第3話 交わりだした色

よく切られる剃刀を見て 鏡を見て

  狂人のごと微笑みみてみる

                夢野久作





 どうでもいい日常

 私は初めて人を殺した。あの時の快感が忘れられずにいた。

 もう一度、あの快感に触れたい。其の思いは日増しに大きくなっていた。

 血の味を知った殺人鬼を止められる者など此の世界には存在していない。

 生き物なら何でもいいってわけじゃない。

 猫とか犬とかは嫌。対象物が小さすぎて面白みがない。だから人間良い。

 そんなことを自室で考えていると階下から私を呼ぶ声がした。母の声だった。

 何だろうと思い、私は母のいるリビングに行った。リビングには母だけではなく父もいた。二人とも親密な顔をしてソファーに座っていた。

 「学校で殺人事件があったんだってな」

 「ええ」

 「犯人は?」

 「捕まってはいない」

 だって私が犯人だからと私は心の中で囁いた。

 「学校休む?危ないし。休んでいる子もいるんでしょう?」

 「多少は」

 二人の言いたいことは分かる。

 彼らは私の心配をしている。でも其れは私が殺さるんじゃないかという心配ではない。私が人を殺してしまうんじゃないかという心配だ。

 二人は私が普通じゃないことを知っている。現にクラスの子も私が犯人だと噂しているし、其れを真に受けた教師に何度か呼び出された。まぁ、事実そうなんだけど。

 「万が一ってこともあるし。ねぇ、お父さん」

 「嗚呼」

 こういう遠回しな言い方は好きじゃない。いかにも私達は娘の為を思って提案しているという顔をして其の実、疑っている。疑っているなら「疑っている」とストレートに言ってくれた方が私は好きだ。

 「素直に言いなよ」

 「え?」

 『え?』じゃねぇよ私は心の中で悪態ををつき、其れを言葉にはせず代わりに溜息をついた。

 「私が殺したんじゃないかって疑っているんでしょう。本当は不安なんでしょう」

 事実、私が殺したんだけど。

 此奴らも殺してやろうかという獰猛な悪魔が私の心の中で耳打ちする。でも、此処まで育ててもらった恩があるから、其れは駄目だと理性で押さえつける。

 「そんなことないわよ。ねぇ、お父さん」

 「あ、嗚呼」

 二人は直ぐに私の言葉を否定する。

 否定しながらも二人は私と眼を合わせようとはしない。

 娘を心配する母親気取り。本当にムカつく。

 「警察呼ぼうか?此処に犯人がいますって。私の娘が犯人ですって」

 「なんてことを!」

 母は手で顔を覆い、泣き崩れた。

 「母さんはお前のことを心配して言っているんだぞ」

 「何処が?自分の為でしょう!止めてよね、そうやって善人ぶるの。見ててうざい」

 そう言って私は話を強制的に終了させて家を飛び出した。

 行く宛て何てない。ただブラブラと街の中を歩いていた。

 今、無性に誰かを殺したいと思う。

 そんな時、私の前に伸城壱流が現れた。お互いに不気味な笑みを浮かべている。だからきっと考えていることも多分一緒なんだろう。

 「君でしょ。彼女達をやったのは」

 「証拠でも出たの?」

 「いや。でも、殺人鬼の眼は見れば分かる。僕も君と同じで誰かを殺してみたいと思っていたから」

 興奮した様に壱流は言った。

 「あれはまさに芸術だよ。君は素晴らしい芸術家だ」

 「芸術、ねぇ。私はただ殺したいから殺した。自分の欲望に忠実に従っただけよ。其れにあなたにとっては芸術でも私にとって死体あれはただのゴミと同じ。殺せなくなった玩具を捨てたに過ぎない」

 「いいねぇ、いいよ。やっぱり君は僕と同じだ」

 同じ?此の男の態度、言葉、息遣い、全てが気に入らない。其れが何処からくるものなのか私には分からない。

 今はたまたま機嫌が悪くて目の前に現れた殺せる人間にそういう感情をぶつけているだけなのかもしれない。でも、そんなことどうでもいい。今、誰かを殺せるなら自分が抱いている感情なんて取るに足らない。

