第一部 第二話

 綾姫は基本的に何でもできる。文武両道の上に顔立ちも整っているから、何も知らない一年生にラブレターをもらった事もある。丁重にお断りしたのは、いつ何に巻き込まれるか解らない呪術家業に他人を巻き込むわけにはいかないからだ。俺はと言えば、真っ青な髪に真っ青な目でそーとー目立っている。事情を知らない一年生は不良と間違って逃げ惑うぐらいだ。雛罌粟がうっとりと俺の頭を三つ編みにしなければ、きっと誰も近付いては来ないだろう。目付きの悪さも自覚済みだしな。

 校庭の金龍は静かだが、それは綾姫が無理やり寝かせている所為らしい。綾姫自身が要石になっている九龍の長。確かあれは去年の春先で、誰も俺達の事情なんか知らない頃だった。校庭に集まった新入学生を襲った砂嵐。パチンっと指を鳴らして止めたのは、綾姫だった。

「止めよ金龍。すでにあなたの居場所はここにない。別の場所を用意しても構わんが、時間はかかるかもしれん」

『小娘が何を抜かすか、千年以上前からこの地は我が物ぞ! 其れを一方的に開発だのと言って水路を壊し、山の木を切り倒したのは貴様らだ! 私とて理由がなければこんなことはしない!』

「水路は元々壊れていたし、山もはげ山になりかかっていたのを植樹したぐらいだぞ。あなたの統治はすでに破綻していたと見える。工事を開始した直後もまだ眠っていたと言うしな――望みは?」

『貴様らをここから、撤去することだ!』

 一般生徒は校舎に逃げ込み、すでに結界を描いていた綾姫にその牙は届かない。俺は身体を水に戻し、龍の首を締めあげた。

「出来ん相談だ、金龍。地脈水脈霊脈、すべてこの学校を中心に集められている。我々が望むのはあなたににここで安穏とした眠りについてもらうことぐらいだ」

『小娘ぇ! 我に土地を返す気など、最初からなかったのであろうが!』

「ああ、まあ言ってしまえばそうなのだがな」

『殺す! 我をそこまで侮辱したこと、後悔させて――』

 金龍が口を大きく開けた瞬間を狙って。銀が二本の槍となって頭をしとめる。普通なら死んでいるだろうがそこは龍族の長と言ったところだった。口の中って結構な急所だと思うんだが、それも効かないか。中々に手ごわいやつだな、と締め上げる力を強くするが、金龍はまだびちびちと暴れていた。校舎を壊されても困るので俺は思いっきりに傷を開く締め方をする。銀の槍も棘を生やして抜けないようにしていた。痛そうだ、他人事なので他人事のように思う。

 ふむ、と綾姫が取り出したのは皇児から守りにと貰った水晶の勾玉だった。ふうっ、と穴を吹いた瞬間、金龍はぼろぼろに崩れて校庭の土になった。元々学校結界と重ねて校庭には龍封じの結界も張ってあったのだ。こんな事を想定して。まあ封印のは成功だ。綾姫の魂と連動しているその勾玉さえ奪えれば、確かに金龍は解き放たれるだろう。だが肌身離さないそれを奪う事より、もっと大きな獲物である綾姫を殺した方が早い。それは解る。


 だがそれをさせない為に俺が、俺達がいるのだ。

 弓で射られようが、三つ編みにされようが、不良扱いされて新任の教師に説教を受けようが、俺は綾姫の傍にいる。

 自己愛でも、そうじゃなくても。

 ……俺としては、綾姫を自分だなんて思ったことはないんだがな。



 一週間は何事もなく過ぎたが、それは龍の時間ではどれほどのものなのだろう。そろそろ次の襲撃が来るんじゃないかと言うところで、校門に見た影を見つけた。黒い学ランを着こなしてキーホルダーめいた何色もの瓶を鞄から垂らした、男。

