第8話 殺人鬼VSオオトカゲ<2>
走り去った柚子が見えなくなり、瞳は思わず顔を手で覆い、その場にしゃがみ込んだ。
「どうしていつもこうなるの……? 私はただ──」
「お前のせいじゃない」
ジェイ君が唐突に言った。
思わず、瞳は彼を見上げた。
ふいに思い出したのは、父親のことだった。仏壇の前で拝む時、いつも想像する父親は、そうやって自分を慰めてくれた。
「あれは呪いにあてられた人間の特徴だ」
それを聞き、ジェイ君はただ説明しようとしただけだと分かり、ふと我に返った。
「あ、ああ。そうなのね。……ええと、呪いにあてられるというのは?」
「呪いというのは、人間の無意識に強く作用する。だから知らず知らずのうちに、呪いにとって都合の良いように行動してしまう。呪いを招き入れたり、こうやって単独行動をしたり。人間を殺すという強い想いによって、無意識に自らを死に近づけてしまう」
瞳はしばらく考えてから、ジェイ君の方を向いた。
「ちょっと、柚子を見てきてくれないかしら」
「……俺が?」
思わずジェイ君が聞き返した。
「ああなったら、誰の言うことも聞かないの。でもジェイ君なら、たぶん聞いてくれるはず」
ジェイ君は柚子が駆けて行った方を見て、それから再び瞳に目を向けた。
それを何度か繰り返してから、ぼそりと言った。
「自信がない」
思わず出た本音に、瞳は、ぷっと吹き出した。
じっとジェイ君が見つめていることに気付き、瞳は慌てて謝った。
「ご、ごめんなさい。そんなしおらしいこと言うんだと思って、つい……」
「だいじょうぶだよ! ジェイ君はいつもみたいに堂々としてたらいいの! あ、でも、ああなった柚子は愚痴っぽくなるから、できれば話も聞いてあげてね」
激励をもらったと思ったら注文が増えていた。
これ以上ここにいたら、どんどん難易度が高くなっていくだけだろう。
ジェイ君はため息をついて、柚子が走って行った方へ歩いて行った。
◇◇◇
柚子は一人、湖の側で蹲り、肩を震わせて泣いていた。
瞳を困らせたいわけじゃない。
その気持ちは変わらないのに、どうしてもうまく自分の感情をコントロールできなかった。
罪悪感や不安、苛立ちなどが合わさり、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
ガサリ
ふと、そんな音が聞こえた。
「誰⁉」
思わず振り返る。
一瞬だけだったが、木々の間から、人影が見えた気がした。
柚子は恐怖に身体を震わせながら、ゆっくりとそちらの方へ歩いていく。
人影が見えた木に到着すると、意を決して、柚子は木の裏を覗き込んだ。
しかし、そこにいたのはただのタヌキだった。
不思議そうにこちらを見つめるタヌキを見て、柚子は、ほっと胸を撫で下ろした。
「なーんだ」
そうつぶやき、振り返った時だった。
目の前にジェイ君がいた。
「きゃあああああ‼」
思わず柚子はしりもちをついた。
「ジェジェ、ジェイ君⁉ なんで脅かすのよ‼」
「いつもの癖だ」
「いつも何してんのよ……」とぼやき、柚子は立ち上がり、土をはたいた。
「……連れ戻しに来たんなら、無駄だからね」
柚子は冷たく言った。
最初にくぎを刺され、ジェイ君は何もできずに立ち尽くしていた。
「……何よ?」
じっとこちらを見つめるだけのジェイ君に、柚子はぶすっとした様子で言った。
ジェイ君は空を見上げ、ふと、ミウが言っていた言葉を思い出した。
「話を聞きに来た」
それを聞いて、柚子は目をぱちくりとさせた。
「それでね。それでね。ミウが四段アイスクリームに挑戦して、受け取った瞬間に滑って転んでぶちまけちゃってさぁ。ミウがガチ泣きしてたら、瞳が大慌てで、自分のアイスをあげるからって言っててさ。お母さんかっての! アハハハ!」
