第37話 超越者は戯れる
「手合わせではないが、これは俗に言う兄弟喧嘩。私にとっては数少ない家族との戯れ」
無音の世界にただ響くのは、唯一君臨する男の魔声。
「ならばこそ、楽しまなければ勿体ない」
瞬間、ジンは闘気を解放した。
バッリン! 天上が崩れ去っても残っていた部屋の窓ガラスが全て割れた。
それだけに留まらず、ジンの足場が亀裂広がり、重圧が空間を圧迫する。
ガタガタ、と、まるで地震でも起きているかのように半壊の部屋、いや、屋敷全体、あるいはそれ以上の範囲で震動が広がった。
一人の男が、その気になっただけでこの現象。
常識では推し量れない、真なる超常現象である
しかし、これでも彼にとっては戯れ、つまり遊び気分であるのが何処までも恐ろしい。
「来い。抗ってみせろ、愛しき弟よ。理不尽に立ち向かう貴君の姿は、どのような匠でも絵画にはできない。この兄が永遠に記憶に焼きつけよう」
まさしく王者の風格。錯覚ではなく、現実に息を詰まらせる威圧を放ち続けるジンはもてなす様に手招きをした。
傍らで眺めていた宗司は、いつの間にか居なくなっている。
彼はこれらか始まる壮絶な兄弟の争いに、他の屋敷で働く人間が巻き込まれないよう、仕事しに行ったのだ。
そして、挑戦者であるタケルは、全力でジンに向かって跳び込む。
普通の人間では見えないくらい速い、という話ではない。
最初から全力を出したタケルは、音を同じ速度だった。
人間が音速で動けるなど、有り得ない。
幾ら長年武術が浸透してきた事により、人間の潜在能力が高められたとは言っても、度が過ぎている。
弦木家。数々の武人を輩出している人間とはいえ、これほどの身体能力は達人ですら目にする事はできないだろう。弦木家の潜在能力は他の武家と比べても、桁が違っていた。
超人。限界に達した先を超えた存在。
長い歴史を持つ弦木家は、稀にそんな人間が現われるのだ。
その弦木家に生を受けたタケルもまた、超人と称されるに相応しい力を持っている。
確かにタケルには体力がない。全力で戦えるのは二分間のみ。
しかし、超人に二分という数字は長い。
倒すだけなら、大抵の敵は簡単に始末できる。
だが──相対するのは同じく弦木家の人間。
そして、もはや人間の範疇すら疑うほどの化け物だった。
音速で移動したタケルが、そのまま音速の殴打をジンに放った。
顔面に右ストレート。単純な攻撃だが、威力は果てしなかった。
タケルの拳がジンに当たると、周囲に積っていた瓦礫が吹き飛んだ。
余波だけでこの威力。只の人間に向けられていれば、それだけで身体が消し飛んでいるかもしれない暴力である。
しかし、そんなタケルの驚異的な拳を、ジンはあろうことか指一本で受け止めたのだ。
ジンは楽しげな顔のまま、進行方向を逸らす様に、拳を受け止めていた指を横に向けた。
タケルの体が、真横に吹き飛んだ。
窓があった部屋の側面にタケルは激突し、そのまま破壊して庭が広がる外へと、身体が投げ出される。
空中を移動するタケル。
そこに、いつの間にかジンがやって来て、彼に拳を叩き込もうとしていた。
焦ったタケルが、寸前のとこで攻撃を何とか避ける。空を薙いだジンの拳は、そのまま地面を抉り、爆音の共に爆心地のようなクレータを生み出す。
お返しとばかりに、空中でタケルがジンに蹴りを放つ。
ジンは避けない。防御もしなかった。否、それら全てが必要でなかった。
鮮血が飛び散る。
血はタケルか飛び出た物。蹴った筈のタケルの脚が負傷したのだ。
空中での不安定な蹴りだったとはいえ、攻撃した側が傷付くとは如何なことだろう。
タケルは苦悶を耐えながら、蹴った衝撃で距離を取り、ようやく地面に脚をつける。
ジンもまた、地上に脚をつけて、愉快そうに声を出して笑いながらタケルに目を向けた。
「ふふ、楽しいな、タケルよ。貴君とこのように戯れたのは、さて、いつぶりかな?」
「知るかよ、んなもん!」
余裕のジンに対して、タケルの顔は何処までも必死だった。
当たり前だ。自分と相手では比べることすら馬鹿馬鹿しい差がある。
タケルが超人と称されるならば、ジンはそれ以上の存在。それ。は彼が持つ異名の一つでもあった。
超越者。ジンは、もはや人の範疇にすら部類できない別次元の存在なのである。
そして、超越者であるジンは、彼にとっては戯れとはいえ戦いの中で、何やら考え事をする。タケルは隙だとは思わない。下手な攻撃は先程の二の舞だ。
