第3話 非日常の兆候
「では今から点呼取ります! 瞳‼」
「え? あ、はい」
「柚子‼」
「はーい」
「ミウ‼ ……はいぃ‼」
「いや、自分でやんなし」
いつものように、ミウのボケから三人の旅は始まった。
早朝から駅のバス停に集まり、彼女達の準備は万端だった。
栗栖湖周辺は電話もつながらないという話を聞いていたので、万が一野宿になっても良いように、寝袋まで用意してある。
「私が誘っておいてなんだけど、親御さんの許可とかだいじょうぶだった?」
バスに乗り込み、一番後ろの座席に三人が座ると、瞳は言った。
「……ま、まあ」
「……うん」
二人とも、見るからにしょぼくれている。
「……ええと、もし反対されてるなら、今からでも──」
「だいじょ~ぶ‼」
突然、ミウが大声をあげた。
まるで大声さえ出せば、問題が全て解決するとでも思っているかのようだ。
「そ、そうそう! 私達のは毎日繰り広げてる小さい口喧嘩だから。でも瞳にとってこの旅は、すごく重要なものなんでしょ?」
「……うん」
「だったら、ちゃんと力になってあげないと。だって私達、親友でしょ?」
「柚子……」
瞳は、思わず目をうるませた。
「ミウも! ミウも親友だよ‼」
「そうだね。ありがとう、ミウ」
そう言って瞳が頭を撫でてあげると、ミウは気持ちよさそうに顔をほころばせた。
「んじゃ、栗栖湖に着くまでの間、私達の友情を育むとしますか!」
「いいね! じゃあなにする?」
「ミウね、家から人生ゲーム持ってきたの! みんなでやろ!」
「でかっ! 道理でアンタの荷物、妙に多いと思ったわ」
時間になり、バスがゆっくりと動き出す。
三人は、いわく付きの場所に向かうとは思えないほど、和気あいあいとしていた。
これが惨劇の始まりだとも知らずに。
「ぐぅ……」
「「寝るなああ‼」」
◇◇◇
三人にとって、今回のバスの旅は、小さな修学旅行のようなものだった。
ずっと三人一緒で、飽きることなくおしゃべりを続けることができる。
しかし進むごとに、自分達が向かっている場所に近づきつつあることが実感できた。
バスの中の人が段々と少なくなり、外の景色も自然の風景が目立つようになっていく。
太陽が、ちょうど真上を通り過ぎる頃。
瞳だけでなく、柚子もミウもうつらうつらとし始めた時だった。
キキィと、甲高い音をたてて、バスが停車した。
「うわっ! なな、何⁉ お化け⁉」
柚子が怯えた様子で瞳に抱きつく。
瞳は柚子の頭を撫でながら、運転手の様子を観察した。
運転手が慌てたようにドアを開け、外に出て行くのが見える。
「……何かあったみたい。ちょっと見てくるね」
「ミウも行く!」
「ええ⁉ ちょ、ちょっとぉ。置いてかないでよぉ」
三人が外に出ると、運転手の困った声が聞こえてきた。
「あのぉ、どいてくれないと本当に困るんですよ」
こっそりと瞳が覗き込むと、ちょうどバスの進行方向で、仰向けになって眠っている男がいた。
ぼろぼろのシルクハットと燕尾服を来た白髪の老人で、浮浪者にしてもおかしな恰好をしている。
「ちょっと待って! もしかしたらぶつかったのかもしれないじゃん」
瞳がどうしようかと悩んでいると、柚子がずかずかと歩み寄った。
どうやらお化けじゃないと分かって、急に元気が出たようだ。
ミウも柚子に習って浮浪者の身体を起こし、ぶんぶんと頭を揺すっている。
「だいじょうぶですか⁉ 頭を打ったりしてませんか⁉」
「うん。本当に打ってたら大変だからやめようね?」
瞳が優しく諭していると、浮浪者が、ぱちりと目を開けた。
「いやはや、ありがとう、お嬢さんたち。おかげで救われたよ」
「ミウの応急処置が間に合ってよかったです」
「いや、アンタは三途の川を渡らせようとしてただろ」
