第25話 弦木家の休日


「タケルさま。本日のご予定は如何なされますか?」


 弦木つるぎ本家屋敷にて、輝橋かがやばし生鐘うがねは、朝食を済ませた後でその場で少し寛いでいた弦木タケルが自室に戻ろうとしたの為、後についてゆき先程の質問をした。

 問いに関してタケルは、僅かに迷いがなく答える。


「勉強。途中まで眼を通してた教材の残りを把握。他にも色々だな……」

「休日にも関わらず勉学を怠らないとは素晴らしいです」


 生鐘はすぐに主へと賛美を送ったが、次に浮かない顔を表した。


「しかし、あまり根を詰める必要はないかと。このとこ毎日家に帰れば勉強なされていますので、今日ぐらいは御休みになられたらどうですか?」


 生鐘の知る限り、ここ最近タケルは部屋で籠って勉強ばかり行っている。

 入学早々、浮足もせずに勉学に励むことは学生として褒められた姿勢ではあるが、青春真只中の青少年が過ごす休日にしては味気が無さ過ぎだ。

 

「別に嫌々やってるわけじゃねぇから心配いらねぇよ」


 しかし、特に気にした様子もなく、タケルはそう言った。

 その事は生鐘も重々承知している。

 誰に強制された訳でもなく、タケルが自主的に勉強に勤しむのは、彼自身が望んだもの。

 曰く、少しでも学力を上げたい、こと。

 タケル自身の学力は優秀な部類だが、彼はそれに満足していないらしい。

 彼が目指すのは、成績トップ。何故それを目指すかなどは、生鐘は問わない。

 知っているからだ。彼には超えたい存在がいる。近づきたい者がいる。

 学校の成績などでは、砂粒の差すら埋まらないだろうが、タケルは諦めていない。

 ならば、生鐘にできることは傍で応援することだけだ。

 タケルが気遣いは不要と言うならば、今は何も行動しない。無理が祟るような時でもあれば、その時に行動するのだ。


「今日は俺も自分の部屋にずっといるとから、お前も好きに過ごせ」

「ならば、タケルさまと一緒に居ます」


 タケルの気軽な言葉に、生鐘はにこやかに答えた。

 笑顔でそう言った生鐘に、タケルは思わず立ち止まって振り返る。

 タケルは遠回しに、自分のことはいいから、今日はお前が休め、と言ったつもりだが、相手には伝わっていなかったのだろうか? いや、目の前の相手は、解っていて言っているかもしれない。

