第5話

 病室にもどるとサラは麻酔から目覚めていた。ジミーを見るなりその手を握る。中畑が痛くはないか、と問うと、頭を左右にして大丈夫だと答える。安心したルームメイトが、サラの額にキスをして中畑をハグし、公衆電話からボーイフレンドに電話するといい残して立ち去った。

 「子宮はどうなったの?」とサラが問う。やはり気になっていたのだろう。医者の言を伝えると、もう妊娠はだめなのね、あなたの子供も宿せないのね、と涙がこぼれる。

 「サラ、君の健康が先ず第一だ。他のことは心配せずに元気になることに専念すべきだよ。抜糸は来週にでも可能だそうだ。それが済めば郊外のアパート探しに出かけよう」


 翌々日の金曜日に退院した。米国の病院は手術後数日で患者を退院させる。民間の保険も公的保険も、カバーする入院期間をごく短期間に限っているからである。

 付き添ってアパートにもどると、ルームメイトにジミーを託したサラが中畑の手を引いてベッドルームに入ると背後のドアーを閉じた。

 下着を脱いで下半身を露にしたサラがベッドに横たわる。手術跡は恥毛の生え際に横に六、七センチの長さであった。

 「これならビキニの水着も着れるね」

 「そうね。よかったわ。あなたとはまだ結ばれていないのよ。結ばれる前に女でなくなってしまった」また涙が零れ落ちる。

 「看護婦の話では来週にはセックスをしてもよいそうよ」

 「君とはセックスではなく、メイク・ラブをするのだ」

 “メイク・ラブ”とは、肉体だけでなく男女が心も一体になることを指す。涙を拭ったサラが、ありがとう、といって抱きついてきた。


 抜糸が済んだ週の土曜日にふたりは新車を駆って空港の西側にアパートを探しに出かけた。   

 助手席にすわるなり、サラが、「新車の臭いがする。何年ぶりかしらね。実家は中古車ばかりだったけど、近所で新車を買った一家がいて、近所の子供たちが押しかけたことがあった。この臭いがしていたわ」

 中畑の運転する車はミシガン通りから空港につながるハイウェーに乗った。ケネディ通りと呼ばれてシカゴ市を縦断している。小一時間ほどで空港の脇を通り抜けて西側に出た。その一帯はエルク・ブローブ・ヴィレッジと呼ばれている。昔は大鹿のエルクが出没したことからその名が出たそうだ。

 中畑が支店から組織を移すのはこのエルク・ブローブ・ヴィレッジであった。当時はまだ日系企業は数社に過ぎなかったが、一九八〇年代半ば以降には大挙して日系企業が進出した地だ。あらたに借りる社屋は大通りに面して新設された団地の一角にあった。

 そこから数分の運転の距離にアパート群がいくつかあった。周辺を運転して大通りから一本奥に入ると、そこは閑静な住宅街であった。家々の周囲に立つ樹木でその一帯の古さが読み取れる。その周辺は二十年ほど時代を経た地区に見えた。

 しばらく走ると貸家のサインが立つ小さな一軒家が目に留まった。芝生の前庭と裏にもかなり広い庭を持つ平屋だ。前庭に置かれたサインにはベッドルームがふたつとある。そこに記載された不動産屋の電話番号を書き留めると、近くのスーパーにあった公衆電話から電話を入れた。

 家賃を尋ねるとアパートの賃借料にわずかを上乗せしただけで済む月額だ。内部を見たいかという問いに応じると、数分でその家の前にエージェントの女性が現れた。

 子供連れの白人の女に東洋人を目にしたエージェントが一瞬怪訝な顔をする。一九七〇年代には排日観もまだ存在した。真珠湾攻撃の十二月七日に日本人の学童が石をぶつけられる事件が起きたり、中畑の一世代前の駐在員には入居を断られるケースも起きていた。

 エージェントが内部を案内する。宣伝文句の通りベッドルームがふたつ、ダイニングルームと居間がつながったスペースにキッチンとバスルームだ。そのキッチンには大型の冷蔵庫が、それに洗濯機と乾燥機も備わっていて、小さいながらも三人で暮らすには十分なスペースだ。ガレージが二台分のスペースなのも好都合だ。シカゴの冬は寒い。車を屋外に放置すると翌朝にはエンジンをかけっ放しにして暖気運転をしなければ自宅を発つことができない。時にはバッテリーを前夜に外して屋内に持ち込む必要もあった。車をガレージに納めればその心配はなくなる。

 エージェントが中畑の職業を尋ねる。商社の名を告げると、そのとたんに笑みを漏らしたエージェントが、「マア、来月にダウンタウンから移ってくる会社ね。うちの商業部門がリース契約のお手伝いをしたのよ」とすっかり打ち解けた態度に変わった。借り手の身元を心配せずに済むからだ。事務所は数分の地だから、よかったら今から事務所で書類にサインしてくれるか、と契約が成立したかのような素ぶりだ。

 オーナーの氏素性や負担する光熱費、それに通学する公立校のことなどいくつかの質問事項があると応じると、それも事務所ですべて答えるからとせっつく。ジミーは来年には義務教育の幼稚園入園を控えている。通学距離も知らねばならない。

