第6話 その名はジェイ君
「ねぇミウ。怖くない?」
「だいじょうぶ~」
ミウはベッドの上で大の字になり、持ってきた漫画を読んでいた。
自分の部屋のように寛(くつろ)いでいるミウに比べ、柚子は先程から落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見回している。
「あの……おしゃべりしてあげよっか⁉ その方がミウも怖くないでしょ⁉」
「ん~」
ミウは漫画に集中しているのか、気の抜けた返事を返す。
が、そこでミウは、こっそりと瞳に言われたことを思い出し、はっとした。
『いい? ミウ。柚子はさっきのことでショックを受けてるの。だから私がいない間、あなたが柚子を見てあげてね。頼りにしてるから』
「頼り……」
柚子がしょんぼりしていると、がばりとミウは起き上がった。
「おしゃべりする!」
「え? そ、そう⁉ 仕方ないな~、ミウは」
嬉しそうに、柚子はミウの近くにすり寄った。
ミウは、ふっと笑い、ぽんぽんと柚子の肩を叩いた。
「安心していいよ。ミウは頼りになる女だから」
「……なんかむかつくんだけど」
カタ
そんな音がして、二人はクローゼットに目をやった。
「あそこ、ここに来てから開けたっけ」
「ミウは開けてないよ」
鎧戸になっているが、外からはクローゼットの中は確認できない。
人が隠れようと思えば、いくらでも隠れるスペースがある。
柚子は、ごくりと息を飲んだ。
ゆっくりと立ち上がり、柚子はクローゼットに近づいた。
慎重に、一歩一歩、踏みしめるように歩いていく。
クローゼットの目の前まで来ると、おそるおそるその手を伸ばし──
「誰かいますかー」
「きゃあああああ‼」
突然ミウが開けるので、柚子は大声をあげた。
ミウは何事もなかったかのように、きょろきょろとクローゼットの中を確認した。
「誰もいないって」
「なな、何やってるのよアンタ‼ 10年は寿命縮まったわよ!」
「だって柚子、トロトロしすぎなんだもん」
「アンタにだけは言われたくないわ」
三人で遊ぶ時、時間に遅れるのも歩くのが遅いのも、目的地にたどり着くまでに何度も寄り道するのも、いつだってミウだった。
「ねぇねぇ。ここ、外からは何も入ってないように見えるのに、中からは部屋が丸見えだよ。隠れるならここだね! ミウ、ホラー映画よく観るから知ってるの」
「はいはい。……そういえば、瞳の言ってた兆候って何だったのかしら」
その時だ。
ドンドン! とドアを叩く音がして、柚子はびくりと肩を震わせた。
「ひ、瞳……じゃないよね。言われた通り、開けないようにしないと──」
「はーい」
ミウは、がちゃりとドアを開けた。
「ちょっとぉ⁉ アンタ、瞳が言ってたこと聞いてたの⁉」
「だって、瞳が言ってたような変な感じとかしなかったし」
柚子は唖然とした。
人の話を聞いているのかいないのか、よく分からない子だ。
「あれ? 筋肉質の人だ」
ミウの言う通り、そこにいたのは肉倉だった。
彼はドアの前で三角座りをし、がたがたと震えている。
明らかに、普通の状態ではない。
「お、お、お前、一人か? 他には誰もいないな?」
「え? 柚子がいるけど」
「あの~……どうかしました?」
警戒するように、そろりと柚子が近寄った。
「うわあああああああああ‼」
「きゃあああああああああ‼」
突然の叫び声に驚き、柚子は叫んだ。
「ばば、化け物! 近づくんじゃねえ‼」
「化け物? あの、何を言ってるのか……」
肉倉は、すぐ近くにいたミウの手を取った。
「くそっ! お前、一緒に来い!」
「ほえっ?」
ミウの腕を引っ張り、肉倉は走って行く。
