殺人鬼のジェイ君は女の子を殺せない

城島 大

第1話 殺人鬼の日常


栗栖湖。

それは森林に囲まれた自然豊かな湖だ。

一番近い民家でも数十キロは離れており、ネットも電話もつながらない陸の孤島である。


満月が明るく地面を照らす13日の金曜日。

栗栖湖の側にあるキャンプ場で、3人の男女がたき火を囲んで談笑していた。


「この前さ。彼女と同棲することになって、それを機に引っ越したんだよ」

「知ってるよ。誰が手伝ったと思ってるんだ」


話し手の男は茶化されて苦笑する。

そんな彼氏の腕に、隣に座る彼女が笑いながら抱きついた。


「でね。どうせなら電子レンジも買い替えようってなって、少し高いやつを買ったんだ。これがすごいやつでさ。色々な機能があるんだけど、ボタンを押すと、それがどういう機能なのかを喋ってくれるんだ。電子レンジがだぞ?」

「まあ、最近はスマホも喋る時代だからな」

「電子レンジの下の部分に液晶画面があって、そこに人の横顔のマークがあってさ。口が開いた部分に声の大きさを表す棒線があって、そこで音量を調節するんだ。んでな? ある日、大学から帰って来た時に、なーんか台所の方が騒がしくてさ。彼女が帰ってるのかな? と思って台所に行ったんだよ。そしたら彼女が電子レンジに向かって、『600ワット3分ー‼』って言ってて。顔のマークを音声認識マークと勘違いしたんだって」


それを聞いて、彼らは爆笑した。

隣にいた彼女が、顔を真っ赤にして彼氏の肩を叩いている。


「んじゃ、次はオレか」


キャップを被った男が、ごほんと咳払いし、真剣な表情になった。

先程までのへらへらした態度とまるで違うので、思わず全員が黙り込む。


「実はな。このキャンプ場って、呪われてるんだよ」


突然、キャップの男はそんなことを言った。


「このキャンプ場って、栗栖湖っていう湖を囲んでるだろ? この栗栖湖って、実は昔は集落だったらしくてな。色んな村の厄介者達が追い払われて、自然とここに住み着いていたらしいんだ。けど、村の奴らはそいつらが生きていること自体が許せなかった。だからある日、細々と暮らしていた彼らに奇襲して、滅多打ちの皆殺しさ。んで、家を全て焼き払って埋めちまったんだと。そしたらその翌日、ものすごい嵐に見舞われた。焼き討ちに参加した村は残らず滅茶苦茶になって、焼き討ちしたこの場所に、いつの間にやら湖ができあがっていた。それがこの栗栖湖なんだ。それ以来、ここは呪われた地として知られ、この場所に足を踏み入れた人間は呪われるっていう伝説が、まことしやかにささやかれてるんだよ」


