断章α 私刑法廷

 作者の投稿は、相変わらずソーシャルゲームのスクリーンショットばかりだった。

 爆死、爆死、大勝利、爆死――そんな文言とともにガチャの結果画面が貼られている。

 なにが楽しいのか、まるでわからない。そんな人間を未だにフォローしている自分にもほとほと嫌気が差す――いちいはスマートフォンをスリープにしてポケットにしまい、客の訪れる気配のない深夜の牛丼屋の店内に立ち尽くす。

 厨房担当の同僚も咎めることはしない。アルバイト歴は彼のほうが上だが、年齢は櫟のほうが上である。と言ってもたかが二歳の差でしかないのだが、中高の部活動で上下関係を文字通り身体に叩き込まれたと卑屈に笑う彼にとっては、年上というだけで敬意をもってあたらねばならないらしい。ならば職業上の先輩風を吹かせばいいようなものに思うのだが、残念ながら彼はそれを笠に着て増長するだけの悪質さを持ち合わせていなかった。器が大きいのか、まるでないのか。

 地方都市未満と呼ぶのがちょうどいいこの町の中心を通る国道沿いには、まるで義務のように全国チェーンの飲食店がまばらに建っている。この牛丼屋もその一つであり、昨今の労働環境改善の気運醸成のための生贄を輩出したことでも名高い。

 客の訪れる気配もない時間帯に、二人も雇って割高の時給を払ってくれるのだから、櫟としてはありがたいことではある。櫟はこうした場合でなければ田舎のよさを理解できない。

 なにもすることがない同僚が明るくへつらうように口を開く。話題は仮想通貨がなにやらすごいらしいという言っている本人も意味を理解できていない聞きかじりの知識の垂れ流し。

 早々に売り払っておいてよかったな、と櫟は生返事以下の溜め息のようなもので相手をしながらぼんやりと意識を分離させる。

 仮想通貨の歴史は、当然だがテレビでさかんに報道され始める以前までにも遡ることができる。本来なにより注目されたのは、その送金の容易さであった。為替の影響を受けずに国境を越えさせることができる――と、少し真面目に論じる番組であれば解説が入るだろうが、国内であっても容易な送金が必要とされる場は存在する。

 顔の見えない相手。互いの個人情報を秘匿した上で付き合いたい相手。自分の個人情報を絶対に明かしてはならない相手。

 そうした手合いへ金を渡す際に、仮想通貨は利便性が高かった。現在ではレートが乱高下してまともなやり取りにはならないが、過熱し始める前から当然仮想通貨自体は存在し、それを用いる者もまた存在した。

 櫟はかつてインターネット上の「工作員」に金を払ったことがあった。予想ではその後もさらに追加で報酬を支払うはずだったので、それなりの額を仮想通貨に替えていた。

 だが実際に支払う時はこなかった。工作が瞬時に露呈したことによって、櫟は気付いた時にはインターネットの業火で焼かれ続けていた。

 別段目に見えるなにかを失ったわけではなかった。広大な燎原であるインターネット全体から見れば櫟の立っていた土地はあまりに小さく、上がった火の手もボヤがいいところだった。

 ただその炎は、確かに櫟のなにかを奪っていった。名誉はもとよりない。尊厳などとうの昔に捨て去った。それでも櫟の中のそれは燃料にはなったらしい。それまで櫟を動かしていた燃料だったのだと気付いた時にはすっかりなくなっていて、確かめたのではなく状況証拠から事後推理した。

 見るのもいやになったインターネット上の人間関係を断ち、監視だけに専念した。

 テレビで仮想通貨の熱が高まっていることを聞いた時には、苦い記憶より先に、ほったらかしにしていた手元の仮想通貨のほうに考えが及んだ。

 久しぶりに口座とレートを確認すると、笑えてしまった。投資対象としては端から見ていなかったので、これだけあれば充分だろうと持っている全通貨を売り払った。

 櫟は現状、働く必要はなかった。

 祖父の所有していたマンションの一室を相続したのを機に大学をやめてそこに移り住み、その中で熱心にインターネットを追いかける。それだけで当分は生きていける蓄えが、ひょんなことから転がり込んできてしまった。

