第42話 超越者の後処理
「ぐうぅぅぬ…………」
苦悶を漏らし、何処とも知れぬ暗闇の中、
武道館での戦い、いや、戦いとも呼べぬ交差かもしれないが、
仮にタケルが握った刀が、彼の力に耐えられる代物であったなら、東元歳は既にこの世にいなかっただろう。
しかし、現状も文字通り、虫の息。
このままでは遅かれ、己は息絶える。
それを認めきれなかった東元歳は、自分を後押ししていた同胞を置き去りにし、戦いの渦中から抜け出した。
戦線から逃亡した彼は、鬼気に溢れた達人の面影なく、ただの枯れた老人。
今にも崩れそうな弱々しい体を引き摺り、薄汚れた道を這いずる。
東元歳は、何処か治療できそうな場所を当てもなく探し求めているのだ。
まだ、満足していない。
長年、戦いと血に飢えた男は、尚も争いを求める。生恥を曝しても、まだ戦える道を探す。
最後の瞬間まで、彼は戦いに身を投じたかった。
それがこの男の執念。命の削り合いに魅入られた、男の激情。
消えゆく蝋燭の灯が激しく燃える如く、あるいは真夏の虫が死に際激しく悶えるように、東元歳は足掻く。
そして。
彼は何処か知らない広々とした場所に辿りついた時、その男がいた。
「予想通りの時間に到着だな、探琶東元歳」
聞いただけで周りの人間を酩酊させる。
あるいは屈服させる。
魔性の声が、その場に響いた。
何故、その男がそこにいたのか、東元歳は知らない。解らない。
弦木ジン。
初めて見るその姿を、東元歳は直視した。
完璧を突き抜けた容貌、そこに居るだけで万象を支配しそうな存在感。
直接目にすることはこれが初めて。しかし、ジンのことを東元歳は知っている。
数年前、弦木家を襲撃した最たる理由が、この弦木ジンとの死合いだったからだ。
超越者とも呼ばれた男を屠れば、自分の存在はより高みに至る。
そう信じて、弦木家に襲撃し、彼の弟であるタケルの相打ちになった。
ある意味で長年求めた男の登場に、東元歳は言葉を失った。
何故、ここにいるか?
そんな疑問を感じる暇もなく。
「────」
東元歳は、ジンがいる場に足を踏み入れた瞬間、既に彼に淘汰されていた。
ジンは何もしていない。
ただそこに居て、言葉を投げかけられたのみ。
「ふむ…………」
だが、それだけで。
達人、東元歳の魂はこの世から消滅したのだ。
隠し切れない覇気。なそこにいるだけで周囲に影響を与える圧力。
何よりジンは、ほんの僅かにだが、昂ぶっていた。
だが、彼の少しの気合は、虫の息であった東元歳には劇薬そのもの。
長年血に飢え、多くの者の人生を狂わした男の最後は、何も解らず只輝きに魅せられて、存在を焼かれる、飛んで火にいる虫のような呆気ない末路だった。
ジンはやって来た東元歳が息絶えたことを知ると、つまらなさそうに歎息する。
「私を見ただけで果てたか」
やれやれと、超越者は身を竦める。
「タケルに致命傷を負わせられたとはいえ、少し気が立っていた私に近づいただけで死ぬとはな…………」
つまらなそうに言うが、特に嘆きはしない。
彼にとってこの結果は十分想定の範囲だった。
それでも、己の母を殺し、弟を傷つけた男との邂逅は、想像以上に落胆した。
東元歳と直接に逢えば、彼の愛しき存在を殺めた相手に嘗てない怒りを抱くではないかと、紙一重文の期待はしていたが、呆気ない結果にジンは興ざめする。
「予想の範疇とはいえ、何の為にここまで手引きしたか解らぬな」
「それは仕方ないことでしょう」
ジンの傍に影の如く潜んでいた
「貴方の威光は麻薬に等しい。大抵のものは魅せられ、精神が至らぬものは廃人のなる」
「過ぎた
ジンは東元歳の亡骸を一瞥する。
彼の亡骸は、果てたことで自立する力を失ったのか、あるいはジンの眼光に衝撃を受けたのか、崩れる様にその場に倒れる。
「我が愛しき家族の運命を変えた男がどんなもの確認したかったのだが、思いのほかつまらなかったな」
そう言いながら、ジンは笑みを浮かべた。
悪魔のような、邪悪な笑み。
あるいは慈愛に満ちた聖者の輝きか。
視る者によって、映り方が変わる姿を魅せながら、彼は言う。
「しかし、貴君の働きで少し面白いことになった。礼を言うぞ、探琶東元歳」
それを最後にジンは身を翻した。
後の処理は何も言わずとも側近である宗司が行う。
「さて、舞台裏の掃除も終わりだ。次なる劇の様子見に行くか……」
ジンは既に背にある男の存在を頭から無くし、次なる場所に向かった。
†
第27回
現場の居合わせた武術者の活躍により、負傷者は合計三四名出たもの、一般人間には死人が出なかった。
何人もの人間が、黒子のような姿をした武術者に助けられたと証言しているが、報道陣はこれを警察の特殊部隊だと解釈した。
ただ、過激派の首謀者、探琶東元歳の遺体は現場から離れた位置で発見される。
彼には大きな斬り傷があったが、死因がショック死だと断定されると、好き勝手な誹謗中傷が至る場所から飛び交った。
その罵声にも飽きた者が増える頃には、事件はただ記録のみの存在に成り下がった。
日常が戻る。
まだ多くの戦いが影で繰り広げられる中、それでも日常は回る。
人々は日常を謳歌する。
例え、自分の知らぬ所で多くの嘆きがあろうとも、彼は変わらない平凡を過ごす。
皆、自分の目の前に起きた戦いしか知らぬ。興味がない。
武力に塗れた世界は、今日もいつもと変わらない光景を描いている。
†
ジンは嬉しそうな顔で自分の髪を撫でながら、己の屋敷を歩いていた。
ジンが撫でる場所、そこは先程、妹であるユキが、彼の髪の毛を抜いた場所である。
妹が何処まで今回の一件を知ったかは確認してないが、毛の一本を抜くぐらいはしたかったらしい。
ジン兄さんはビンタしても逆にこっちが痛くなるから、こうしたほうがいいでしょう?