タケルがそうやってタイミングを模索して観察すると、ジンは思い立ったように嬉々とした声を上げる。
「ああ、思い出したぞ。あれは私と
「こんな時に、恥ずかしいことを思い出してじゃねぇ!」
流石のタケルも顔を赤くして叫んだが、その反応が益々ジンの愛着心を刺激する。
「自身の醜聞を気にする貴君は、やはり恥ずかしがり屋だ。そんな姿もまた愛しいぞ」
「ぼこるか、恥かしい台詞吐くか、どっちかにしやがれ!」
「それは私の自由だ。止めたければ先程言ったように、力ずくで行え」
「さっきからそうしているんだよ。見れば解んだろうが!」
「果たしきればなければ、為していないと同義。所詮は結果が全てと言ったのは貴君だぞ」
「それも、解ってんだよぉ!」
吼えながらタケルは疾走した。
怒り任せに見えるが、戦いにおいて冷静さは忘れない。会話の間で見つけた場所を狙う。
当然の如く、ジンに隙はない。
だが、彼は遊び気分の慢心している。タケルが狙った個所は隙を生み出す為の着火点。
タケルの殴打が再びジンに向かった。
今度は左ジャブ。狙いはジンの顔面、正確には目だった。
流石に危険を感じたのか、それとも単なる気まぐれか、ジンは笑みを浮かべながら回避行動をとり、首を傾げてあっさりとタケルのジャブを避けた。
そこにタケルの右アッパーが向かってきた。首を傾げたことによって、自らもタケルの拳に顎が近づいている。
しかし、タケルの拳が顎を捕える前に、横から遮る様にジンの左手が現われた。
ジンはそのまま拳を掴んだ腕を徐に振り回し、タケルを投げ飛ばした。
指一本で吹き飛ばされた時よりも、当然といえば当然だが、勢いが違いすぎる。
瞬間移動したかのように視界が変り、タケルの体は庭にあった木々の群に飛び込んで、背中で何本か叩き折ってから、十六本目の木でようやく移動は止まり、そのまま背中を打ちつけながら、血反吐をその場で吐き出した。
そこに、彼こそ瞬間移動でもしたのか、ジンがいつの間にかタケルの目の鼻の先に立っており、苦しげによろめく弟を。興味部深そうに眺めている。
「痛いか? 苦しいか? それは生きている証拠だ。良く味わっておけ」
「マゾヒストじゃねぇんだから、痛いことなんで味わいたくないねぇ」
息を乱しながらタケルが言い放つと、ジンは意外そうな顔を浮かべた。
「おや、そうなのか? ならば、何故、自ら痛みを伴う行いをする?」
「それはアンタが、邪魔するからだろうがッ!」
「元を正せば、貴君が危険な場所に向かおうとしたからだろ。私は愛ゆえにそれを止める」
臆面もなしに愛をジンは語り、そのままタケルに彼は訊ねた。
「だが、貴君は何だ? 痛いのが嫌なのだろ? なのに、何故自ら危険な場所に向かう?」
「誰かを助けるのに理由がいらねぇだろ」
「いや、いる」
誰かが訊けば尊い言葉を、ジンは即座に否定した。
「最低限、助けたい気持ちがなければ、誰かを助けられない。貴君がその場に向かいたい理由は、友人がそこにいるからか? それとも誰かが泣くのが見過ごせないからか?」
「全部だよ、悪いか」
「ああ、悪い。貴君の行動原理は中途半端だ。惰性の行いは真にそれを行う者への冒涜だ」
諭すような声でジンは言った後、また彼は好奇の目でタケルを見つめる。
「なぁ、タケルよ。何故そんなにも必死なのだ? 己が行けば全て解決できると思うほど、貴君は傲慢ではないだろう」
「っ……」
言葉を圧し殺すタケルに対し、ジンは尚も語りかけた。
「事実、貴君は己を恥じている。ああ、確かに貴君は強いだろう。戯れとはいえ、私に付き合えるのがその証拠。刀同士であれば、こうまで一方的でなかっただろうな」
タケルは剣士であり、ジンもまた剣士であった。
だが、タケルが剣の技術だけを極限まで磨いたに対し、ジンは他の武術も天性の素質で養っている。
タケルも他の武術や武術を学ばなかった訳ではないが、ジンの熟練度に比べては遥かに劣っていた。
そもそも、元々のスペック事態が違い過ぎるのだ。
刀を持って初めてタケルは、ジンに挑めるに足ると言えるだろう。
タケルは挑戦者にすら成れなかった。
故にジンにとっては戯れ。そもそも慢心の域すら経っていない遊びかもしれない。彼にとっては、少し自分に吼える子犬とじゃれ合ったに過ぎないのだ。