「あ~~~~~‼ 柚子ぅ~~~~~‼」
ミウはそれを振りほどくこともできず、離れていく柚子に手を伸ばした。
「ミ、ミウーー‼」
何が何やら分からず、柚子はただただ叫ぶことしかできなかった。
◇◇◇
肉倉はミウの手を引きながら林の中を駆けていた。
ただでさえ入り組んだ場所だというのに、肉倉のスピードは、ミウにとって速すぎる。
案の定、ミウは木の根っこに足をとられ、ずてんと転んでしまった。
「痛いよぉ……」
「何やってる⁉ 早くしないとあいつが来るぞ‼」
ぐすりと鼻を啜りながら、ミウは立ち上がる。
「さっきから化け物とかあいつとか、一体何のことを言ってるの?」
「お前のツレの金髪女だよ! 俺は見たんだ。テントの隙間から、あの女が金井を誘惑して、それで……」
ミウは首をかしげた。
「ねぇ。それっていつのこと?」
「うるせえ! とにかく、早くここから逃げるぞ‼ くそ。どこかに車でもあれば……」
そう言って乱暴に茂みを払うと、肉倉の目の前に一台の車が飛び込んできた。
「しめた! 乗り込むぞ‼」
ミウはきょとんとしながら、その車を見つめていた。
その車には誰も乗っていない。そのはずなのに、何故か車体が揺れていたのだ。
「ん~……」
ミウは、きょろきょろと辺りを見回した。
「おい、何やってるんだ! 早くずらかるぞ‼」
ふとそこで、窓ガラスに反射する肉倉の首が、ちょうど見切れていることに気付いた。
ミウは目をぱちくりとさせた。
「どんくさい奴だな! 早く乗れって言ってんだろ‼」
ミウの手を肉倉が掴み、無理やり助手席に座らせる。
「ねぇ~。やめた方がいいと思うなぁ。なんか、そんな感じがする」
「よし。車のキーはついてるぞ」
喜々として肉倉はキーを回すと、車はライトを点け、ゆっくりと動き出した。
◇◇◇
「おい、こんな奴連れてきて、どうする気だ」
こっそりと、統島が瞳に言った。
二人は、ゆっくりと後ろを振り向く。
そこには、例の大男がいた。数メートル離れた距離を、ゆっくりと歩いてついて来ている。
つい先程、トタン小屋から出る時に、瞳が一緒に来ないかと誘うと、意外なほどあっさりと首肯したのだ。
「どうって……別にいいじゃない。危害を加える気はないみたいだし」
「危害を加える気はないだと? あいつはオレを殺そうとしたんだぞ。今オレが生きているのは、ただの偶然だ」
「偶然じゃなく、私のおかげ」
統島は舌打ちした。
「君はイカれている」
「あなたが私を見捨てて逃げ出そうとしたこと、忘れてないのよ?」
そう言うと、ようやく統島は黙った。
しばらく三人で歩いていると、ふいに、大男が立ち止まった。
「どうかしたの?」
大男は、じっとあらぬ方向を見つめている。
その時、どこかから声が聞こえてきた。
「瞳~! ぐすっ。ミウ~‼ お願いだから返事してよぉ」
それが柚子の声だと分かると、瞳はすぐさま大声をあげた。
「柚子ー! こっちよ‼」
その声に気付くと、柚子は凄い勢いで駆けてきて、瞳の胸に飛び込んだ。
「瞳~‼ うぅ、ミウが。ミウがぁ~‼」
「どうしたの⁉ ミウに何かあったの⁉」
「肉倉に連れて行かれた~! ごめん。私、何もできなくて……って、あれ? おじさんじゃん!」
そこで初めて、柚子は大男に気付いて、思わず声をあげた。
「柚子。ミウがどこに行ったのか分かる?」
「ごめん、わかんない……。肉倉の奴、なんだかパニックになってたみたいで──」
「出ようとしているな」
ぼそりと、大男は言った。
「出ようと……? キャンプ場からってこと?」
「ああ」
「なんで分かるんだ? まさか、超能力とでも言うんじゃないだろうな」
