第31話 二つの刃
試合会場は、皮肉な事に大会が行われた時よりも熱気に包まれていた。
「────」
だが、渦中の中心である天花は昂ぶる周りの者達とは反するように、冷静でほとんど口から何も発さず、剣を振るう。
惹きつける容姿を舞う様に移動させ、雪の様に白い髪を靡かせる。その在り様は、正に幻想的な美しい光景にも思えた。
しかし、彼女が振るう剣は紛れもなく現実にして、激烈。
一閃。ただ、ひたすら刀を振るう。
「ぐああああ!」
「怯むなッ! 圧して、圧しまくれ!!」
またも過激派の一人が倒れた。怖じ気ないよう残った者たちが鼓舞する。
「────」
男たちの雄叫びの、天花は無言で剣を振るった。
威勢を上げ声もなく、焦燥の嘆きを上げずに黙々と剣を振るう少女の姿は、彼等に機械人形と対峙するような恐怖を与える。
現在、過激派の誰一人とて、天花の刃を二度受けていない。
倒れ伏している過激派の男たちは、全て一刀の下、彼女に斬り伏せられていた。
男たちも負けぬと剣を、槍を、己が武器と技を行使する。だが、それら全ては避けられ、いなされ、未だ誰一人、彼女の白い肌へ触れてもいない。
見事な刀捌きだ。鍛錬されている過激派の技を、彼女は悉くいなす。
見事な身体捌きだ。自分が動きやすいように立ち回りながら、攻撃も避ける。
けれども──、真に恐るべきは、やはりその剣戟だろう。
「くそっ! なんて化け物のような剣だ!」
先に誰かが吐き捨てた悪態を、まだ別の者が叫んだ。
天花と彼等の剣では速度が違う。威力が違う。桁が違う。
身体全体の力を発揮し、極限までに研磨された技巧で振るわれた剣は、過激派たちが繰出す全ての武術を圧倒していた。
まず、防御が追いつけない。逃げる事ができない。
次に、防御できたとしよう。
「のぉつ!」
「────」
「がああぁああ!?」
過激派の一人が天花の剣に反応して、防御姿勢を取ったが、彼女が振り落とした白刃はあろうことか、阻もうとする得物を切り裂き、そのまま相手を切り裂いた。
少女の細腕とは思えぬ剛剣。さながら切断器だろう。天花の刃は、防ごうとした武器諸共、相手を両断する。武器が耐えても、腕が折れる。
天花の刀の名前は《
師である
恐るべきことにこの刀は、平安時代から存在しておきながら、産まれてこの方、刃こぼれ一つも負っていない。一部の間では、霊刀の類ではないかと噂されている。
もっとも、如何に名刀いえども、使い手が悪ければ枝にも劣る。長い歴史の間では、ただのコレクションにしかならなかった場合が多かった。
そして、現在、担い手は其の名刀を十全に扱っている。
天花が初めて中学の大会で優勝した時、タケルからこの刀を受け取った。
始めは自分には勿体ないと長物と思っていたが、今ではその刃に恥じぬよう卓越した剣技を放つ。
超人染みた剣技に名刀が合わさり、壮絶な剣戟を生み出す。少なくとも、天花の剣に耐えられる武術者はこの場に居なかった。
もしも天花の剣に追いつこうと思うならば、彼女よりも遥か上の実力者でなければ止められない。あるいは、生鐘が行ったように完全に先読みした上で、それを最低限いなせる技術が必要である。
他の技術が僅かに勝っていても、天花の剣は些細な差を打ち砕くほどの剛剣なのだ。
故に、状況は天花に有利に思えるだろう。
微かに触れただけで、弾け飛ぶ斬撃を前に、過激派たちは為す術もなく淘汰だけだった。
否。その実、不利なのは天花の方だった。
「────」
天花は疲労の欠片を見せず、凍りついたような顔で剣を振るっていた。焦りなど微塵も感じていないように見えて、その実、彼女は内心現状を芳しく思っていなかった。
過激派たちは天花の剣を攻略できない。
しかし、彼等は天花自身を攻略しつつある。
天花まだ修行中の身だ。如何に強力な剣技を振るえても、未熟な部分が多かった。
真に天花が達人の域ならば、仮に周りの人間が何倍に増えようが、彼等は相手にもならなかっただろう。