 「一緒にするな。私はあなたのように下卑た笑い方はしない」

 そう言いながらも私にも分かっていた。きっと種類は違っても私と彼は同族だということが。

 だから私は思ったのだ。

 私が一歩動くのを確認して、直ぐに隠し持っていたナイフを構え、慣れた手つきで私の腕を拘束し、私の肩に躊躇いなくナイフを突き刺す彼を見て。

 「いいよ、いいよ。本気でやってよ。勝者は殺人鬼に、敗者は死者に。此れはそういう遊びなんだから」


 ❝同族なら殺してもいい❞


 自分が普通じゃないことは知っているが、彼も大概狂っている。

 ナイフとナイフがぶつかり、肌を刺す痛みは増えていく。ギリギリまで続く命のやり取りはスリリングで楽しかった。

 弱い相手を一方的に殺すのとはまた違う快感が私を襲った。

 つまらない日常で、道化のように正常者の中で暮らす異常者にとって其れは夢のようなひと時であった。だが、夢とはいつか覚めるものだ。

 一つの悲鳴が夢の終わりを告げた。

 地面に着く赤い液体。倒れたのは壱流だった。

 勝者は殺人鬼に、敗者は死者に。其の言葉通り、私は殺人鬼として生き残った。

 血を流しすぎたかもしれない。腕と足から絶え間なく血を流しながら私は壁を支えに行く宛てもなく再び街を闊歩した。

 ただし血を流しながら表を歩くことはできないので彼とやり合った裏道を其のまま歩くことになった。

 そうして歩いていると誰かが私を呼んだような気がした。でも、其れが誰なのか分かる前に私の意識は途絶えた。





 此処は何処だろう?

 目が覚めた私が一番最初に見たのは真っ白な天井

 視線をズラせば、本がビシッリと詰まった本棚が目に飛び込んできた。

 「あ、良かった。目が覚めたんだね」

 「・・・・・佐々木」

 彼はニッコリ微笑みながら私の額に乗っていたタオルを新しいタオルに変えた。

 ヒンヤリと冷たいタオルが気持ち良かった。

 「傷のせいで熱がまだ高いんだ」

 「ご両親は?」

 私の質問に彼は少し悲し気な表情をした。

 「いないんだ。俺、中学までは孤児院でね。高校に入る時に一人暮らしを始めた。俺の力が恐ろしくて、両親は俺を捨てたんだと思う。君は?」

 「同じ。両親とは一緒に暮らしている。でも、私のことを恐れている。私は普通じゃないから」

 「俺達は似た者同士なのかもしれないね」

 『似た者同士』。其の言葉を私は心の中で反芻した。不思議と不快感はなかった。

 「そうかもね。常識から逸脱した異常者。私達にはピッタリだね」

 皮肉でもなんでもなく、ただそう思った。彼もそうなのだろう。だから特に何かを言うでもなく彼は静かに微笑んだ。

 「何か、食べれそう?お粥でも作ろうか?」

 「いいよ。其処までお世話になるつもりはない」

 「でも」

 「佐々木君、分かっているの?私は殺人鬼なんだよ」

 すると、彼は笑った。まるで、そんなの関係ないと言っているみたいだった。

 「此処に居れば安全だから好きなだけいなよ」

 そう言って彼は部屋から出て行った。

 『殺人鬼』。冗談で言ったつもりだった。だけど、彼は其れでも私を此処に置くと言う。正直、何を考えているのか分からなかった。

 何にも執着していない眼。何も映さない瞳には目の前にいる私さえ映ってはいないようだった。





 結局、私は此の怪我では何処にも行けないし、家にも帰れないので此処に居ることにした。さすがに怪我なんてして帰ったら何を言われるか分からない。

 しかもただの怪我ではないのだから。

 昼間、涼は学校に行っていないから、学校をさぼっている私はかなり暇で勝手に彼の部屋にある本を読んでいた。

 部屋にある本は人の本質について書かれているものが多かった。興味はなかったが特にすることもなかったので私は其れを読んでいた。すると、涼が帰って来た。

 「其の本」

 「勝手に読ませてもらっている」

 「別にいいけど、大して面白くはないでしょ」

 「人の本質に興味があるの?」

 涼が首を左右に振って答えた。

 「俺、自分の力のコントロールができなくて、だからいろんな人の心の声が聞こえるんだ」

 「幻滅したでしょう。みんな、笑って仲の良いふりをしているけど腹の中ではかなりえげつないことを考えていて」

 涼は否定も肯定もしなかったけど、其の代わり苦笑していた。

 「たくさんの心の声が聞こえるのは正直、疲れる。でも、君は違った。君の心の声を聴いても全然疲れない。きっと君は欲望に忠実に生きているからなんだろうね」

 褒められているのか貶されているのか正直分からないところではあったが、そういうふうに言ってくれる人間は今までいなかったのでちょっと嬉しい。だから、気紛れを起こした。

 「じゃあ、そんな佐々木君に私からプレゼント。結構お世話になったているし」

 そう言って私は自分の携帯番号を書いた紙を涼に渡した。

 「もし、生きることに疲れたら私を呼んで。そうしたら私があなたを殺しに来てあげる。其れは私のポリシーに反するけど、あなたは特別ね」

 「ありがとう」

 妖艶に笑う殺人鬼

 きっと本物の悪魔は彼女のように美しいのだろう。其の美しさで人を魅了し、魔へと突き落とす。

 だから俺はきっと悪魔に魅入られてしまったのだ。

 彼女に渡された携帯番号を迷わず受け取り、あまつさえ礼を言ってしまう程に。

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