第5話 殺人鬼との邂逅<2>
「とにかく、金井さんの言うことは信じられない」
キャンプファイアに戻った六人は、改めて二人から話を聞いた。
そして瞳の出した結論が、それだった。
「なんでだよ! オレは嘘なんて言ってねえ‼」
「どうして信じてもらえないか、自分の胸に聞いてみたら?」
瞳は冷たくそう言った。
いつもほわほわしていて怒りの感情とは無縁のミウでさえ、金井に対して狂犬の如く牙を剥き出しにしている。
「……だからそれは! そっちもオーケーしたものだと思ったんだよ! だいたい、そんな気ないなら男と二人っきりになろうとするなよな」
柚子はショックで、再び目尻に涙を溜めた。
瞳はそんな彼女を抱きしめ、金井を睨みつける。
「そうね。あなた達が一欠片の自制心でも持ってくれてると勘違いした私達が悪いわ。猿でももう少し分別を持っていると思うけど」
「んだとこのアマ‼」
立ち上がって凄む金井に、瞳は一切動じず睨みを利かせていた。
「まあまあ、双方落ち着いて。瞳ちゃんも気持ちはわかるけど、あまり事を荒立てるような発言は慎んでよ」
「嫌よ。親友を侮辱されて黙っていられない」
「瞳……」
柚子は感動して、思わずつぶやいた。
統島は考え事をするように下を向き、ぽりぽりと頬をかく。
「金井。柚子ちゃんに謝れ」
「はあ⁉ なんでオレが‼」
「仕方ないだろ。場を収めるためだ。金井の言い分も分かるが──」
「何言ってるの⁉ 論外よ!」
「そうだそうだ‼」
ミウが瞳に便乗して、ブーイングしてみせた。
「……謝れ」
「……チッ。悪かったよ」
金井は渋々といった様子で、小さく頭を下げた。
「じゃ、これで水に流してもらえるかな?」
「本気で言ってるなら、あなたの良識を疑うわ。彼女をどれだけ怖がらせたと思ってるの」
瞳達は立ち上がった。
「今後一切、私達に近づかないで。話はそれだけよ」
瞳とミウは柚子を支えるようにして、ゆっくりと歩いていく。
その背中に、統島は呼びかけた。
「瞳ちゃん。君なら分かってるだろうけど、オレは真実を知りたいんだよ」
瞳は振り向いた。
「金井だけでなく柚子ちゃんも、例の大男を見ている。本来ならありえないことだが、その人物は実在するということだろう。だとすると、その男は敵か? 味方か? 瞳ちゃんも知っておくべきだと思うけどな。今後も二人を守るつもりならね」
「あいにくだけど、私は三匹の猛獣からも二人を守らなきゃならないの。あなた達と仲良くする気はないわ」
統島は肩をすくめた。
瞳はそれを無視して、歩を進める。
「二人の子守に飽きたらこっちに来なよ。君なら歓迎する」
瞳は振り返らなかった。
代わりに、ミウがガウゥと低い声をあげて威嚇していた。
ちゃっかりと、串に刺さったマシュマロを手にしながら。
◇◇◇
三人は予約していたコテージに到着した。
中は開放的で、テレビのような娯楽品こそないものの、ベッド、テーブル、クローゼットと、だいたいのものは揃っているようだった。
リビングにある暖炉は薪も十分で、キッチンには冷蔵庫もある。
しかし、それらを見て感想を言い合うような余裕は、彼女達にはなかった。
瞳は柚子を椅子に座らせると、改めて彼女と向かい合った。
「柚子。真面目に答えて欲しいんだけど、あなたを助けてくれた人は、本当に味方なのね?」
「そうよ! だってあの人がいなかったら私──」
「じゃあ少し質問を変える。柚子と金井さんの言ってること、二人とも正しいっていう可能性はある?」
「え? どういうこと?」
「そのおじさんは柚子を守った。でも金井さんは殺そうとした。そういう可能性は?」
柚子は、うーんと考え込んだ。
「……ない、と思うなぁ。危害を加えるつもりなら、いくらでも機会はあったと思うし」
瞳は、じっと柚子を見つめてから、ゆっくりとうなずいた。
「分かった。柚子の言うことを信じる」
彼女は人を疑うことを知らないし、こうだと決めたらそれ以外、目に入らなくなる傾向がある。
しかし感情的にさえならなければ、きちんと物事について考えられる子だというのが、瞳の評価だった。
話を終え、ようやく一息ついた時、柚子は身体をもじもじさせながら、瞳の方を窺(うかが)い見た。