 一人分の食費、光熱費、通信費――家賃は購入なので必要ない――その他もろもろの生活費に届くだけの収入は自分で確保しておきたいという、妙なこだわりが櫟にはあった。仮想通貨が化けた大金には手をつけたくないという思いも多分にあった。つらい過去に紐づけされてしまうからではなく、大金は大金のまま残っていたほうが気分がいいというだけの理由だった。

 日中にはいくらでも惰眠を貪る時間がある。ならば時給のいい深夜帯のシフトに入りたい。そこで選んだのがここだった。客は少ないが人手は不足している。櫟は大いに歓迎され、週のほとんどを任されていた。

「語るべき時、やっときましたよ」

 厨房から同僚が人懐っこい笑みを浮かべてホールに出てきた。

 妙だと櫟は眉を顰める。この男は客がこないことがわかりきっていても、自分の持ち場は離れない。監視カメラはあるが業務態度まではチェックされない――それでも彼がこうして距離を詰めて櫟に話しかけてくるのは初めてだった。

「トイチ先生、でしょう?」

 中学の時に金属バットで頭を殴られた感覚を思い出した。多分衝撃としてはそれよりも強力で凶悪だ。

「いやー、先生が見てるタイムラインなんか見覚えがあるなーと思って、裏からチラ見して表示されてたアカウント全部覚えといたんですよ。で、そのアカウント全てに共通するフォロワーを照らし合わせていって、さっき最後のピースがはまりました。ゼロマル先生フォローしてる人間なんて、絶対俺の2クリック圏内じゃないですか」

 楽しそうに笑う相手を見て、櫟は血の気が引く思いでいた。インターネット上のジャーゴンを平然と口に出す手合いに、ろくな者はいない。

「俺、ダブリバって言えばわかります? 先生フォロワーふた桁ですから、フォロー外でも覚えててくれると思ったんですけど」

 あっと声が出そうになるのをこらえる。櫟が燃え始める前からの数少ないフォロワーの名前だった。趣味が合わないのでリフォローはしていなかったが、櫟の相互フォロワーを片っ端からフォローしているという動向には気付いており、妙な肌寒さを覚えていた。

「ネットの人間と顔合わす気はないんだけど」

 櫟の言葉に、知ってますと同僚――にかわは笑う。

「見てりゃわかりますよ。燃える前からイベントとかには絶対行ってなかったですもんね。でも、あのトイチ先生が目の前にいて、俺が黙ってられるわけないじゃないですか」

「悪い、膠くん、俺は君のこと別になんとも――」

 あえてハンドルネームではなく本名で呼ぶも、膠はねばついたような笑顔をさらにてらつかせる。

「トイチ先生は、俺を人間にしてくれたんです」

 逃げようかと本気で考えを巡らせる。ろくでもないどころではない。櫟を見る目には明らかな狂気が宿っている。

「俺、普通にトイチ先生の小説が好きだったんです。ええ、『普通に』です。ネットに上がってるのは別名義や匿名掲示板に投げたSSも含めて全作読んで、改稿されてたら自分で落としたデータと比較して違いを見つける程度でしかなかったんです。でも、トイチ先生は自業自得で――燃えた!」

 膠はその経緯を全て――あるいは当人である櫟よりも詳細に熱っぽく語りだした。

 櫟は小説投稿サイトでランキングに掲載されるのに必要なポイントを、金で買った。

 それほどまでに櫟は限界だった。自分がまるで評価されないことに理由をつけては文句を垂れ流し、それにすら共感が寄せられない。

 ランキングにさえ載れば、いやでも読まれる。櫟は因果をまるで勘違いしてしまった。

 工作員に金を払ってポイントを一気に水増しし、櫟の作品は目論見通りランキングの一番上に表示された。

「頭悪すぎますよ。あのサイトの日間総合一位にいきなり現代ミステリが顔を出して、しかも晒された様子もどこかで紹介された様子もない。そんなもん答えは一つしかないですよ」