だが、未熟である天花は至らぬ故に、弱い部分が露わになった。
天花は、集団戦闘の経験がほとんどない。
修行中、ほとんどがタケルの一対一だった。
試合も一対一が通常で、タケルの計らいで集団戦闘の実習がなければ、彼女は既に倒れていたやもしれないのだ。
こんな人数を一度に相手にすることは、天花にとって初めてだ。
逸らした身体の横に刃を通り過ぎる度に、倒れた人間の向こう側から別の誰かがやって来る度に、どんどん天花の精神が削られていく。
できるだけ顔には出さないようにした。出したら、付け入られてしまう。
しかし、慣れない戦闘で彼女の疲労は増していくばかり。
叫びたい。泣きだしたい。そんな弱い気持ちをぐっと抑えて剣を振るう。
溢れた心は止まらない。これも自分が未熟な証拠だと解っていながら、辛い気持ちが身体を徐々に蝕む。
まだまだ動けるのに、体が鉛のように重い。
自分を見る、周りの視線が嫌だ。
独りぼっちが、心許ない。
再び、彼女は弱音を心で吐いてしまった。
(こんな時、タケルくんがいれば……)
やはりというべきか、心が弱った時に思い描く人間は、いつも同じ人間だった。
その時、隙が生じた。
時間にして一秒にも満たない。
一対一の戦闘なら隙とも呼べない刹那の時間。
しかし、今の天花が対峙しているのは集団だ。
一人が気づけなくても、十人いれば。十人で気づけなくても、百人いれば誰かが気づく。
過激派の中で、天花の揺らぎに気づいたのが二人いた。
両者とも別の立ち位置。二人は互い示し合せた訳でもなく、好機を悟って同時に動きだした。
遅れて、自分の失態に天花も気づく。
同じ失敗をするとは、と反省する余裕もない。
自分は今、剣を振り切った状態だ。
この形で片方を迎撃できることはできる。しかし、もう片方の攻撃は完全に回避できない。慣れない戦闘なので、小さな傷も避けたい。故にここは防御に専念するべきか? いや、動きを止めて守りに入ったら、別の誰かが再び狙って来る。ならば、無理矢理でも二人同時に斬り伏せるべきか──、
天花は思考を直前まで巡られた。
既に第一候補の行動は決めているが、同時に良案がないかギリギリまで頭を働かせた。
よって、天花はこちらへ向かって来る、新たな気配に気づけなかった。
その人物は駆け足で、二階の観客席に辿りついた。
現れた者は中央の様子を一目で確認すると、駆け足のまま真っ直ぐ進み、最前列の位置で体を蹴り上げて、跳んだ。
ライトに背にして、その人物は眼下に向かって、とある物体を放つ。
そこで、天花は新たな人間の登場に気づいた。正確にはその人間が自分達のいる試合場に向けて放った物体に気づいて、新手の存在を知ったのだ。
そして、飛来してくる物体を見て、目を疑った。
「さ、鞘?」
声に出してしまうほど、天花は驚いた。
見るからに、刀を納めるような鞘が、此方に飛んで来ている。しかも二本。
普通、鞘は武器を収納するモノだ。天花も臨機応変でそれ以外の用途に使用することもあるが、投擲する光景は初めて見た。
飛来された二本の鞘は、天花の隙を突こうとした二人の脳天に、それぞれ直撃する。
当たり所が良かったのか、意識を奪うまではいなかったものの、完璧に彼等の出鼻を挫くことに成功した。
自らの鞘を投擲した人物は、そのまま天花の背後を守る様に着地する。
周りの過激派たちは、突然の来訪者の参上に、身構えたように動きを止めた。
そして、天花も思いがけない人間の登場に、大きな声を上げた。
「う、
「はい、
抜身の刀を二本翻しながら、驚愕する天花に向かって輝橋生鐘はにっこり微笑む。
「申し訳ございません、タケルさまではなくて」
「え? いや? そんなことは──」
突如として現われた生鐘の登場に、まだ混乱から抜け出せなかった天花が口籠る。
そんな彼女へと、生鐘は不思議そうな声で訊ねた。