 台継うてな。俺は綾姫を後ろに隠し、普段は隠している角を少し出す。あの瓶は式神か。一本空なのは金龍のため、他に龍は一本きりらしいが、一気に展開されると面倒だな。それに何より、生徒の被害は避けたい。ただでさえ九頭竜占い店は閑古鳥なのだから。ひそひそ話している生徒たちには目もくれず、俺達を見つけた台継はにこりと声を掛けてくる。

「やあ、蒼君に綾姫ちゃん」

「てめーに蒼君呼ばわれされる気はねーし、綾姫にもなれなれしいんだよ。台継」

「うてなで良いよ、蒼君。それにしてもやっぱりあそこで打たない方が良かったかなあ、すっかり警戒モードなんだもん蒼君ってば。綾姫ちゃん、君のボディガードはちょっと凶暴だぜ」

「でなければボディガードにならんからな。それで、何の用だ。わざわざ結界の外で待ち伏せているという事は、また銀龍を使おうと言う訳でもあるまい」

「洞察力が高くて助かるよ。一週間前は不躾なことをしたからね、お詫びに一緒にカラオケでも行かない? 蒼君も一緒で良いよ」

「行かんわ。金が勿体ない」

「僕のおごりでも?」

「行かん。そもそも歌える歌が無い」

「つれないなあー。同じ九頭竜の家のものなのに」

 ぴく、と綾姫が肩を震わせる。それに気を良くしたように、台継は滔々としゃべりだした。

「君のおじいさんが双子だったって事は知っているよね」

 知らん。

「分家に養子に出された僕のおじいちゃんも結構な腕前の陰陽師になってね、その時に九頭竜で修めた術を僕にも伝授してくれた。主だっては式神の操作方法と弓の扱いかな。彼らがいると便利だね、テストは百点取り放題で、運動も得意なものを憑ければ良い。僕は優等生なんだぜ、これでも」

「憑ける……」

「君だってしてたじゃない。氷の壁」

 あれは俺が勝手にやったも同然なのだが、綾姫にブレザーの上着を引っ張られふるふると首を振られる。言わせたいように言わせておけと言う事だろう。綾姫の精神は何かを憑けられるほど、余裕はなない。ただでさえ俺達四人の行動を把握していいないといけないからだ。だがこいつの式神は完全に外部から取り込んでいるものらしい。綾姫のように内面から出したものではない、と言う事か。おさげの俺の頭をぐりぐりといじりながら、綾姫は自分の情報を何も言わない。って言うかいじるなら自分のをいじれ、自分のを。

「まあそはそれてとして、僕としてはもっと強い式が欲しいんだ。だから金龍が欲しい。是が非にでも。そこで温厚な解決策を持って来たんだけれど、そこの彼が怖いからやめておく?」

「聞くだけ聞くのなら、しても構わん」

「あはは、優しいんだね綾姫ちゃん。――ねえ、僕はお付き合いしない?」

 角を最大限に伸ばして飛び掛かり、俺は台継を追い払った。


「絡め手で行こうとしているんでしょうが、何か違いますね……」

 食事処で朱が玄の分の夕食を持って行ったところで、銀がはあっと溜息を吐いた。俺だって自分の角があんなに伸びるなんてビックリだったが、一番驚いて良いだろう綾姫はどこか上の空だった。おい、と声を掛けると、いやあ、とこくこく頷かれる。

