第157話 オド
血気盛んな若い竜人の相手をし、拳の一振りで地面に転がしたリュティエ。
尚も食い下がろうとした竜人に対して彼は獰猛な笑みを浮かべ両の拳を打ち合わせた。
その時、彼は「どおれ、儂が相手をしてやろう」と不意に背後から声をかけられる。
全く気配に気がつかなかったことで「どんな奴が相手をしてくれるんだろう」とワクワクしたリュティエだったが、すぐに肩を落とす。
何故なら立っていたのは枯れ木のような老人だったからだ。
額から生えたツノはみずみずしさが無くささくれ立ち、強靭だったろう鱗は灰色にくすみひび割れしている箇所さえある。
牙こそ抜け落ちてはいないものの、ただそれだけに過ぎない。
総じてこの竜人の老人からは、強さというものをまるで感じなかった。
「冗談を」鼻で笑うリュティエに老人は彼を哀れむように眺め大きなため息をつく。
彼にはそれが癪に触った。
「こんな弱々しい老人が自分を……」とリュティエは心の中でそう呟く。
暴れ者だったが弱き者に手をあげることだけは控えてきたリュティエ。しかし、この時だけは魔がさしてしまう。
「しまった」と彼が後悔するも遅く、振り下ろした拳は真っ直ぐに老人の頭を捉える。
「なんと拳が空を切ったのです」
「老人なのにとんでもない反応速度だな」
「ええ。いま思い出しても見事の一言に尽きます」
リュティエはグルルと喉を鳴らし昔日の思いからか目を細める。
拳が空を切ったことでリュティエは老人に立ち会いを申し込む。
「仕方ないのお」と言いつつも老人は彼の申し出を受けた。
両手を腰の後ろを回したままの老人に向けリュティエは何度も拳を振るうが全て老人に躱されてしまう。
彼の攻勢が途切れたところで、老人は瞬きする程の僅かな時で足音も立てずリュティエににじり寄った。
そのままの勢いで跳躍した老人のささくれだった細く長い指先がリュティエの眉間を突く。
対するリュティエはまるで反応できず、額に衝撃を受け初めて老人の動きに気が付くほどだった。
ところが、指先から伸びた鉤爪がリュティエの額を傷付けるまでには至らない。いや、ワザとリュティエを傷つけなかったのだ。
それでもリュティエはその場で意識を失うってしまった。
彼が後ほど老人の弟子から聞いた話だが、あの時少しだけ魔力を使ったんだそうだ。
気絶から回復したリュティエは、老人に弟子にしてくれるよう頼み込み、数度断られた後に彼の弟子となる。
「魔力を使うと相手を気絶させたりできるのかあ。すごいな」
どこかズレた感想を述べる俺に向けリュティエは指を立て首を振った。
「いえ、そのような事ができるのは我が師とほんの数人だけですぞ」
「難しい技術なのかな。リュティエも学んだんだよな?」
「然り。てすが、私には少しばかり繊細過ぎるようでしてな。ついぞ習得できませんでした」
朗らかに笑うリュティエに悔しさは全く感じない。
こういう竹を割ったような性格は好感が持てる。
できないことはできない。できる人は素直に褒め讃えたい。
なかなかできることじゃあないよな。俺も彼のように強くありたいと思う。
……思うだけで、俺にはできそうにもないけどさ……だけど、そうありたいと思うことは事実なんだ。
「リュティエは老人の元でどれくらい修行をしたんだ?」
「三年近く稽古をつけてもらいましたぞ」
「三年も! それってすごいことだと思う」
「いえいえ。魔力――いや、オドはまだまだ使いこなせませぬ。拳を当てただけで相手を気絶させることもできませんし」
「それだけ頑張ったってことがすごいんじゃないか!」
謙遜するリュティエに食い下がる。
俺が興奮した様子だったのが響いたのか、リュティエが体を起こしこちらに顔を向ける。
彼の動きにつられるように俺も起き上がってあぐらをかく。
ん。
聞きなれない言葉をリュティエが言っていたな。
魔力ではなくてオド? またしても俺の知識が勝手な変換をしたようだ。
オドって北欧神話の主神オーディンから取った言葉で、たしか生き物を含むあらゆる物体から出ているとされる力のこと。
オドって言い方はより「オーラ」って言った方がしっくりくるんだけど、オドと聞こえるのだから何か意味合いに違いがあるのかもしれない。
俺のイメージとしては、マナ、魔力、オド、
「いやはや、ふじちま殿にそう言われては悪い気はしませぬ。私も少しでしたらオドが使えるのです」
「お、おー!」
「ゴブリンの前で『吠えた』のですよ。あの時、オドを使いました」
「物凄い威力だったってフレデリックから聞いてるよ」
「いやいや。ふじちま殿の足元にも及びませぬよ。ちょっとした力に過ぎません」
いやいやいや。そんなことはない。
リュティエの咆哮はただの声じゃあないと聞いている。
周囲にいたゴブリンがばったばったと気絶したってさ……。「ちょっとした」なんてとんでもねえよ。
あと、彼の中で一体俺はどんな存在になってんだ? 俺にあるのはアプリパワーの絶対防御だけだぞ。
実際に格闘なんてしたら、戦闘にもならずリュティエと対峙するだけで気を失いかねない。
リュティエには尊敬する師がいた。師は竜人の老人であり……おそらく。
「その牙の主がリュティエの師ってことなんだな?」
確認するように尋ねるとリュティエは首を縦に振る。
「その通りです」
そいつは複雑な心境になっても仕方ない。
竜人が荒地にやって来た時、彼はどんな気持ちで竜人達と交渉をしたのだろう。
結果、獣人が引き大草原にやって来た。
人によってはリュティエを戦わずして逃げ去った臆病者と罵るかもしれない。だけど、俺はそうは思わないんだ。
戦い、傷付き、全滅するよりも無傷で落ち延び新天地で再起をかける。
彼の決断力、獣人達を引っ張る力は非凡なものだろう。
「聞かせてくれてありがとう」
「お恥ずかしい話で」
「俺はさ、リュティエ」
「はい」
「君と竜人の間にどのような交渉があったのか分からないけど、俺は君の決断を尊いものだと思う。決して卑下するものなんかじゃない」
「ふじちま殿……」
ポンとリュティエの肩を叩き、精一杯の笑顔を彼に向ける。
一方で彼は感極まったのか、目元に涙をため喉を鳴らしていた。
「竜人達と私たちの間でどのような交渉があったのかは、まず先に竜人達の言葉を聞いてくださらぬか?」
「分かった。そうするよ」
リュティエの思いは理解できる。
ここで俺が彼から竜人と獣人の交渉内容を聞いてしまっては、色眼鏡で見てしまうことを懸念したのだろう。
俺は竜人の事なんて知らないし、彼の事を友人と思っている。
そんな彼から話を聞いたら、獣人側の事情にしか気が向か無くなってしまうことは間違いない。
彼は不器用だ。自分が損することも多々あると思う。
もうなんというか、誇り高すぎて眩し過ぎる……。
「ガハハハ。湿っぽい話で申し訳ない」
「いや、聞けてよかったよ。ありがとう」
この言葉を最後に俺とリュティエは水車小屋に戻る。
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