第28話 惨状

 

 喧々囂々と阿鼻叫喚が、騒々しく響き渡る。

 一時前まで活気と熱気が広がっていた第27回倉木くらき高校武術新人戦の会場は、血生臭いものが充満する戦場と化していた。

 襲い掛かる過激派の武術者たちを、大会参加者や関係者武術者たちが迎撃する。

 鋼と鋼の衝突。技と技の交差。武術者同士の争いが、其処彼処で繰り広がっている。

 試合ではなく、死合い。規則無用の戦いは互いの命と血を削り合っていた。

 だが、これはまだ良い方だ。戦える者達が、襲いかかる者たちに戦う、戦いの理。

 真に恐るべきことは、この場には戦えぬ者が多くいること。

 武術が浸透している世界だが、全ての人間が武を学んでいるわけではない。

 戦えぬ者の多くが、家族や友人を応援しに来た観客や、運営する側など非力な存在だ。無害な人間だ。


「ぬぅれやぁああああああ!」

「ひゃああああああああ!?」


 過激派の武術者が、武器を持たぬ一般人を襲う。

 彼等の標的は、自分達にそぐわぬ武術者だけではない。それを認める者全てが敵なのだ。

 例え、興味本位で武術を見に来た人間であっても、過激派達の殺害対象なのである。

 非人道的。なんという理不尽。多くの者が過激派を狂人と罵った。

 間違いでない。過激派の中には、名分を付けたいだけの、殺人狂もいるのだ。

 そして、戦う力を持たぬ者は、兇刃を持った過激派の前に叫び上げることしかできない。

 命を奪う刃が、家族を応援しに来ただけの男の体を傷つける。

 ガキン! だが、その前に割って入るようにして別の刃が過激派の刃を止めた。


「ここは任せて、逃げろ!」

「あ、あああああっ!!」


 守ってくれた武術者の前にして、男は恐怖のあまり、礼一つ言えず立ち去る。

 戦えぬ者たちを、その場にいた多くの武術者が過激派の脅威から守っていた。

 誰もが、正義の為に武を手にしたわけではないだろう。

 だが、何もできぬ人達を前にし、武人たちは義憤を抱き、己の技を放つ。ある者は、自分の武術はこの時の為に磨かれたのではないのかと、誠意な気持ちで他者を守った。

 しかし、皮肉な事に、その事が過激派側の優勢、守る側が劣勢へと立たされている。

 過激派たちは遠慮がない。手当たり次第仲間以外を襲い、守る側の武術者たちはその対応で精一杯だった。隣人を守り切っているだけでも頼もしい方だ。中には武の経験も浅い人間が、一般人に混じって逃げ惑っている。

 もっとも、彼等を責めるのはお門違いだ。彼等が産まれたのは平和な世だった。

 更に彼等が住むこの国は、治安も優秀の部類。命のやり取りなど、したことない人間が殆どだろう。

 ゆえに。


「たぁあああああっ!」

「!?」


 一人の若者が、槍で過激派の一人を昏倒させた。


「やったか!?」


 僅かな勝利を彼は噛み締める。しかし、倒した筈の相手がヨロヨロと立ち上がると、緩んだ顔を引き締め、武器を構え直した。

 しかし、立ち上がった男が一向に襲ってこない。男が身構えたまま、相手の様子を窺っていると。

 

「え?」


 ドス、と。自分の首に何か当たり、そのまま彼は訳も解らず命を落とした。

 年若き彼の命を奪った相手、それは彼が先程対峙していた男の前に戦い、倒した筈の過激派の一人だった。

 倒した相手が何故動けるのか。当然、生きているからだ。

 命を失った若者は一つの過ちを犯していた。

 《不殺外装ふさつがいそう》。人間の殺傷を防ぐ装備を、若者は未だ装着したまま戦っていたのだ。

 《不殺外装》は有事の際、すなわち命の危機がある場合ならば、人命の保全のため取り外しが認められている。

 逆に、命のやり取りに置いて、《不殺外装》を装備したまま戦うのは非常に危険だ。

 確たる実力者ならば、《不殺外装》を装備していても完全に相手を無力化できるが、下手に《不殺外装》を装備したまま、自分の命を脅かす相手と戦って、倒したと思った相手を放置した場合、先程の若者の様に復帰した相手に殺されてしまう可能性がある。