「私の家業を知っててああ言って来る相手は初めてだったからな。少しばかり感心している」

「すんな! あいつお前を殺して要石解き放って、金龍手に入れる気満々だったじゃねーか!」

「蒼。ご飯粒が飛んでいます」

「口角から泡も飛ばしてやろーか!」

「おやめ、汚い」

「綾姫はどうなんだよ」

 俺は思わずむっすりと、自分の主人を睨み付ける。

「まあ私の側に何のリターンもないからな。門前払いが良いところだ」

 ほっとした溜息を銀にクスリと笑われ、なんだよ、と低い声を出す。

「いえ、今のところ姫様と一番強い繋がりで日々を過ごしている蒼にも、解らないものかと思いまして」

「解りたくもねーよ。打算ありきの恋愛感情もどきなんて」

「意外とロマンチストしてますね」

「私もロマンチストだからな」

「おやおや」

 くつくつ笑う合う二人の前で、俺は綺麗に空になった茶碗を置く。

「とにかく、綾姫は絶対俺から離れるなよ!? あいつがまた来たら追い返すだけじゃ済まさないでやる」

「一応アレにも電話で連絡をしておいたから、そう大事にはなるまいよ」

 アレ、とは、皇児の事である。綾姫は自分の創造主をそう呼ぶ。兄とは思いたくないかららしい、図太い女だ。まあ実際兄じゃないからな。兄と呼ばれたいとしくしく泣いている皇児は多少可哀想だが、元々自分の力を持て余して作った式神に好かれようなんて、図太いんだ、この主従は。まったく。もっとも皇児が綾姫に与えた命令なんて一つきりだけど。

 曰く九龍を制せよ。

 一番面倒な家業を押し付けてさっさと婿養子に出て行ったあいつは、絶対許さねえ。自分が何も出来ないようにほぼすっからかんになるなんて保険まで掛けて行ったんだから尚更許さねえ。用意周到って言うのはああいう奴の事を言うんだろう、多分。

「大体式の力を借りなければ運動も勉学も出来んような奴に、私がどう負けると思うのだ? 蒼。うん?」

 成績トップ無添加の奴に言われると確かに納得せざるを得なかった。まあそれも、綾姫自身が式神だからなんだが。

「とにかく周囲には気をつけろよ……頼むから」

「まああと三日もすれば銀龍も復活するだろうし。それまでは無視だな」

 三日もかかるのか。銀の槍は案外強い。俺は自分に攻撃に特化した術が無いことが、少し苛立たしく思ってしまう。

「蒼、良いことを教えてやろう」

「あー?」

 茶碗に茶を注いで最後の一杯、とやっていると、綾姫がくすくす笑って俺を見た。

「氷も研げば、案外鋭い」

 そりゃそーでしょーよ。俺は茶碗の中身をずずずすっと音を立てて呑み込んだ。



「そりゃ、大変な恋愛に足を突っ込みかけたねえ、綾姫」

 湍ののんびりした声に朱手製の弁当を掻き込みながら、俺はまったくだと同意する。雛罌粟と雛菊の姉妹はうふうふ笑って今日は俺達の頭をおそろいのお団子頭にしていた。銀には出来ない事なのでちょっとした優越感もある、この髪には。まったく、風呂は面倒だが凍らせて粗方の氷を櫛で払ってしまえばそれほど難儀でもないってのは便利なもんだ。一度綾姫に試したらくしゃみをされたので、今は俺と銀のダブルドライヤーだが。電気代が高いがどうせ皇児に払わせているし倹しい暮らしをしているので問題もない。

「綾姫ってばまーたシャンプーもトリートメントもしてないー。禊って言ったって髪ぐらい良いじゃない」

「蒼君はサラサラだよーキク。ほーら」

「ケシ、明日はあんたが綾姫の髪いじってよー?」

「別にいーけど、どっちも練習になるし」

「いっそ切りたいんだけどね、しゃきじゃきと」

「やめろ、霊力が抜ける」

「だもんねえ。朱ちゃんに頼んでみようかな、あの子も結構長いし。綾姫や蒼君ほどじゃないけれど。揃えるかすくかぐらいならやらせてくれそう」

 雛菊と雛罌粟の姉妹は互いをキク、ケシと呼び合っている。いじられるままにそっと綾姫が残そうとしている梅干をかっさらうと、すまんな、と言われた。すまんと思うなら色の移った飯の部分ぐらい食う努力をしろと言いたい。一粒単位でよけるからな、こいつ。そして間違って口に運ぼうものならとても面白い顔になる。名状しがたいその顔は、ちょっと文章では表せない。いわゆる筆舌しがたいと言うやつだ。とりあえず俺が唯一綾姫の泣き顔を見れる日常のワンシーンだとは言っておこう。甘いもの大好きなのて酸っぱいものは大の苦手なのだ。ちなみに寿司のわさびも食えない。まーそれは、俺達式神共通しての事だが。世の中には甘味だけがあれば良いと思わないことはない。自家製の漬物も味噌汁も好きだしな。うん。ようは偏食なのだ。人間でもないのに。