「どうしたの?」
「あ、あの……。あり、じゃなくて。ごめ……でもなくて。ええと……」
瞳は思わず笑みをこぼした。
柚子の髪を掻き分けてやり、その頬に手をやった。
「柚子が無事でよかった」
瞳の温かい笑顔を見て、柚子は恥ずかしそうにうつむいた。
瞳は柚子が立ち直ったことを確認すると、コテージにあった懐中電灯を取り出し、カチカチと何度か点灯させた。
「私、ちょっと出かけてくる」
懐中電灯が十分に使用可能だということを確認してから、瞳は言った。
「え⁉ あ、危ないって!」
「そうだよ! もう真っ暗だよ⁉ おうちに帰る時間だよ⁉」
二人を落ち着かせるために、瞳は努めて明るく笑った。
「だいじょうぶ。すぐに帰るから。私が出たらちゃんと鍵を閉めてね。あと、私以外の人が来ても開けちゃダメ。分かった?」
「う、うん……」
慌てて、柚子がうなずく。
「それと……」
瞳は言うべきかどうか迷った。
しかし、少しでも危険が減るのなら、教えておくべきだ。
「兆候に気を付けて」
「兆候?」
「なんでもいいの。影とか、物音とか。とにかく少しでも変だなと思ったら、その直感に従ってすぐに逃げて。分かった?」
瞳の言っていることを、二人はいまいちよく分からなかったようだ。
しかしその真剣な表情から、真面目な話だということは理解できたらしく、神妙にうなずいてみせた。
◇◇◇
瞳は、柚子が襲われたという野原に来ていた。
懐中電灯で地面を照らすと、そこには二メートル以上ある細長い穴が掘られてある。
瞳がその穴を観察しようと屈んだ時、ふいに気配を感じた。
「誰⁉」
明かりを向けると、そこにいたのは統島だった。
「やっぱり来たね」
瞳は小さくため息をつき、再び地面に明かりを向けた。
「やっぱりっていうのは?」
「脅威に背を向け見て見ぬフリをするのではなく、いざという時、立ち向かえるように情報を収集する。優秀な人間である証拠だ」
「何を勘違いしているのか知らないけど、私はそんな人間じゃない」
「いいや、そうさ。オレの見立ては外れないんだ」
「優秀だから?」
瞳は鼻で笑った。
「その通りだよ。馬鹿二人をおだてて、自分の意のままに操る。人の上に立つ人間は、すべからく優秀だ。君も同じだろ?」
瞳は、ぴたりと動きを止めた。
自分のしていることは、この傲慢な人間と同じだということに気付いたのだ。
意のままに操るだなんて、そんなこと欠片も思っていない。
でももしかしたら、無意識の内に、この男と同じように考えているのかもしれない。
彼女達を、自分の都合の良いように動かしているだけなのかもしれない。
そんな不安に押しつぶされそうになった時、ふいに彼女達の笑顔が頭に浮かんだ。
無邪気で、何の疑いもなく自分を見つめてくれる、あのまっすぐな目が。
それを思い出すと、自然と勇気が湧いてくる。
瞳は統島を睨みつけた。
「お偉いあなたには分からないでしょうね。私はただ必死なだけよ。あの二人を、ちゃんと無事に帰してあげるためにね」
瞳はこれ以上の戯言(ざれごと)には付き合わないとでも言いたげに、統島から背を向けて穴を調べ始めた。
統島は肩をすくめ、瞳と同じように調査を始める。
「掘り返した跡がないな」
しばらくしてから、統島がぼそりと言った。
無視するべきか、一瞬だけ考える。
しかし、そのことについては瞳も考えを深めたいと思っていた。
諦めの境地でため息をつき、瞳はうなずいた。
「ここから出てきたのなら、当然入ってきた穴があるはず。なのにそんな場所はまるで見つからない」
「入口と出口が同じだったという可能性は?」
「どうかな……。柚子は自分が倒れ込んだ時にぶつけた頭の部分から、おじさんが這い出て来たって言ってる。そこに掘った跡があるなら、さすがに違和感を覚えそうなものだけど……」
「パニックで気付かなかった可能性はある、か。まあその件はそれで納得したとしても、たまたま誰かが地中に埋まっていて、たまたま二人がその場所に倒れ込むっていう部分は、少々出来過ぎている気がするね」
確かに統島の言う通りだった。
この広い野原で、偶然にそのようなことが起こる確率というのは、一体何%なのだろうか。
……少なくとも、小数点以下なのは間違いない。
