第27話 彼女が守らないといけないもの


「タケルさま、そろそろお茶を準備しますね」


 弦木つるぎ本家屋敷、当主の弟、弦木タケルの部屋。

 年頃の青少年らしい家具ばかりだが、やはり名家の御子息の部屋だけあって、中は広い。

 基本洋式内装の空間の中央に設置されている机に教材を並べ、タケルと生鐘は向かい合わせで勉強をしていた。

 だが、開始してまだ時間も経っていない頃に、彼の護衛者ガーディアンである輝橋かがやばし生鐘うがねが先程の発言したのである。


「まだ一息するには速すぎだろう……」


 少々呆れ気味でタケルが言うと、生鐘は柔らかな微笑みを浮かべた。


「そう思いますが、何やら喉が渇かれたように見えましたので」

「……人を見る前に、自分の勉強を見たらどうだ」


 喉を渇いてたことは否定せず、むすっとした顔でタケルは生鐘を見据える。

 少し責めるような視線を受け止めるが、生鐘は相変わらず笑みを崩さない。


「申し訳ございません。あまりにも真剣に勉強するタケルさまについ見惚れていました」

「ああ、そうですかよ」


 不貞腐れた様に顔を背けるタケルを見て、生鐘は小さな笑い声を出してから立ち上がる。


「紅茶でよろしいですか?」

「ああ。どうせ御代りもいるだろから、大目に準備して貰ってくれ」

「畏まりました。あと、差出がましいかもしれませんが、僕が準備しても構いませんか?」

「生鐘がか?」

「はい」


 タケルの問い掛けに、生鐘は静かに頷く。


「他人の仕事を奪う真似だとは理解していますが、久しぶりにタケルさまへ僕が淹れた紅茶を味わって頂くて」


 まだ、タケル達が幼い頃、生鐘は今の様にタケルへ紅茶を振る舞ったことがあった。

 最初の内はお世辞にも美味しいと言えるものではなかったが、タケル達が離れる頃間際ではかなり上達していた。

 タケルがお世辞抜きで美味しいと言うと、生鐘は大層喜んでいた。

 その頃を思い出したタケルは、今の生鐘を見つめてみる。

 彼女は変わらず笑みを浮かべているが、瞳の奥に緊張と不安をタケルは感じ取った。

 飲んで貰えるだろうか?

 美味しいと言って貰えるだろうか?

 期待と怖れにも似た感情は、今も昔も変わっていないようだ。


「構わないぜ」


 タケルがそう言うと、生鐘は安心したように息をついた。


「葉はロンネフェルトがあるからそれを使ってくれ。あと、言っておくが、昔より舌は肥えた。御世辞も言うつもりはないから覚悟しとけよ」

「はい。タケルさまの期待に応えるよう、全身全霊を持って淹れさせていただきますね」


 そんな仰々しい言葉を聞き、タケルは思わず苦笑してしまう。


「少しプレッシャーをかけたのは俺の方だけど。紅茶を淹れるだけで、大袈裟だな」

「僕にとってタケルさまに関することは全て大事ですので。では、少々お待ちください」


 その場で一礼をしてから、生鐘は静かに退室した。

 生鐘が紅茶を入れたかったのは、ちょっとした対抗心。

 保健室で仮眠を取った時、タケルは天花から彼女のお弁当を受け取った。

 生鐘はすぐに寝てしまったので、食事中の反応は見られなかったが、弁当箱を返す時のタケルの顔を見れば、どうだったか一目瞭然だ。

 嫉妬、と呼べるほど暗いものは芽生えなかった。

 でも、少し羨ましかった。

 自分も言って貰いたい。そのささやかな欲求を叶えるべく、本来給仕を担当する者を差し置いてでも紅茶を淹れたかった。

 タケルと別れから紅茶に関しても研鑽した。いつか再び飲んで貰おうと願った。

 焦がれた夢の一つが、また叶う。

 生鐘は幸せを噛み締めながら、頭の中で色々と考える。


 

 突如、身震いがした。



「──ですね」


 次に、生鐘はその会話を聴いてしまった。

 会話は、彼女が通る廊下の窓の外から聴こえた。

 声の主は、生鐘の上司に当たる人物、響谷ひびや宗司そうじ


 窓の外を見ると、宗司は当主である弦木ジンと庭いた。


 宗司は当主のジンを補佐する役目だ。一緒に居ても、まったく不思議ではない。

 それで、最初に感じた身震いの正体を察した。

 生鐘はジンの強大な気配に慄いたのである。

 離れた位置にも関わらず、ジンが発する強大な覇気を肌で感じたのだ。

 足が止まる。しかし、彼女は盗み聞きをしたかったわけではない。

 だが、ジンが自然と発する圧力に思わず生鐘は反応し、たじろいで足が止まったのだ。

 更には元々の聴覚が優れているので、外の会話が自然に耳へと入ってくる。

 ジンは生鐘を見てもいないのに、自然と冷や汗が浮かんだ。

 生鐘はそんな自分に嫌気がさす。多少は慣れたつもりだが、ジンが放つ尋常ならない存在感は生鐘にとって脅威でしかない。

 親愛している相手の兄だと解っている。更に生鐘はタケルの護衛者ガーディアンだが、本来の雇用者はジンだ。しかし、そんな相手にどうしても畏縮してしまう。そのことに彼女は恥じた。