「それが俺の呪いだ」
その意味不明な言葉に、統島は呆れた様子で肩をすくめた。
「ミウの居場所が分かるのね? どういう状況なのかは分かる?」
「スピードからして、車に乗っている。ミウという人間かは分からないが、“三人乗っている”」
瞳は統島を睨んだ。
それを見て、統島はうんざりしながら首を振る。
「オレは何も知らないよ。だけど、君達に手を出さないようにと、あの二人にはきつく言っておいた。オレの言うことは守るはずだ」
「……じゃあ、危険はないってことなのかな」
瞳がほっと胸を撫で下ろそうとした時だ。
「危険というのは死ぬことも入るのか?」
大男のその言葉を聞いて、瞳は、ぞっとした。
「どういうこと⁉ ミウはこのままだと死んじゃうの⁉」
「ここに入った人間は決して出られない。無理に出ようとすれば死ぬ」
あまりにも淡々と、大男は言った。
しかしそれが逆に、彼の言葉が真実であることを物語っていた。
瞳は、がくりと膝を折った。
頭では必死に打開策を考えている。考えているが、無意識に、もうミウを救うことができないと、瞳は感じていたのだ。
携帯は圏外で使えない。
今から向かったところで、相手が車では、止めることもできない。
もはや打つ手なしだ。
「ね、ねぇ瞳? 嘘だよね? ミウ、死んだりしないよね?」
柚子が肩を揺するも、瞳は放心状態で動かなかった。
「馬鹿馬鹿しい。君達はこんな男の話を信じるのか? 確かに一瞬で身体をワープさせたことには驚いたが──」
瞳は、はっとした。
思わず、大男を見上げる。
「あなたならミウを助けられる」
瞳は縋るように彼の服を掴んだ。
「ねぇお願い! ミウを助けて‼ 誰かを殺したいなら私を殺してくれていい! だからミウを‼」
大男は、じっと瞳を見下ろしていた。
泣きじゃくり、何度も裾を引っ張る彼女を、ただ見つめていた。
「よ、よく分からないけど、私からもお願い‼ おじさん、ミウを助けてあげて‼」
瞳と柚子の懇願を黙って聞いていた大男は、ゆっくりと口を開いた。
「俺に人を助ける義務はない」
大男は、冷たくそう言い放ち、瞳達から背を向ける。
それは、瞳にとっての最後通告だった。
大男の方へ向けて固まっていた彼女の手が、ずるりと地面に落ちた。
◇◇◇
車は猛スピードで車道を走っていた。
未だキャンプ場を出られないことに肉倉は苛立ち、ミウはそわそわしていた。
「ねぇ~。どうして柚子達を置いていくの?」
「うるせえ黙ってろ‼」
何を喋っても聞く耳を持たない肉倉の態度に、ミウは口を尖らせる。
ふと、道路の脇にある看板が見えた。
そこには『キャンプ場の出口まで、あと1キロ』と書かれてある。
「は、ははは! もうすぐ出られる! これでこの悪夢からもおさらばだ‼」
ご機嫌な肉倉とは反対に、ミウは寒気がして身体を震わせていた。
「どっかにカイロとか落ちてないかなぁ」
そんなことをぼやきながら、ミウが後部座席を確認する。
その時、後ろのリアウィンドウに何かが映った。
ごろごろと、崖から転がり落ちていく鹿の姿だ。
ミウはその様子を、じっと見つめていた。
「ねぇ~。たぶん、瞳の言ってたやつだと思うんだぁ。帰った方がいいんじゃないかなぁ」
「次喋ったら殺すぞ」
あいかわらず、肉倉は話を聞くつもりはないらしい。
ふと、ミウは肉倉の手に視線を落とした。
「ねぇ」
「喋んなっつってんだろ‼」
「手首にブレスレットなんてしてたっけ?」
そこで初めて、肉倉は自分の手首を見た。
いつの間にやら、ハンドルから伸びる、ピンク色の細い紐のようなものが、両腕にぐるぐると巻き付いていた。