 よって、命の危険の際には、容赦なく《不殺外装》を解除して、武器を掲げなければならない。

 殺さなくとも、最低限行動不能にしなければ、倫理を破って犯す者の魔の手から、己の命すら逃れられないからだ。

 だが、命のやり取りを行った事がない人間は、平然と《不殺外装》は外すことができない。

 有事の際は解除するようにと教育されているが、実行できなければ意味がない。

 慣れぬ故に。命を奪う事に抵抗がある故に。

 武器を持ち、戦う術ある者が、武器を持ち、狂喜に駆られた人間に葬られる。


「っ、《不殺外装》を外して応戦しろ! 倒れた者が、再び立ち上がらないように!」


 事態を把握した誰かが叫んだ。しかり、臨機応変に対応できるのどれだけいるだろう。

 しかし、言い訳など通用しない。逃げるか、戦うか。

 殺すか、守るか。

 生きるか、死ぬか。

 常に二択を選択しなければ、己の命が消えてしまう、非情な戦場だった。


「しらああああ!」

「きゃああああ!」


 観客席の二階にて、突如背後から奇声と共に向かって来る刃に、安田やすだ良子りょうこは悲鳴を上げた。


「────」


 園原そのはら天花あまかは、そんな良子を自分の胸に抱き押さえながら、襲ってきた過激派に向かって、無言のまま剣を振るう。

 天花は片腕。更に桁外れの剣戟は体全体の動きで発揮されるので、良子を抱えた状態では本来の実力が殆ど出せない。

 それでも、天花はこの場に多くいる武人たちとは、次元が違う。

 左薙ぎの一閃。それだけで襲ってきた過激派を、声も上げさせず斬り伏せた。

 斬った相手から血が噴き出す。天花は最初から《不殺外装》外していた。


「あ、天花ちゃん……」

「大丈夫だよ、私がいるから……」


 不安そうにする良子に、天花は周りに視線を向けながら、優しく呟く。

 彼女が感じた不安が、いきなり襲いかかった者たちか、平然と人を斬った天花なのかは解らないが、自分といれば安全であると天花は言った。

 その宣言に不安が少しでも拭えたか、良子が天花の服をぎゅっと握り締める。

 戦いにくい状態ではあるが、何処かに離れられるよりも傍に居てくれた方が守りやすいので、天花はこの状況を良しとした。

 しかし、この会場全体、現状の由々しき事態に、天花はどうしたものかと悩む。

 天花が冷静で入られるのは、弦木つるぎタケルの修行の賜物だが、その冷静な思考が返って、現実の冷たさを彼女に教えてくる。

 会場は半ばパニック。

 他の武術者も、応戦してくれてはいるが、突然の事態で連携があまり取れてない。

 何よりも、避難回路を確保できていないのが問題だ。殆どの入り口を過激派が陣取っている。僅かに残っている退路も迂闊に駆け込めば、過激派が待ち伏せしているだろう。

 天花だけが、この場を離れることは可能だ。良子を連れて逃げることも、難しいができるだろう。

 しかし、良子を安全圏まで連れて行く間に、どれだけの被害が出るか。

 天花は、自分で認識してないが、善人の部類だ。

 無暗矢鱈に誰かが傷付くのを黙って見る事はできない。

 できることなら、助けられる人は助けたい。

 そして、天花はが周りを見渡した限り、過激派含めて、自分よりも強い武術者はいない。少なくとも、この場には。

 その気になれば、天花だけで状況を覆すこともできる。それで多くの人を救えるだろう。

 しかし、そうする場合、自分の側で震える友人を置き去りにしなければならない。

 大勢の為に一を切り捨てる。

 合理的ならばその手段を選ぶべきだが、それが出来る程、天花の精神は機械的ではない。


(こんな時、タケルくんだったら──)


 自分の師。自分の一番大切な人。

 冷静を装っているが、不安なのは天花も一緒だ。弱った心が、一番逢いたい人を自然に求めてしまった。

 

 心の中で泣き言を言いかけた時、天花に隙が生まれた。


 一人の小太刀を持った過激派が、天花に忍び寄る。

 先程の男のような掛け声はなく、背後から無言でその刃を突き立てようとした。

 遅れて、天花が気づく。

 同時に自分の弱さに恥じた。これが同等以上ならば確実に負傷している。


 けど、まだ間に合う!


