にならなくなってどうする。


瞳は、ばちんと自分の頬を叩いた。


「ど、どうしたの⁉ 蚊⁉ 刺されちゃった⁉」


ひりひりと痛む頬が、良い具合に自分を現実に引き戻してくれた。

二人を守るのは自分だと、瞳は強く言い聞かせてから、うなずいた。


「もうだいじょうぶ。今はとにかく柚子を探そう。きっと一人で怯えてるはず」

「そうだね。あ、ならコテージに戻ろうよ。ミウが持ってきた蚊取り線香も使えるし」

「……あいかわらず、変なもの持ってきてるね」


そんなことをぼやいていた時だった。


「瞳ー! ミウー!」


前から、柚子が駆けて来たのだ。


「柚子‼ よかった! 柚子だよ、瞳‼」


ミウが大喜びで彼女に近づいた。

瞳も、柚子が無事なことにほっと安堵する。


「もぉ。急に一人になったらダメでしょ?」


柚子はにっこりと笑っている。

それを見て、ミウは首をかしげた。


「……誰?」


瞳は、はっとした。

月の光に照らされた木の幹に目を向ける。

ミウの影が木に隠れ、ちょうど左半分が映っていなかった。


「ミウっ‼」

「ほえ? ふぐうっ!」


瞳の渾身のタックルは、ミウの身体を吹き飛ばした。

その瞬間、先程までミウのいた場所に舌が振り下ろされ、地面に綺麗な溝ができあがる。


「うぅ……。瞳、ひどいよぉ……」


地面を転がりながら、ミウはうめき声をあげた。


「いいから逃げるよ‼ 早く‼」


なんとかミウを持ち上げようとするも、先程の衝撃のダメージが抜けないのか、ミウの足はおぼつかない。


それを見て、柚子の顔をしたオオトカゲは、にやりと笑った。

長い舌で唇の周りを舐め回し、大口を開けて二人を丸呑みにしようと迫る。


カン


そんな音がしたかと思うと、オオトカゲはすぐさまその場から飛びのいた。

オオトカゲは、柚子の顔をしたままこちらを睨み、くるりと背を向けると、林の中へと駆けて行った。


「あ、危なかったぁ……」


後ろを振り向くと、そこには、胸に手を当てて安堵している柚子がいた。


「たぶん、本物」


逡巡する瞳に、ミウは言った。


「当たり前よ。あんな変な顔と一緒にしないで」

「変って……完全に同じだったじゃない」

「どこが? 私、あんな馬鹿みたいにぽやーっとした笑顔、いつもしてないわよ」


そこで瞳は、ようやく気付いた。

あれは欲望を形にしたもの。瞳の中にある理想の柚子であって、本物とは違う。

だからミウは、その変化にすぐ気付けたのだ。


瞳もちゃんと気を張っていれば気付けたはずだ。

でもできなかったのは、きっと別のことに気を取られていたからだ。


瞳は思わず下唇を噛んだ。

二人のことだけ考えているつもりだったのに、結果はこのザマだ。

もしも柚子がいなければ、ミウは殺されていた。


「ねぇねぇ。あのニセ柚子、さっきなんで逃げてったの?」

「アイツには弱点があるのよ」


柚子は近くに落ちていた殺虫スプレーを拾った。


「これ。さっき投げたやつ。アイツが死ぬ時に、ママが振りかけたの。たぶん、トラウマなんじゃないかな」

「ほほー。ならさっきスプレー撒いてれば倒せたんじゃない?」

「む、無理無理! ただでさえ怖いのに、近づくなんてできないよ! 投げるだけで精一杯!」

「もぉ~。柚子ってば怖がりだなぁ」

「しょうがないでしょ! これでも私にしてはかなりがんばった方よ! ねぇ瞳!」


柚子が瞳の方を振り向いた。

瞳は、呆然と前を見つめている。


「瞳?」

「え? あ、ああ、ごめん。聞いてなかった」


瞳は思わず額に手をやった。


「本当にごめん。さっきも、私がすぐに気付くべきだったのに。今も、こんなにぼーっとして。……もっとしっかりしないと」


ひとりごとのようにぼやく瞳に、二人は心配そうに顔を見合わせた。


「二人とも、とりあえず今はジェイ君と合流しよう。さっき別れたところにいるかもしれないから、いったん戻るよ」


そう言って、足早に歩いていく瞳に、二人は慌ててついて行った。


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