第33話 恋敵


「はぁ──はぁ──」

「ふぅ──ふぅ──」


 園原そのはら天花あまか輝橋かがやばし生鐘うがねの二人は、試合場と外を繋ぐ、薄暗い通路を二人で歩いていた。

 試合場での過激派たちの戦い。

 彼女たちは見事に彼等を殲滅した後、二人は場所を移動した。これから、どうするにしろ、あの場で留まる選択肢はなかったからである。

 二人共、歩きながら微かに息を乱していた。

 彼女たちの体はまだ戦闘を続行できるが、蓄積された疲労は隠せない。

 天花は慣れない集団戦闘。

 生鐘の場合は、天花の救援に全力で駆けつけた時点で体力を消費している。

 二人共体に汗が浮かび、肌と服が擦れる度不快感を煽る。

 だが、心の傾きは互いに悪くなかった。疲弊の声に対して、二人の表情は軽い。

 柔らかな顔のまま、何も語らず歩いていると、薄暗い通路を抜けて、天上が丸いガラス張りに、各階層に繋がっていると思わしき、吹き抜けの広い空間に到着する。

 二人がその場所に辿りついたところで、天花が隣で歩いていた生鐘へ顔を向けた。


「遅くなったけど……ありがとうね、生鐘ちゃん」


 立ち止り、ふんわりとした声で天花は生鐘に礼を言った。


「? 何がですか?」


 突然礼を言われた生鐘は、天花と同じように立ち止り、不思議そうにする。

 そんな彼女を対し、天花は回り込むように立ち位置を変え、正面から生鐘を見つめた。


「助けに来てくれて、ありがとう」


 天花は、笑顔を浮かべながら、改めて礼を言った。


「ですから、何が──」

「だって、私を助けに来てくれたでしょう。だから、ありがとう」


 三度目の礼で、ようやく生鐘は理解した。

 そうか。自分は彼女を助けに来たのだ。

 そして、助ける事ができた。

 そう思うと、妙な充実感が生鐘の心を満たす。

 弦木つるぎタケルと接する時とは違って、甘くはない。けれど、似た様な温かさを感じた。

 自然と口が緩んだ。まだ笑顔を向けてくれる天花に、生鐘は首を横に振るう。


「礼を言う必要はございません。僕はただ、やるべきことを果たしたまでです」

「それでも、私がありがとうって言いたい気持ちは変わらないよ」


 笑みは変わらずだが、天花は少しだけ困った感情を見せた。


「正直、一人で戦うのが辛くなってきたから、生鐘ちゃんが来てくれて嬉しかった。

 本当に、ありがとうね」

「そう何度も言わないでください。恥ずかしくなってしまいます」


 生鐘が少し戸惑い気味でそう言うと、天花はきょとんとした。

 今まで天花が見た生鐘の顔とは、微笑みながら平静を装うものが多い。よって、そんな顔を見せる彼女はとても新鮮だった。

 心の中で好奇心が湧き立つ、天花は意地悪そうな笑みを浮かべる。


「へぇ、生鐘ちゃんも恥ずかしがることあるんだね」


 本人からしたら心外な言葉に、生鐘の表情が消えた。


「僕にも羞恥心はあります。まったく、僕を何だと思っていたのですか?」

「いつもニコニコしてるのが多かったから、珍しくて。その顔も珍しいね」


 面白そうに天花が顔を眺めていると、生鐘は視線を逸らす様にそっぽを向く。


「珍しくもありません」

「拗ねた?」

「そんなことありません」

「ははは、やっぱり珍しい!」

「…………」


 声を出して笑い出す天花。

 生鐘は無表情だったが、内心は調子が狂ったように御不満であった。

 天花はしばらく笑った後で、微笑みながら語る。


「ふふ、違うね。珍しいじゃなくて、私が知らなかっただけだね」

「園原さん?」


 真剣な顔で見つめてくる天花に、生鐘も見つめ返す。

 赤い瞳で相手を真っ直ぐ見てから、彼女は言った。


「だから、今度からもっと生鐘ちゃんのこと知ってくね。私の事も知ってほしい」


