第2話 女の子たちの日常
ジリリリリリ!
けたたましく鳴る目覚まし時計を、布団から出てきた手がごそごそと探す。
ようやく目当てのものを見つけ、ばちんと時計を叩くと、ようやく部屋の中は静かになった。
「……ん~」
ゆっくりと、瞳は起き上がり、大きく伸びをした。
しかし未だ眠気眼な瞳は、ベッドから起きると、落ちていた鞄に足をひっかけ、盛大に顔面を床にぶつけた。
「ふべっ!」
しばらくそのまま動かなかったが、ゆっくりと顔を上げる。
「痛い……」
涙混じりに鼻を押さえながら、瞳は立ち上がった。
「でもまあ、眠気は覚めたから、結果オーライか」
瞳は身支度を整えて学生服に着替えると、エプロンをしてから調理を始めた。
慣れた手つきで二人分の弁当を作り、用意した朝食を一人で食べる。
「おいし~♪」
静かな食卓でパンを齧りながら、瞳は至福の表情を浮かべる。
しかし、あまりゆっくりしている時間はない。
「あ、もうこんな時間!」
慌てて残りのパンを口に放り込み、リビングにある父の仏壇に手を合わせると、すぐに鞄を取って玄関に向かう。
「っと、その前に」
瞳は母の部屋の扉をノックした。
「お母さん。お弁当作っておいたから、お昼に食べてね。朝食も用意してあるから、ちゃんと食べるんだよ」
「……ァァ……」
「じゃあいってきます‼」
瞳は元気よく敬礼すると、そのまま外に飛び出した。
◇◇◇
瞳が学校に到着したのは、授業が始まる五分前だった。
肩で息をしながら教室の扉を開けると、既にクラスメートはみんな集まっていた。
「おっはよぅ、瞳。今日もお寝坊さんだね」
椅子に座ったまま元気に挨拶してくれたのは、瞳の親友の柚子だった。
金色の長い髪をなびかせる、いつも元気な女の子だ。
実はかなりのお嬢様で、大財閥の一人娘だ。この学校の校長も柚子の叔父で、そのため色々と口利きしてくれることも多い。
「おはよう、柚子(ゆず)。柚子は今日も元気だね」
「まあね~。それが私の長所だし」
「じゃあミウは⁉ ミウの長所は⁉」
ハイハイと、元気よく手をあげているのがミウ。
彼女も瞳の親友だ。
いつもおっとりしていて、何かと失敗しては瞳達を巻き込むトラブルメーカーだ。
しかし誰よりも純粋で、優しい子だった。
「ん~……」
「ないかな」
瞳が考えていると、柚子が即答した。
「なんで⁉ ミウ、お手玉とかうまいよ⁉」
「知らないよ」
「というか、なんでお手玉?」
ミウがどこから持ってきたのか、お手玉を取り出して披露しようとしていると、教師がやってきて授業が始まった。
柚子とミウは、瞳の両隣の席だった。
元々幼馴染だった柚子とミウに挟まれたことで、自然と二人と仲良くなり、今では部活も下校の時間もずっと一緒に過ごすくらいの仲だった。
「よし。じゃあ今日は教科書の23ページからだ。瞳、この例文を読んでみてくれ」
「ぐぅ……」
「開始早々寝るなあああ‼」
瞳は、ハッとして辺りを見回し、顔を赤くした。
それを見て、柚子が、ばっと手を挙げる。
「でも見てください、先生! 今日は五分も我慢してました! いつもなら一分と経たずに寝落ちするのに! だから許してやってください!」
「一分も五分も大して変わらんだろ!」
ミウが、ばっと手を挙げる。
「先生! ミウの早弁も許してやってください!」
「なんでだよ⁉」
クラスが笑い声に包まれる。
瞳が怒られると、いつも二人がそんな空気を変えてくれる。
瞳はそのことに、いつも感謝の気持ちでいっぱいだった。
◇◇◇
放課後になり、柚子とミウはうきうきした様子で瞳の机を囲んだ。
「いよっし、放課後だぁ! 部活行こ⁉」
瞳達は三人だけが部員の美術部を立ち上げて活動していた。
本来なら部活動するためには部員五人を集める必要があるのだが、柚子の叔父である校長の働きで、本当に実在しない文字通りの幽霊部員が二人水増しされているのだ。
「あ……、ごめんね。今日もちょっとバイトがあって」
瞳が手を合わせると、二人は見るからにしょぼくれた。
「お母さん、まだ調子悪いの?」
心配そうに、ミウが言った。
「うん……。でもだいじょうぶ! きっとすぐに良くなるよ」
努めて明るく、瞳はそう返事をする。
二人は顔を見合わせ、すぐに笑顔を作った。
