第40話 超越者の気まぐれ
意識が、遠退く。
まるで、暗闇の夜空に投げ出されたような気分の中、
ああ、また負けた。
その結果を当然のように受け入れる。
だって、敵わない相手なのは始めから知っていた。
同じ血を引いている筈なのに、自分のあの人では随分と違う生き物だ。
それでも、愚直に挑んだのは、なんて滑稽なのだろう。
届かぬと知りながら、それでも挑む姿は、尊いと見えて、実に無価値だ。
無様に醜態を曝す様子は、なんと情けないことか。
そして、またもその光りに、目を奪われる。
眩しい存在だ。
太陽のような存在だ。
本物の黄金よりも輝いた存在だ。
そこにいるだけで、全てを変えられる存在だ。
──自分が、ずっと憧れた存在だ。
全ての者は、あの人を魅せられる。
自分もあの人に魅せられた。
だから、夢見たのかもしれない。
少しでも、近づきたいと思ったのだ。
同じ者になれなくても、近しい存在になりたいと願ったのだ。
剣を手にしたのも、思えば一番あの人に届きそうだったからかもしれない。
しかし、その鍛えた剣を、今は満足に振るうこともできない。
少しでも近づけると思った自分が無知だった。
挑むことすら、間違っていたのだろう。
普通の人間は、あの人に挑むこと等、思わない。
稀に挑んだ者ですら、一度の敗北で理解する。
にも拘らず、呆れるほど張り合って、威勢で誤魔化し、その度に打ちひしがれる自分は、笑いも取れぬ道化以下だ。
そろそろ、休んでもいいだろう────ふざけるな。
眠ったところで誰も責めないさ────そんなことない。
願えば、神様のようなあの人に叶えてもらえる────それでいいのか?
雑音が、まだ聴こえる。
なぜ、自分はこうも諦めが悪いのか。
眠ろうとする自分に、苛立ちを覚える。
情けない自分に、吐き気が込み上げる。
自分は無様だ。
貧弱。根暗。可愛げもない。
おまけに最近では優柔不断ときた。
けど、そんなことは解っていたことだ。
別に醜態塗れの人生でも、自分は生きていける。
何もしなくても、家畜を飼う感覚で、あの人は自分を養うだろう。
怠惰で自由な生活は、きっと楽だ。
しかし、そんなものを俺は望まない。
だって、ださい。
かっこ悪過ぎだろ、それ。
なんだ、愛玩動物か? それは塵芥以下だと、俺は思うね。
役者じゃないからって、かっこ悪くてもいいなんても思えない。
自己満足だろな。
好きで俺はカッコ良くなりたいんだ。
憧れたのがあの人ならば、カッコ良くなりたいのは自然だろ。
俺は、家族も守れなかった。
俺は、大事な友人も泣かせた。
惨めな姿を何度も見せた。見られた。恥ずかしさで死んでしまいそうだ。
それでも、向けられた微笑みがある。
それでも、忘れられない笑顔がある。
そんなのを見せられたら、まだ意地を張りたくなるだろ。
良い所を見せたい、と思うのが普通だ。
数え切れないほど助けてもらったんだから、できることは何でもしたい。
大したことはできない俺だけど、せめてアイツらだけは、笑っていてもらうために。
だから────。
†
「」
「か」
「 」
「かも」
「?」
「かも、かも、てなぁ……」
「おや? もう意識を取り戻したか?」
弦木ジンが振り向くと、タケルがいつの間にか立っていて彼を睨んでいた。
タケルは自分自身を鼓舞するように、己の想いを轟き叫ぶ。
「不確定な『かも』に任せられる程、アイツらはどっちも軽くねぇんだよ!」
自分が動いた所でなにも変わらない『かも』しれない。
だが、それが如何した。
そんなことは関係ないのだ。
いま、自分の大切な相手が危ない目に合っている。
立ち上がり、動く理由など、それで十分過ぎるのだ。
「なるほど」
その力強い言葉を誰よりも近く聞いたジンは、酔いしれた様に笑みを溢す。
しかし、ジンのやるべきことも変わらない。
他人の思いで覆されるほど、彼の愛も軽くないのだ。
「意気込みはいい。それで、どうするのだ?」
立ち上がったタケルに対して、ジンは悠然と問いかける。
「少なくとも剣がなければ、貴君が私から退くことは不可能だぞ?」
「剣なら、ある」
そう言ってタケルは相手に背中が見せるほど大きく腰を捻り、両足を広げた。
何かの技の構えだとは、ジンにもすぐに理解する。
だが、タケルの両手には何もない。
しかし、まるで彼は今から剣でも振るう様な構えをしていた。
面白い。
「ほう、何処に剣があるのだ?」
久しぶりに血をざわめかせながら、ジンに興奮気味に再び問いかけた。
当然のように、タケルは告げる。
「この俺、そのものが剣だ!」
タケルが技を放った。
緻密な動きを一瞬で行い、揺るぎないが全くない音速を超えた刀身で、物体を切り裂く斬撃現象を引き起こす、超人の剣技。
そう、剣技だ。
刀を持って行う技が故に剣技なのだ。
だが、タケルは刀を持っていない。
あろうことか、タケルは『手刀』で剣技を行ったのだ。
剣を持ってこそ為される超絶の剣なのだ。本来であれば真似事と呼ぶことすらできないはずの所業。
それにも関わらず、タケルは己の肉体のみで、飛来する斬撃を生み出した。
空気が──切り裂かれる。