しんと、辺りが静まり返る。

その時突然、森の方から鳥が羽ばたく音が聞こえ、全員が肩を震わせた。


「あ、あはは! ちょっと、も~。作り話に本気出し過ぎ!」

「え? いや、作り話じゃ──」

「はい! おしゃべりタイムはおしまい! 明日も早いんだからさっさと寝よ」


彼女の一言で、みんな渋々と片づけを始めた。

就寝の準備を終えた者からテントに入っていき、一人また一人と眠っていく。

そんな中、こっそりとテントから抜け出したのは、恋人の二人だった。


二人は近くにある野原へ向かうと、笑いながら地面に転がった。

彼女に覆いかぶさるように、彼氏が倒れ込む。


「早く寝ようって言い出したのは、オレと一緒になりたいからだろ?」

「分かってるなら早く」


二人はそのままキスをした。

普段とは違うシチュエーションに、自然とボルテージが上がっていき、すぐさま二人は服を脱ぎ出す。

上半身裸になった男が、再び彼女と交わろうとした時だった。


「しっ」


突然、彼氏が辺りを警戒するように首を動かし始めた。


「なんか聞こえないか?」


彼女は何も言わない。

しかし彼氏の耳には確かに聞こえた。

グチュグチュと、水気のある何かをほじくるような、生理的嫌悪を覚える音が。


「もしかしたら、あいつにばれたかも。……まあいいか。見られて減るものでもないしな」


彼女は何も言わない。

そこで初めて、彼女の様子がおかしいことに気付いた。


「どうしたんだよ」


彼女は何も言わない。

ただ、口をあんぐりと開けているだけだ。

彼氏が首を傾げていると、彼女の口の端から、一筋の血が垂れた。


「え?」


口の中に溜まった血が、ごぼごぼと泡をたてる。

何が起こっているのか分からず、彼氏が呆然としていると、突然彼女の首からマチェットが突き出てきた。


「ひぃっ‼」


一瞬の内に血しぶきがあがり、彼氏の顔が赤く染まる。

彼氏はしりもちをついた。

何が何やら分からず、ただカチカチと歯を鳴らしている。

彼女の首から突き出たマチェットが一気に引き抜かれる。

ビクンビクンと魚のように痙攣する彼女の横で、地面がゆっくりと隆起した。


十数センチほどの小さな山のようになった地面が崩れ、そこから太い人間の手が現れる。

それが地面に手をつけると、さらに大きな隆起が起こり、地面の中から大男が姿を現した。

緑のジャケットを着て、アイスホッケーの仮面を被ったその男は、地面に胸まで埋もれた状態で、じっと彼氏を睨んでいた。


「うわああ‼」


彼氏は思わずその場から走り去った。

死に物狂いで足を動かし、男が寝ているテントへと一直線で向かう。


「おい! おい‼ 起きろ‼」


必死になって叫ぶ彼氏の声に、眠そうな顔でキャップを被りながら、男が出てきた。


「一体なんなんだよ。って、うわ! お前、それ血か?」

「殺された! 殺された! 早く逃げないとオレ達も死ぬ‼」

「は? ちょっと待てって。少し落ち着けよ」


キャップの男が宥めていると、林の中から大男が歩いてきた。


「来たああ! あいつだ‼ あいつだ‼」


大男が歩く度に、服についた土が零れ落ちる。

マチェットが真っ赤な血で染まっているのを見て、ようやくキャップの男は状況を理解した。


「……オレがあいつを引き止める。お前はその隙に──」


彼氏はキャップの男の言葉も聞かず、彼のポケットに入っている車のキーを奪うと、そのまま走って行った。


「お、おい‼」


キャップの男が彼氏を呼び止めようとするも、既に大男が目の前にいることに気付き、ぴたりと動きを止めた。

辺りをすぐさま見回し、近くにあった薪割り用のオノを慌てて拾う。


「破壊力ならこっちが上だ」


オノを構えて、キャップの男は大男と対峙する。

大男は小さく首を傾げた。

しかし、向かって来る様子はない。


「はっ! ビビってんのか、この野郎!」


キャップの男は、身体が震え出すのを抑え込むように大声をあげつづける。

それに反して、大男は黙ったままだ。


しばらくにらみ合いが続いた後、何を思ったのか、大男はマチェットを地面に捨てた。

それを見て、キャップの男は渇いた笑みを浮かべた。


「とんだ臆病者だ。獲物に牙を向けられるのは初めてらしいな。いいぞ、そのままそこを動くなよ」


ゆっくりと、男は捨てられたマチェットに近づいていく。

大男は動かない。

あともう少しでマチェットを奪える。

男は警戒しながらも、ゆっくりと腰を屈めて、マチェットに手を伸ばす。


が、そこで男の動きはぴたりと止まった。

片手で持っていたオノを両手に持ち直し、懸命に踏ん張っている。


「くそっ。急に重く……! なんなんだこれ‼」