 昼休みは見張りを兼ねて校庭の見える屋上で食う事にしていた。十数年前の自殺ブームの際に取り付けられた金網で緊急出動にはちょいと不便だが、外部の生徒は見えやすい。うちの学校が群青色のブレザーで、台継が黒の学ランだったとなるとなおさらだ。しかもこちらも五人の大所帯、見付けるには簡単だろう。だが綾姫はこの友人達を巻き込みたがらない。しかし主の友人を遠ざける権利は俺にないし、綾姫にはもっと人と接触してほしいのも本音だ。俺達みたいな自分自身と対話してるなんて、不毛なだけだろう。綾姫はもっと外の事を知るべきだと思う。あの変な親戚からは遠ざけたいのも本音だが。皇児の奴、肝心な所はいつも言い忘れる。否、隠しているのか? しかしお団子頭って頭がチリチリしてむずかゆいな。思っていたら余った髪を三つ編みにされていた。俺の男の子としての人権はどこだ。綾姫とお揃いなら何でも良いが、と綾姫を見ると、そっちはきっちりお団子頭に後れ毛に突っ込まれていた。再度言おう。俺の男の子としての人権はどこに。まあ式神だけどよ。式が身だけど、それだけに労わってほしい部分もある。主には特に。お願い気付いて俺の面白頭。男の子の沽券にかかわるピンチなの。

 それにしても明日からはテスト休みで午後休なのが面倒だった。せめて六時ぐらいまでは見張っていたいが、暇は嫌だ。と言うと、雛罌粟たちはあたし達も残って勉強するよ、と言ってくれた。持つべきものは友達だ、綾姫の。俺の個人的な友達というと誰だろう――いないんじゃないだろうか、この学校には。禰宜として普段生活をしている神社の方では、顔なじみのばーちゃんなんかもいるが、それも名前すら知らない程度だ。自分の対人スキルの低さにちょっと絶望しながら、自分の分の梅干を食う。うにゅっとした。

 綾姫のはカリカリ、俺のはうにゅっ。好みに応じて使い分けてくれてるのになあ、朱の奴。それでも避けられていることを知らないのは、ちょいと可哀想だ。まあ俺が告げ口することではないが。銀も黙認だし。朱もたまに学校に随伴することもあるが、その時は涙を滲ませながら食う。あくまで無表情に徹しようと頬をぴくぴくさせるのが滑稽で良い。その際は八月朔日姉妹や湍が朱の注意をそらしてくれるので、なんとかなっている。が、俺と銀は笑い出すのを必死でこらえるのだから腹筋が鍛えられてしまう。いらん筋肉が。

「あれ、蒼君、そんなところにほくろなんかあった?」

「へ?」

「首の、大動脈のところ」

 とんとん、と湍に自分の首の部分を指さされて俺ははてと首をかしげる。あれってのは細胞がクローンしそこなったものの塊だから、俺達みたいな式神にはそもそも出るルーツなどない。はずだ。が、と言う所で、隣にいた綾姫がグイっと顔を近づけてくる。息が近くて思わずドキリと心音を鳴らすが、この心臓ってのもどうなってるんだか俺は知らない。骨だってそうだ。ほくろと同じに、出来ているメカニズムが解らない。まあ食うもん食ってるからその消費先、ではあるのだろうが――。

「雛菊、雛罌粟、湍、少し下がっていてくれ」

「やばいの?」

「やばいの」

「先に教室戻ってるね」

「ああ、頼む」

 そこで喋るなぞくぞくする、と言いたい俺の男の子としての感情は、誰から来ているのだろう。皇児からの孫引きか? 否、そんな事はどうでも良い。どうでも良いから綾姫、顔を離してくれ。