 表面は取り繕っても、内面はいつもこの有様なのだ。

 体裁の為、人の目がある前で狼狽することはなくなったが、内心ではいつもその存在感に警戒してしまう。

 遠く離れていても、そこにいるだけで全てを圧迫するような威圧。生鐘には、同じ人間であることが不思議で堪らない。

 誰から見ても、強烈な存在。ある者はその輝きに平伏し、ある者はその熱さに畏縮する。

 生鐘は勿論後者。ここも昔から変わっていない。

 仮に、傍にタケルがいてくれれば安心できるのだが。と考えたところで自分の情けなさに再度呆れる。守るべき相手に安堵を求めるなど、それではどちらが護衛か解らない。

 まだまだ修行不足だと断じて、生鐘は数秒止まっていた足を動かそうとする。

 しかし、まるで狙ったように宗司と話しの続きを生鐘は耳にしてしまった。


「殺人武術推奨過激派が第27回倉木高校武術新人戦を襲撃しました」

「────」


 一瞬、息が止まった。

 殺人武術推奨過激派という団体は生鐘も知っていた。

 彼等を通称は過激派と呼ぶ。

 武術は本来命のやり取りであると主張し、武術を半ば見世物とした世の中に、強い反感を抱いた武人達のことだ。

 活動は主に現武術界の粛清と名目した、無差別殺戮。危険な集団だが、近年はほとんど調べなければ解らないほど、その存在を薄めていた。

 その時代錯誤の人間達が、襲撃、すなわちテロ行為を行っているという。

 場所は第27回倉木高校武術新人戦。

 これも生鐘は知っていた。


 そこは園原天花が自分を誘った場所。彼女が今日居る場所だ。


 先程とは違った汗が浮かぶ。

 そんな隠しきれない生鐘の動揺を余所に、外の中で会話は続いた。


「警察も既に感知していますが、遅れ気味ですね。被害は多少出るかと」

「なるほどな。念の為に屋敷の警備を固めておけ」

「了解しました」


 ジンの指示は理解できる。過激派の主な標的は自分達にそぐわぬ武術流派。

 武家として名家である弦木家を襲いに来ても、不思議でないだろう。

 テロを行う場所は一つとは限らない。

 だが、続いた二人の会話を聴き、生鐘は耳を疑った。


「──では、先日の会議の内容を改めたが、これは書斎に戻ってからにするぞ」

「はい、かしこまりました」


 二人は何事もなかったように、仕事の話を始め、その場を離れた。

 元々言葉を発してはいないが、生鐘は絶句した。

 多くの人間の命が関わる事態を知りながら、平然と己が日常に戻っている。


 しかし──、冷静に考えれば、それが当たり前なのだ。


 テレビの前で事件のことを知っても、普通の人間は気の毒にと思うくらいだろう。

 何もしないのが普通だ。それで罰せられることなどない。

 弦木家の総力を生鐘は把握してないが、彼女が知る断片的なものでも、弦木がその気になれば過激派のテロなど鎮圧できることを知っている。

 それが過剰であったとしても、手助けは確実にできる力は持っているはずだ。

 とはいえ、義理がない。弦木家が直接動く理由が無い。

 助ける為に理由は不要など、所詮は綺麗事。

 自ら行動したのならば、その思いは評価されるだろう。逆に、『誰かを助ける』というのは本来、誰かに言われて行うことではないのだ。

 他者の願いだけで行った救済は、もはや善意でなく、偽善ですらなく、作業である。

 善意は押しつけられない。

 少なくとも、弦木家に従う立場である生鐘が、その頂点であるジンの決定を覆すことはできない。


 どうするべきか? タケルに報告するべきか?

 

 その考えを、生鐘は即座に切り捨てた。

 タケルに伝えれば、きっと天花を助けに行くだろう。

 その上で他の人間にまで手を伸ばすかもしれない。

 今の彼は前よりも無愛想だが、根の優しさは昔から変わっていない。

 確かにタケルは強いだろう。生鐘は現在の実力を全て知っている訳ではないが、少なくとも自分ではタケルに敵わないと思っている。

 でも、彼は全力で戦える時間は二分だと言った。

 たったの二分だ。

 自衛ならば、二分でもタケルなら十分な時間かもしれないが、今回は違う。

 もしも、テロの場所にタケルが行くとするなら、それは何人いるかも解らない相手へと自ら挑む行為だ。戦いは当然ある。そして、すぐにタケルの限界が来るかもしれない。

 

 そんな危険な真似を、自分がさせる訳にはいかない。

 

 ならば、どうする?

 自分だけでできる限りのことをするか?

 それとも、ここまま何も聴かなかった事にするか?

