第77話 あんまりな名前だろ
「君は?」
少女は薄茶色の革靴に貫頭衣……ではなくワンピースのように見えるクリーム色の衣装をまとっていた。非常にシンプルで柄さえ全くないんだけど、彼女はどこか品のあるように見える。
ワギャンくらいの身長で歳の頃は十二歳か十三歳かくらいかなあ。
彼女はペコリとお辞儀をして、大きいまんまるな青い目で俺を見上げる。
「はじめまして! 夜遅くに突然すいません。で、でも……」
「あ、マルーブルクの指示かな」
言いずらそうにあせあせする少女へやんわりと呟くと、彼女は「うんうん」と首を大きく上下に振った。
「はい。マルーブルク様から行けと」
「彼らしいな。何用だろ?」
思わずクスリと声が出てしまう。
それで安心したのか、彼女はひまわりのような満面の笑みを浮かべて言葉を返す。
「獣人さんの言葉を学んでこいって。あ、あと、タイタニアさんの邪魔をしないようにと」
「分かった。タイタニアもワギャンも嫌がることはないと思う。むしろ、人が増えて歓迎じゃないかな」
「どうぞどうぞ」と彼女を家に招き入れる。
あ、大事な事を忘れてた。
「俺は藤島良辰。君は?」
「ワタシは……フジデリカです! 良辰さん、よろしくお願いします!」
彼女も自己紹介がまだだと気がついたようで慌てたように名を名乗る。
変わった名前だなあ。
彼女を連れてリビングに移動したら、タイタニアとワギャンが立ち上がってフジデリカの前に来る。
「マルーブルクからの命令で彼女も言葉を学ぶことになった」
「フジデリカです!」
ペコリと頭を下げるフジデリカにワギャンとタイタニアは会釈で返す。
「はじめまして! タイタニアです!」
「……ワギャンだ」
「わーわー」と楽しそうにフジデリカをソファーに座らせ、紅茶を準備するタイタニア。
「ふじちま、あの人」
「ん?」
ワギャンに耳元で囁かれ、ようやく気がついた。そういや俺、アクセス権の設定なんてしていないよな。なのに彼女はどうやってここまで?
じっとフジデリカを見つめていたら、彼女は両手を頬に当て目をそらす。
仕草こそ恥ずかしがっているように見えるけど、顔にはまるで出ていない。
んー、んんんー。見つめられて恥ずかしがっているのではなく、誤魔化している仕草だよな……?
アクセス権の縛りがある以上、タイタニアを覗けば人間は残り三人。
背丈からして……該当するのは一人しかいない。
しっかし、全く気が付かなかったぞ。だってえ、こ憎たらしいドエス王子がまさかあんな……可憐で愛らしい少女に化けるなんて。
い、いや。ひょっとしたらアクセス権の仕様上、同じ名前だったらは入れちゃったりするとか。なら、改名したら……。
ぐるぐると脳内で大混乱していたら、フジデリカに服の裾をちょいちょいと引っ張られた。
振り向くと彼女は無言でテラスの方向を見やる。
「タイタニア、ちょっとフジデリカにテラスを見せて来るよ」
「テラスは素敵だもの! 気になるのは分かる!」
タイタニアは何ら疑問にも思わず俺へ言葉を返す。
そんなこんなで俺はフジデリカとワギャンを連れて窓からテラスに出る。
テラスに出たところでなるべく声がタイタニアまで届かぬようぴしゃりと窓を閉じた。
フジデリカは俺の手を引き、ガーデニングチェアに座らせる。そのまま彼女は俺の耳元へ口を寄せてきた。
すると揺れる彼女の髪の毛からなんだかいい香りが漂ってきて微妙な気持ちに……。
「ヨッシー。さすがにキミは気が付いていると思うけど」
「や、やっぱりマルーブルクなのか? 同じ名前の双子の妹とかじゃなくて?」
「ボクには上に兄が四人いるだけだよ。妹も姉もいない」
「で、でも……」
言われてみたらよく見て見ると確かにマルーブルクで間違いないんだ。だけど、これほどまでに女装が似合ってしまうと別人じゃないかと思ってしまう。