 タケルがじと目で生鐘を見つめていると、彼女はぽっと頬を染めた。

「そんなに見つめられたら恥ずかしいです」

「やかましい。はっきり言おう。今日は護衛者ガーディアンの仕事をせず自由にしろって言ってんだ」


 率直な言葉を告げた後で、タケルは少しだけ按ずるような目線を生鐘に向ける。


「お前だってやりたいことや、しないといけないことも色々あるだろう」

「僕の最優先事項は全てタケルさまです。他の些事は二の次ですよ」


 予想通りの言葉でタケルの頭が痛くなった。

 しかし、タケルは諦めず次の言葉を投げかける。


「それでも友達と遊びたいとかあるだろ」

「ですから、そのような人間はタケルさま以外──」

「天花とは意外と仲良さそうにしてたんじゃないか」

「────」


 遮るように言ったタケルの言葉に、生鐘は表情を消して押し黙った。

 タケルはその反応に対し、あえて指摘はせずに話を続ける。


「せっかく仲良くなったんだから、誘って遊びにでも行ったらどうだ?」

「……ですが、園原さんは今日別の方とお出かけになられております」

「そうなのか?」


 言われて、タケルは半分だけ納得する。

 天花も交遊関係はそれなりにある。共に進学してきた友人の存在もタケルは知っているし、天花なら同性との友人を新たに作っていても不思議ではなかった。

 しかし、その事を生鐘が知っていたことは驚きだ。もしかすると、生鐘も天花に誘われたかもしれない。それが真でも、ここに生鐘がいるので彼女は誘いを断ったのだろうが。


「むしろ、僕はそのことをタケルさまが知らないことに驚きです」


 意外そうな顔を浮かべる生鐘に、タケルは呆れ顔を浮かべた。


「俺と天花は友人だが、だからって、何でも知ってるのは気持ち悪いだろ」

「……つまり、タケルさまは僕が目ざわりなんですね」

「待て。なんでいきなりそうなった?」


 百八十度どころか、爆弾で吹きとばされた様に変わった話題にタケルは愕然する。

 タケルを余所に、生鐘は打ちひしがれた様に、両膝両手を廊下について項垂れた。

 更にタケルが戸惑う中、生鐘から暗雲な気が流れた。


「自分のことを他人が何でも知っているのは不気味に感じるのも無理はありません……」

「まぁ、一理はあると思うけど……」

「すなわち、タケルさまの今日の予定や明日の予定、遥か未来全て、現在一分一秒御側に居て知りたいという僕の願いはタケルさまにとって迷惑以外なんでもないということ!!」

「いや、そうでもないと……いや、あるのか?」


 正直、常に他の誰かが傍にいて、自分の行動を全て把握しているなど息苦しく思うのが普通である。

 タケルのその言葉を聞き、益々生鐘は落ち込んだように暗雲な気を周囲に捲き散らした。


「申し訳ございません、タケルさま。タケルさまと一緒に居る事が幸福のあまり、ついつい立ち入り過ぎたようです。これからは自粛致しますのでお許しくださいませ!!」

「い、いや、そんなに気にする必要は……」

「ああ、しかし、タケルさまと一緒に過ごせないとは、少し前の自分を思い出すようで。ぐす、孤独で死んでしまいそうです」

「うっ!!」


 よよよ、とその場で涙を浮かべながら蹲る生鐘を見て、タケルの心と胃は罪悪感できりきりと痛んだ。

 タケルは自分の家のはずなのに、居心地の悪さが尋常ではなかった。

 今は誰も通りかからないが、誰かが着たら何と思うだろう。

 だだ、何より、このまま生鐘をほっておく訳にもいかないので、タケルはできるだけ優しい声を彼女にかける。


「プライバシー侵害と、一緒に過ごすことは別だと思うぞ。今日だって、別に一緒に居ても、別に構わないし……」

「本当ですか……?」


 涙目で見上げてく生鐘にタケルは頷く。


「ああ、本当だ」

「なら、今日はずっと御側に居てもよろしいのですか?

 タケルさまの一日を知ることになりますが、それを許してくれますか?」

「一緒にいるなら必然的そうなるだろうな……」

「嗚呼、タケルさまは、僕が思った以上に温かくて優しい素敵なお人です!」


 いつの間にか立ち上がった生鐘のキラキラとした笑顔を見て、相手の都合の良いように誘導された気がしてならないタケルであった。


「……お前は俺が思った以上にあれな性格になったな」


 もっとも前言撤回とはいかないので、タケルは仕方なく成り行きに任せることにした。


「なら、今日は勉強を止めて何処か行くか……」

「それは僕にとって至福の事態ですが、僕が居る事でタケルさまのご予定を変える必要はござませんよ」

「あぁ、じゃあ、一緒に勉強でもするか?」


 適当に答えたつもりだったのだが、タケルの提案を聞いた生鐘は益々顔を輝かせる。


「タケルさまと一緒にお勉強とは! まるで昔を思い出すようで嬉しいです!」

「勉強するのにそこまで喜ぶ必要ないだろ……」

「いえ、そんなことはありません。タケルさまと一緒に何かを為す。僕にとってはどんな娯楽よりも嬉しい事ですよ」

「…………」


 正真正銘の好意を見せた生鐘に、タケルは沈黙する。


「では、すぐ道具を準備するので、タケルさまはお部屋でお待ちください」

「…………。ああ、待っている……」


 タケルが返事をすると、生鐘は嬉々とした顔で、一度頭を下げて後、その場から去った。

 その足取りは、今からピクニックでも行く様に軽やかで楽しそうである。

 生鐘の後ろ姿を見送りながら、先程の彼女の言葉と、ある記憶を思い返していた。

 昔、タケルはある少女に聞いた事がある。

 

 俺と一緒に居て楽しいのか?

 

 ずっと遊んでいたわけじゃない。一緒に居る時間は、辛い事の方が多かったはずだ。

 それでも、その少女は当たり前のように、思わず目を瞑ってしまいそうな、眩しい笑顔で答えた。


 タケルくんと一緒に何かをしてるのは、私にとって一番楽しいことだよ。


 その言葉を頭の中で流したタケルは、首を撫でながら自分の部屋に向かった。


「どいつもこいつも、物好き過ぎるだろ、ったく……」


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