「あとさ。スピード早すぎない? もうちょっと落とした方が……」
「……けない」
「え?」
「足が動かねえんだよ‼」
肉倉が下を見ると、足にもいくつもの紐が絡みつき、アクセルを踏む足をがっちりと掴んでいた。
いくら力を込めても、びくともしない。
ゴロゴロと、遠くから音が聞こえる。
それが、崖から転がる大岩であることに、ミウはすぐに気付いた。
「ねぇ! ストップ‼ ストップしないとぶつかっちゃうってば‼」
肉倉は返事をしなかった。
正確に言うと、恐怖で固まり、口が動かなかったのだ。
車の天井から生えてきた、巨大なトカゲのような顔に睨まれて。
「ストップだってストップ‼ 早く早く‼」
ミウは正面の大岩に夢中で気付いていない。
がばりと、オオトカゲの口が開いた。
「ひいいぃ‼」
オオトカゲが、叫ぶ肉倉の頭部をかみ砕こうとした時だった。
突然、オオトカゲは何かに気付き、フロントガラスの方を振り向いた。
釣られて肉倉も正面を見る。
その瞬間、ヘッドライトに照らされる大男の姿が映った。
ガシャアアアン‼
盛大な音をたてて、大男は車にぶつかった。
グリルの部分を手で掴み、足で地面を削るようにしながら車に引きずらる。
しかしその抵抗が車のスピードを大幅に減速させ、大男の踏ん張っていた踵が、道を塞ぐ大岩に届こうかという時、車はゆっくりと動きを止めた。
大男は手を離し、ゆっくりと歩いて助手席のドアを開ける。
ミウはぽかんとしながら、大男を見つめていた。
「……誰?」
ミウが首をかしげる。
大男は言った。
「俺に人を助ける義務はない。だがここに入った者を殺すのが俺の仕事だ。勝手に死んでもらっては仕事ができない」
「はあ……」
ミウは大男に手を引かれ、車から出た。
ぽかんとしていたミウは、そこでようやく、はっとした。
「わかった! おじさん、映画オタクだね⁉ さっきのも何かの映画の名セリフなんでしょ? ミウも映画好きだから、わかっちゃんだなぁこれが」
大男は何も言わなかった。
すると、ミウとは反対の方の扉が開き、中から肉倉が転がり降りて来た。
「くっそ! なんだったんだ、今のは……‼」
大男は、ちらと肉倉を一瞥(いちべつ)した。
「もう一人はどこだ?」
「え? ミウとこの人だけだよ?」
大男は、ミウの方を向いたまま固まった。
ちょうど大男の背後にあった車が、バキバキと音をたてる。その度に、ミウの顔が青ざめていく。
大男がそのまま振り向こうとした時、突然巨大な尻尾が横薙ぎに振るわれ、その巨体が吹き飛んだ。
宙を飛び、崖に盛大にぶつかると、大男はそのまま地面に倒れ込む。
ミウは愕然として動けなかった。
しかしそれも当然だ。
自分の目の前にあった車が、3メートルはある、二足歩行する巨大なオオトカゲへと姿を変えたのだから。
「ヨ、ヨ、欲望、見セろ」
オオトカゲはミウの方へと歩きながら、拙い言葉でそう言った。
ミウは泣きそうな顔で、いやいやと首を振りながら後じさる。
トカゲは大きく首をかしげた。
トカゲの腕に、腫物のように瞳の顔ができたかと思えば、すぐ隣に柚子の顔が浮かび上がる。
そして今度はホッケーマスクの男の顔ができ、それらは全て弾けて消えた。
「……姿ガ定まラなイ」
何を言っているのか分からず、ミウは呆然としている。
トカゲは突然怒りの目を向け、大きな口を開けた。
中から無数の舌が飛び出し、そのままミウを飲み込まんと走る。
思わず、ミウが目を瞑る。
その時、ミウの目前で何かが過ぎり、舌が真っ二つになった。
そこにいたのは、マチェットを手にした大男だった。
「誰の許可を経て、俺の獲物に手を出している?」