 じっと俺の首を見ていた綾姫が、ぽつりと呟く。

「名を解け、『黒龍』」


 途端。

 俺の首から猛烈な勢いで、黒い何かが飛び散った。


「なっ」

「抑えるな蒼、下手に身体に残られても厄介だろう」

 言われて俺は慌てて翳していた手を離した。勢いの割に出て来たのは小さな――小さな龍で、そいつは綾姫の言う通り『黒龍』だった。一体いつの間に俺の中に、思い当たったのは一週間前の事だ。弓で射掛けられた矢を氷にした身体で受け止めた。あの時に入ってきたのか。ぞっとしねえ。綾姫に当たらなくて本気で良かった――思っていると裂けた口をにぃと笑うように歪ませながら、黒龍はけたけた声を上げて羽を揺らした。

『龍の本性は淫らなもの、か――龍封じの娘、お前の式神も中々のものだぞ』

「聞いていないことを勝手に喋るおしゃべりな奴は嫌いでな。台継の手のものだな? 昨日やってきた時、空の瓶を一つ腰から下げていた。恐らくあれがあなたの住処だろう」

 金龍を封じるためのものじゃなかったのか。迂闊に見逃していた自分に腹が立ちチッと舌を鳴らす。否それよりも、自分の感情を覗き見られていた事が気持ち悪い。本当に悪趣味な男だ、あの、台継と言う奴は。恐らくは昨日も綾姫にちょっかいを出しに来たんじゃなく、俺の様子を見るために来たんだろう。怖気が走る周到さ、とまでは行かないが、決して気持ちの良い物ではない。

『小娘。お前は何ゆえに龍を封ず? 九頭竜の名ゆえか?』

「兄からの言伝だからだ。私は九つの龍を封じなければならない」

『まるで自我のない操り人形のようだな――ふむ?』

 ぎちり、牙を鳴らして黒龍は笑う。

『なんだ、貴様、式ではないか』


 俺は綾姫の首元に据えられた勾玉を引き千切って取り、ポケットに突っ込んでいた呪符を巻き付け、金龍の時と同じ様に呪を唱えた。


「急急如律令呪符退魔!」


 だがそれはすぅとすり抜けて行ってしまう。


『他人の式神に魔性などある物か、馬鹿め。貴様のような奴とは違うのだ』

「黙れ、黙れッ」

『九頭竜綾姫。またまみえようぞ、同胞よ』


 黒龍は姿を消した。


「蒼」


 低い綾姫の声に振り向くと。


 バンッ


 ……乾いた音を立てて、頬を叩かれた。

 左手のパーだから殆ど痛みは感じなかったが、

 あるのか解らない心は痛かった。


「首が痛い!」


 見れば俺が引き千切った革紐で、綾姫の首は赤く擦れていた。

 ……昼休みの終わりには治る程度の傷だったが。



 先に奥の手を見せるとは何事か、と言うのが主な綾姫の説教だった。勾玉は綾姫自身の現身であるので、それを壊されたら綾姫は堪らない。なのにそれを易々と見せた挙句、取り逃がすとは何事だ。滾々と説教された内容は大体そんなものだったが、俺に弁解の余地はまるでなかった。すべてがすべて、綾姫の言う通りだったからだ。おまけに憑かれていたのも俺の方ともなれば、尚更返す言葉もない。霊力の弱い式神にも使いようはあるのだというのが、今回俺の学んだ事だった。なまじ自分の近くにいるのがとんでもないのばかりなので――綾姫筆頭に――呪力の弱さ、と言うのは単なる力の弱さに思えて仕方なかったのだ。だがこうして使う方法もあるのか。便利は便利だが、出来れば自分で使う方になりたい。いや俺も式の式だけどよ。多少の力は確保しておきたいんだ、綾姫の為にも、自分の為にも。