浮浪者は、恍惚とした表情で天を仰いだ。
「君達が声をかけてくれなければ、神の使いによって、あの世に送り返されるところだった」
柚子とミウは、目をぱちくりさせた。
「神というのは傲慢な奴だ。私はただ、人々に不吉を伝えるために現世へ降り立っただけだというのに。公平でさえあれば、どれだけの人に不幸が降りかかろうと、どうでもいいと思っているのだよ、あの男は」
運転手はほとほと困り果てた様子で、浮浪者を押しやるように道の脇に誘導させた。
「はいはい。それじゃあちょっとどいてもらいますよ。気持ちよく眠っていたところを申し訳ありませんが、運行の邪魔になるんで」
「気持ちよくだって? ハッ! 馬鹿言うんじゃない。私は君達がここを通らないように、わざとここで眠っていたんだ」
「もういいから。あんまりしつこいと警察呼ぶよ?」
「信じていないな? なら、これから不吉が起きるという証拠を見せてやろう」
そう言って、浮浪者はポケットを弄ると、抉りだした魚の目玉を取り出した。
「ひぃっ!」
運転手は思わず飛びのいた。
「うわぁ! きも~い! アハハハ‼」
柚子は笑いながら、ちょんちょんと目玉を突いては「きもい」を連発して笑っている。
柚子は何故か、こういうゲテモノが大好きなのだ。
「う~ん。なんというか、独創的だね!」
ミウも数少ないボキャブラリーで、男の趣味を褒めたたえている。
「さぁ! これで信じたか⁉ さっさとユーターンして、都会に戻れ! さもないと不吉が起こるぞ‼」
「き、君達! 早くバスに乗りなさい‼」
運転手が浮浪者から二人を引き離すようにバスに乗り込ませる。
「え~⁉ もうちょっとおじさんと話したいのに……」
柚子は駄々をこねているが、運転手の行動は至極真っ当だった。
「じゃあねおじさん! 次からは道路で寝ちゃダメだよ‼」
二人はぶんぶんと手を振って、バスに乗り込んだ。
偏見なく人と接する二人らしい対応だが、それ故に少し心配になるところがある。
「良い子たちだな」
瞳が振り返ると、浮浪者が真面目な顔でバスを見つめていた。
先程までの狂気じみた顔つきは消えうせ、非常に理知的な目をしていた。
「兆候を覚えておけ。それが唯一の武器だ」
「え?」
浮浪者はシルクハットを被り直し、瞳に背中を向けた。
瞳がどういうことか聞こうとした時、後ろから声が聞こえてきた。
「瞳ー! なにしてるの。早く行くよ!」
「う、うん」
後ろを向いて返事をし、再び浮浪者の方に顔を向ける。
しかし、既にそこには誰の姿もなかった。
あんな一瞬で人が消えるなんて、あるはずがない。
そう思ってきょろきょろと辺りを見回すも、浮浪者の姿は影も形もない。
不思議に思いながらも、仕方なく、瞳はバスの中へと戻って行った。
◇◇◇
「ふふん。じゃあ私からね。刮目せよ! 我がロイヤルストレートフラッシュを‼」
柚子がばしんと自分のトランプカードを叩きつける。
「柚子すごーい! 私、ロイヤルストレートフラッシュなんて初めて見た!」
「出した私が一番驚いてるよ」
「じゃあミウのも刮目せよ! これが我がカードたちだあ‼」
「ただのブタじゃん」
三人はかれこれ一時間以上トランプで遊んでいるが、まったく飽きる気配がなかった。
「むぅ……。次はミウが一位取るもんね」
ミウが口をすぼめながらカードを切っている。
柚子がそんなミウの真似をしてみせ、瞳はくすくすと笑っていた。
ふとその時、瞳は何気なくミウの後ろを見た。
彼女の背後にある窓は、カーテンが遮っているのだが、そこに小さな影が一瞬だけできたのが、瞳の目に留まったのだ。
バスを彷彿とさせる長方形の影が、中央から真っ二つになっているのを。
その奇妙な形に、瞳は思わず固まった。
外の風景が、たまたま重なったのか?
