第34話 雨
二一二一年──二月。雨。
その日、
「この人たち、いきなり!」
自分に刃を振るってきた男たちを、タケルは問答無用で斬り捨てた。
一切容赦がなかったが、命を奪いに来た相手に慈悲は無い。
まだ幼いタ弦木ケルであったが、普段は温和の態度とは裏腹に、戦いに関しては冷徹な考えを既に持っていた。
愛刀である《
「もしかして噂の過激派ですか?」
「タケル様、御無事ですか!?」
タケルが斬り伏せた亡骸を見ていると、彼の傍に初老の男が駆け寄る。
彼の名は
「大丈夫です。多くが爺やの方に行ったから、怪我してないですよ」
厚樹もまた、自分達を襲った者たちを、こちらは徒手空拳で蹴散らしたのである。
しかし、顔色が優れない。
それは怪我をしたからではなく、自分が守るべき存在に刀を抜かせたことの自責だ。
「申し訳ありません。私がついておきながら、ご迷惑を」
「二人共無事だから問題ないです。それよりも、速く広場に戻りましょう。他の者たちの身が心配です」
ここは自分が住んでいる広大な屋敷。
しかも、茶会で今日は来客者が多いのだ。
襲撃者が自分達を襲ってきた者だけとは限らない。
武家の弦木本家屋敷には手慣れの武人も多いが、それ以外の人間はそれ以上に多い。戦えぬ者に、魔の手が襲い掛からない保証など、何処にもないのだ。
「今は兄さんもいない。戦える人間が対処しましょう」
タケルの兄にして一族最強の男の弦木ジンは、社交界の催し物の武術大会に赴いていた。
超越者と名高いジンがいれば、彼一人だけで過激派の武術者は掃討できただろう。
だが、いない人間を頼ることは不可能だ。
自分も含めて、この場にいる人間で対処しなければならない。
そんなタケルの言葉に、厚樹は難しい顔をした。
「……本来ならば、貴方だけでも安全な場所にお連れしなければなりませんが、タケル様も戦う気ですね」
「勿論です。手は多い方がいい。こうやって相談をする時間も惜しい。広場には生鐘や、他に戦えぬ人もいます。速く行きましょう」
タケルの大切な友人、怖がりな少女、
今日は親しい人間が屋敷に集まっているので、縁者である輝橋家の人間も当然いる。
先程までタケルは生鐘とずっと一緒に居ていたのだが、今はタケルの個人的な所用で一旦別れていた。
「解りました。無理だけは為さらずに」
「はい。そうなったら爺やが守ってくださいね」
「……やれやれ、最近やんちゃになったものですね」
「基本良い子にしているので問題ありません」
そうやって互いに笑みを見せた後、彼等は駆け足で先程まで自分達が居た広場に戻る。
タケルたちの脚は速い。幼くして優れた武人のタケルや、長年弦木家に仕えた厚樹の脚に追いつける者はそう多くない。そして、彼等が離れた時間も数分だ。
だが、二人が戻ると、悲惨な光景が既に広がっていた。
急いでタケルが元の場所に戻ると、多くの人間が血を流して倒れている。
嘔吐か絶叫が起こるような死屍累々。
それを目の当たりにしたタケルだったが、顔色を変えず目的の少女の姿を探す。
タケルは無情なわけではない。押し寄せる感情は、夥しいほど湧き上がってはいる。
だが、嘆く前に今は生鐘を探すのがタケルにとって先決だった。
必死の思いで探ると、タケルは彼女を見つけることができた。
生鐘は泣き腫らした目で部屋の隅にしゃがみ込んでいる。
彼女が居る部屋には、過激派と思わしき武器を持った見知らぬ男たちが蠢いており、一人の過激派が集団がから別れて、その場から動かない生鐘に近づいた。
「どけえええええ!」
「タケル様っ!!」
獣の咆哮如き一喝。己の名を叫ぶ厚樹を置き去りにして、タケルは瞬時に駆け抜けた。
過激派たちが一斉にタケルへ視線を向けるが、数人はタケルの強力な唸り声に一瞬怯んでいた。タケルはまず、怯んでいた人間達を斬り捨てる。そうすると、生鐘に近づいていた男も含めて過激派達が挙ってタケルに襲い掛かってきた。
タケルの背後を狙おうとする輩は、一瞬遅れてきた厚樹に叩きのめされる。
狙い通りの展開にタケルは笑みを浮かべ、襲ってきた過激派を厚樹と共に残らず返り討ちした。
その場にいた過激派たちを二人が片づけると、タケルは部屋の隅に蹲っている生鐘へと向かった。
「生鐘! 生鐘! 大丈夫ですか!?」
「タケルさまぁ……」
タケルが呼びかけると、涙を滲ませながら生鐘は見上げてくる。
少なくとも生きてはくれていた事に、タケルは心から安堵した。
「よかった、無事ですね。怪我はないですか?」
タケルがそう訊ねると、生鐘はタケルの胸に飛び込み、そのまま嗚咽を漏らす。
一瞬困り果てたタケルは刀を持った腕とは逆の手で、生鐘の頭を優しく撫でる。
しばらく、タケルが頭を撫でていると、次第に生鐘の声が低くなっていった。
「落ち着きましたか?」
その言葉を聞いて、生鐘はタケルの胸にしがみつきながら、こくりと頷く。
顔色が悪い。まともに喋れる状態ではないようだ。
無理もない。突然の惨状にショックを受けたのだろう。
「爺や、他の者たちは?」
「…………」
生鐘を宥めながらしたタケルの問い掛けに、厚樹は無言で首を横に振った。