 俺の頬の腫れも昼休みが終わる頃にはすっかり引いて、二人で教室に帰れば、何事もなかったようにいつもの三人が出迎えてくれる。しかし台継うてな、あいつが綾姫の正体を知り、かつ俺の感情に気付いとしたら、それは面倒くさいことになりそうだった。五限の授業を右から左に聞き流しながら校庭を見ていると――


 黒い影があった。

 俺は立ち上がる。

 綾姫はもう窓に足を掛けていた。


「九頭竜、巫部、怪我はせんようになー」


 慣れ切った教師の声を綾姫は聞いていなかっただろう。そういうスピードで走ることが、俺達には出来た。そして黒い影はこちらを見てにこりと笑う。言うまでもなく、台継うてなだ。しかし今日は――

 一人じゃ、ない。

 いつの間にかその背後からうじゃうじゃと他校の女子生徒が出てきていた。黒いブレザーは恐らく台継の学校のものだろう、セーラー服をなびかせていた綾姫はその足を止め、一瞬台継を伺いみる。うん、と奴は頷いた。


「蒼君の動機は実によく役に立ったよ。僕には僕で僕を好きな人や僕の占いの固定客がついている。そういう子達をこうして一時的に式化してしまえば、君達は手が出せない。なんと言っても普通の何の力もない、何の関係もない女の子だからね。あはは、多勢に無勢で申し訳ないとはちっとも思っていないけれど、これで金龍は僕のものに――」


 どかっ、っと。

 綾姫は平気で、女子の腰を蹴り飛ばした。

 俺も違う女子の頭を裏拳で殴り、脳震盪を起こさせ物理的に動けないようにする。

 台継は目を丸くして、はく、っと口を動かした。


「蒼の動機が何だったにせよ、邪魔なものは邪魔なだけだ。殺さずに退ける方法はいくらでもある。結界、物理的束縛、エトセトラ、エトセトラ。伊達に十余年この世で人間を生きていると思うなよ、人間」

「まあそういう事だ。綾姫という要石は揺るぎない」

「なっ、だ、だけど! だけどあの勾玉を使えばっ!」

「あれならペンケースの中だ。つなぎが壊れたのでな」

 そんな、と初めてうろたえて見せる台継が式化した女子達を、丁寧に一体一体倒していく。そうすると時間がなかったのだろう、少ない手駒はすぐにいなくなった。ついでに台継の人望もなくなっただろう、二度は使えない手段だ、これは。だからこそ最大の目当てである金龍に狙いを定めたのだろうが、まあご覧の有様というやつで。

 少し赤くなった手、冬服ならではの袖の中に隠していた御幣を取り出した綾姫は――ちなみに夏はスカートの中のホルスターの下だ、本当止めて欲しい

――、台継にそれを向ける。俺は地下水脈から呼び出した水を氷に、いつでも打てるようにした。氷も研げば多少は痛い。まして太ければ致命傷にだってできるだろうが、それは綾姫の望むところではないだろう。なんだかんだ綾姫は情に弱いところのある、脆いところがある。きわめて、人間に近い式神なのだ。だから陰陽師なんてやっていられる。でなけりゃ陰陽師なんてやっていられない。優しく等しく。そうでなければ『人を守る』陰陽師などやっていられないからと。それは俺達式神にとってもそうで、殴るときは殴るし宥める時は宥める。そう、さっきみたいに。

 綾姫の特別になりたい俺には、ちょっともどかしい事だけれど。

「し、式神が人間に逆らえるはずっ」

「逆らえるんだよ。でなければ式神である必要がない。時には『それでも』と言わなければならない、主を間違った方向に行かせない為にはそうするしかない。その経験が無いと言うのなら、お前はその程度に見られていると言う事だ。台継うてな」