「僕がここで言ったことを覚えてる?」
何か仕掛けはないかと、足を鳴らすように地面を踏みつけている統島が言った。
「霧のように消えでもしなければ、ここから姿を消すのは無理だって」
瞳は、ここに来る前のバスの事故のことを思い出した。
「何が言いたいの?」
「もしも本当にそんなことができるなら、全ての疑問に答えられるなと思っただけだよ。オレ達が駆け寄った時に消えることも、二人が倒れ込んだ地面に隠れることもね」
「あなたって、非科学的なことを信じるタイプ?」
「歴史的な発見によって、常識はいつだって覆されてきた。非科学的であることを信じない理由にする奴は、ただの凡人さ」
「自分は凡人じゃないと言いたいわけね」
「よく分かってるじゃないか」
瞳はため息をつき、近くにあった木々に視線を落とした。
ふと、そこにある何かに気付き、彼女は屈みこんだ。
「私は常識を信じるタイプよ」
そう言って、瞳は発見したものを摘まみ、統島の前で落としてみせた。
「穴の中にいた人間が、土塗れになって歩いていることを信じるようなね」
さらさらと落ちる土を見ながら、統島はにやりと笑った。
◇◇◇
落ちている土を辿って林を歩き、十分ほどが経っただろうか。
二人の目の前には、ボロボロのトタン小屋があった。
かなり古い作りだが、生活の跡がある。おそらく今現在も、誰かが住んでいるのだろう。
瞳が統島の方を見ると、彼は慇懃に小屋の方へ手を差し出し、先を促した。
「レディファーストだ」
「……臆病者」
瞳はゆっくりとドアを開けた。
むわりとする血生臭さに、思わず鼻に手をやる。
どこもかしこもボロボロで、今にも崩れそうなその部屋の壁には、いくつもの道具が飾られてあった。
鉈、斧、こん棒。道具の種類は様々だが、どれもこれも、人を殺すにはうってつけの武器であることが、気味の悪さに拍車をかける。
他にあるのは、ギィギィと嫌な音をたてる揺り椅子と丸テーブルくらいだ。
「どの武器もかなり使い込んでいるみたいだね」
近くにあった鉈の刃を手でなぞりながら、統島が言った。
瞳は台所の水道を覗いた。
薄汚れたシンクの縁には、拭き取り損ねた血痕がついている。
「行方不明者って何人いるんだっけ?」
「さあね。だけど、一人や二人じゃないことは確かだよ」
それだけの人数を、ここに住んでいる人間が殺したのだろうか。
ただの推測に過ぎないが、この家から醸し出る異様な雰囲気が、その恐ろしい予測が真実だと告げていた。
「うわっ!」
統島が別の部屋に入ると、いきなりそんな声が聞こえてきた。
瞳がそちらへ向かうと、そこには人間の頭蓋骨がテーブルに置かれていた。
「くそ! 驚かしやがって‼」
そう言って、統島がテーブルを蹴ろうとする。
「待って‼」
慌てて、瞳がそれを止めた。
瞳は改めて部屋を見た。
テーブルには布が掛けられ、いくつもの蝋燭が立っている。頭蓋骨の下には、小さな座布団が置かれていた。
部屋の端には、人一人が座り込めるカーペットが敷かれていて、一か所だけすり減っていた。
ちょうど、そのカーペットの上で膝をついた時に擦れる部分だ。
「……供養してるんだよ、たぶん」
「何を言ってる? どこからどう見ても異常だ。この骨を警察に持って行けば、すぐにでも逮捕状が取れる」
「私達とは文化が違うだけ。死者を弔おうとする気持ちは同じよ」
「そのために何十人と人を殺すのも、文化の違いってわけか」
「それはまだ決まったわけじゃないでしょ? それに──」
瞳の言葉は、はたと潰えた。
まるで呼吸が止まったような様子に、統島はいぶかしがり、後ろを向いた。
「うわあ‼」
そこには、一人の大男が立っていた。
緑のジャケットを着た、ホッケーマスクの大男。
金井や柚子が言っていた特徴と一致する。
恐怖で身体がうまく動かない。
しかしそれでも、瞳はなんとかその恐怖を飲み込み、意を決して口を開いた。
「こ、こんにちは。勝手に上がり込んでごめんなさい。でも私達、この家を壊そうなんて思ってないの。あなたに危害を加える気もないわ」
大男は黙ったまま立っている。
その手には、鋭く光るマチェットがあった。
「話を聞いてくれる? 私達、あなたとお話がしたいの」