しかし、それにしては薄気味悪い。
ふいに、先程の浮浪者が言っていた言葉を思い出した。
「兆候……」
「え? 瞳、何か言った?」
瞳は、ゆっくりとバスを見回した。
以前までと何も変わらない光景だ。
しかし、瞳は見逃さなかった。
奥のフロントガラスに、細長い爬虫類の尻尾のようなものが見えたのを。
「止めて‼」
瞳の叫び声で、バスが急停車した。
「二人とも、荷物を集めて。降りるよ」
「え? ここ山奥だし、栗栖湖までまだけっこう距離あるよ?」
「いいから早く!」
瞳の勢いに押され、二人は大慌てで荷物をまとめた。
◇◇◇
三人が降りると、すぐさまバスは走って行ってしまった。
そこは人っ子一人いない山道で、当然建物の類も見当たらない。
「……で、どうするの?」
柚子が不満そうに言った。
「歩こう。食料もあるし、最悪野宿もできる」
「ミウ、ハイキング好き!」
いつも以上のハイテンションで、ミウは言った。
おそらく、今のほんの少し険悪な空気を、彼女なりに感じ取ったに違いない。
「私は嫌いだな」
柚子はむすっとした様子で言った。
「……ごめんね、柚子。でもあのバスに乗ってたらダメだったの」
「どうして?」
「それは……」
瞳は口ごもった。
柚子はこう見えて、とても怖がりだ。
確証もないことを言って、無駄に怖がらせるのが正しいことなのか、瞳には分からなかった。
「言えないような理由なら、あのままバスに乗ってたらよかったじゃん」
「だから、それはダメだったの」
「だからなんでよ!」
二人が言い合いを始め、ミウはあたふたしながら二人を見比べている。
「あ……、あ! み、見て見て! 車‼ 車来てる‼」
ミウがぴょんぴょんと飛び跳ねながら指をさす。
彼女の言う通り、ちょうどバスと同じ方向へ走るワゴン車が見えた。
ミウが自慢げに親指をあげてみせる。
すると、まるで計ったかのように、ワゴン車はスピードを落とし、三人の前で停車した。
「ナーイス、ミウ!」
柚子がぱちぱちと拍手する。
えへへと、ミウは照れ笑いを浮かべた。
ワゴンのパワーウィンドウが降り、そこから金髪でタバコを口にくわえた若い男が顔を出した。
「女の子三人がこんなところでどうしたの?」
「はい! 実はこの子が癇癪(かんしゃく)起こしちゃって、バスから降ろされたんです」
柚子のトゲのある言葉に、瞳は少しだけ、むっとした。
「あー、そりゃ大変だね。どこ行きたいの?」
「栗栖湖っていうんですけど、もしよかったら途中まででも……」
「奇遇だね! オレ達もちょうど栗栖湖に行こうとしてたところなんだよ」
「本当ですか⁉」
柚子は既に乗り込む気満々で、お礼まで言っている。
しかし見るからにチャラそうなこの男に、瞳はあまり良い印象を持っていなかった。
とはいえ、都合よくもう一台、車がやって来る保証もない。
瞳は渋々、柚子とミウは嬉しそうにしながら、車に乗せてもらうことになった。
扉を開けると、後部座席には二人の男性がいた。
一人は端正な顔立ちの男で、もう一人は筋肉質の、ザ・体育会系といった感じだった。
「どもっ。俺は肉倉(ししくら)。君達かわいいねぇ」
筋肉質な男は、にやにや笑いながら三人を見つめた。
「おいやめろよ。怖がってるだろ。……ごめんね、三人とも。オレは統島(とうじま)。運転してるのが金井(かない)だ。二人とも良い奴なんだけど、時々ハメを外し過ぎることがあるから、困ったらオレに言ってよ」
「ありがとうございます。あ、私は柚子っていいます。この子が瞳で、こっちがミウ」
ミウがピースしてみせ、瞳は小さくぺこりとお辞儀した。
「どうも。ちょうど後ろの席が空いてるから、そっちに三人で座りなよ」
統島の勧めで一番後ろに座らせてもらうと、さっそく瞳が、こっそりと柚子に言った。
「やっぱり降ろしてもらった方がいいんじゃない? なんだか煙臭いし」
「何言ってるのよ。せっかく親切で乗せてくれたのに」
どうやら柚子は、人を疑うことを知らないらしい。
「こんなこと言いたくないけど、下心があって乗せてくれた可能性だってあるのよ」
「じゃあ瞳だけ降りれば?」
柚子は冷たく言った。
「二人が心配だって言ってるの。私だけ降りても意味ないじゃない」
「えと……えと……、じ、人生ゲームやろ⁉」
「「一人でやって」」
瞳と柚子にそう言われ、ミウはしょんぼりと下を向いた。
◇◇◇
バスからワゴン車の旅に変わりはしたものの、特にこれといった変化はなかった。
瞳が心配していたこともなく、男三人は仲間内で楽しくやっているようだ。
しかし、それに反比例するように、後ろの三人の空気はどんよりしていた。
柚子は怒った様子で肘をついて、窓から視線を外さないし、そんな柚子に、ミウはおろおろするばかりだ。
未だに機嫌が直らない柚子に、瞳もいい加減、うんざりしていた。
「うわ。見ろよ、事故みたいだぜ」
見ると、確かに警察車両が何台も止まっており、ガードレールが破られた跡があった。
その先は崖になっていて、落下すれば命は助からないだろう。
ワゴン車はそろりそろりと事故現場を走り、なんとか通り抜けることに成功した。
その時瞳は、崖の下を覗き込み、ぞっとした。
しかしそれは、瞳にとっては幸運だった。
事故があった現場は瞳が座った方向で、柚子は先程からずっと、瞳から顔を背けている。
ミウは真ん中の席で、どうしたら二人が仲直りできるか、俯きながら必死で考えている。
そのおかげで、二人には分からなかったのだ。
崖のガードレールを突き破り、下の方で真っ二つに割れていたのが、先程まで瞳達が乗っていたバスだったということに。
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