「そうだよね! だって瞳がこんなにがんばってるんだもん。絶対よくなるよ!」
「ミウもそう思う! 根拠はないけど!」
ミウの頭を、柚子がすぱんと叩いた。
「んじゃ、今日もバイト先の『マクマクバーガー』にお邪魔しちゃっていい?」
「でも、前も付き合ってもらったし、悪いよ。私のことを気遣ってるなら……」
「違う違う。ミウの奴が、あそこのおみくじセットを全コンプするって聞かなくてさ」
「え? ミウ、そんなこと言ってな──」
柚子は大慌てでミウの口を塞いだ。
「そ、そういうことだからさ! 瞳のバイト先にお邪魔させてもらうわ! いや~、こいつの蒐集癖も困ったものだよ、ホント」
焦りながらも取り繕う柚子の様子を見て、瞳はくすりと笑った。
瞳にとって、この二人といる時間は、何よりも大切なものだった。
どこまでも優しくて、どこまでも純粋で。
もしもこの二人を脅かす者が現れたら、全力をかけて阻止しよう。そう、心の底から思えるほど。
◇◇◇
「ただいま……」
瞳が家に帰って来たのは、0時を過ぎてからだった。
柚子とミウは、とっくの昔に帰っている。
休憩時間に帰るフリをして二人を送り、それから再び店に戻って仕事をしていたのだ。
二人には言っていないが、瞳はバイト先に18歳だと嘘をついて、深夜まで働かせてもらっていた。
学校とバイトの両立は瞳にとっては難しく、この時間になると身体もフラフラだった。
瞳は重い足取りで母の部屋へ向かい、ノックした。
「夜遅くにごめんね。今日はどうだったかと思って──」
バン!
そんな音が、ドアの内側から聞こえてくる。
おそらく、物をドアに向かって投げたのだろう。
瞳は何も言わずにリビングに向かった。
そこには、手付かずの母の弁当が置いてあった。
ぐぅと、腹の音が鳴る。
お昼から何も食べていないのだ。お腹が空いて仕方がなかった。
瞳は暗いリビングで、母の弁当を食べた。
「おいし~♪」
朝と同じように、至福の表情を浮かべる。
しかし何故か、その目からはとめどなく涙が溢れ出て来た。
「ぅ……ひっく……」
拭っても拭っても涙がこぼれ出る。
ふと、瞳の目に父の仏壇が映った。
瞳は父のことを何も知らなかった。
物心がついたころには既にこの仏壇があった。
どんな人だったのか、死因は何だったのか。そんなことすらも知らなかった。
瞳は吸い寄せられるように仏壇の前に行き、そこに座り込んだ。
「お父さん……」
会いたい。
そんな言葉が、自然と心の中から湧いて出て来た。
どんな人かも分からない。それでも、瞳は父に会いたかった。
父に会って、人並みに喧嘩をしたり、一緒に買い物に行ったり、愛してると言われたかった。
色々な悩みを抱えて、爆発しそうになっている今の自分を、温かく抱きしめて欲しかった。
自然と浮き出る涙を指で拭い、立ち上がろうとした時だった。
誤って仏壇に膝をぶつけてしまい、骨壺がぐらりと揺れ、そのまま床に落下した。
「あ!」
手を伸ばす間もなく、がしゃんと音をたてて壺が割れた。
思わず目を瞑る。しかし、ずっとそうしているわけにもいかない。
おそるおそる目を開けると、そこにあったのは粉々になった壺と、小さな石の欠片だった。
首をかしげ、瞳はそれを拾った。
深緑色の、三日月を真っ二つにしたような、奇妙な形をした石だった。
「これ、なんだろ。そもそも、どうしてお父さんの骨壺にこんなものが?」
考えれば考えるほど分からない。
けれど、ただの石だと捨て置けない、奇妙な魔力のようなものを感じるのも確かだった。
瞳は、悪いなと思いつつも、それをポケットに入れて、割れた骨壺を掃除し始めた。
◇◇◇
「ふーむ」
そんなことを呟きながら、白衣を着た老人の先生は、じっと石の欠片を見つめていた。
ここは瞳の通う高校の研究室だ。
日本有数の大学と遜色(そんしょく)ないほどの研究費を持っているこの高校では、最先端の機材が揃っている。
例によって、柚子の口利きで石の正体を調べてもらっているのだ。
「ねぇ。うんうん唸ってないで、早く教えてよ」
こらえ性のない柚子が、早速そう言った。
「ミウが当ててあげようか?」
三人の中でも理科全般の成績はダントツ最下位のミウが、何故か自信満々に言った。
「じゃ、当ててみてよ」
「石!」
「そんなことだろうと思ったよ」