ジンは圧倒的な強者の視線で、そのままタケルを見下ろす。
「仮に全快であったとしても、他人まで手を伸ばせる余裕は貴君にはない。それは貴君も重々承知している真誠。ゆえに恥じる。己では、全てを解決することはできない」
そして、再びジンは好奇心に満ちた目を、タケルに向けた。
「それを理解しておきながら、何故貴君は自ら危地に赴く? 自衛なら兎も角、脆弱な今の貴君では誰も救えない」
ジンはそのまま諭すように、あるいは真理でも告げる様にタケルに言う。
「誰かを救いたいと願うのならば、道理を覆す気概を抱け。肉体だけではなく、精神までも脆いのであるならば、己すら守ることはできない」
「……さっきから好き放題言いやがって」
なんとか二本の脚で立ちながら、タケルは苛立ち気にジンを睨む。
「そう言う兄さん、どうなんだよ?」
「言いがかり? それとも八つ当たりか? どちらでも構わん、話してみろ」
聞くだけの姿勢に身体を緩める。隙だらけかもしれないが、タケルは行動しない。
仮に行動したところで、この目の前の男には通用しないので、タケルはそのまま自分が感じた不満を口から出した。
「アンタは何でもできんだろ。随分昔に戦争を止めた様に、たった一人でこのことを解決することもできるはずだ」
二一一七年、ジンは偶々訪れた異国の地で起きた内乱を、経った一日で解決したのだ。
世は彼を人為に溢れた英雄の行為と褒め称えたが、彼からすればあれは単なる気まぐれなのである。
気まぐれで、彼は大きな戦いすら簡単に打ち消せる。
理不尽であるものの、その力が、この男にはあるのだ。
「そんな兄さんは、理不尽に誰かが傷付くのを知り、何を考えてんだよ。どう思ってんだ」
「無論、在りのままを受け入れるのみ」
当然の如く、ジンは語った。
それは無常にして、非情。ある意味おいては誠実にして、正しき言葉だった。
「誰かにとって理不尽でも、別の誰かにとっては道理のあうことだ。故に争う。それは人のみならず、生きとし生きる全てのモノに言えるだろう」
この世界には武術が繁栄されているが、そのような戦う力が多くあるからこそ、争いがなくならないわけではないのだ。
どの世界でも主義主張の食い違いは存在する。だからこそ、争いは絶えることない。
もしも争いがない世界があるとすれば、それは誰しもが何も感じない空虚な世界だ。
その世界の真理を理解している男は、次に自分のことも語る。
「確かに私は多少人よりも優れているだろう。常人の何倍もかけて成せることを、一瞬でそれ以上のことを為したことなど数え切れぬ」
生まれながらにして、他者と自分の力に差がある事は理解していた。
多くの人間を魅了する美貌。何でも為せる才能。阻害する者すら現われない運命力。
それら全てを手にしていた男は、当たり前のことを言った。
「だが、人より優れているからといって、何故全てを救わなければならない? 導かなければならない? タケルよ。結局、誰しも自分がしたいことだけをしている」
彼等が果たす義務とは、彼等自身が果たしたいと思った相手のみ賜る恩寵なのだ。
「誰かを救いたい者は、力の有無で行動しているのではない。どんな時でも救いたいから救い、救いたい者だけを彼等は救ってみせるのだ」
救済者が救うのは、自分が選んだ相手のみ。
そして、救う側が存在するならば、切り捨てる相手がいる場合もある。
「博愛という言葉は確かにあろう。美しいとも思う。だが、それは強制するものではない。絶対なる王も、全てができる神も、寵愛するのは一握りだろう。それが世の真理だ」
神が、全てを愛しているのならば、何故哀しむ人間がこんなにも多いのだ。
語り継がられている神話ですら、神々の寵愛を受けているのは選ばれた存在のみ。
力ある者が他者を導くことを疎かにする。仮にそれを罰するのであれば、全ての人間、全ての王、全ての神はその者は裁かなければならない。
そんなことは、道理にすらならない、在りえない事なのだ。
だからこそ、人は自分が思うまま動く。自分が思う人を救い、愛する。
「よって私はお前たちを愛そう。愛しきお前たちと、自分の為だけにこの力を振るう」
それは、真に愛だった。
歪であれ、確かに愛する家族が危険な場所に赴くことを防ぐのは、愛ゆえの行動だろう。
「それで、タケルはどうなのだ? 貧弱な貴君は有象無象の人間を救いたいのか?