厳密には、重くなったわけではない。

それはキャップの男が一番よく分かっていた。

何故ならそのオノは、明らかに大男の方へ引き寄せられていたからだ。

とうとう堪えきれず、男はオノを手放した。

すると、オノはくるくると回転しながら大男の方へ向かい、手のひらに収まった。


男は呆然とした。

ちらとマチェットに視線をやり、すぐさま飛びつく。

が、マチェットも瞬時に引き寄せられ、大男の手に収まった。


大男が、再び小首をかしげる。

地面に膝をついたまま、男は思わず笑った。


「そんなの反則だろ……」


大男のマチェットが一瞬の内に男の首を切断する。

空中高く飛び上がった頭部にオノを投擲すると、それは額をかち割り、共に回転しながら木の幹に突き刺さった。


大男は、ゆっくりと投擲のフォームを解除し、その場に佇んだ。

ふと、大男の耳に、微かなエンジン音が聞こえてくる。

大男はそちらの方を向いた。


すると突然、その巨体が霧になったかと思うと、忽然とその場から姿を消した。




大男から逃げた彼氏は、この辺鄙なキャンプ場で唯一文明の香りがするアスファルトの道路を、車で走らせていた。

アクセルを必要以上に踏みながら、ちらちらとバックミラーを確認する。

あの大男が追って来る気配はない。

しかしそれでも気は抜けなかった。

なにせ、地中に潜って襲撃してくるような奴だ。

一体どんな攻撃を仕掛けてくるかも分からない。


しかしそんな心配も、しばらく車を走らせていると、些か落ち着いてきた。

たとえどんな怪物だろうと、車のスピードに追い付けるわけがない。

このキャンプ場を抜ければ、さすがにあの殺人鬼も諦めるだろう。

そんな考えが、頭をもたげ始めていた。


道路の脇にある看板が見える。

『キャンプ場の出口まで、あと1キロ』と書かれてあった。

それを見て、思わず頬が緩む。

逃げ切った。

男が、そう確信したその時だった。


突然何かが車の天井を突き破り、男の胸に突き刺さった。


「あがあああ‼」


それがマチェットだと分かったと同時に、男はフロントガラスに映るありえない光景に目を見開いた。

地鳴りと共に崖から転げ落ちて来た大岩が、目の前にあったのだ。


「わああああああ‼」


ブレーキすることもできず、車はそのまま大岩にぶつかり、一気に爆発した。




◇◇◇



大男は自分の家に帰って来た。

森の中にあるボロボロのトタン小屋だ。

その壁には様々な武器が飾られているが、それ以外には、古びた丸テーブルと揺り椅子くらいしか置かれていない。

そんな質素な部屋で、大男は血のついた服を脱ぎ、マチェットを台所で洗うと、それを壁に戻した。


大男は近くにあった揺り椅子に座り、小さくため息をついた。

この時間が、男にとって至福の時間だった。

リズミカルに揺れる椅子が、仕事で疲れた身体を癒してくれる。


そう。大男にとって、殺しは仕事だった。

この栗栖湖に足を踏み入れた者を殺す。ただそれだけの仕事だ。

昔は違った。

リンチされ、湖の中に沈められた怒りを、被害者たちにぶつけていた。

しかしそんな風に感情をぶつけられなくなるほどに、大男は殺しに慣れてしまったのだ。


このキャンプ場に足を踏み入れた若者を、淡々と粛々と、仕事のように殺す。

そんな毎日に、どこかむなしさを感じている自分がいた。

そして最近では、もしかしたらと考えるようになっていた。


もしかしたら、これではないのではないか。

自分が本当に望んでいるのは、こうして人を血祭にあげることではないのではないか。

そんなことを。


大男は胸ポケットから、一つの小さな石を取り出した。

それは半分に欠けていて、半円の形をしている。

いつから持っていたのかも思い出せない。特に気に入っているわけでもない。

しかし、何故か手放せないでいた。

これをじっと見つめていると、何かを思い出せそうな気がして……。


『私のかわいい息子』


その声に、ハッとする。

大男は立ち上がり、隣の部屋へ向かった。


そこには、一人の人間の頭蓋骨がテーブルに置かれていた。

いくつもの蝋燭で照らされているその頭蓋骨が、大男に語りかける。


『今日はよくやってくれたね。これからも、母のためにここにやって来る若者を殺してちょうだい。そしたら、いつか私は蘇って、お前を抱きしめてやるからね』

「はい、ママ」


大男は小さく頷いた。

母の言うことは絶対だ。今までも、母の言う通りにして間違ったことはない。

しかしそれでも、男の頭にもたげた疑問は、未だ解けないでいた。




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