予想通り過ぎて、もはやつっこむ気にもならなかったらしい。
「まあ落ち着きたまえよ。おそらくだが、欠けた部分を正確に再構築できれば、君達でもこの石の正体は分かるはずだ」
意味深なことを言って、先生は石を箱のような機械の中に入れた。
「欠けた断面を調べて、どういう形状のものかを予測できる装置だ。これで答えが出るだろう」
先生がパソコンのキーボードを叩いていると、画面に石の画像が現れた。
欠けた断面が、装置の予測に従って、少しずつ再生されていく。
「あ……」
それが完成した時、瞳は思わず声をあげた。
「この石が翡翠であることは、様々な特徴からして間違いないだろう。そして翡翠は、勾玉の材料としてよく使用される」
パソコンに映し出された石の完成形は、確かに勾玉そのものだった。
「でも、どうしてそんなものが瞳のお父さんの骨壺に入ってたの?」
柚子の疑問はもっともだった。
石の正体は分かっても、肝心の謎についてはまるで分からない。
「それは私に聞かれても困るね。だが、それがどこで作られたものかは分かる。○○県××市の郊外。栗栖湖と呼ばれる湖のすぐ側だね」
「栗栖湖……」
初めて聞いた名前だ。
でも何故か、瞳はすごく嫌な感じがした。
「これって栗栖(くりす)って呼ぶの? 普通は栗栖(くるす)じゃない?」
「よく気付いたね! 実はこれは当て字だと言われてるんだ。この湖は都市伝説愛好家の中では非常に有名な場所でね。彼らの研究によると、この湖は元々、村八分にあった人々が集って住んでいた村だったらしい。しかしそれを快く思わない者達から焼き討ちに遭い、今の栗栖湖ができた。そしてその村八分にあった者というのが、正真正銘の異分子。つまり、異国の人間だったんじゃないかといわれているんだ」
瞳はあごに手をやって考えた。
「……つまり、クリスという人が殺された、ということですか?」
「その通り。察しがいいね。欧米人に親しみのない日本人からしてみれば、その存在は立っているだけでも不気味だっただろう。迫害されるのも、ある意味では仕方ないといえる。まあとはいえ、文献から分かるのは村が焼かれたという事実のみなんだけどね。わざわざ一人の人物を取り上げて湖の名前にする根拠が乏しくて、仮説としての信憑性(しんぴょうせい)は、まあ半分半分ってところかな」
先生は、ぺらぺらと饒舌に栗栖湖についての説明を重ねている。
先生は科学者でありながらこの手の都市伝説が大好きで、休日は毎日のようにいわく付きの場所へ足を運ぶと、学校でも有名だった。
「実はね。この村で作られる勾玉は、願ったことが現実になると、とある筋では有名なものだったらしいんだ。有名な大名や貴族がそれを求めてこの村を訪れるようになり、そういった点が彼らを村八分にした人々の嫉妬心に火をつけたらしい。その時、大名達が村に寄こした手紙が発見されているのだが、そこではこの勾玉のことを、こう書いていたそうだ」
そう言って、先生は近くの紙にペンを走らせ、瞳達に見せつけた。
そこには大きな字で、『禍玉』と書かれてあった。
「願いが叶う代わりに呪われる。それがこの禍玉に関する言い伝えだ。瞳ちゃんのお父上は一体どんな願いを叶え、一体どんな呪いを──」
ぎろりと、柚子が先生を睨みつけた。
興奮しきりだった先生は、慌てたように咳払いした。
「ま、まあ僕が分かるのはそのくらいだ。あとはお母さんに聞いてみたらどうかな」
お母さん……。
しかし、何年も会話らしい会話をしたことがない今の状態で質問しても、まともな返事が返ってくるとは、瞳には思えなかった。
精神的な病が年々酷くなる一方の母だが、思えば、瞳が物心ついた頃から、彼女は精神的に参っていたように思う。
もしもそれが、この禍玉のせいだとしたら……。
そんなことありえない。
そう思いながらも、心のどこかでそれを否定する自分がいる。
この禍玉の欠片を見ていると、ますますそれが真実であるという気持ちが強くなる。
「あの先生、良い人だけど、ちょっと困るよね」
研究室から出ると、柚子が小さくぼやいた。
「ミウは好きだよ。この前クリームパンおごってくれたし。でもその代わり、散々つまんない話聞かされた」
「あの人らしいなぁ」
そんな話を聞いていた瞳は、おもむろに立ち止まった。
「……二人とも、ちょっと聞いてくれるかな」
