第7話 殺人鬼VSオオトカゲ
【一か月前】
柚子は自分の部屋で、鼻歌混じりに引き出しから一枚のガーゼを取り出した。
そのガーゼに包まれていたのは、一匹のトカゲのミイラだった。
学校からの帰り道、小学生に気持ち悪がられ、踏み潰されそうになっていたのを、柚子が救出したのだ。
「ふふ。かわいい♪」
ゲテモノ好きな柚子にとって、それは年頃の女子が飾っているぬいぐるみと同じものだ。
本来なら、すぐにでも供養してあげるべきなのだろうが、なんだか柚子には、この子が生きているみたいに思えて、どうしても埋めてやる気になれなかった。
「ねぇ、聞いてよ。今日もママがね。私の大事な爬虫類のコレクション図鑑を勝手に捨てちゃったの」
代わりに、柚子は毎日、自分の他愛ない話をこの子に聞かせてあげることにしていた。
学校でのこと。瞳やミウと遊んで楽しかったこと。そんなことを話していると、次第に誰にも話せない悩みまで相談するようになっていた。
「だいたいさ。ママは潔癖症過ぎるんだよね。あれやるな、これやるなってさ。この前も森で昆虫採集したいって言ったら反対されてね。理由を聞いたら、手が汚れるからとか言うのよ? 汚れたなら洗えばいいじゃん。そう思わない?」
トカゲのミイラは、当然喋ることはない。
それでも柚子には、この子がちゃんと話を聞いてくれている気がしていた。
「そのくせ、ピアノやれとかバレエやれとか、色々うるさいの。もう嫌になっちゃう。あと一番許せないのは、瞳のことを悪く言うとこ。母子家庭なんてろくな子じゃないとか、そんなの差別じゃん! そうでしょ⁉ 生まれ育ちとか見た目とかで人を判断しちゃダメだよね⁉」
柚子はミイラに顔を近づけて叫んだ。
ふと、柚子は自分が熱くなっていることに気付いた。
「ごめん。急に怒鳴ってびっくりしたよね。でも、私は間違ってないと思うんだ。……あなたのことだって、私はちゃんと分かってるよ。いつも話を聞いてくれてありがとね」
柚子は微笑み、ミイラの頭を指で優しく撫でてあげた。
その時だった。
突然、がちゃりと部屋のドアが開き、柚子の母親が入って来たのだ。
「柚子ちゃん? さっきからうるさいわよ。何かあった──」
母親は、柚子の手の中にあるものを見て、硬直した。
「あ、えっと、ママ。これは違うの。その──」
「きゃああああ‼」
柚子が慌てながら取り繕っていると、その言葉を母親の悲鳴がかき消した。
「それを貸しなさい‼」
「あ、ダメ! 止めてよ‼」
母親は柚子の手を叩いた。
大事に抱えていたミイラが床に落ち、母親はスリッパでそれを踏みつけた。
「いやああ‼」
何度も何度も踏みつけ、ミイラがバラバラに砕け散ったことを確認すると、母親は近くにあった殺虫スプレーを噴きかけた。
その様子を、柚子はへたり込んだ状態で、呆然と見つめていた。
「こんなものを持ち込んで! 菌が繁殖したらどうするの⁉ すぐに手を消毒して──」
「どうしてママはいつもそうなの⁉ 私の話なんて何一つ聞いてくれない‼」
柚子の激昂に、母親は戸惑っていた。
今まで不満そうな顔をすることはあっても、真っ向から反抗することなどなかったのだ。
「何言ってるの? ママは柚子ちゃんが幸せになれるように──」
「違うじゃん! ピアノもバレエも、本当はママが子供の頃にやりたかったことでしょ⁉ ママの欲望を私に押し付けないでよ‼」
ピクリと、バラバラになったミイラの指が動いたことに、その場にいた人間は誰一人気付かなかった。
「……とにかく、手を洗ってきなさい。これはお手伝いさんに頼んで捨ててもらいますから」
「嫌だ。ちゃんと埋めてあげる」
母親は、部屋にある家政婦を呼ぶボタンを押した。
「埋めてあげるって言ってるじゃん!」
「いいからママに任せておきなさい!」
すぐに家政婦が部屋に来て、バラバラになったミイラを掃除機で吸いあげた。
その間、暴れている柚子を母親はずっと押さえつけていた。
掃除機に吸われ、ごみ箱に捨てられ、その身体を焼かれた時、トカゲのミイラは思った。
自分の人生は、人に踏みにじられてばかりの人生だった。
自分には他の爬虫類にはない知性を持っていた。それを活かし、自分を拾ってくれた飼い主に懸命に尽くした。
飼い主が喜ぶように、いくつもの芸を覚え、飼い主を楽しませた。
しかしそれは、自分より優れたペットの存在によって飽きられ、いつしか食事を与えることすら忘れられた。
ミイラになった自分は気味悪がられ、公園に捨てられた。
そこでも気持ち悪いと、多くの人間になじられた。ようやくそんな毎日が終わると思ったら、この始末だ。
自分は何故死んだのか。
飼い主の欲望を満たせなかったからだ。
自分は何故捨てられるのか。
飼い主の欲望を刺激するものではなかったからだ。
あの子との毎日は心地よかった。
