第26話 少女たちの距離
高校生活、ならびに
多くの者が休日を楽しむ日に、
主であり、最も慕っている相手、
これも一応、仕事の内に入り、本当に勉強するだけだろうが、それでもタケルと同じ時間を同じ場所で過ごせるの楽しみだった。
しかし、一人になると浮き立つ気持ちとは別に、生鐘は複雑な感情を抱いている。
タケルに
その時は何故動揺したのか自分でも解らなかったが、タケルに悟られないよう誤魔化したことを思い返して、理由に思い到った。
一つは親しくなった経緯が、彼女も同じ人間を慕っていたから。
もう一つは、生鐘自身に自覚がなかったこと。
親睦が深まったというなら、それは手合わせでお互いの思いを理解したったからだろう。
仮に、そんなに仲良くなったのかタケルに問われたら理由を説明しなければならいので話題を変えたのだ。
もっとも、タケルの前で何度か話をしているので過剰な反応だったと反省している。
そして、タケルに言われるまで、少なくとも生鐘は園原天花に対し信頼の情を持っていたことに気づいておらず、内心驚きを抑えられなかった訳は、自身でも意外だったからだ。
──生鐘はずっとタケルだけを見ていた。
友人と胸を張って言える人間など、タケルだけだった。
修行の際に、辺境の場所で出会った同年代の人間と交流はしていたが、交遊と言えるものはほとんどなかった。
他者と親睦を深めるくらいならば、タケルの護衛になる為研鑽することに時間を費やしていた。
我ながら薄情な人物だと生鐘は思っている。
そんな人間が、まさか思い人を巡り争う相手に心を開らくなど、夢にも思わなかった。
きっかけは確かにタケルだった。
タケルの話題で響き合い、タケルに教わった剣とタケルを守る為の剣でぶつかり合った。
だが、それでも自分が天花に対して心を許しているのは、彼女の人の成りだろう。
自分と違って、他者に自ら歩み寄ろうとする少女だ。
手合わせは彼女の提案だった。
今日ですら、別の人間と親睦を深めに出かけている。
生鐘も最初は同行しないかと誘われたりもした。
職務があるからといって断った時、残念そうな顔を覚えている。だが、無理矢理タケルも交えて誘おうと試みない辺り、彼女達が向かう場所が場所なので、我を通すだけの人間ではないことも理解できる。
素直な人間だ。自分の思いを真っ直ぐ表現できる。
綺麗な顔の裏に、冷たく物事を見据えている自分とは違う。
駆け離れた二人が、同じ男性に特別な感情を抱くなど皮肉なことだ。
それだけタケルが魅力的なのか、あるいはこれも自覚がないだけで二人は似ているのか。
生鐘がそうやって意識を深く落としてると、マナーモードしてある携帯が震動した。
確認すると、天花からのメールだった。
件名:『忙しかったらごめんなさい』
本文:『昨日言った様にクラスの子と大会へ来てるんだけど、試合を見てたら何だかモデルもやってる人が参加してて、一緒に居る子も、周りの女の子もキャーキャー言ってるの。
で、私が何も反応しなかったら、女の子なのに可笑しいとか言われたんだ~(>M<)
生鐘ちゃんはどう思う??? タケルくんの方が絶対にかっこいいよね!!』
メールと一緒に添付されたデータを開くと、とある少年の写真が出た。
見た目は良い。整った顔の青年だ。生鐘にも覚えがあるので、雑誌やテレビでも出ていたかもしれない。若い女子に人気があっても不思議ではないだろう。客観的に見ればだが。
思わず、生鐘はくすりと笑う。
天花は周りの価値観が相違していたので、共感する相手が欲しかったのだろう。
幼い考えだと思うが、その相手に自分が選ばれたことがくすぐったい。
生鐘は素早く操作すると、そのまま携帯を懐にしまいながら考える。
年頃の、同姓友情とは、このようなものなのか、と。
†
「誰からメールの着信?」
一つの試合が終わった後、自分の携帯にメールの受信があった事に気づいた天花は、鞄から取り出して送られてきた内容を確認した。
「あっ……」
最初に驚いて、次に顔が綻んだ。
メールの相手は生鐘。
件名:『お気になさらず』
本文:『当然ですね。タケルさまは至高ですので──』
前の観戦した試合に出た青年に対し、周りの女の子達の歓声があまりにも凄かったが、天花には今一つ理解ができなかったので、思わず勢いでメールしてしまった。
送った後で、なんて幼稚ものをメールしたんだと後悔したのだが、まさかあのような内容に対して、生鐘が律義に返信してくれるとは天花も思っていなかったのだ。
共感が得られた事と生鐘の返信に喜んでいると、大きな空白の後でメールがまだ続いてることに気づく。
『──追伸:これから僕はタケルさまと二人きりでお勉強をします♪』
緩んだ天花の顔がビキリと強張った。
なぜ、わざわざそんなこと自分に教えるのか? 自慢か? きっと自慢なのだろう。
それとも、やっぱりふざけた内容に怒っていたのか?