「ふじちま。匂いがマルーブルクと同じだ。僕の目からは、いつものマルーブルクと同じような顔に見える」
「そ、そうか」
俺だってコボルトの顔を毛色と毛並み以外で見分けろと言われたら結構きつい。そうか、彼らは匂いで区別がつくのかあ。犬みたいだな……。
「別に女装するのがボクの趣味ってわけじゃないから、そこは誤解しないように」
「そ、そうなのか」
「女装が一番効果的だったからそうしたまでさ」
そう言ってフジデリカことマルーブルクは、窓の向こうでるんるんと紅茶を淹れているタイタニアを見やる。
やっと理解できたよ。
「タイタニアにとってマルーブルクは雲の上の存在なわけだから、彼女を思って女装したってわけか」
「そういうこと。だから、タイタニアには秘密にしておいて欲しい」
「うん。でもどうして急に言葉を学びに? 多忙だったんじゃないのか?」
「そうだね。いろいろとやることはある。でも、夜はこうして言葉を学ぶことにしたんだ」
「言語習得が危急になったってこと?」
「その通りだよ。最低限の政務をこなしつつ、ボクも言語習得をするつもりなんだよ。枠の外でのいざこざ、何よりゴブリン達のことがある」
ようやく掴めて来た。俺がいるから公国と獣人はお互いに意思疎通することができる。
でも、俺は一人だけなんだ。ゴブリンがもし大軍で街を囲ったら? 災害によって右往左往したら? そうなると通訳が必要な場面は同時多発することだろう。
人手が足りない。タイタニアとマルーブルク、ワギャンの三名が言葉を覚えてくれたら、四か所まで対応することができるようになるんだ。
街はそれなりに広いしさ。
「ひらがなはタイタニア以外の全員が獣人も含めて習得できただろ? 第一優先である扉の通過権は実行可能なところまできたんだ」
考えている間にもマルーブルクの言葉が続く。
今日もお泊り会の前にはいつもの会議とひらがなの練習は行なったんだ。
「うん、今日のお勉強を見た限り大丈夫そうな感じだったよな」
「そうだね。リュティエらは昼間もひらがなの練習をしていたみたいだったよ。文字に慣れないのに習得がとてもはやくて驚いたさ」
彼の言わんとしていることは何なのかさすがの俺でも推測ができる。
ひらがなを覚えたから、明日よりガンガン扉のアクセス権を設定していくことだろう。そうすれば、最低限の安全が確保される。
街の人たちも移って来たばかりで、ようやくホッとできるようになるはず。
それじゃあ、その次に優先すべきことはなんだろ? 答えが言語習得ってことだったわけか。
「最優先課題のひらがな習得が終わったから、優先順位が繰り上がって言語を学びに来たってわけかな?」
自分の考えが正しいか確認するようにマルーブルクへ問いかける。
「うん。ボクが習得することが一番メリットが高い」
安全が確保された後は、安心して農作業や牧畜を行ったり、家の建築が急ピッチで進み……暮らしが安定し、生活に慣れてきたら表面化してくるのが潜在的な不安要素だ。
災害などで危急に迫れていない時は、枠の外で起こったようないざこざが噴出してくるかもしれない。
そんな時、マルーブルク自ら出て行き、獣人たちと会話することは非常に有効だと思う。
「なるほど。理解はしたけど、君は多忙だろう?」
「問題ないさ。夜以外は言語習得の時間に当てない。なにより災害対策、紛争解決……全てにおいて頂点に立つ僕自らが獣人と直接交渉する姿を公国の者に見せる心理的効果も大きい」
「了解。一緒に言葉を学ぶこと自体は大歓迎だよ。頑張ろうぜ。ただ無理し過ぎないでくれよ」
「うん。よろしく頼むよ」
マルーブルクと握手を交わし椅子から立ち上がる。
ワギャンへ「タイタニアへマルーブルクのことは秘密にしておいて」と伝えてから、俺たちは部屋に戻ったのだった。
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