けれどだからこそ、それを奪われたことは何よりも苦痛だった。
こんな苦痛を与えられるくらいなら、あんな気持ちなんて知りたくなかった。
これこそが一番恐ろしいことなのだと、自分は初めて理解した。
これこそが、本当の呪いなのだ。
そう思った時、バラバラになったはずの自分の身体に、今まで湧くことのなかった力がみなぎり始めた。
欲望によって捨てられるというのなら、欲望に取って代わろう。
彼らの願う姿になり、彼らの願うことを行い、そして最後に、究極の苦痛を与えて、自分がされたように捨ててやるのだ。
全てを呪い、全てを食い尽くすまで自分は止まらない。
手始めに、あの金髪の女を殺してやる。
自分に究極の苦痛を味わわせた、あの女を。
◇◇◇
「うわあ! たかーい‼」
肩車してもらっている柚子は、目をきらきらさせながら叫んだ。
「次はミウだよー? 絶対だからねー」
うらやましそうに、ミウは柚子を見上げている。
そんな彼女達を優しい目で見つめていた瞳は、改めて統島達に向き合った。
「それで? 私に何をしてほしいの?」
「別に。ただ、あいつがオレ達を襲って来た時は、君に止めて欲しいと思ってね」
頼み事をされているのを忘れそうになるくらい、統島はふてぶてしい態度だった。
「急に態度が変わるのね。さっきまでは、私に助けられたことすら認めたくないって感じだったのに」
「確証がなかったからさ。でも、君の言葉に従ってミウちゃんを助けたあの男の行動を見て確信した。君なら、あいつをコントロールできる」
瞳は疑い深い目を統島に向けた。
「そんなに彼が怖いなら、私達と別行動すれば?」
「それこそ危険過ぎる。あいつはオレ達の居場所を感知して、一瞬でその場所にワープすることができるんだからね」
「さっきまでそれも信じてなかったくせに……」
「あいつの言葉を信じてなかっただけさ。実際に見せられたのなら、信じる他ない」
「……本当は、彼に良いようにやられて悔しかっただけでしょ?」
ぴくりと、統島の眉が動いた。
「あなた、常識には縛られてないようだけど、自尊心に縛られ過ぎてるわ」
「言ってくれるね……」
統島は笑っていたが、明らかに気分を害した様子だった。
しかしどうにかそれを抑え込むと、大きく息をついた。
「そんなことよりも、色々と確認しておかないといけないことがあるんじゃないかな?」
それは瞳も思っていたことだった。
「ジェイ君」
棒立ちのジェイ君から柚子が降り、ミウが再び登ろうと彼の膝に足をかけた時、瞳が言った。
「ミウ達を襲った怪物のことなんだけど、完全に倒したわけじゃないんだよね?」
「ああ」
「じゃあ、また襲ってくるかもしれないってこと?」
「そうだな。おそらくだが、この中の誰かが奴の呪いにかかっている」
柚子とミウは顔を見合わせてから、「ふーん」とつぶやいた。
よく分からないことは、とりあえずそうやって相槌をうつことにしているのだ。
「さっきも言っていたけど、呪いって何なの?」
「何らかの強い恨みが形になったものだ。その姿は人間だけでなく、動物や物体であることも多い」
「よ、よく分からないけど、ジェイ君がいるなら大丈夫よね⁉ だってそいつもやっつけたんでしょ?」
柚子は強張った笑みでそう言った。
何が起こるか分からない今の状況で、少しでも安心できるものが欲しかったのだろう。
「無理だ」
しかしジェイ君は、にべもなくそう言った。
「呪いは殺せない。何度そいつを殺そうと、地の果てまで逃げようと、恨みは決して消えることはない」
その重い言葉に、辺りがしんと静まりかえる。
「……呪いにかかっているって言ったけど、それってつまり、一生解けないってこと?」
「本来ならそうだ」
「本来ってことは、例外もあるってことね?」
「理論上はな。だが見たことはない」
「それでもいい。教えてくれない?」
瞳の懇願に、ジェイ君は小さく息をついた。
「……考え得る限りでは二つある。一つは恨みを解消すること。その呪いが解消したいと思っていることを解消してやれば、存在意義がなくなり消える」
ミウが、ぽんと手を打った。
「なるほど! 成仏みたいなものだね」
「もう一つは少し複雑だ。呪いとは恨み。恨みとは執念。執念とは思い込みだ。その強過ぎる思い込みが間違いだったと感じた時、呪いの力は極端に脆くなる。おそらく、物理的な手段でも倒すことは可能だろう」
「具体的には?」
「想いが極限にまで高まる領域がある。その領域というのがルールだ」
全員が首をかしげた。
「特定の場所から出られない。ある条件下でないと行動できない。呪いによって様々だが、全ての異形にはルールが存在する。本来ならそれは、弱点と呼ぶべきものだ。だがその中でこそ、呪いは無敵の力を誇る。だから逆に、そのルールに則って呪いを負かすことができれば──」