二人は湖のほとりに座り、談笑を楽しんでいた。
といっても、話しているのは柚子だけで、ジェイ君はそれを聞いているだけだ。
「そうだ! そのアイスクリーム屋さんに、今度ジェイ君も連れてってあげる。超おいしいんだから!」
ジェイ君は、じっと柚子のことを見つめていた。
それを見て、柚子はジェイ君から目を離し、自嘲気味に笑った。
「……現実逃避だって言いたいんでしょ? でも仕方ないじゃん。だって私、怖がりだし」
柚子は大きくため息をついた。
「本当は分かってるんだ。三人の中で、私が一番何もできないんだってこと。ミウは、いつもはあんな感じだけど、私にはない色々な才能があるし、やる時はやる子。瞳はどんな時も堂々として、周りを見れて、いつだって冷静にものを考えることができる。……でも私は、いつもビクビクしてるだけで何もできない。親の七光りを振りかざすだけ。あの三人の中で、私が一番足手まといなの」
そう言った柚子の目には、じわりと涙がにじみ出ていた。
「……でも。それでも、私だって二人の役に立ちたいよ。瞳が何も明かしてくれなかったり、全部一人でやろうとするのは、私が頼りないからだって分かってる。分かってるけど……それでも、頼って欲しかった。私も二人と対等なんだって、認めて欲しかったの」
ジェイ君はほとほと困り果てていた。
そんなことを言われても、どう返せばいいのかまるで分からない。
そもそも、こんなに人と会話したこともないくらいなのだ。
「……怖がりな人間は強い」
自分の数少ない経験を引っ張り出して、ジェイ君は言った。
「勇敢な人間は脅威ではない。無謀に立ち向かってきてすぐに死ぬ。自分が怖がりであることを理解し、それでもあきらめない人間だけが呪いに打ち勝つことができる。最後に勝つのはいつだって、怖がりで、そして勇気を持った人間だ」
「……勇気」
「それに、よく分からないが……頼って欲しいなら、そう瞳に直接伝えればいいんじゃないか?」
至極当たり前なことを言ったつもりだったが、柚子は驚いた様子で、ジェイ君を見つめていた。
「……で、でも。なんか、恥ずかしいし」
「言葉にしないと伝わらないこともある」
そんなことを言いながら、ふと思った。
自分は、自分の思いを言葉にしたことがあっただろうか。
マチェットを振るい、人を襲い、それで自分の恨みが伝わっていると、勝手に思ってはいなかっただろうか。
自分の本当の望みを、誰かが理解していると、勝手に……。
「そっか。そうだよね! ちゃんと伝えなきゃいけないこともあるよね‼」
柚子はジェイ君の手を、両手でしっかりと握った。
「ありがと。ジェイ君に聞いてもらってスッキリした!」
またありがとうだ。
自分は何もしていないのに、彼女達はいつもそうやって笑顔を向けてくる。
しかし、そんなやり取りを、心地よく思っている自分がいる。
そのことに、ジェイ君は戸惑いを覚えていた。
「ねぇ。さっき私を驚かしたの、どうやったの? 私にも教えて!」
「……簡単なことだ。まずこういう暗がりに一人でいると、どうしても物音がした方向に気を取られる」
「ふんふん」
ジェイ君は座り直し、少しだけ身を乗り出した。
自分の得意分野の話題に、知らず知らず熱が入っていた。
「その時、一瞬だけ姿を見せるのがコツだ。それも、背中や足だけといった、自分の全容が分からない部位にするのが好ましい。相手からすれば、得体の知れない誰かがいると思い、一層そっちに注意が向く。そして一か所に注意が向いているということは、他の場所がおろそかになっているということだ。その間に、こっそりと背後に回る。すると、相手は死ぬ」