トカゲは唖然とした。
しかしすぐさま身体を振り、大男に向かって突進した。
大男はまともに頭突きを受け、そのまま崖に叩きつけられる。
「おじさんっ‼」
ミウが悲鳴をあげた。
砂煙が舞うほどの威力。常人なら内蔵が潰されて即死するほどの攻撃だ。
にやりとトカゲが笑うも、すぐにその異変に気付いた。
コキリと、大男が首を鳴らす音が聞こえる。
「俺のターンだ」
大男はトカゲの首を掴んだ。
自分の身長を優に超える巨体を軽々と持ち上げ、崖に叩きつけた。
「グギィ‼」
しかし、大男の攻撃はこれで終わりではない。
左に回して叩きつければ今度は右に。
左、右、左、右と、何度も何度も、オオトカゲの身体を痛めつける。
さらに勢いをつけようと、大男がトカゲの身体を振り回した時だった。
ブチリと音がしたかと思うと、トカゲは宙に投げ飛ばされ、そのまま崖下へと落ちていった。
大男が、千切れたそれを片手で持ち上げる。
オオトカゲの顔だったそれは、いつの間にやら細長いしっぽに変わっていた。
逃げられたことに小さくため息をつき、大男はそれを放り捨てた。
「三人ではなく、二人と一匹だったか」
大男がそんなことをぼやいていると、ふと、自分のことをじっと見つめているミウに気付いた。
「か……かっちょい~‼」
鼻息荒く、ミウは叫んだ。
大男へと駆け寄り、ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねてみせる。
「おじさんすごい! 強い! さっきのどうやったの⁉ あんなでっかいのを、バンバアンってさ! ミウにもできるかな⁉」
ミウは興奮して、べたべたと大男に触っている。
その様子を見て、肉倉が慌てて駆け寄って来た。
「お、おい! そいつから離れろ‼ いくらなんでもあの強さは異常だろ⁉ こいつもさっきのやつと同じ化け物だ!」
「もぉ。そんなこと言ったら失礼だよ? あんな気味悪い爬虫類と同じなわけないじゃん。ミウには分かるの。イカしたマスクがその証拠だよ」
大男は、思わず自分のマスクに触れた。
「何言ってんだ! どう見たってイカれた殺人鬼の容貌だろうが‼」
「人を見かけで判断するのはいけないんだよ?」
めっ、とミウは肉倉に注意した。
「お前も見かけで判断してるじゃねえかよ……」と、肉倉はぶつぶつと呟いている。
「それにしても、おじさん丈夫だねぇ。車に轢かれてもだいじょうぶなんだ」
「俺は死なない」
「かっちょい~! ミウもそういうセリフ言えるようになりたい‼ でも強がりはダメだからね? あとでシュッシュしてあげる。ミウね、そういう気配りもできるタイプなんだよ?」
仲良く並んで歩いていく二人を見て、肉倉は盛大にため息をついた。
◇◇◇
瞳達が車道を歩いていると、前からやって来る三人が見えた。
ミウは大男に肩車してもらっていて、後ろからは、とぼとぼと肉倉が歩いている。
「お! 瞳達発見!」
ミウがそう言って元気に指さす。
それを見て、瞳と柚子は目をうるませながら駆け寄った。
大男から降りて来たミウを、二人は思い切り抱きしめた。
「ふ、二人とも苦しいよ~」
「だいじょうぶ⁉ 怪我はない⁉」
「うん。おじさんが助けてくれたから。もうね、すごかったんだよ~。めちゃめちゃかっこよかった」
瞳は大男の手をぎゅっと握った。
「ありがとう。本当にありがとう。あなたのおかげよ」
「……助けたわけじゃない。ただ俺が殺──」
「はいはい。おじさんは謙遜し過ぎ。こういう時は胸を張ってたらいいの。分かった?」
柚子はそう言って、ばしんと大男の背中を叩いてみせる。
「ねぇ。ところでおじさんの名前ってなに?」