 それを聞いた生鐘は、一瞬驚いた後で、こくりと頷く。


「当然です。園原さんはタケルさまのご友人ですし、僕の好敵手ライバルですから」

「うん。私にとっても生鐘ちゃんは好敵手ライバルだね」


 天花も笑顔でそう言ったものの、すぐに表情を変える。

 そうだ。同じ人を思う同士。競い合う仲。好敵手ライバルには違いない。


「うん、好敵手ライバル好敵手ライバルでもあるんだけど……」

「?」


 徐々に天花は浮かない顔になる。

 それを不思議そうに生鐘が見つめていると、天花は覚悟を決めたように言った。


「友達としても、知っていきたいなぁて……」

「…………」

「いや、ここまで一緒にタケルくんのこと話せる人いなかったし、剣だって競い合えたのも嬉しいし、他にも色々。だから、もっともっと、知りたいって。駄目かな?」

「…………」


 窺う様に見てくる天花に、生鐘は押し黙っていた。

 親しく接しているとは思っていたが、天花が自分を友達として認識していたことに、生鐘は内心困惑する、

 そして、間を置いてから、彼女は口を開いた。


「申し訳ございません」

「あっ、ちょっと、急過ぎたかな。なんか、ごめ──」

「いえ、そうではないのです」


 天花が顔を曇らしかける前に、生鐘は続きを言った。


「僕にとって、本当に仲が良い友人と呼べるのは、タケルさましかいませんでした。

 だから、同姓の友人とはどういうものなのか、正直理解しかねます」


 他人と接点がなかったわけではない。

 タケルと離れ離れになってから、生鐘は強くなる為に男女関係なく自ら進んで接していった。

 だが、それは対人関係を円滑にする方法を養うためであって、純粋な気持ちはなかったと、彼女は思っている。


「そんな、僕ですが、敵とは別にして、貴女のことを知りたいと思いました」


 ここまで他人に興味を持ったのは、タケルを除けば初めてかもしれない。

 いや、タケルを思う感情とは明らかに別種なので、このような感情は初めてだ。

 だからこそ、彼女自身もよく理解していない。

 していないからこそ、ありのままの気持ちを伝える。


「真の友人というものがどんなものか、理解できていないのかもしれませんが、こんな僕でも、貴女を知りたいと思ってもよろしいですか?」


 やや緊張した顔で生鐘が見つめていると、少し呆然としていた天花の顔が見る見る内に明るくなる。


「うん! もちろんだよ。じゃあ、改めてよろしくね、生鐘ちゃん!」

「はい、園原さん」


 にこやかな天花に生鐘もしっかりと返事をした。

 だが、すぐに天花は何処となく不満そうにする。


「ううん、違う」

「違う?」


 やや戸惑う生鐘に、天花は力強く言った。


「天花。あ・ま・か。名前で呼んでほしいんだけど、いや?」


 首を傾げて天花が訊ねると、生鐘で微笑みながら首を横に振るう。


「……そんなことはないです。では、天花さんと」


 改めて生鐘が名前を言ってみると、天花は嬉しそうな満面の笑みで頷く。


「うん! じゃあ、今度は話し方を普通にしてみよう」

「申し訳ございません。これが僕の平常です」

「あれ? そうなんだ。じゃあ、次は──って、お喋り続けてる場合じゃないね」


 明るい表情から真剣な面に変えながら、天花は振り返って、自分達が向かおうとした先を見つめた。


 耳を澄ませば、遠くの場所で喧騒が聞こえてくる。


 天花は刀を握る手の力を強めた。


「他にもこの人達の仲間がいると思うし、なんとかしなきゃ」

「…………」


 やはりそうなるのだと、生鐘は納得した。

 天花はお人好しだ。

 生鐘は試合場に訪れる前、天花が残った経緯を一彦から聞いていた。