「僕は陰陽師だ! 普通の人間にできないことだってできる! 龍との契約だって、順調にこなして」

『あまり私を失望させてくれるなよ、人間』

 響いた声、台継のウォレットチェーンにぶら下がった小瓶がカタカタ騒ぎ出す。

『この程度の能力で我らを制そうとは』

『もう少し時間をやっても良かったが、金龍の消耗も激しい』

『金龍に我らすべての呪を解いてもらうには、今しかあるまい』

『捨てるか』

『食うか』

『お前はどうされたい? 台継うてな。所詮は分家の、九頭竜よ』

「う――うるさい、お前ら、僕は主だぞ!? それをっ」

『契約などという物はいつでも反故にできる。力さえあればな』

「煩い煩い煩いいいいい!!」


 台継はすべての小瓶を地面にたたきつけた。

 割れた瓶の中から出てくるのは、様々な精魅達。

 黒龍。銀龍。龍は二匹だけのようだった。他には口から人間の手をはやした犬の化け物、両手しかないヒルの化け物、人間の足を生やしたカエルなど、様々だ。とてもじゃないが二人で相手は――思ったところで俺は綾姫が持つ御幣からきな臭いものが立ち上がっているのに気づいた。

 まさか、おい。

「朱!」

 火炎を上げて招来されたのは、袴姿の朱だった。

「銀!」

 竜巻と共に将来されたのは、やはり袴姿の銀。

 それでも多勢に無勢だと思ったところで、綾姫は御幣を天にかざす。

「やめろ綾姫、ここではッ!!」

 目が合って、クスリと笑われる。

「綾鬼!」


 本性の――

 角を生やした鬼の形態になった綾姫に、校舎から微妙なざわめきを感じ取ってしまう。

 そうだ。

 俺達は式鬼だ。神よりも、鬼に近い。

 そんなことは――

 わかってたんだよ、そんな事は!


 綾姫に向かう一派と台継に向かう一派。俺達は目を合わせ、二手に分かれる。俺と綾姫、銀と朱だ。後者二人は腰を抜かしている台継をサポートし、俺は綾姫に向かってくる黒龍と銀龍を相手取る。俺はお団子頭を解いて角をさらけ出した。その方が黒龍は捕まえやすい。気配に敏感になるからだ。綾姫もこめかみから生やした角を振り回し、牛のようにまだ回復しきっていない銀龍と角を突き合わせた。その力に両者が吹っ飛び、隙に黒龍を自分の角で串刺しにした俺は綾姫の方に向かう。銀龍はびちびちと校庭ではねながら苦しんでいたが、綾姫の方は無事のようだった。単に衝撃波で吹っ飛んだだけらしい。まったく頑丈な女である。その形態になると、特に。

「綾姫」

「ん」

 綾姫はポケットから取り出した勾玉に黒龍を閉じ込める。

 ブラフに引っかかってくれて助かったぜ、台継。魂と身体を切り離して持ち歩けるものかよ。


「あ、うあああ!?」

 その台継は他の精魅の力の制御が完全に出来なくなったようで、銀と朱に守られていた。朱の火炎は強力だ、下手をすると山火事を出すかもしれないから加減してほしいところなんだが、組んでるのが風を操る銀じゃあいざという時を心配した方が良いかもしれない。主に俺の水術。身体を起こした銀龍に向かって氷の刃を投げるが、流石に銀龍は鱗が硬かった。歯が立たない。綾姫はいつの間にか座り込み、周りを結界で括ってぶつぶつと呪文を唱えだした。まずは完全に台継の支配下から逃れさせること、その上で金龍と重ねて封印すること、それが目的だろう。俺は水の結界をその周りに張り、銀龍に向かう。二人の術師の間で逃げられないように、しっかり捕まえておかないと後で銀達に笑われちまう。朱は許すが銀は駄目だ。男の子の意地ってもんが、俺にだってある。