仮に貴君が私と同じ立場でも、世の中を救済する尊き精神を持つのか?」
タケルが何かしら反論する前に、ジンは忠告する。
「言っておくが、先程にも言った様に、救済者は、力の有無で行動を決めるのではない。
力があるから誰かを救う。それだけならば、偽善にも劣るぞ」
「────」
何も言えなかった。
別にタケルは、真に世界の平和を望んでいない。そうであって欲しいと思うが、そのための努力は何もしてないだろう。
まだ小さな子供のことはあったかもしれないが、先程のジンが言ったような観点は、タケル自身にもあった。
何度も苛立ちを募ろうが、同じ母から生まれ、同じ環境で育った兄弟。似てないことがない方が珍しいだろう。
そのまま黙ったままのタケルを見て、ジンは愛着を持った瞳で微笑み。
「物解りの良いな。だから、私は貴君を愛している。貴君が弟でなくても、貴君が貴君であるのならば、私は変わらず愛していただろう。無論、兄弟の絆は尊く思うが」
「そうかよ。だけどな──」
「故に──」
ボロボロの体でタケルは立ち上がる。そんな弟を迎えるようにジンが手招く。
「それで、俺は止まらないぞ」
「我が愛に跪け、愛しき弟よ」
またもや、タケルがジンに飛び込む。
だが、タケルが何か行動する前に、ジンは初めて自分から仕掛けた。
指一本。彼は無造作にそれを振った。
さながら、狂喜の演奏を調停する指揮者か。
あるいは、細身の剣で戦う地獄の騎士か。
ジンが振った指先は、指揮棒の如く、剣の如く、タケルの体に何度も食い込み、空中で彼の体を躍らせながら、肉体を破壊する音楽を奏でた。
「可愛いぞ、タケルよ」
空中で為す術もない弟を、兄は慈しみの瞳で眺める。
延々と殴打を受けながらも、タケルの瞳に光は残っていた。
絶望の状況下で、なおも闘志を燃やすその輝きを見て、ジンは歓心をした。
「敵わぬと解りながらも、手を伸ばし続け、足掻くその姿は、見ていて心地が良い」
演奏の終焉。最後にジンが高く上げた指先を振り落とすと、そのままタケルの体は地面に叩きつけられた。
先程まで一方的な暴力に嬲られておきながら、タケルは、うつ伏せの状態で、すぐに動き出そうとする。
だが、そんなタケルの背に、ジンの脚が圧し掛かる。
タケル越しで地面に穴をあけながら、ジンは彼の自由を奪った。
それでも、なおもがくタケルを見下ろし、ジンは見透かしたような言葉を投げかける。
「この際、貴君は恥ずかしがり屋故に自身では認めぬので、代わりに私が言ってしまうが」
必死で束縛から脱出しようとするタケルを見下ろしながら、ジンは慈愛の顔を浮かべる。
「恥ずべき脆弱な身体を引き摺り、醜態を曝しでも、彼女たちの所に向かいたいのだな」
ドガアアアアン!!
そのまま踏み潰すつもりだったと疑うほどの脚裏が、タケルの後頭部にめり込む。
肉片までに破壊はされなかったが、ジンの一撃はタケルの意識を奪うのに十分だった。
声も上げらないまま、タケルの精神が外界から遠ざかって行く。
「だが、杞憂かもしれんぞ。探琶東元歳と二人が出遭ったところで、死なないかもしれん」
消え去る意識の中、慈愛の顔を浮かべたジンの声が、タケルの耳に届く。
それはタケルにとっても綺麗で、思わず見てしまいたいと願う程の未来だった。
「彼女たちの手だけで未来を切り開き、幕が下りる。そんな終わりもあるかもしれんぞ」
そして、そうでない可能性も勿論ある。
無慈悲に、当たり前の様に、男は告げる。
「無論、貴君手で彼女たちの亡骸を抱く未来もあるかも知れんがな」
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