「おや? タケルさまに会いたくなかったのと? 僕でしたったら、このようなむさぐるしい方々に囲まれたら、目も保養の兼ねて会いたくなりますけどね」
過激派たちが生鐘に向ける視線が、警戒から憤怒へと変換される。
そんな彼等の反応を余所に、天花は顔を赤らめて、慌てながら言い返す。
「わ、私だって会いたかったもん!!」
「はい、正直に良く言えました。でも、そんな園原さん残念なお知らせが一つ」
何を言うつもりなのかと身構える天花。現状が現状なので、これ以上周りに醜態を見せないようにと心がける。
そんな様子を楽しげに確認した生鐘が告げた。
「残念ながらタケルさまは、この場に来ておりません」
「…………」
天花は見るからに気落ちした。
そんな反応を見て、生鐘はくすりと微笑みながら、やや声のトーンを低めて語る。
「期待していたのなら、申し訳ないです。しかし、
「……うん。ちょっとでも、期待してなかった訳じゃないけど、それは当然だね」
苦笑した天花だったが、次の瞬間には自分と背中合わせしている生鐘を不思議そうに見つめた。
「でも、じゃあ、何でここに生鐘ちゃんがいるの?」
天花から見ても、生鐘は職務に重んじる人間だと思っており、何より危険なことがあるのならば、主であるタケルから離れることはない。そう認識していた。
天花がそう訊ねると、生鐘は顔を前に向けから、はっきりとした声で言う。
「──僕の役目は、タケルさまを守ることです」
何時でも動けるよう牽制の姿勢は緩めないまま、生鐘は自分の本心を吐露した。
「あの人の全てを守りたい。これ以上、あの人が大切なモノを失わせるわけにはいかない。きっと、失ってしまったら、あの人は悲しむ」
「…………」
「だから、園原さんが危機だと耳にして、勝手ながらやって来ました」
「生鐘ちゃん」
天花が神妙な顔で後ろに視線を向けると、生鐘はふっと鼻で笑った。
「つまり、園原さんはタケルさまの『御友人』ですので、『御友人』である園原さんにもしものことがあれば、タケルさまも『御友人』のことで気にするでしょうし、主の為、主の『御友人』である園原さんの加勢しにきた次第です」
「なんで、御友人って強調するのかな?」
天花の表情が見るからに強張る。
そんな彼女へと、生鐘は平然とした態度でさらりと次の事を言った。
「だって、事実でしょう?」
「くぅ……」
「それに──」
悔しそうに呻く天花だったが、生鐘はそのまま、小さく、静かな声で呟く。
「──僕個人としても、貴女に何があるのは嫌です」
「え──生鐘ちゃん?」
今まで見せたことがない態度に驚き、またも天花は生鐘を見ようとする。
尤も、後ろを背にしたままの状態では、相手の表情は解らない。
それでも、天花は先程まで枯れていた心が、どんどん満たされるのを感じた。
自然に顔に笑みが浮かぶと、いつも通りになった生鐘が語りかける。
「とりあえず、今はこの方々と片付けましょう。長居をすれば、タケルさまに心配をかけます」
「うん! きっと、生鐘ちゃんのことも心配するしね」
天花の言葉を聞いた生鐘は、当たり前とばかりに首肯する。
「当然です。タケルさまはお優しいですので」
「知ってるよ。で、ついでに勝手に抜け出した生鐘ちゃんを叱るね」
少しやり返すように天花もちょっとした意地悪を言ってみたが、生鐘は笑顔を崩さず頷く。
「厳しい所も魅力です」
「ははは、そうだね。じゃあ、あんまり心配かけない為に──」
「ええ、これ以上お叱りを受けないために──」
立ち止っているわけにはいかない。
二人の少女は、己が武器を掲げた。
「武天一刀流、園原天花。改めて、参ります!」
「弦木家
いきなり現われた新手に、過激派の武術者たちは最初こそと戸惑いもしたが、すぐに敵だと認識して、己が力を向けた。
「何だか知らないが、一人増えたところで数はこっちが上! まとめて斬り捨てろ!」
『うおおおおおお!!』