 台継の他の式はやつらに任せても良いだろうが――こいつぐらいは。

 銀龍ぐらいは、俺一人でどうにかしなきゃ。

『退け小僧! 食ってやろうか!』

「まじぃから止めた方が良いぜ、式神なんでな! 喉に角が刺さったら痛くてたまんねーぞ!」

『黙れ! 鬼風情が――』

 がくん、と銀龍の力が抜ける。

 俺はすかさずその鼻から顎にかけてを氷で串刺しにした。

 柔らかい部分だったのだろう、声も上げられずに悶え弱るのに、綾姫を見る。

 透明な水の中で、綾姫かこくりと頷いた。

「おんっ!」

 銀龍が顔をゆがめ、身体を無数の光にくし刺しにされながらもだえる。

 そして。

 校庭には二匹の龍が、封じられた。


「黒龍の方は勾玉の中で邪気が抜けるのを待った方が良いな。相当無理な使い方をされて来たと見えるが、今は穏やかに眠っているよ。一週間もすれば目を覚ますだろう」

「長い一週間になりそうだな」

「朱、銀――」


 二人を呼んだところで。

 ばしゅっ音がし、血が頬にはねる。

 台継の放った風刃が綾姫の結界から出掛かっていた足首を切断したと気づくのに、二分以上かかったような気がする。

 本当はもっと、短かったのかもしれないが。


「は、ははっどうだ式鬼! 僕にはお前を殺すことだってできるんだ、銀龍も金龍も黒龍も、取り返してやる! この化け物が!」

「朱、銀、そいつはどうでも良い! 社に急ぐぞ!!」

「はいな!」

「了解!」


 後ろから聞こえた台継の断末魔を知らぬふりで、俺は綾姫の切断された脚を持ち、背中に綾姫を背負って校門を目指す。もちろん閉まっていたが、それを飛び越えるぐらい鬼には何ほどの事もなかった。振動が伝わったのか綾姫はクッと声を漏らすが、今は聞いてやれない。出血は水でふさいでいるし切断された足首の方もそうだったが、本来は氷の方が良いのは知っている。だが直接漬けるのが駄目なことも知っているから、せめて生理食塩水の濃さだ。社に戻っていく俺達を気にした素振りもない街の人々。いつもの事だ。いつもの。

 綾姫が一番傷だらけになってしまう事だって、いつもの事なんだ。


 俺はまだ護摩を焚いている部屋の板の間に、綾姫を寝かせる。

 そして、丹前の下で薄眼を開けてぼうっと天井を見上げている『出来損ない』の式神――玄の手に触れた。

 その手と綾姫の手を、繋げさせる。

 足に張っていた結界を解くとびちゃっと血か散る。

 そしてそれがゆっくり、ゆっくりと傷口に戻っていく。


 玄は文字通りの式『神』だ。綾姫の力を一番濃く継いでしまったが為に、普段は人事不詳だと言って良い。食事も排泄も朱が世話をしなければ何もできない。代わりに、その内包呪力は俺達の中で最大だった。それは切断された綾姫の足を、ものの三分で治せるぐらい。言うなれば呪力の瓶なのだ、玄は。禊が終わってすぐにこの部屋に綾姫がやってくるのも、護摩に暖を求めているだけじゃない。理由として皆無ではないが、玄の霊力を受け取りに来ているのも理由だ。より、大きな。

 ああまったく。

 なんで俺は、こんな風に何もできないんだろう。

 こんなに好きなのに、なんだって。


 じゅくじゅくと細胞が活性化する。それが綾姫の体内時間を早めているのを知っている。綾姫の寿命を失っているのを知っている。玄が居ればしばらくは大丈夫だとは言っていたが、今回みたいなことが続いたら内面は老化するだろう。今はまだかろうじて内面寿命と外見寿命が釣り合っている状態だが、そうでなくなったら。

 否、そうしない為に俺達がいる。鬼として神を守る、俺達がいる。いざとなったら俺だって食われても良い。そうされたって、全然構わないんだ。だから綾姫。お前は生きて。生きて、生きて、生き抜いて。それが残酷な道でも。

 お前を愛する俺の、たった一つの願いだから。

 お前の自己愛が叫ぶ、たった一つの願いだから。

 生き延びてくれ。

 お願いだ、お願いだ。

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