「呪いの根源である思い込みを崩すことができる……!」
希望が見え始めたことを感じ、瞳は思わず笑みを浮かべた。
「しかし、妙な話だね。いくらなんでも、君は呪いに詳し過ぎないか?」
統島の言っていることはもっともだった。
いくら同じ呪いだからといって、その倒し方まで、ここまで詳細に分かるものだろうか。
しかし、ジェイ君はその問いに答えることなく黙ってしまった。
統島は、いつものように肩をすくめてみせる。
「あ、ねぇねぇ質問! ジェイ君の言うルールって、あの怪物だとなんなの?」
ミウの言葉に、全員が黙り込んだ。
「そうよね……。怪物の動機やルールが分からないと、対策のたてようがない」
「ん~。でもトカゲの考えてることなんて、ミウわからないからな~」
あごに手をやってぼやくミウの方を、柚子は思わず見つめた。
「……トカゲ? 今、トカゲって言った?」
「うん、そうだよ。でっかぁいオオトカゲ」
シャアと、両手をあげて、ミウがそのトカゲの真似をしてみせた。
柚子はそれを聞いて、顔を青ざめる。
「柚子。どうかしたの?」
「わ、私かもしんない。……呪われてるの」
その言葉に、瞳とミウは顔を見合わせた。
柚子は一か月前に起きた、事のあらましを皆に説明した。
「つまり、そのトカゲのミイラが、ミウの言うオオトカゲだっていうこと?」
しょんぼりと俯きながら、柚子は小さく頷いた。
「ちょ、ちょっと待てよ! じゃあ金井はこいつのせいで死んだのかよ‼」
「柚子のせいじゃない! 変な言いがかりは止めて!」
「ふざけんな……! こいつがいなければ、あんな化け物に襲われることなかったんだ!」
強い怒声に、びくりと柚子は震えた。
「柚子は悪くないもん! そんなこと言うのひどい!」
ミウに睨まれ、肉倉はばつが悪そうに視線をそらした。
「……とにかく、呪われた奴なんかと一緒に行動なんてできない。行こうぜ、統島」
「お好きにどうぞ」
肉倉の動きが、ぴたりと止まった。
「どういうことだよ統島! こいつの近くにいたら巻き添えを食らうんだぞ⁉」
「金井が殺された時、柚子ちゃんは近くにいなかった。確かにそのオオトカゲは柚子ちゃんについて来たようだが、殺したいのは柚子ちゃんだけでなく、人間全員だってことさ。ここにいる限り、安全な場所はない」
肉倉は苛立ち交じりに地団駄を踏んだ。
「ああそうかよ! じゃあお前ともここでお別れだ‼ 俺は勝手にさせてもらうからな‼」
ずかずかと足を鳴らし、肉倉は去って行った。
「……いいの?」
「車のキーはオレが持ってる。ヤケになったところで、何もできないさ」
統島は冷たく言い放った。
統島にとって、肉倉は友人ではなく、ただの駒に過ぎないのだろう。
その様子を見ていた柚子は、思わず口を開く。
「あの、私──」
「いいの。柚子が気にすることじゃない。悪いのは全部あのオオトカゲなんだから。あなたが気を落とす必要なんてない。分かった? 分かったなら返事して」
柚子は戸惑いがちにこくりとうなずいた。
それを確認してから、瞳はジェイ君の方を向いた。
「ジェイ君。そのオオトカゲの居場所は分かる?」
「ああ」
「申し訳ないんだけど、ちょっと案内して欲しいの」
その言葉に、柚子とミウは愕然とした。
「瞳⁉ アンタ、何言ってるの⁉」
「オオトカゲの呪いの正体を知らないと、このままじゃ対策できない。私が行って確かめてくる」
「危険だよぉ! ミウだってぱくっとやられちゃうとこだったんだよ⁉」
瞳は薄く笑みを浮かべた。
「だいじょうぶ。いざとなったらジェイ君に助けてもらうから」
以前の戦いで、ジェイ君はオオトカゲを圧倒していた。
そのジェイ君が側にいるなら、危険も少ないだろう。
しかし、ミウはそれでも不安そうだった。
「嫌」
ふと、柚子がきっぱりとそう言った。
「そんなの絶対嫌! なんでいつもそうなの⁉ そうやって自分ばっかり危険な目に遭って! 今回だって、呪われてるのは私なんだよ⁉ なのに何で瞳が危険を冒そうとするの⁉」
「……柚子にはミウを守ってもら──」
「そんな詭弁でごまかそうとしないでよ‼」
瞳は思わず黙った。
「……瞳は、私達のこと親友だと思ってないんだ」
「そんなことない! 親友だから守りたいと思ってるだけ! あなた達を傷つけたくないの!」
柚子は拳を作り、ぶるぶると震わせていた。
下唇を噛み、泣き出しそうになるのを必死にこらえている。
それを見て、ミウがおろおろしながら声をかけた。
「え、ええと……柚子は瞳のことが心配なんだよね。瞳も柚子が心配なだけだよ。そんなに怒ることじゃ──」
突然、柚子は背を向けて走り出した。
「柚子‼」
「来ないで‼」
柚子はそれだけ叫び、全速力で林の中を駆けて行った。
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