ミウの素朴な質問に、しんと辺りが静まり返った。
柚子とミウは、お互いに顔を見合わせる。
瞳が慌てて口を開いた。
「は、恥ずかしいんだよね⁉ ええと、気にしなくていいから。みんな、おじさんがシャイなことは知ってるし」
「あ、分かった! 記憶喪失なんだよ‼」
柚子が、ぱちんと指を鳴らした。
「私、テレビで見たことある! スマホの動かし方とかは分かるのに、自分の名前とか両親のこととか、全部忘れちゃうってやつ」
「ほえ~。おじさん、苦労してるんだねぇ」
ミウがしみじみと言った。
大男は、いつの間にやら記憶喪失ということになった。
「そうだ。助けてもらったお礼に、私達で名前を考えてあげよ」
「さんせーい‼」
本人の承諾も取らず、二人は早速名前を考え始める。
瞳は、おそるおそる大男を見た。
何の反応もせずにじっとしているが、どことなく困惑しているようにも感じる。
「あ、あのね? 二人とも、そういうことは本人に──」
「あ! ジェイ君とかどう⁉」
柚子が手を叩きながら言った。
「ジェイ? なんで?」
「なんとなく、そんな感じの顔だから!」
柚子はウィンクしながら親指を立ててみせる。
もちろん、柚子は大男の顔を見たことはなかった。
「いいね~。ジェイ君。ミウ、気に入った! これからよろしくね、ジェイ君!」
ミウは大男の手を握り、ぶんぶんと振った。
「ねぇねぇ! さっきミウにやってた肩車、私にもやって!」
「あ、ダメ~! ミウが先にやってもらうの」
「なんでよ! アンタ、さっきもやってもらってたじゃない!」
「もう一回やってほしいの!」
二人が口喧嘩を始めるのを、大男と瞳は呆然と見つめていた。
瞳が、ちらと大男の方に目を向ける。
「あ、あの……嫌だったら言っていいからね?」
「……どうでもいい」
諦めにも似た心境で、ジェイ君はぼやいた。
◇◇◇
統島と肉倉は、女子三人と戯れるジェイ君を、遠目で見つめていた。
「おい、統島。本当にあんな奴と行動を共にするのかよ」
「仕方ないだろ。理由はよく分からないが、あの三人といる間は、こっちに危害を加えるつもりはないみたいだからな。とはいえ、気を付けろよ。いつ寝首をかかれるか分からない。あいつが栗栖湖の秘密を守る番人だっていう噂が本当なら、なおさらな」
その言葉に、肉倉は戸惑いがちに視線を落とした。
「……まだ探すつもりか?」
「当たり前だ。そのためにここまで来たんだぞ。禍玉伝説が本当だってことは、ここに来る前に散々話しただろ」
「そりゃ、そうだけどよぉ。さすがにもう……」
肉倉の心が折れかけていることを察した統島は、にこやかに肩を組んだ。
「よく考えてみろ。もしもあいつが、ここに眠る禍玉を守る番人なら、もはやオレ達は、その番人を攻略したも同然だ。つまり禍玉は、既にオレ達の目と鼻の先にあるってことさ。ここで逃げたら全て水の泡だぞ? 親に内緒で作った借金、返さなきゃまずいんだろ?」
肉倉はそれを聞き、戸惑いがちにうなずいた。
「そ、そうだよな……。ここで逃げたら全て無駄だもんな」
「ああ、その意気だ。それにあいつが禍玉を守る番人なら、うまく懐柔すれば……」
「禍玉の眠る場所を聞き出せる……‼」
「そういうことだ」
それを聞き、肉倉は一気に興奮し始めた。
「そうか……! 億万長者の夢も、もう目の前……! やるっきゃねえよな!」
「……ちょろいな」
「ん? 今何か言ったか?」
「いいや、何も」
統島は、にこやかに笑いながら、首を振った。
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