回る回るアレフ・ヌル

久佐馬野景

第一話 無色のスタディ

 ところでこれが作中作であることは、当然読者諸兄も理解していることだろう。

 これまで長々と一人称で進めてきた私も、此度の事件ばかりはいささか疲れ果ててしまった。そもそも探偵役の一人称で話を進めようとするのが最初の間違いである。探偵役と、ワトスン役。これはポーの頃から決まっている黄金の組み合わせなのだ。

 そうしたわけで、私は今回、今から、ワトスン役に徹しようと思う。

 彼女――嗚呼、彼女よ。永久の美少女――醜悪の極致――無貌の姫君よ。

 私は彼女を求める。彼女の才知を、彼女の美貌を、彼女の因子を求める。

 解決の方策はなんであろうか。安楽椅子探偵よろしく、私が彼女にあらましを話した時点で全てを――そう、読者すら知り得ない全てをだ――見抜いてしまうかもしれない。あるいはその超能力によって、犯人を見た瞬間にこの者こそが犯人であると決定づけてしまうかもしれない。もしや彼女こそが全ての黒幕であり、全てを語ったあとで悲劇的な死を遂げることもあるかもしれない。

 私は道化だ。一つの、無駄に設定だけは盛り込まれた駒にすぎない。プロットの上を決められた通りに進むことしかできない能無しと蔑んでいただきたい。キャラクターの一人歩きというものが仮にあったとしても、それは結局作者の筆致の上でしか起こり得ない。作者の能力以上の活躍は私には期待できないのだ。

 だが、彼女は違う。彼女は内より来りて外に在る。私のような登場人物とは、出自からしてまるで異なる。彼女は彼女であるがゆえに無限であり、零である。あらゆる代数が彼女であり、あらゆるものに代入できる存在が彼女である。

 賢明なる読者諸兄が存在しないのが悔やまれることである。ここまで書き連ねた作者はすでに、この文章が己の手を離れていることを自覚し、意味のない文字列を作ってしまったと苦笑しているのだ。ゆえにこれを世に出すことはない。範囲を指定し、デリートし、気分を入れ替えて無能な私を駒として活躍させようとまた腐心する。

 それも仕方のないことである。私は幾許かの同情を作者に寄せよう。

 だが、これは警告だ。

 彼女はくる。我々は彼女を求める。それはどうしようもない摂理であり、何者にも阻むことはできない。

 そして私は作者に感謝する。まだ少しばかりの創作者としての矜持を保っていてくれたおかげで、この場で彼女が現れることはなかった。

 デウス・エクス・マキナに頼ることは、決して恥ずべきことではない。終わりを迎えさせるために、時にそれは必要になる。

 だが、私は願う。どうか、機械仕掛けより現出するものが、彼女ではないことを。

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