男たちが獣のように吼えて、二人の少女に群がる如く殺到する。
所詮、一人が二人になった程度。数の優勢は変わらない。
だが、これ以上新手が増えるのはまずい。その前に、ここに二人を一気に圧し潰す。
過激派たちの目から見れば、新手の人間は若い少年しか見えなかった。少なくとも、圧倒的な実力者ではないと判断する。
事実、生鐘の太刀筋は、そこまで驚異的ではなかった。
「ぐっ!!」
生鐘の剣が過激派の一人を斬り倒したが、先程まで天花の剣を見てきた者たちからすれば、その剣速、威力はそこまで驚くものでもない。
天花の尋常じゃない剣戟では比べるものでもなく、優れた熟練者であることは認めるが、対応は困難ではないはずだ。
その、はずだった。
だが、直接対峙して過激派たちはその認識を覆されることになる。
自分達の攻撃が、届かない。
この言葉だけならば、先程の天花と同類に感じられるが、実際は分類が異なっていた。
体捌きの問題でも、二本の刀で防がれているわけでもない。
あろうことか生鐘は、彼等が行動する前に、彼等の動きを制した。
具体的な一例を上げるなら、一人の武術者が刀を掲げと、後は振り抜くだけだが、その前に生鐘は一本の刀で相手の武器を抑止し、残ったもう一本の刀で無防備な相手を切り裂いたのだ。
すなわち、攻撃動作に入る前に、相手の攻撃を読み切って、その行動を封じている。場合によっては予備動作の前に、行動が封じられている。
初動すら行っていない行動の先を行くなど、多く存在する見切りの技術ですら類を見ない。
相手の目を見れば、何処を狙うか察することも可能だろうが、生鐘のそれは行動事態を読んでいたのだ。
予知技術の類ではない。まるで、相手の心を読んでいるかのような動き。
生鐘もまた、天花とは違った常識外れの能力を持っていた。
「おやおや、どうしたのですか? 先程の威勢がなくなっていますよ?」
「ぬ、舐めるな!」
天花と違い、生鐘は言葉を交えて剣を振るう。無駄口にも見える揶揄だが、それは相手の調子を乱す武器でもあった。憤慨した者は、動きが単調になり、より生鐘の術中に嵌まり、そのまま倒されていく。
更に生鐘の強さは、単騎のみでは留まらなかった。
天花の剣が一人を吹き飛ばす間に、彼女を襲おうとした相手を生鐘が振り向き様に切り裂く。そんな生鐘を狙おうとした相手を、天花が両断する。
二人の距離は近く、一歩間違えれば相手を切り裂きかねない立ち位置の筈だが、彼女たちの剣は敵だけを着実に屠っていた。
天花と生鐘。二人の剣が合わさり、互いに互いの動きをしているかの如く、周りの者に付け入れる余裕も与えない、凄まじい連携をみせていた。
二人が知人なのは、目の前で会話をしていた事で過激派も理解できる。
だが、彼女達は出逢って一週間も経っていない。
一晩かけて斬り結んだが、互いの剣を確りと見たのは、その一度きりだけだ。
にも関わらず、二人の剣はそうであることが自然なように、同士討ちの危険性も感じさせないほど華麗に混じり合い、一つの共演を魅せていた。
この状態は、第一に、生鐘が天花のフォローをしているからである。
元々、生鐘の剣は守るべき剣。
一人で戦うのではなく、隣人に寄り添い、振るう刃だ。
そして、器用な彼女は一度見た天花の行動に合わせて、剣を振るって、足運びも彼女に合わせている。
しかし、それだけでは連携とは呼べない。
天花もまた、生鐘の気遣い、そして信頼して、剣を振るっていた。相手の力量を知っているのは、彼女も同じだった。
互いに心を通わせた少女たちが、剣戟の舞踏を披露する。
「くそ! こんな餓鬼どもに!」
苛烈でありながら、優雅でもあった彼女たちの前に、過激たちは誰一人立ち入ることはできなかった。
戦いの天秤が完全に一方へと傾いた。その場の勝敗は決したのである。
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