小悪魔のような微笑みで言った言葉を思い出し、ジンは悦に浸る。
逞しく育ったと、心を震わせた。
ユキは両親の顔を覚えぬまま育った。
何かしら心に弊害を持つかと、多少は危惧したものの、巡り合わせに恵まれたのか、しっかりと健全と成長した事にジンは微笑ましかった。
だが、些細なこととはいえ、自分に危害を与えられてここまで喜ぶとは、非常に禍々しいだろう。
ジンは、自分自身でも、己の価値観はかなり歪曲していることを理解はしていた。
だが、他人の食い違っているのは、今に始まったことではないのだ。
今更、感性だけ矯正するのも可笑しいだろう。
そもそも改善する気はなく、今後とも抑える気もない。
何よりも、当たり前のことをしている方が、気も楽だった。
人より多くの物を既に手にしていた男は、人よりも欲する物があまりにも少なかった。
望まなくとも、殆どの物が手の中にあった。
故に、自分が欲する物、自分が大切にする物は全力でことに当たると決めている。
身内に対する愛情。
大きく、そして限定的な感情。
ジンにとっての、一番尊いものだ。
歪であれ、強引であれ、相手が拒もうとも、押し通し、蹂躙し、愛する。
家族の為ならば、それが些細であれ、余計なお世話であれ、
これが病のようなものだというのならば、永遠に治らなくても良いと思っていた。
何より約束した。
これまで以上に家族を愛すると。
彼は微笑みを交わし合いながら、母親の死に際に、誓いを立てたのだ。
誓いは、守らなければならない。
自分の弟や、彼を慕う彼女たちも、それぐらい開き治ればいいとジンは考えている。
その弟の部屋の前にジンは立ち止まり、扉をノックする。
「入るぞ」
そう言ってジンは、タケルの部屋の中に入った。
部屋の奥に設置されている大きなベッドには、疲労困憊で眠ったままのタケルがいた。
そして、そんな彼を見守るように、手当を終えた天花と生鐘が左右に座っていた。
二人はジンの存在に気づくと、立ち上がろうとしたがジンが手の平で制する。
「かまわん。そのまま、かけておけ」
「……かしこまりました」
「……はい」
そう答えてから、彼女たちは微妙な顔でジンを眺めた。
「タケルの具合はどうだ?」
「ええ。御蔭様で、今は眠っております」
棘を含んだ声で答えたのは
左に座っていた
彼女たちはタケルの現状の原因が、ジンのやり取りであると既に知っていた。
しかし、僅かに毒を吐いた生鐘ですら、ジンを責めるような目で見ていない。
天花もタケルとは長い付き合いなので、ジンともかなり前から面識はあったが、年上への遠慮で、避難の目を向けないわけでもないようだ。
そんな彼女たちに、ジンは訊ねる。
「貴君等も既にタケルのこの状態が私に原因があると知っていると思うが、何も言うとないのかね?」
「……いえ」
「もっとも、前の原因はタケルくんが私達を助けに来ようとしてくれたからです」
生鐘は小さく反応したのみで、その後は天花が言った。
「ジンさんはただ、そんなタケルくんを止めただけです」
ジンはタケルを思って行動した。だから、天花は責めることをしない。
たが、その方法が過剰過ぎたと天花も思っているので、手放しに許せそうにもなかった。
そんな二人の内心を見透かしていたジンは、別の事も二人に訊ねた。
「タケルが助けに来てくれて、二人は嬉しかったか?」
意外な質問に、二人の少女はそろって目を丸くする。
そして、驚きが終わってから、彼女たちは答えた。
『はい』
彼女のたちのその反応を見たジンは、満足そうに頷く。
「そうか。ならば、タケルも報われよう」
そう言いながらジンは身を翻し、出口に向かった。
もはや、ここは自分がいるべき舞台ではない。
「その想い、タケルに伝えてやってくれ。そうすれば我が弟も、少しは己を誇れるだろう」
最後に一つだけ彼女たちに言い残してから、ジンはその部屋から出て行く。
優雅に立ち去る後ろ姿を眺めてから、生鐘と天花は揃って息を吐いた。
「何だか、ちょっとジンさん、いつもと違ってた」
「やはりジン様と御面識は、それなりにあるのですか?」
「うん。家族大好きな人だよね」
「それだけなら無害、いや、そうでもあの方は──」
生鐘は呆れ気味に何かをぼやきかけた時だった。
「むっ……」
『!?』
タケルが目を覚まして、ゆっくりと起き上がった。
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