二人は、いぶかしげに瞳の方を振り向いた。
「私、栗栖湖に行ってみる」
瞳の発言に、二人は唖然とした。
「ええ⁉ ミウ的に、危ないところだと思うよ⁉」
「そうよ。ただの都市伝説だとは思うけど、いかがわしさ満々じゃない」
「うん。それでも行く。きっと、行かなきゃダメなんだと思う」
反対されるのは瞳にも分かっていた。
しかしもう決めたことだ。
たとえどれほど危険でも、この決心を変えるつもりはない。
でも、これから言うことを考えると、胸が苦しくなる思いだった。
きっとこれが正しい。
そう信じていても、それを告げようと思うと、様々な“もしも”を考えてしまう。
けれど瞳は、意を決して口を開いた。
「できれば、二人にもついて来て欲しいの。……その、たぶん。私一人じゃ、どうにもならないと思うから……」
柚子とミウは顔を見合わせた。
二人からすれば、何のメリットもない。それどころか、自分自身を危険に晒す行為だ。
やはり、ムシの良いお願いだっただろうかと、瞳が後悔し始めた時だった。
突然、ミウが胸を張り、両手をこちらに差し出してきた。
「ん!」
「……ええと、なに?」
「ミウが抱きしめてあげようと思って」
意図がよく分からずに固まっていると、ミウは無理やり瞳を抱きしめた。
「心配しなくても、ミウ達は瞳を見捨てたりしないよ」
思いがけない言葉だった。
ミウはとても優しい子だが、人の気持ちには鈍感な方だ。
きっと彼女なりに、ずっと瞳のことを考えていたのだろう。
その優しい言葉に、思わず涙があふれてきた。
「心配性な瞳らしいけどねー。でも、こんなことで友情に亀裂が入ると思ってたなら、ちょっと心外かな」
瞳は、ミウと柚子を思い切り抱きしめた。
「ありがとう、二人とも。何があっても、きっと私が守ってみせるから」
「瞳は心配性だなぁ。大丈夫だって。あんなのただの迷信じゃん」
「いざとなったら、ミウが編み出したスーパーパンチをお見舞いしてあげる」
「アンタ、体育の成績いっつも1じゃん」
瞳は思わず笑った。
どんな困難があっても、きっとこの二人がいればだいじょうぶだ。
いつも誰かのために動いていた瞳にとって、この旅は初めて自分の我儘で決めた、自分のための旅だった。
父のことを調べるため。
母の病気の原因を取り除くため。
そして、この素朴で平凡で、でもかけがえのない大好きな日常を守るための。
◇◇◇
三人が帰ったあと、先生は名残惜しそうに禍玉のことを思い出していた。
「しかし、まさかこんなところで本物の禍玉を見ることができるとは。どうせなら、写真くらい撮らせてもらえばよかったな」
カサカサ
先生は背後を見た。
何もいない。
しかし確かに、何か小さな動物が走るような音が聞こえた。
「ネズミか……?」
先生は物音をした場所を覗き込んだ。
すると、そこには小さな石が置かれていた。
「これは……勾玉?」
思わず手に取り、じっと見つめる。
確かにこれは勾玉だった。
それも、先程調べたものと同じ、あの『禍玉』だ。
「なんでこんなところに……」
もしや瞳ちゃんがもう一つ持っていて、それを落としてしまったのだろうか。
先生はそんなことを考え、ちらとドアの方に目をやった。
落とし物に気付いて戻って来る気配はない。
思わず、先生は笑みを浮かべた。
別に盗んだわけじゃない。持ち主が分からないから、取りに来るまでの間、保管するだけだ。
ご機嫌な様子で再び禍玉に目を落とし、思わず首を傾げた。
先程見た時は数センチほどだった禍玉が、一回りほど大きくなったように感じるのだ。
目を凝らし、ゆっくりと禍玉に顔を近づける。
すると突然、禍玉の上部で、二つの目がぱちりと開いた。
「え……?」
ぱかりと禍玉が二つに割れる。
その断面は、いくつもの牙がらせん状に連なる口になっていた。
あっけにとられて動けないでいると、その口の奥から細い舌が飛んできた。
先生が声をあげる間もなく、その舌は彼の口を通過し、喉を貫通した。
それが引き抜かれると、先生は音もなくその場に倒れた。
床に落下した禍玉は、まるでムカデのようにいくつもの足を生やし、机と壁の隙間へと姿を消した。
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