 エージェントの車の先導で不動産事務所に向かった。サラが、家を借りるのに立ち会うのははじめてのことだわ、と呟く。内部を見てすっかり気に入ったようだ。アパートでは地階の共同施設を利用しなければならなかった洗濯や乾燥も家の中で済むし、キッチンのレンジは大きくてよい、と女性らしいことに関心が集まる。

 事務所に入ると、エージェントが室内で執務中の男女に、この人がこんど引っ越してくる商社の責任者なのと大声で伝える。机に向かっていた職員たちが一斉に中畑と子供連れのサラを振り返る。

 借家は二年間のリースで、その後は一年ごとの更改が条件だった。一ヵ月分の保証金と翌月の家賃を払って契約が成立した。家具が揃い次第入居できる。


 夕食を済ませてサラのアパートにもどった。

 「三年近く住んだけど、ここもあと二週間。一軒家に住むことなど一生ないと思っていたのに、まるで夢を見ているみたいだわ」とソファーに座った中畑にサラが寄りかかる。

 ルームメイトは今夜はボーイフレンドと過ごすから明日の日曜日の夕方にもどると書置きを残していた。ジミーをルームメイトのベッドに寝かせたサラがバスタブに湯を注いでいる。

 「カズ、今夜はシャワーでなくタブにいっしょに入ってくれる? 病院の臭いを洗い落としたいの」

 湯が溜まったタブの中で、肉付きのよいサラの豊かな腰を中畑の両脚が挟む。背中を中畑の胸にもたせかけたサラが肢体を伸ばすと、中畑が背後から両手をサラの乳房の下に差し込んだ。湯に浮かんだ乳房だが、それでも男の手にずしりと重みが伝わる。

 中畑の肩に頭を載せたサラが振り返り唇を求めてきた。乳房を離れた男の片手が女の腹部を滑り、そっと手術跡を撫でる。生え始めた恥毛が手の平を擦る。

 ボディーシャンプーで泡立った湯を、中畑が手タオルでサラの全身に注ぎ終える。シャワーカーテンを閉めてシャンプーを洗い落としたふたりはタブを出た。バスタオルを纏ったサラがドライヤーで髪を乾かしている。

 先にベッドに入った中畑のそばに裸体が滑り込んできた。

 「君とのはじめてのメイク・ラブは新しい家でにしよう」と中畑が告げると、

 「嬉しい、楽しみだわ」とサラが裸体を押し付けてきた。

 「君の実家はロシア系ドイツ人だそうだね」

 「そうよ。南北ダコタや東隣のミネソタ州にはドイツ系が多いけど、その中でもロシアを経由したドイツ系が多いのよ。高校時代もクラスの半分はロシア系だったので、歴史の授業で皆で調べたことがあるの」

 

 十八世紀後半に帝政ロシアの女帝だったエカテリナ二世はドイツ人の血を引いていた。そのためトルコから奪って新たに領土に併合したクリミア地方の開拓に、宗教改革で迫害を受けていたドイツの農民を利用した。兵役義務の免除や、宗教の自由、私有農地の無償供与などの特別待遇を与えてドイツ農民を移住させたのだ。

 ところが十九世紀半ばに皇帝になったアレキサンダー二世はこれを覆し、南ロシアに住み着いたドイツ移民をロシアの農奴並みに扱うようになった。米国で南北戦争が起きる直前のことであった。

 南北戦争が終了するとこの数万のドイツ系農民が米国中西部の地に移住してきたのだ。南北戦争中にリンカーン政権は、自営農家に中西部の土地をただ同然で払い下げる法案を通していた。そのため東部だけでなく欧州からも大挙して移住する農民が出現し、ロシア系ドイツ人もそのなかに混じっていたのだ。

 ロシアのステップはアメリカの大平原に良く似た気候風土だったため、これらの農民が持参した色々な種子が広まることとなった。大農場が広がる中西部からロッキー山脈にかけての地帯で今日我々が目にする麦や牧草のほとんどがロシアから渡来したものといわれる。

 渡来した植物のなかで風変わりなのが“タンブル・ウィード”と呼ばれる背の高いヒユ属の雑草だ。育ち始めの春は馬や牛の飼料に利用されるが、夏になると葉が固くなって飼料に不向きになる。秋になると茎が折れて、それが風に吹かれて草原を転がることからその名がつけられた。西部劇の決闘の場に風に吹かれて転がる枯れ草がこれだ。転がることで種子を撒き散らす変わった植物だ。

 麦の種類ではクリミア麦が最初に持ち込まれた。短い茎に赤色の穂が実ることから“ターキー・レッド”と呼ばれた。大陸性気候の乾燥地に育ち夏の熱射にも冬の寒さにも強い種類だ。

 その後、ターキー・レッドよりも更に大平原の気候に適ったロシア原産の麦が導入された。害虫にも強く、他の農民が虫害で収穫を見ない年にも良い結果を出して注目された。ただこの種の欠点は、実が硬くて製粉が容易でないためにパン用に不向きなことであった。そのために製粉会社から嫌われ、この麦のために特設の製粉所を設けて普及に努めた。

 やがて農民たちの努力が実ってマカロニ向けに市場を見出した。そしてその時代にイタリアからの移住者が増えたことも幸いして、パスタ向けに大量に栽培されるようになった。今日イタリア料理店がアメリカ全土に氾濫するのはこの麦のためなのだ。

 中畑の傍らに裸体を横たえるサラにはこのロシア系ドイツ人の血が流れているのだ。


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