「アハハハ! 死ぬって! 死因は心臓麻痺? ジェイ君って面白い!」
「いや、本当なんだ。このやり方で死ななかった奴はいない」
「ひー! ひー! お腹痛い……‼」
ばんばんと地面を叩き、柚子は身体を震わせている。
話を聞いてくれる様子ではないことに、ジェイ君はため息をついた。
その時、ジェイ君はあらぬ方向に顔を向けた。
「どうしたの?」
それに気付いて、柚子が聞いた。
「瞳達の方に、何者かが急速に近づいている」
柚子は青ざめた。
「きっとアイツよ! ジェイ君、早く行って‼」
ジェイ君は柚子の方を見た。
「私はいいから、早く‼」
ジェイ君は逡巡した後、こくりとうなずき、霧のように姿を消した。
◇◇◇
瞳は怯えるミウを庇うように立ち、目の前の異様な光景を睨みつけていた。
『アハハ~。ウフフ~』
そこにいたのは、柚子とミウだった。
お互いに手をつなぎ、その場を嬉しそうにくるくると回っている。
「瞳~……!」
ミウは、ぎゅっと瞳の服の裾を掴んでいる。
冷や汗を流しながら、しかし瞳は、思わず笑みを浮かべた。
「ようやく分かったわ。他人の欲望を形にする。それがあなたの呪いね?」
ぴたりと二人は立ち止まり、手をつないだまま瞳を見つめる。
瞳は統島にミウを任せようと、辺りを見回した。
統島はすぐに見つがった。しかし彼は目立たないようにこっそりと動き、既にその場を離脱しようとしていた。
思わず、瞳は舌打ちする。
『一緒に遊ぼう?』
柚子の姿をしたものが、ゆっくりと手を伸ばす。
すると、その手のひらから無数の舌が飛び出し、二人に向かってきた。
「ひえええぇ‼」
庇うように瞳がミウを抱きしめる。
その時、二人の目の前に霧が現れたかと思うと、ジェイ君が鋭く光るマチェットを振り下ろした。
ギン! と、甲高い音をたてて、マチェットが舌を弾く。
「ジェイ君!」
ミウの嬉しそうな声とは裏腹に、ジェイ君はじっと自分のマチェットを見つめていた。
先程は軽く両断できたオオトカゲの舌が、明らかに硬くなっていた。
くすくすと、オオトカゲが変身している二人が笑った。
『あなたの欲望を見せて』
オオトカゲの姿が、再び変化し始める。
「二人とも、逃げろ」
「え? なんで? さっきみたいにやっつけてよ!」
ミウが以前の戦いを再現するように、シャドウボクシングしてみせた。
「……ミウ。もしかしてその時って、あの怪物は、オオトカゲの姿をしてたの?」
「え? そうだよ?」
「自分の姿を明かしていた……。その時は、呪いの効果の外にいたんだわ! そして今は、人の欲望の姿になっている。……想いが極限にまで高まる領域に」
嫌な予感と共に、瞳が振り返った時だった。
ジェイ君の身体が一本の舌に貫かれ、そのまま木に磔にされた。
「ジェイ君‼」
オオトカゲは、既に変身を終えていた。
それは一人の女性の姿だった。
長い髪に隠れていた顔が、瞳の目に映る。
瞳は驚愕のあまり、息を飲んだ。
「逃げろ‼」
ジェイ君の言葉に、はっとなり、瞳はミウの手を取って走った。
走りながら、瞳は疲労とも恐怖とも違う感情に支配され、心臓が壊れそうなくらい動悸していた。
「あれは……お母さんだった」
オオトカゲがジェイ君を見て変身した女性。
その顔は、瞳の母親だった。
どうしてジェイ君がお母さんを知ってるの?
どうしてジェイ君の欲望が、お母さんなの?
禍玉は、願いを叶えると同時にその人物を呪う。
その言い伝えが、瞳の頭の中をぐるぐると駆けまわっていた。
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