 正しい奇襲をしたが、殺気を感知した天花はすぐに良子を抱えたまま体を反転さてたが、自分を襲ってきていた男が昏倒する様子を目の当たりにした。


「ふむ。助太刀と思ったが、余計なお世話だったかな?」


 槍の先端である穂先の逆側、石突を振り回し、天花を襲った過激派を叩き倒した大柄な男は、苦笑して天花に訊ねる。


「そんなことないです。ありがとうございます」


 微かな笑みを作って礼を言いながら、天花は目の前の男を見上げる。

 改めて見てもかなり大きな体だった。

 身長だけではない。四肢、到るところが鍛え上げた筋肉で膨れ上がっていた。手に持っているのは十文字槍。相当な使い手だと天花には解った。

 こんな人、さっきまで居ただろうか?


「もしかして、救援の方ですか?」


 会場を見渡していた天花は、先程まで居なかった筈の人物に対して、そんなことを訊ねながら、それはそれで可笑しいかと自分で判断する。

 彼が警察なりの救援ならば、単独で来ることは危険な判断だ。一人が先行して様子を確認するにはあまりにもリスクを負うからである。

 天花の予想通り、男は申し訳なさそうな顔で首を横に振った。


「すまない。こんな成りをしているが、俺は未成年だ。普通、警察など所属する人間たちは成人しているのが当たり前だろ?」

「あっ、ご、ごめんなさい」


 相手の気に触ったと思って天花はすぐに謝ったが、男は平然とした態度のまま首を横に振るう。


「いや、気にするな。慣れている。と、ゆっくり話す暇も流石にないか!!」

「────」


 天花と男が会話をしている間、いつの間にか近づいて来た過激派たちが一斉に二人へ襲ってきた。

 同時に襲ってきた人数は計六名。彼等は二人が手馴れと判断し、三名ずつに別れて武器を突き出した。刀が三本、槍が二本に長剣が一つ。六つの同時包囲攻撃。再び、天花に抱かれた良子が悲鳴を上げかけた。

 だが、彼女が叫びを上げる前に、天花と十文字槍の男は自分達に向かってきた攻撃を素早く払い除けた。

 相手が動揺する間も与えず、殴打、斬撃、刺突で自分を襲った相手を互いに倒す。


「その太刀筋……」

「?」


 ちらりと観察する様に男は天花を見下ろした。


「もしかすると、弦木タケルの縁者か?」

「え!? そうですけど…・・」


 相手から、思いがけない名前を聞いて天花は声を出して驚く。

 

 この人、タケルくんを、タケルくんの剣を知っている?

 

 タケルはその身体故に、自分の剣技を人前で曝すことは少ない。有名である天花の師が、弦木タケルだという事実も公には知られてない。

 すなわちタケルの剣技を知っているのは、対峙した相手だけだ。

 そして、天花は改めて相手が持っている得物を見て、ある人物を思い描く。


「もしかして、葛馬くずま、先輩ですか?」

「ほぅ、俺を知っているのか。もしかしかすると、鳴川なるかわの生徒か?」


 驚く葛馬一彦かずひこに向かって、天花は小さく頷く。


「はい。先輩のことはタケルくんが教えてくれました」


 入学式の日に寄った喫茶店で、天花たちはタケルから一彦と勝負した経緯を聞いていた。

 二人がかりで何故そうなったのか聞いてみると、観念したタケルが輝橋かがやばし生鐘うがねの代わりに戦ったと答えた時は、少し羨ましかったが、その他にもタケルに武天一刀むてんいっとう流の技を使わせた一彦に武人として興味も湧いていた。