この場に、生鐘以外でこの場に無事な人間はいなかった。生鐘だけでも助かったのはタケルにとっては不幸中の幸いだが、喜ぶわけにもいかない。
そして、そのまま行動しないわけにもいかなった。
本当はこのまま生鐘を安全な場所に匿いたいが、タケルが参戦しないわけにはいかない。
タケルは自分の戦力を客観的に評価している。
彼の剣は、幼くして達人相手でも遅れはとらないほどの実力を持っている。自分の《護衛者》も達人の中で上位に位置する実力を持っていた。
二人が動けば、それだけで事件が速く収束できる。
しかし、生鐘をそのままにすることはタケルにはできない。
タケルにとって生鐘は一番大切な友人、宝物だ。傷一つついてほしくない。
彼女だけ何処かに隠れてもらっても、この状況では危うい。
なら、自分達の傍にいた方がずっと安全だ。
だからといって、彼女の傍に居てこの場に留まることも危険である。
敵の戦力は未知数。二人だけでは彼女を守れないかもしれない。
少し歯痒さを感じながら、タケルは怯えている生鐘の様子を改めて確認すると、移動するだけなら問題ないと判断し、厚樹に視線を向けた。
「爺や、父様たちと合流しましょう。その方が安全です」
タケルの父親は武術者として腕が高い。そして、傍には彼を護衛する武術者も多くいる。合流できれば当然危険度が下がるだろう。
「そうですね。その方がいいでしょう」
厚樹が頷くのを確認してから、タケルは視線を生鐘に戻し、彼女に微笑みかけた。
「一緒に行きましょう」
「…………」
生鐘は無言のままタケルを見つめていた。
まだ恐怖が拭い切れず、まともな反応ができないのかもしれない。
そんな彼女に、タケルは優しい声で囁いた。
「心配いりません。生鐘は僕が守るって約束したじゃないですか」
タケルの言葉に、生鐘は僅かに頬を染めて、こくりと頷く。
そんな彼女を連れて、タケルと厚樹はその場を後にする。その場にあった亡骸は、全てが終わった後だ。
幸い、道中に戦闘行為はなかった。
例え過激派に襲われても、大抵の相手ならば生鐘を庇ったまま倒せる自信があったが、大切な友人を怖がらせることもなかったことに、タケルは内心安堵する。
そして、しばらく三人で歩いていると、タケルは見知った気配を感知できた。
「タケル様」
「ええ、解っています」
タケルと同時に察知した厚樹の言葉に、タケルは苦々しい顔で頷いた。
父。そして、母。近くには一歳になったばかりの妹もいる。
他にも多くの武人と思わしき気配。
それらの気配が入り乱れるようにぶつかり合っていた。
更に近づくと金属音が耳に届く。
間違いなく戦闘中である。
「これは、逆に近づいた方が危ういかもしれません」
「だとしても、この場に留まる選択肢はありません。遠回りして、様子見だけでもしましょう。場合によっては僕たち二人が加勢した方が状況を覆せるかもしれない」
「…………、解りました」
「生鐘」
タケルが呼びかけると生鐘はぴくりと反応した。
「どうやら父さんたちは交戦中のようです。生鐘には申し訳ないですが、ここまま一緒に行きます」
それが怖がりの少女にとってどれほどのことを強いているのか自覚しながら、タケルは言った。
「この場で生鐘を置いておく方が僕には怖い。許してくれますか?」
反応はすぐだった。
これから危険だと解っている場所に飛び込むのに、生鐘はしっかりと頷く。
「ありがとう」
「タケル様。向かうのはいいですが、仮に参戦する場合は私だけです」
生鐘に礼を言った途端、タケルは厚樹からそんなことを言われた。
「爺や?」
「生鐘様はタケル様が守るのでしょう? そして、貴方や弦木の人間を守るのは私の役目にございます。男ならば、自ら架した決め事を全うしましょう」
「…………、解りました」
厚樹の言葉に、タケルは静かに頷く。
そして、自分の血が昂ぶっていたことに自覚し、反省した。
長い武家の血筋ゆえか、タケルは闘いに興奮しやすい。
先程の厚樹の言葉がなければ、タケルはその場に行った途端、生鐘を置いて戦火に身を投じていただろう。
そして、厚樹まで彼女から離れれば、生鐘を守る存在はいない。
「すみません。少々、熱くなっていたようです」
「気づいてくれたのなら構いません」
タケルの頭を下げると、厚樹は皺が多い笑みを見せた
「では、行きましょう。案外、私達が行った時にはもう終わっているかも知れません」
「ふふ、そうかもしれませんね」
希望的な観測だが、不可能ではないので互いに笑い合う。そんな彼等を生鐘はタケルの傍で不思議そうに見つめた。
そうして、タケルたちは剣戟の音が鳴り響く場所へと向かった。
正確には渦中の場所である大広場の様子を窺える位置だ。そこならば、此方からは向こうの様子が解っても、向こうからは死角のため気付きにく。
一歩、一歩、近づく度に、鋼の音が激しくなる。
誰かの叫び声が聞こえる。
震えた手で生鐘がタケルの袖にしがみつき、その手をタケルが優しく撫でる。
だが、タケルたちが目的の位置に到着した途端、闘い雑踏は嘘の様に消えた。
もしかして、本当に終わった?