 櫟の書いている作品とそれを公開しているサイトのランキングの傾向は、全く合致していなかった。櫟は無垢にも信じ切っていた。ランキングに載りさえすれば真っ当に評価される――やがては自分が嚆矢となりサイトそのものの気風すら変えていくのだと。

 だが結果は違った。櫟の作品は確かにランキングで異彩を放ち、大いに目立っていた。そのあまりに眩しい不自然さに、無数のイナゴが群がるのは極めて迅速だった。

「普通に好きだった文字書きが、あまりにも頭の悪いことして、燃えて――俺はその時、生まれて初めて感情というものを実感できたんです。言語化できない、わけのわからない感情で気持ち悪くなって、ずっとスマホ握ったまま泣きながら笑い転げてました。トイチ先生がぐちゃぐちゃになっていくの見てると、生きているのを実感できた。だって、俺、普通に好きでしたからね。頭悪いことしでかしてボロクソに叩かれてるの見ても、はいこいつクソーって切り捨てられるようなポジションなんかじゃなかったんです。でも、トイチ先生燃えながらどんどんボロが出てくるし、最後には燃やしてる連中から同情されるような醜態晒すし――本当に最高でした。俺はもう滅茶苦茶ですよ。初めて自分の感情というものを理解して、その理解した感情ではちゃめちゃになっちゃったんですよ。それでようやく、俺は人間になれたんです」

 櫟は絶句していた。こいつはなにを言っている。爛々と輝く目はたっぷりと潤んでおり、櫟がなにか言った瞬間に滂沱の涙を流しかねない。

 それ以前にこの男は明らかに破綻している。なにが感情、なにが人間だ。櫟が破滅していく様を眺めてはしゃいでいただけではないか。そんな人間は掃いて捨てるほどいることを櫟はよく知っている。

「これが、感情。ねえ、そうでしょう。トイチ先生、俺にもっと感情を教えてください」

「二度と話しかけるな」

 櫟は険のある顔を自然に作ってそう唸る。ここのバイトも辞めだ。こんな異常者に関わることは不利益しか生まない。

 膠は満面の笑みでぼろぼろと涙を流しながら、自分のスマートフォンの画面を櫟に向けた。

 投稿画面。そこには櫟の本名、住所、その他あらゆる個人情報が列挙され、櫟のアカウントへのリンクが張られている。

「ねえ、トイチ先生。リアルでも延焼したら、面白くないですか?」

「――どこで調べた」

「言ってもこんな田舎で個人情報保護が完璧なはずないじゃないですか。ちょっと書類覗けば一発ですよ。もちろん、自分の足で調べたとこもあります。トイチ先生じゃないかと疑った時から、捜査は始めてましたからね」

 膠は笑ってその投稿画面を閉じる。『下書きに保存しますか? はい』

「なにが狙いだ」

 櫟の絞り出した声に、膠はいやいやと手を振る。櫟の生殺与奪を握っておいて、こんな白々しい態度をとるこの男に、櫟は腹の底からの忌避感と、わずかでも目を離してはならないという危機感を強く覚えた。

「言ったじゃないですか。俺、トイチ先生が普通に好きだって。新作、書いてくださいよ」

 拒否した場合、膠は先ほどの下書きをすぐさま呼び出して投稿する。それがはっきりとわかっている以上、櫟が頷かないわけにはいかなかった。

「それと、ジャンルはリクエストさせてください」

 無言で次を促す。内容次第だと身構えると、膠は自分がフォローしている櫟のフォロワーのリストを表示させた。

「この面子を使った、実名――じゃなくて、実ハンドルネーム小説で、どうですか」

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