 一切悩まず職務だけを全うするべきかと悩みながらも、どうにかしたいとう気持ちは強くなるばかりだった。

 見捨てることは、過激派に襲われている人々と共にいる、園原天花も見捨てるという事。

 自分と違って、実直に可愛らしい少女。

 きっと、自分のいない間、タケルの傍にいてくれた。ある意味に置いて敵である自分にさえも、澄み切った笑顔を向けてくれる。

 そんな天花が傷付く姿は、生鐘も想像したくなかった。

 しかし、自分はタケルの護衛者ガーディアンだ。

 護衛者ガーディアンが、主に何も言わず、何処かへ行くことは、許されるべきことではない。

 もしかすると、過激派がここに来るかも知れない。

 限りなく低い可能性かもしれないが、同時テロの標的が、武家の名家である弦木家である可能性もある。

 当主であるジンも、それを考慮して屋敷の警備を固めるだけは命じていた。

 ここには戦えない人だっているのだ。そして、自分は護衛者ガーディアンだ。

 守る側の人間である。その役目を放棄して、自分勝手に動くのはいけない。


 けれども──。


「なに、彫刻の様に廊下の真ん中で止まっているの? 邪魔で仕方ないわ」


 絢爛な声にして、痛烈な言葉が生鐘に放たれた。

 生鐘が思考から抜け出して、視線を向けると、自分よりも小柄な少女がいた。

 誰から見ても愛らしい顔立ち。セミロングの髪は艶やかで、フリルをあしらったワンピースを纏った姿は、ここ洋館に似合った淑女。あるいは童話の姫君に見えた。


「申し訳ございません、ユキ様。少々、考え事をしておりました」


 弦木ユキ。タケル、ジンの妹だ。

 天使のように愛らしい顔だが、その瞳からは強固な意志を感じさせる。年齢は八歳だが、ずっと大人びた印象を与える少女である。

 見た目は可愛らしい外見だ。しかし、背後にスーツ姿の男女を二人、顔の作りが同一なのでおそらく双子、自身の護衛を引き連れて、悠然とする姿は王者の気品すらあった。

 自分よりは一回りも年下である少女だが、生鐘は彼女に立場を度外視しても、ある種の敬意を抱いた。威風堂々が様になる。まさに、あの兄達にして、この妹である。

 生鐘は謝罪して、廊下の隅に体を避けると、ユキは呆れ顔のまま口端を吊り上げた。


「立ち止まるくらいの考え事なんて、随分と高尚な悩みを持っているみたいね」

「いえ。ユキ様にしてみれば、取るに足らない事です」


 生鐘が笑顔でそう言うと、ユキはつまらなそうに歎息する。


「別にアナタの悩み事なんて、どうでもいいのだけど、それで自分のすべきことを疎かにしないことね」


 生鐘は平然とした態度で受け止めたが、その言葉は心に刺さる様に痛かった。

 自分のすべきこと。タケルを守ること。その為にここに居るのだ。

 ならば余計な事に思考を分けず、黙々と役割をこなさなければならない。


「はい。自分の本分は弁えております」


 生鐘がそう言うと、ユキは更なる呆れをその顔に宿す。


「……アナタ、本当に解っているの?」

「もちろんです。僕はタケルさまの護衛者ガーディアン。あの人に従い、あの人の全てを守ります」


 はっきりとした声だった。これは偽りなき生鐘の本音だ。そして願いでもある。

 ゆえに、自分は今ここに居ると、何度だって断言できる。

 その言葉を訊けば、彼女の本心だと誰もが解るだろう。

 誠実にして、確固な、綺麗な言葉。紛れもない本心だと伝わって来る。

 だが、そんな言葉を訊いたユキだったが、不満そうな顔のままだ。

 彼女は苛立った様に生鐘を睨み据える。


「言葉にできるなら、悩まず実行なさい。立ち止っては、何もできないわ」

「…………」


 ──特別でもない、当たり前のようなその言葉が、何故か生鐘の胸に響いた。

 沈黙する生鐘を余所に、先程の言葉を言い捨てたユキは、それ以上生鐘を視界に入れず、真っ直ぐ廊下を歩き出す。


「まったく、タケル兄さんの護衛者ガーディアンが番犬程度の働きしかできないなんて、失笑ものよ」


 そんな不満を呟く彼女へ続く様に、双子の護衛も歩き出す。

 生鐘は三人が前を通り過ぎるのを目に映しながら、先程のユキの言葉と、自身で言った言葉を心で反芻していた。


 そこで、彼女はようやく、本当に理解した。

 

 ああ、そうだ。自分はあの人を守りたい。

 あの人には、泣いてほしくない。あの人には、笑っていてほしい。

 誰より幸せであってほしい。

 だから、守らないと。

 あの人の不幸から、災厄から、傷つける者から。

 あの人を悲しませる全てから守らないと。

 

 だから、いま、自分ができることは──。


 己のすべきことを見定めた。ならば、やるべきことを真っ当しよう。

 生鐘は感情を隠したまま、自分の足を動かした。

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