第4話
やがてジミーの手を引いたルームメイトが待合室に入ってきた。サラが慕われているからだろう、四人のホステスを伴っている。深夜まで働いていたはずの女たちが心配そうな顔を揃える。だれもが化粧を落とした素顔ではあるものの、若い女が大挙して待合室に現れて東洋人の男を囲むと、室内にいた他の男女が興味深げに視線を送る。
中畑がルームメイトに、「手を煩わして申し訳ないな。感謝するよ」と告げると、ルームメイトが、「お礼をいわなければならないのは私たちよ。私たちにはなにもできないけど、姐さんは幸せだわ。手術もうまくいくとよいけど」
「十一時頃にはもどるそうだ」
先日の日本からの出張者を接待した際に同じテーブルに座っていた女のひとりが窓越しに見える高層ビルを指して、
「あなたはあそこのビルに入っている日本の商社に勤めているのでしょう。お姐さんからそう聞いたわ。日本のエリート・ビジネスマンだそうね」
「会社は世界で広く知られた有名企業だけど、僕は一介のサラリード・パーソンに過ぎないよ。あくせく働くことでは君たちと変わらない」
最年少に見える女の素顔はあどけない。まだ十代なのかもしれない。
「君の故郷はどこ?」
「ここから西のアイオワ州なの。実家は農家で、口うるさい父と喧嘩して家出してしまったの。大都会ならなにか夢があると思ったのだけど、行き着いた先はトップレス・バーのダンサー。この先どうなるのか心配で心配で。それでお姐さんにいろいろ相談に乗ってもらってきたのだけど、手術がうまくいかなかったらどうしよう」青い瞳の両眼からスーと涙が流れ落ちる。
そっとハグした中畑が、「実家にもどったら。両親も心配しているはずだよ。高校は卒業したの?」
「半年を残して退学してしまったの」
「実家にもどって高校卒の資格を取り、出直すのが、今の君にはベストだろうね」
「まともな男性は私のような蓮っ葉を相手にはしないのよね。店の客の関心はセックスだけ。実家にもどろうかしら」
「君は若い。そうした方がよい。思い立ったが吉日、ということばが日本にはある。きょうのグレイハウンドのバス便でお帰り」といって財布からドル札を引き出して渡す。
手渡された女が、「こんなには必要ない」と返そうとする手を押さえた中畑が、
「残りは餞別だ。あたらしい生活が始まったら連絡するように。お姐さんも喜ぶはずだよ」
「そうするわ。お姐さんによろしく伝えてね」というと、ひとりひとりの女たちとハグし合ったそのあどけない女は足早に待合室を出ていった。
残された女たちの間にしばしの沈黙が漂う。その胸の中では同じことを考えているのだろう。足を洗いたいのはだれもが同じなのだ。
十一時過ぎに、ベッドに横たわったサラが病室にもどったと看護婦が知らせた。見舞い人の病室への入室は一度にふたりに制限されているので、中畑がジミーの手を引いて病室に向かった。
ベッドの上のサラはまだ麻酔が切れる前で寝入っている。執刀医が現れ、手術は順調だった、腫瘍は外部からの診断結果より悪性で、再発を避けるために事前の同意にしたがって子宮そのものも撤去した、回復が順調なら一週間後に抜糸できるだろう、と告げて立ち去った。
待合室にもどってルームメイトや他の女たちに医者の報告を伝えた。二組に分かれた女たちが病室からもどると、中畑が先に立って地下の食堂に降りた。全員でテーブルを囲む。
トップレス・バーで目にする女たちは大人びているが、ここに座る彼女たちはだれもがうら若い女性に過ぎない。普段着で厚化粧を落とした女たちだが、その仕種が普通の女性ではないことを醸し出すのか、ここでも周囲から視線が注がれる。
昼食を終えると三人の女たちが、明日また来るわ、といって立ち去った。残ったルームメイトが、
「相談に乗ってほしいことがあるのだけど。構わないかしら?」
「君には世話になっている。役に立てるようであればよいのだが」
「先々週の週末にボーイフレンドとウィスコンシンに出かけていたのは知っているわよね?」
「ボーイフレンドの田舎だったと聞いているよ」
「そうなの。ボーイフレンドは空港の西側のガソリンスタンドで整備工をしているのだけど、ガソリンスタンドのオーナーの話では、スタンドが車の整備をするこれまでのスタイルが変わって、いずれ整備を廃止するつもりらしい」
「車の性能がよくなったこともあって、ガソリンスタンドで済む簡単な整備の需要は減る一方だから、その話はもっともだね」
「それで、ボーイフレンドはウィスコンシンの田舎にもどって幼馴染と自動車修理業を始める考えなの。週末はその下打ち合わせにいっしょしたのよ。あなたはビジネスの世界に通じているから聞くのだけど、修理を専業にする個人経営は成り立つのかしら?」
「新車販売のディーラーも整備部門に力を入れているから競合はあるけれど、彼らの狙いは新車で、時代を経た中古車や事故車は手がかかるから敬遠する。そこに焦点を当てればじゅうぶん成算があるだろうね。肝心なのは、どの車も手がけることができることだろう。評判で客が集る。ボーイフレンドは腕に自信があるの?」
「小さなころからのカーキチで地方のレースに出ていたそうなの。組む相手の幼馴染もその当時の仲間だそうで、車の知識には自信がありそう」
「それならば、後は日々同じことをきちんとする几帳面さが鍵だね。その点はどうかね?」
「それが心配なのよ」
「この数日の君の様子から、君はしっかりしている。ホステスにはもったいない」
女の瞳にみるみる涙が満ちる。舞台では見上げる男たちをもてあそぶ強かさに溢れるこのルームメイトも、暖かなことばを渇望するひとりの孤独な女なのだ。
「君がしっかりボーイフレンドを背後から支えてあげたらどうかね」
ティッシュで涙を拭って、「田舎にいた時に雑貨店でレジを担当していたことがあるの。帳簿付けくらいならできるかもしれない」
「それはよい。毎日のお金の管理は成功の鍵になるよ」
「そうしようかな。姐さんはあなたがいなければ命を落としていたかもしれない。でもこんなラッキーがどこにでも転がっていないのは、この数年で身に滲みたわ。ボーイフレンドと膝を突きあわせて話すことにしよう」
女から微笑が漏れた。大学生の歳だろうが、生半可な学生よりもしっかりしている。
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