 自ら囮にして、他者を逃がす事など、大きな良心がなければできないことである。

 そして、今もこの事態について何とかしようと考えていた。

 この少女はきっと、理不尽な暴力は見過ごせない人間なのだろう。

 生鐘はそんな彼女の為にここまで来た。

 ならば、自分も力になるべきだろうと再度、生鐘は決意を固める。

 これからの行動を考えている天花に向かって、彼女は言った。


「では、参りましょうか。僕たち二人なら、多少の相手でも勝てます」


 頼もしい言葉を聞いた天花は、しばらく生鐘を見つめた後で、強く頷く。


「生鐘ちゃん……。うん! 行こう!」


 そうやって少女たちが互いに決意を改めた時、



「いや、待ってくれんかの」



 枯れた声が、二人の動きを止めた。

 次の瞬間、吹き抜けの空間の上階から人影が飛び出して、彼女たちの前に降り立った。


「若いの、ワシと死合ってくれんか?」


 相手は着物を着た、老人だった。

 だが、老人といって侮ることなどできない。

 老人は血がこびり付いた大太刀を持っているが、それが無くても老人の危険性が肌で解る。言動からしても過激派だと理解できた。


「この人……」


 天花は最大限に警戒を高める。

 老人の皺だらけの体だが、鍛え上げられた筋肉は着物の上からでも知れた。背筋は真っ直ぐとしており、堂々とする佇まいは一目で強者だと解る。

 自分達を見る強い眼光は、得物を狩る猛獣の瞳。

 何より湧き出る威圧が今までとは違い過ぎる。

 達人。武の極地に踏み入れた存在。

 強者との遭遇に天花は驚きを隠せない。

 だが、天花は恐れはしなかった。

 総合的な力ではきっと相手の方が上だろう。

 しかし、自分でも押し通せる点を見極めてみせる。

 なにより天花は一人ではない。

 そう考えていた彼女が、ちらりと意識を横にも向けると、思わぬ光景を目の当たりした。


「な、なぜ」

「生鐘ちゃん?」


 生鐘は見るからに狼狽をしていた。

 戦いの時でも、ほとんど態度を豹変させなかった彼女が、目の前の老人を見て、顔を青くしている。

 呼吸も不規則になり、体も微かに震えている。

 だが、思わぬ強敵との遭遇に怖じ気ついた、とは少し違うようだ。

 まるで、有り得ない物でも見る様に生鐘は老人を凝視し、刀を持った両手を震わしながら、握る力を強めている。


「なぜ、貴方が、ここに……」

「あのお爺さんを、知ってるの?」


 天花の言葉を聞いた生鐘は、我に返り、動揺からできるだけ平然とした様子に変えながら、頷いて、次に問いかける。


「はい……。探琶さがは東元歳とうげんさいという名を知っていますか? それがあの者の名です」

「!?」


 今度は、天花が動揺する番だった。

 疲労とは違う嫌な汗が、体全体から滲み出る。

 そして、力強い視線を老人、東元歳に向けた。

 天花は今日初めて東元歳と出遭った。

 たが、まるで長年の怨敵でも見るような眼差しで彼女は老人を睨む。

 溢れて来るモノが、抑えきれない。怒りが込み上げる。

 何故なら探琶東元歳という名は。

 彼女の大切な人の、大事なものを奪った人間のものだからだ。

 そんな天花を生鐘は脇見で確認し、やはりと納得する。


「その様子、知っていましたか。タケルさまと近しい人間ならば、その事を知っていても不思議ではないでしょうが」

「じゃ、じゃあ、やっぱり、あの人が──」

 

 生鐘が頷いて、天花が叫んだ。


「そうです。タケルさまに、一生癒えない傷を負わせて──」

「──タケルくんたちの、お母さんを殺した人ッ!!」

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