そうやって、タケルが思った時に、彼等はその場から、その光景を目撃した。
「え?」
そこには多くの人間がいた。
傷ついている者。武器を持っている者。
知っている者。知らない者。
戦っている人間。
そして、倒れた人間。
全員が、その倒れた人間を見つめていた。
他にも倒れている人間がいるのにも関わらずに、その者だけを見ていた。
一瞬前まで戦っていた者達さえ、動きを止めて、その人間を見た。
厚樹が絶句した。
生鐘が悲鳴を上げた。
タケルも、その人間を見た。
「あ───」
知っている女の傍には、知らぬ男がいた。
皺だらけの老人。彼は血がこびり付いた大太刀を握っている。
老人の傍には倒れた女。川の様に血を流し、ぴくりとも動かない。
彼女は、日だまりのような笑みをする人だ。
彼女は、優しくて、時には厳しくて、温かい存在だった。
彼女は。
自分の母親だ。
「あ、あ」
意識が、反転する。
「あああああああああああああああああああああああああああ!!!」
その後は、荒んだ光景だった。
傍に居た生鐘の叫びも、厚樹の制止も届かない。
絶叫したタケルは刹那に駆ける。
彼の母親の近くにいた男、
だが、東元歳の顔色が変わる。不意打ちとはいえ、幼い子供に斬られたことに逆上した。
憤怒と共に、自分の剣をタケルに振るった。
後は問答無用、単純な斬り合いだった。
両者は殆ど避けることはせず、受け止め切れなければ、傷が増し、血を流す。
激闘の苛烈さは膨張され、他人の入り込む隙間が無い。
互いに吼えながら剣を振るう様は、まるで血に塗れた鬼の共食い。
そのタケルと東元歳の斬り合いを火蓋に、周りも戦いを再開させた。
鋼の音や、肉が斬られ音が留まることなく響く、酷い演奏会。
だが、曲は永遠に流れない。一人、また一人と倒れる内に音が減る。
鮮血の狂宴の締め括りは、タケルと東元歳だった。
まるで示し合せたように、二人は己の最大の技を同時に放つ。
技が交差する。
相手に大きな傷を与えた。
諸共、血飛沫を噴き出し、共々に倒れた。
倒れたタケルへ真っ先に駆け付けたのは、生鐘だった。遅れて、彼女を渦中から守っていた厚樹が続く。
生鐘は自分の衣服を破り、呼吸の低いタケルに呼びかけながら止血処置を施していた。
この技術は以前にタケルが訓練で怪我した時の為にと生鐘が習っていたものであり、この対応がなければ彼の命はなかったかもしれない。
嘆きは静寂に、忙しない後処理が始まる。
行ったのは後から来た者達だ。駆け付けたジンと弦木家の配下達。
そして、今更やって来た警察だった。
瀕死だった探琶東元歳の身柄は、政府が引き取られる事になる。
多くの被害を生み出した稀代の狂人は、治療を受けた後、極刑されることなく、そのまま長い間投獄される。
反対の声もあったが、詳細に全てを立証するため、犯人の生存は必須であった。
東元歳が過激派として活動したのは数カ月だったが、彼が残した傷跡はあまりにも多い。彼の仕業なのか断定されていな事件も多かった。
死傷者の人数は現在でも確定しないが、推定でおよそ二百人以上。
その中に、タケルたちの母親も含まれている。
彼女は、一度は運ばれた病院で意識を取り戻したものの、長男であるジンに看取られて、この世から去った。
タケルたちの父親であり、弦木家の当主である男は、己の妻や他の者を守れなかった責任で、自ら当主の役割を下り、世から消える隠居する。
次期弦木家当主は、当時成人したばかりの弦木ジンが就任した。
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