第3話

 夕刻にルームメイトが帰宅した。見覚えのある顔だ。トップレス・バーで見かけたことがある。

 中畑から前夜以来の事情を聞き終えたルームメイトが中畑をハグしてきた。サラに向かって、あなたはラッキーね、私だったら男に放り出されるところだわ、と告げる。

 翌日の月曜日朝早く、ふたりはホテル前に駐車していたタクシーを利用して病院に向かった。ジミーはルームメイトが夕刻まで面倒を見てくれることになった。

 予約なしの外来患者は受付で訪問目的を告げ、既往症の質問事項や、保険の有無や費用の負担、付添い人との関係を明らかにしなければならない。これらのために優に二時間を費やし、医者の診断を受けたのは十一時近くになっていた。この診断は症状の緊急度やどの専門医師の分野なのかを判断するものである。

 診断した医者は、サラの子宮内に腫瘍ができていて婦人科医の診断が必要であること、症状は緊急を要しないようだが腫瘍の除去は早い方がよいだろう、と告げた。悪性でないことに安堵するふたりであった。

 通常はその日はそこまでで、別の日の婦人科医とのアポイントを取ることになるが、その日にアポイントのキャンセルがあったとかで、午後の三時頃に別の階で婦人科医の診断を受けることができると告げられた。公衆電話でこれをアパートのルームメイトに告げて、彼女の出勤前にジミーを病院まで送り届けてもらう手配をした中畑が、サラを伴って地下のカフェテリアに降りて昼食を取った。


 前日のアパートやそのカフェテリアでサラがポツリポツリと過去の事情を語り始めた。

 サラはカナダと国境を接するノースダコタ州の農家の出身であった。ビスマークという同州の州都で最大の町からおよそ一時間ほど北の地が実家の所在地だ。ビスマークは天気予報に頻繁に現れる地で、真冬は摂氏零下三十度を下回る四十八州では最も寒い地として知られている。ドイツやロシアからの移住者が多く、サラの両親も十九世紀に渡来したドイツ系家族の子孫だ。

 サラが高校在学中に実家近辺で渡り鳥が広めたとされる鶏インフルエンザが蔓延し、養鶏が大量に処分された。その数年前に養鶏舎や設備を新設したサラの実家では、そのために借り入れたローンの返済に窮することになり、土地の半分を手放さねばならなかった。

 高校で優等生だったサラは大学への進学を諦めて、東隣のミネソタ州の都会であるミネアポリス市に出稼ぎに出た。アルバイトを重ねながら定職を探す間には、市内にあった慈善団体が運営する職業訓練にも参加した。アパートにあった簿記の教科書はそのクラスで使用したものであった。簿記は入門コースを修了して中級に進むまでになっていた。プログラマーのアシスタントは報酬がよいからと訓練所で勧められてコンピューター言語の基礎クラスにも通ったそうだ。

 ところが、そのミネアポリスで知り合った俳優志願の男と恋に落ちたサラは妊娠してしまった。やがて移り気の男が去るとサラは幼児を抱えるシングルマザーになってしまい、職業訓練も中途で諦めて定職に就く機会が遠ざかってしまった。

 ミネアポリスは売春婦を多く輩出するという闇の評判で知られる。ニューヨークのマンハッタンで数時間に数千ドルを稼ぐ高級コールガールの大半はミネソタ州の出身と囁かれるほどだ。サラもその筋からアプローチされていったんは組織に加わったものの、子連れは疎んじられることになり、窮したサラは新天地を求めてシカゴに移ってきたのだ。三年前のことであった。

 最初はレストランでウェイトレスをしていたが、トップレス・バーのマネジャーから誘われて前年からラッシュ・ストリートでホステスをしている。この業界は定着率が悪く、この一年半でサラが勤続期間では最長になり新入りホステスのとりまとめを任されるまでになっていた。店から手にする報酬はウェイトレス時代と大差がないものの、密かに客から手にするチップのおかげでささやかながらも貯金を続けることができる。そのため今までホステスを続けてきたのだ。

 ホステスの多くが、店が引けるやそれまで残った客を相手に売春行為に走るのが常であったが、サラはそこまで身を落とすことは躊躇してきた。実家の地では優等生の評判が高かったことが踏み止まるブレーキとなっていたといえよう。