でも、それとは別にして、二人きりで勉強とは羨ましい。
自分に同じことの経験がない訳ではないが、思いを寄せている相手のとの時間は、何であっても、何度でもしたいのが乙女心だろう。
しかし、いいのだ。剣の修行が本格的に再開すれば、その時は自分とタケルとの二人きりだ。
仮に剣の修行がタケルと天花の二人きりだった所で、総合的にタケルと一緒にいる時間は生鐘の方が圧倒的に多いが、天花はそういう風にして開き直ることにした。
天花がそうやって心中を穏やかにすると、まだメールに続きがあることに気づく。
『──もしも御不満でしたら、次は三人で一緒に勉強しましょう』
「…………」
それを見ると少しだけ先程の自分の考えを反省した。
独占したいのはお互い様だろう。
しかし、三人で共有する時間が作れるのならば、それはそれで楽しいと天花は思った。
武天一刀流の技を鍛錬する場合は無理かもしれないが、基礎練習ならば生鐘も交えて剣の修行ができるかもしれない。
もっとも、それを決めるのは最終的にタケルだ。彼が望めば、自分達は共に過ごすし、望まなければ、過ごすことは難しいだろう。
天花は少し悩んだ後で、『では、その時はお願いします。勉強頑張ってね』と短い本文を送信した。
「友達?」
操作を終えた携帯を鞄に閉まったところで、隣に居た
その質問に天花は少し困ったが、はっきりとした声で答えた。
「そうだよ。さっきの──名前忘れたけど、モデルとかやってる人の写真を友達にも見て貰ったけど、やっぱり、反応は私と一緒だった」
「ええぇぇ、うそ! イッチーは女の子みんなの憧れだと思うんだけどな」
もはや天花の頭の中では顔も忘れたそのモデルもやる武人を、良子は推していた。
「そこは趣味趣向は人それぞれということで」
別に天花は他人の好みを否定する気はない。
彼女にとって、その人間が好ましくて、天花にとってはあの少年が一番好ましい。それだけのことだ。
「まぁ、そのモデルの人もいいけど、今はさっきの試合のことを考えないとね。良子ちゃんは改めてどう思った? さっきの試合」
自分達はただ試合を観戦した訳でもない。武術部に属した良子の勉強の為に、ここに訪れたのだ。
天花がそう訊ねると、良子は難しい顔をして手元に広げていた資料に目を落とした。すでに資料を持っているあたり、彼女も本懐を忘れてないらしい。
「やっぱり、先輩に貰っていた資料を改めて確認しても、さっきの子は武術未経験者だよ」
「うん。あの試合を見た後でも、私はそう思ってる」
「でも、勝っちゃったね」
試合場である一階に目を向けると、先程の試合で勝利を手にした少年が端で誰かと話していた。服装からして少女だろう。
勝利を手にした少年の相手は、今まで武術大会でそれなりの成績を出していた経験者。
試合開始前、ほとんどの人間が、経験者が勝つと予測していたが、結果は逆となったわけである。
「さて、良子ちゃん。未経験者であるはずのあの子が勝った、大きな原因は何かな?」
「え? ビギナーズラック?」
「みたいなものだけど、もっと具体的に」
「実はあの子の良くて、経験者が弱かった?」
「お世辞にもあの子の筋は良いものじゃないね。せいぜい、喧嘩なれはしてるってこと。経験者も色んな大会で成績を修めているくらいの実力はちゃんとあったよ」
「え~と、……」
言葉に詰まった良子を見て、天花は笑みを浮かべながら自分が考えた正解を言う。
「あの試合の結果で大きかったものは、経験者の油断とあの子のやる気だね」
「油断とやる気?」
首を傾げる良子に対し、天花は自分の考察を語る。
思えば、他人にこうやって自分が武術に関して教授するのは珍しいかもしれない。
「経験者の人も、あの子が素人だって一目で解ったと思う。で、気が緩んじゃってた」
慢心は己の実力を大きく下げる。それでも、勝つことができる格下ならばよいが、それゆえに負けてしまえば、何も言えないだろう。
「そして、あの子は勝てない相手でも勝とうとした。油断とやる気の差が、あの試合結果になったんだと私は思うよ」
「じゃあ、あの試合で学ぶことはどんなに相手が弱くても、手は抜くな、てこと?」
「それと、最後まで諦めない、てことかな」
またも、天花はとある少年の事を思い出す。
兄に少しでも追いつく為に、少しでも努力するとある弟。
周りからは届かぬ夢と言われた道を、彼はまだ諦めずに努力していた。
「諦めなければ届くかもしれない。もっとも、それを確実にするために日々の努力が必要なんだけどね」
「なるほど~」
感心した良子は持ってきたメモに何やら書き込み始めた。
しっかりと学んだ事を書き残そうする辺り、彼女の真面目さが解る。
隣人が作業に集中している間、ちらりと天花はもう一度一階の試合場を目に向けて、試合に勝った少年を見てみる。
何やら会話としていた少女と言い争っているが、険悪な雰囲気は感じない。まるでじゃれ合っているような光景を見て、天花はタケルと生鐘を思い出す。
自分でもまたか、と呆れる。最近はあの二人のことばかりだ。
生鐘の言葉にタケルが言い返すように文句を告げる。その繰り返しは一見口喧嘩にも見えて、その実、仲良く戯れているだけだ。気心知っている相手だからこそのやり取り。
生鐘は、タケルに思いを寄せている。
では、タケルは生鐘のことをどう思っているだろう?