手刀から生み出された斬撃は、周りの木々を薙ぎ倒し、真っ直ぐとジンに向かった。
ジンは動かなかった。
彼は笑ったまま、飛来する斬撃に右腕を向ける。
空気が弾けた次の瞬間、ジンは手の平で不可視の刃を受け止めた。
ジンはそのまま飛来した斬撃を、手の平だけであっけなく握り潰す。
所詮はその場の浅知恵。
芸当は凄まじいが、刀で行う剣技を手刀で行ったのならば、本来の力も発揮できないのは道理。木々は断つことはできても、鋼は斬れないだろう。
傷一つもつかなかった手を振り払いながら、ジンはタケルに視線を向けた。
タケルはいつの間にか庭の木林から抜け出して、離れた場所を移動していた。
タケルも、先程の烈風でジンを倒せるとは思っていない。
だが、彼から退くことは見事に成功したのだ。
ジンはタケルの策を手放しで内心褒め称える。
しかし、終わらない。
止まらない。
退かれたのならば追うまでのこと。
ジンがその脚力で、一気にタケルに詰めようとした瞬間だった。
「ちょっと待ってくれない、ジン兄さん」
絢爛な声を聞き、ジンの動きがピタリと止まる。あと一瞬でも遅ければ、彼は声も聞かず、タケルを追っていただろう。
すたりと、少女はスーツ姿の女性に抱きかかえられながら、ジンの前に現われた。
少女、彼等の妹である弦木ユキは自分の護衛から離れると、優雅な微笑みをジンに向けた。
その間に、唸るような爆音が此方に迫った。
白銀のバイク。搭乗者はユキの護衛である双子の男の方だ。
彼は庭をバイク駆けると、驚くタケルを回収して、そのまま屋敷の外まで去る。
その一部始終と横目で眺めていたジンは、改めて自分の目の前に立つ妹を見た。
彼女の
「何故邪魔を?」
ジンの問い掛けに、ユキの護衛者は心臓が一瞬止まった。
しかし、直接声を投げかけられたユキは、変わらず微笑んだままである。
「あら? ジン兄さんの邪魔ができたなんて、初めてじゃないかしら」
ユキは嬉しそうにクスクスと笑うと、行動の理由はすんなりと答えた。
「何かタケル兄さんが外に出て行きたいのに、ジン兄さんが無理やり邪魔しているように見えたから、ちょっと手助けしたの」
家が騒がしくなったユキは、すぐさま自分の護衛者に状況を確認させた。
そして、兄たちの争いを聞くと、そのまま自分も行動に移したのである。
「最近タケル兄さんは何か悩んでいたみたいだし、好きにさてた方がいいんじゃないかな、て思ったからついね」
「ほう」
悪戯染みた笑みを浮かべたユキを、ジンもまた微笑んで見下ろす。
「貴君らは私を妨害できる自信があったのか?」
「事実、何とかなったわね。私一人だけならきっと無視されたし、この子たちだけだったらすぐに掃除されるからね」
ユキの言葉通り、彼女だけがこの場に訪れても、ジンはそのまま行動した。
彼女の
「だから、私とこの子が一緒に来たことで、時間を稼げこうと思って。
この子が私を抱えた状態で現われたら、優しいジン兄さんはすぐには何もできないと思ったの。そして、見事成功したわ」
「必要とあれば、家族も傷つけられるぞ」
あっさりと出した冷たい言葉に対して、ユキもあっさりと返す。
「私は兄さんたちと違って武術の心得もないから、戦いに巻き込まれたら死ぬわね」
「当然だな」
「そんなこと、家族に優しい兄さんは許せないのではなくて?」
当たり前のようにユキは言う。
行動事態が正気を疑うが、ジンの行動原理が基本自身の家族の為だ。
しかし、ジンならば、結果として死こそが家族の為などと主張しても不思議ではない。
だが、ユキはそれも理解していながらも、自分の命を難なく賭けて行動したのである。
全ては、自分が思う様に行動したかった故に。
彼女もまた、兄達と同様、我欲を優先したのだ。
「自分を囮兼人質のように扱ったか。我が妹ながら大胆な事をする」
「私はただ家族愛を信じただけよ。弦木家は皆、なんだかんだ言って身内には甘いから」
「身内に甘いのは、家族として当然だろう」
そう微笑みながらジンは身を翻す。
彼が向かう先はタケルが逃げ延びた方向ではなく、屋敷側だった。
「屋敷の者に指示を出してから、少し出かけてくる」
「いってらっしゃい。私は屋敷の片づけで五月蠅いだろうから、外でお茶するわ」
「そうか」
優しそうな声で相槌をしてから。ジンは言葉通り屋敷へと向かった。
彼の姿が完全にその場からなくなると、ユキの護衛である女が緊張の糸を解く。
「怖い思いをさせて、悪いわね」
そうやってユキが労うと、彼女は何でもないと首を横に振ってから、そのまま自分の主をじっと見つめてきた。
「あら? 私の心配をしてくれてるの? 正直、予想外の行動とる人だから私も怖かったけど、貴女がいたから大丈夫だったわよ」
ユキがまるで天使のような笑顔でそう言うと、
そんな従者を面白げに見た後で、ユキは壊れた自分の家を眺めた。
「しかし、本気ではないとはいえグシャグシャね。こんなこともしないと素直になれないなんて、男の人って本当に面倒くさいわ」
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