 三時過ぎからの診断では、悪性ではないものの腫瘍は拡大しつつあり早い除去を薦められた。手術でふたを開けた際の状況次第では子宮の撤去もあり得るとの警告も添えられた。

 経費が心配なのか手術を先送りするような素ぶりのサラを制して、中畑が早い手術をと医者に告げた。国の保険が負担しない経費は中畑が支払うことを確認した書類に署名して、手術日は翌週の水曜日に決まった。

 ジミーの手を引いて待合室に現れたルームメイトに、バーのマネジャーには健康上の理由でしばらく休みを取ると伝えるように依頼して、サラとジミーを伴って病院を出た。アパート近くのイタリアンで夕食を済ませて三人はサラのアパートにもどった。中畑はあの夜にサラに告げたように、再びバーには出勤させずに当面の生活の面倒を見るつもりでいた。


 その土曜日に中畑は運転免許の実技テストに合格した。ペーパーテストは最初の日にアルバイトの学生が連れて行ってくれた交通局でパスしていた。その場で顔写真を撮られ、正規の免許証が手渡された。

 ホテルに帰る途中でアルバイト学生に頼んでフォード自動車の販売店に立ち寄った。付き添った学生のアドバイスも考慮して、当時人気があったグラナダというブランドの中級車を購入した。当時は八気筒の大型車がまだ幅を利かせていた時代であったが、生まれてはじめて車を運転する身には大型車は気おくれして中型車のグラナダにしたのだ。

 グラナダをホテルの近くの駐車場に停めた中畑はサラの部屋に立ち寄って車を手に入れたことを伝えた。

 「手術の経過がよければ再来週にでもアパートを探しに郊外に出かけよう」

 「カズ、私とジミーも同じアパートで暮らせるの?」

 「そうだよ。郊外だから君の車も必要だな。その時に手に入れよう」日本から少々の貯金を持参していた。

 「なにからなにまでお世話になるわ。こんなことが許されるのかしら?」

 「サラ、余計な心配をせずに、君の健康を回復することがまず先決だ」

 サラが身を摺り寄せてきて中畑の唇を求める。トップレス・バーでは見ることがなかった愛くるしい女がそこにいる。

 中畑にはこれまでにも交際した女性がいた。肉体関係を持った女性もいたが、サラに対するほどの愛おしい思いを抱いた相手はいなかった。中畑にはなにかがこの女性を離し難くしているように思われてならなかった。


 中畑は支店では機械部門に属していた。担当するのは、日本から輸入した荷役機械を全米に展開した販売店網を通じて販売することであった。支店はシカゴでも最も高級で知られる高層ビル内にあった。広いスペースに大きな個人用のデスクが置かれ、お互いに机を突きあわせた丸の内のオフィス風景とは別世界のように瀟洒だ。しかし、中畑が担当するのは倉庫や工場で使用される荷役機械であり、在庫を収容する倉庫を郊外に借りていた。職員たちはオフィスと倉庫の間を頻繁に行き来せねばならなかった。

 そのため、中畑の発案で、シカゴ空港の真西に新設されつつあった工業団地の一角に事務と流通機能を合わせた倉庫付きの事務所をリースすることにした。移転時期は中畑が運転免許書を手に入れた翌月とすることでリース契約を結んだばかりであった。

 最初の夜にサラに告げた中畑の考えとは、この新拠点に近いアパートにサラとジミーを同居させてサラの職場を探すことであった。


 手術日の水曜日は朝一番に病院に到着するように告げられていた。ふたりは八時に受付に到着した。ジミーはその日もルームメイトが病院に届けてくれることになっていた。

 三階の病室に入ると、ガウンに着替えたサラはベッドに寝かされ、血圧や体温など手術に先立った検査を受けた。

 やがて、看護婦が体毛を剃ると現れた。付き添うように懇願するサラが中畑の手を離さない。カーテンを閉めた看護婦が、サラの股を開いてアルコールを塗り、恥毛を剃り始める。毎度のことだからか手際よく、ものの一分ほどで剃り終わった。子供を産んだことのある女性にしては初々しいジョージア・オキーフの作品にあるような花弁がそこにあった。

 麻酔師が全身麻酔を施し、サラはベッドのまま手術室に運ばれていった。順調ならば十一時頃までには病室にもどるだろうと看護婦がいい残した。中畑はエレベーター・ホールの脇にある待合室に移った。


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