長年文通を交わし、再会して自分の傍に居てくれる少女のことを、彼はどう思っているだろうか?
それに、自分のことはどう思っているのか?
結局、天花が一番悩んでいることはそれだった。
自惚れかも知れないが、他の人間と比べて多少は信頼されていると思っている。
弦木家には親しい人間にしか複数ある己の名の意味を教えないという慣習があるが、タケルは天花に対して、己の名の意味を三つも教えた。
ただの友人では一つすら自ら教えないそうなので、これは天花にとってはっきりと解るタケルとの距離だった。
他人の試合を見聞することを拒むタケルが、天花が試合する場合は嫌な顔せず見守ってくれた。今日の大会に天花が出場していれば、いつもの様に応援してくれたかもしれない。
これは自分も先程負けた経験者と同じだ、と天花は反省した。
努力を蔑ろしたつもりはなかったのだが、油断していたのは事実だろう。
そして現われた強敵と出逢ったことで、このところ悩んでばかりだ。
しかし、悩んでばかりでは駄目なのは自覚している。
だから、一歩踏み出す為、天花は生鐘の本心を聞きだした。
だが、悩みの種は消えてくれない。
ならば、もう一歩前に進まなければならないだろうか?
自分の知りたいこと。そして、ずっと伝えたかった言葉。想いの告白。
時折、苦悩で心も傷ませるくらいならば、一気に曝け出すほうが楽になれるか。
(駄目だ。勇気が、出ない)
やはり、今の関係が壊れることは耐えられない。
想像もしたくもない結果になった場合、今の自分は自分でいられる自信がない。
剣を習って、心身ともに鍛えたつもりだが、まだ自分の心はこんなにも惰弱だ。
(神様が、切っ掛けでもくれたらなぁ……)
天花が自分でも思うくらい運がない。
だから、叶う叶わない別にして、偶に神様にお願いすることがある。
神社でお参りをしたら、ずっと叶う事がなかったタケルと同じクラスになれた。偶然かもしれないが、天花は神様が願いを叶えてくれたと喜んだ。
(お願い、聞いてくれるかな……)
最近叶えてくればかりで、もう次のお願いをするのは不作法かもしれないが、この大会が終われば、いつもの神社に行ってみよう。
ついでに、縁結びの御守りも買ってみよう。数は二つ。
一つは自分の為に。
もう一つは、強敵の為に。
とある友人が訊けば、敵に塩を送る気かと呆れられるだろうが、あげたくなったのだから仕方ない。
同じように頑張ってきた相手にも、少しでも力が溢れる様に。
そして、二人で頑張ってみよう。
きっと彼女も同じことで悩んでいるだろうから、二人で勇気を出し、前に進む為に。
そう決意した、時だった。
「──!?」
不意に肌を刺すような感覚が、天花を襲った。
「よし、メモ完了。ええと、次の試合は──」
「立って」
「え──」
隣にいる良子が反応しきり前に、天花は彼女の肩を左手で寄せながら一緒に立ち上がり、腰に携える刀を掴んだ。
「天花ちゃん?」
突然の行動に良子は戸惑いを隠せなかったが、そんな彼女を余所に天花は周辺を見渡す。
先程のような女の子らしい顔は何処に行ったのか、研ぎ澄まされた刃のように鋭いものへと豹変している。
天花は不穏な気配を感じ取ったのだ。
優れた武人は、道具を使わずとも他人の気配を察知できる。
天花の察知能力は高い。虐めと防犯対策の為、タケルが念入りに仕込んだことが起因だが、その錬度は今では達人級まで至っていた。
その天花が、この事態に逸早く察知することになる。
何があったのか。息を飲んで間近の顔を眺めた後、我を取り戻した良子が訊ねた。
「ねぇ、どうか──」
ガダッガダッンッ!!!!
良子の言葉は、突如として勢い良く開かれた扉の音でかき消される。
それも一つではない。
会場に設置してある扉が全て同時に開かれ、すぐさま流れ込む様に武器を掲げた男たちが何人も侵入してきた。
数十、あるいは百は超えるかもしれない突然の来訪者の登場で、会場全体がようやく異常事態に気づく。
多くの者は動揺し、困惑した。
無礼な輩に怒りを湧く人間も居た。
逸早く事態に気づいていた天花は、自分の近くにいる集団を見据えている。
様々な感情が充満する中、来訪者達を代表するように一人の男が轟く様に叫ぶ。
「我等は脆弱な武に憂う真の武術者なり。これより、粛清を執り行う!!」
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