「先輩も見学に?」

「そんなものだ。その様子から察するとそちらもだな。お互い、休日に災難なことだ」

「そうですね……」


 確かに災難な休日だと思う。

 だが、それでも天花はここに居て良かったと思っていた。

 仮に自分が居なかった場合、自分の胸に抱かれている友人に危害が及んだかもしれない。


「ところで、先輩はさっきまでいなかったと思うんですが、どこに行ってたんですか?」


 周囲を警戒しながら、天花は先程から感じていた疑問を一彦に問いかける。


「一緒に来ていた人間を安全な場所に送り届けていた。その後で、助太刀に戻って来たわけだ」

「つまり、安全な退路があるんですね」

 

 周囲に注意を払いながら、天花は小さな声で確認する。

 万が一、誰かの耳に入って、それが一気に周囲へ広がれば、戦えぬ者は我先にその場所に駆け込み、そこを過激派が狙って、今よりも状況が悪化する可能性があるからだ。

 そのことを理解していた一彦も、天花の問い掛けに対して、極力小さな声で返答する。


「ああ。見込みのある武人たちが確保してくれている。しかし、この状況、迂闊に教え回れば過激派の馬鹿共も押し寄せてきそうだ」


 一彦もそのことを危惧して、大きく動きを行えないでいる。

 迂闊な行動は、せっかく確保した退路を失うかもしれないからだ。


「私もそう思います。けど、退路があるなら私が何とかできそうです」

「なに? 何か策はあるのか?」


 驚く一彦に対して、天花は力強く頷く。


「はい。だから、この子を先輩にお願いしてもいいのですか?」

「あ、天花ちゃん?」


 そこで先程から黙っていた良子が、不安そうに天花を見つめる。

 そんな友人に天花はできるだけ優しい声をかけた。


「大丈夫だよ。この人は強くて優しいから、必ず守ってくれる」


 元々、一彦が生鐘と試合したいと希望したのは、入学式の騒動で悪評が出た武術部の汚名返上だと天花はタケルから聞いている。

 それ以外でも、一度抜け出したにも関わらず、もう一度この場へ戻って来た気概を見れば、彼が相当の人格者だと解るだろう。

 そんな人間ならば、友人を任せられると判断した。

 未だ不安そうにする良子に向かって、天花は安心させるように微笑む。


「だから、また後で逢おう?」

「天花ちゃん……私は役立たずで、何もできないから言う事聞くけど、これだけはお願い」

「うん、なにかな?」

「無理はしないでね」


 自分の身を按ずる言葉に、天花はくすぐったいもの感じたが、申し訳なさそうな顔を浮かべていた。


「う~ん、ちょっと約束はできないかな」

「え」


 思わず声を失って絶句する良子に、天花は当然のように言った。


「だって、無理はするよ。それで誰かが助かるなら、私は無理しても頑張る」


 最初は自分を守る為。その力からで、何度か誰かを助けられたことがあった。

 もともと、悲しい事は嫌いだ。泣いている人を見るのは辛い。

 だがら、自分の努力次第で、誰かを救えるならば、無理をしても頑張ってしまう。

 お人好しと言われようが、笑顔でそんなことを言えるのが、園原天花なのだ。

 言葉を失う良子をそっと解放して、天花は改めて一彦に振り向く。


「自己紹介が遅れましたが、私は園原天花。彼女は安田良子ちゃんです」

「園原、天花。そうか、お前があの《白阿修羅しろあしゅら》か」


 白髪の少女でもしやと思っていた一彦が納得したように天花を見る。彼女は自分の学園に入学したのは知っていたが、顔を見たのはこれが初めてだった。

 外聞であるが一彦も《白阿修羅》の実力は聞き及んでいる。

 若手ながら猛者が多かった中学武術大会を優勝した彼女ならば、この場の打開策があっても不思議ではなかった。

 敬意の情が一彦の瞳に宿ったが、己の異名を言われた天花は、微妙な笑みを浮かべる。


「その呼び名は好きじゃないですけどね。先輩、良子ちゃんを改めてお願いします」

「何をする気からは解らんが、ここはお前に任せた方がいいようだ」

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