大男は、じっと瞳を見つめていた。
統島は、自分から気が逸れているのを確認し、気付かれぬようゆっくりと歩く。
大男が、じりと瞳に近づいた。
その瞬間、統島は一気に部屋の外へ駆けだした。
大男は顔をそちらへ向けるだけで、まるで棒立ちだ。
しかし瞳はその時、ありえない光景を見た。
目の前にいた大男が、突然霧のように消えたのだ。
先程話していた言葉が、瞳の脳裏に駆け巡った。
「統島さん、待って‼」
統島は瞳を無視して丸テーブルを飛び越え、一気に家のドアを通り抜ける。
が、突然何かにぶつかり、統島は止まった。
おそるおそる上を見上げると、そこには、ぶつかった統島をじっと見下ろす大男がいた。
「うわあああ‼」
叫び声をあげる統島を押し倒し、大男はマチェットを振り上げる。
「ありがとう‼」
ぴたりと、大男の動きが止まった。
「ゆ、柚子を助けてくれて、ありがとう。それを言いたかったの」
大男は、ゆっくりと瞳の方を向く。
「何を言ってるんだお前は⁉ こんな奴と話が通じると──」
「あなたは黙ってて‼」
ぴしゃりと一喝し、瞳は早鐘を鳴らす心臓を落ち着けるよう、深呼吸した。
「柚子も、すごく感謝していたわ。私が助けを求めたから、出てきてくれたんだって。まるでヒーローに出くわした子供みたいなはしゃぎっぷり」
「……助けたつもりはない」
初めて、大男が喋った。
興奮を抑えながら、瞳は笑みを浮かべた。
「それでも、結果的に助かったんだから、同じことだわ。柚子はあなたに救われたの。私からもお礼を言わせて。親友を助けてくれて、どうもありがとう」
大男は、倒れている統島と、自分の持つマチェットを交互に見た。
ごくりと、瞳の喉が鳴る。
どれくらいそうしていただろうか。
ふいに大男は構えを解き、マチェットをシースにしまった。
「興が逸れた」
瞳は、ほっと息をついた。
思っていた通り、話が通じる人だった。
しかし何故そう思ったのかは、瞳自身、よく分からなかった。
もしかしたら、あの頭蓋骨の墓を見て、彼と自分を重ね合わせたのかもしれない。
帰ってくるはずのない人との再会を、仏壇に手を合わせて願う、自分自身と。
◇◇◇
金井はテントの中で寝袋に包(くる)まり、一人で悪態をついていた。
自分の言っていることは本当なのに、誰も信じてくれない。
この場所には頭のイカれた殺人鬼がいるというのに。
一人で逃げようにも、車のキーは統島が管理している。
危険が迫っていると分かっていながら、ただこうやって横になることしかできなかった。
「くそ。統島の奴。あいつはいつもそうだ。運転してるのはオレなのに……。全部自分の思う通りにしないと気が済まないんだ」
さっさと眠りたくても、怒りが邪魔してなかなか寝付けない。
どうせなら、あの女三人組を本当に襲ってやろうかと考えていた時だった。
ふと、たき火の光で、テントに人影が映っていることに気付いた。
「統島か?」
しかしそれが、統島でも肉倉でもないことはすぐに分かった。
シルエットからして、明らかに女性の身体だったのだ。
「こっちに来て……」
その声は、柚子だった。
「んだよ。今さら謝ったって許さねえからな」
「こっちに来て……」
柚子の影は、両手で髪をかき上げ、腰をくねらせている。
ごくりと、金井は唾を飲み込んだ。
「……チッ。仕方ねえな。許してやるからこっち来いよ」
「こっちに来て……」
金井は思わず笑った。
「外でやろうってのか? 淫乱女が、ようやく本性を見せやがったな」
金井はいそいそと立ち上がり、テントの入り口を開けて外に出た。
にやついていた顔が硬直する。
そこにいたのは柚子だった。
しかしその身体は、さばかれた魚のように、ぱっくりと縦に開き、断面から赤い肉を覗かせていた。
赤い断面には、螺旋を描く無数の牙が生えており、奥にある吸い込まれるような漆黒の闇からは、無数の舌が蠢いている。
柚子は言った。
「コッちニキて」
舌がすぐさま金井を絡めとる。
柚子の顔をした何かは、彼が悲鳴をあげる間もなく、その身体を飲み込んだ。
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