第20話 乙女たちは戦う①
「手合わせ、ですか?」
「うん、手合わせ」
深夜、山奥にある大きな駐車場に呼び出された
正直、生鐘は困惑している。
こんな時間にこんな場所まで呼び出したのだから、天花がする内容が只の世間話なのだとも思っていなかった。
だが、まさか手合わせを願われるとは、生鐘も予想外である。
仮に手合わせを求めた相手が見知らぬ武人ならば、面倒であるものの、武の栄える時代であれば珍しくもないので戸惑いもしなかった。
しかし、相手が園原天花ならば話は違う。
動機が単なる興味本位であると考えるのは、浅はかであろう。
まさか、自分と仲良くしていた男性の傍に現われた人間が気に入らないので、憂さ晴らしに叩きのめしたいという古典的な理由か? 天花がそのような性格には見えないが。
生鐘は他に幾つか動機を思い浮かべつつも、どれも今一つ納得がいかない。
何故、彼女は自分と手合わせをしたいのだろうか?
生鐘がそうやって怪訝していると、天花が再び口を開いた。
「手合わせして、そして負けた人は勝った人の質問に何でも答えるの」
それが手合わせをした、勝者の報酬。
生鐘はそれを聞いて、益々、天花の意図を察することができなかった。
「……何故、そのようなことを?」
「私、アナタに訊きたいことがあるの。だけど、普通なら素直に教えてくれそうになさそうだったから、勝負して教えてもらおうと思ったの」
そこで生鐘は察する。
天花が何を彼女に訊きたいかは、彼女自身でも予想がついた。
天花が知りたい事は十中八九、タケルとの関係。そして、生鐘の内心。
もしも、自分が逆の立場ならば、同じ事を知りたいだろう。
いや、自分も彼女がタケルのことをどう思っているのか、訊きたかったとこだ。
「それに、アナタも私に訊きたい事あるんじゃないかな?」
その内心を言い当てるように、天花が言った。
「……そうですね。その見解に間違いはありません」
生鐘は認める。
既に自分達は、役が違うだけで同じ立場であった。
よって、天花からの手合わせは生鐘にとっても望んだものになる。
それに、剣で挑まれたのならば、逃げる訳にはいかない。
自身は剣の道を進む者であり、相手は自分の主の弟子。
勝った報酬も、自身の蟠りの解消になるならば、悪くはない提案だ。
そのように考えていた生鐘の前で、天花は言葉を続ける。
「あと、これも知りたいの。アナタの、タケルくんを守る剣がどんなものなのかね」
「おや、奇遇ですね。僕も貴女が、タケルさまから教わった剣を知りたかったところです」
この事に関しては、互い単純な興味だった。
もっとも、それが杜撰なものであれば、最低でも相手に叱咤するだろう。
仮にも自分の師を守る剣が。
自分の主が教えた剣が。
簡単に折れてしまう鈍刀であったならば──とても、許せそうにない。
「受けます、この勝負。負けた人間は勝った人間に何でも質問を答える。虚偽は剣にかけて許しません」
「もちろん。受けてくれて、ありがとう」
頷きながら礼を言った天花に対し、生鐘は和やかな顔を見せながら、少しだけ不思議そうにしていた。
「かまいません。ですが、意外でした。園原さんはもっと穏便な方だとばかり」
「私だって、無暗矢鱈に剣を抜く事はしたくないし、したら怒られるんだけどね。
今回はこんなやり方の方が分かりやすいかなって」
「同意します」
生鐘は頷いて、両手を柄に添えた。
「相手の顔色を窺って言葉のやり取りをするよりも、剣で語る方が今の僕達には丁度いいのかもしれません」
「そうかもしれないね。それじゃあ、時間も遅いし、行くね」
そう言いながら、天花も自身の刀に手を伸ばす。
生鐘も腰の両側に差す、二本の刀の柄に手を伸ばした。
「
「弦木家
最初に動いたのは天花。
瞬時に、白き刀の刃が闇夜に煌く。
抜刀。並の武人など比べることができぬほどに速い。
天花はそのまま相手との距離を一気に詰め、居合い斬りを放つ。
生鐘が今から刀を鞘から抜いてからでは、あの刀を受け止めるには遅い。
そう判断した生鐘は、そのまま鞘をつけた状態で腰から刀を二本とも抜き、交差させて自分に向かって来る白刃を受け止めた。
破砕音。
生鐘の二本の刀に存在した鞘が、微塵に砕け散った。
余波で、生鐘の髪が大きく靡く。受け止めた場所から全身に強い衝撃が広がった。両足で踏ん張っていなければ、吹き飛ばされていただろう。
受け止めなければ、その時点で終わっていた剣戟。
天花は刀身に、透明の《
武天一刀流
抜刀術で、相手によれば刀が触れずとも、そのまま剣圧で体を吹き飛ばされる初撃にて決着を着けられる剣技。
天花が高校入学式にて、不埒な行為を行った上級生を成敗した技だ。
砕け散った鞘から二本の刀の刀身が露わになる様子を目の当たりにしながら、天花の細腕からは想像もできなかった破壊力に、生鐘は胸の奥で驚愕する。
対する天花は、まさか、鞘から抜かず対応するとは思っていなかったため、一旦距離を取ってから、微妙な顔を浮かべた。
「これは、後で弁償しないといけないかな?」
情けない声を出すが、構えは依然として隙が無い。
生鐘は二本の刀の構えを変えながら、天花の問いに笑顔で答える。
「そうですね」
「うっ!?」
苦しそうな声を上げるが、姿勢は一切崩さない。
流石にこの程度で揺らぐ程の実力ではないようだと生鐘は分析する。
「冗談です。此方が対応しての事ですし、鞘のストックはあるのでお気になさらず」
「……思った以上に意地悪なんだね」
不貞腐れた顔を浮かべる天花に生鐘はしれっとした態度だった。
「おや、心外です。僕は常に誰しも丁寧な対応を心掛けているのですが。女性には特に」
そう言いながら、今度は先に生鐘が動き出した。
生鐘の武器は二刀流。
左右別々の動きを要求されるため、扱いは一本よりも困難だ。
だが、これを視認したならば、手数が多い分二本の刀の方が有利と勘違いしてしまう者もいるだろう。
それほど巧みに生鐘は二本の刀を縦横無尽、自在に操っていた。
生鐘の初撃。
此方も殺傷を抑える《不殺外装》が取り付けられた刀で上段斬りを繰出す。
それを天花は難なく打ち払ったが、そこを完全に見計らった如く、もう一本の剣が下段から襲ってきた。初撃よりも速い、片手とは思えぬ速度。先程、天花が繰り出した裂衝比べれば数段と遅いがそれでも十分な剣速だ。並の相手ならばそれで勝負がつくとこだが、何とか天花はこの追撃も防ぐ。
だが、休む暇もなく先程弾いたばかりのもう一本の刀が天花を襲い、また防いでも同じようにもう一本の刀が襲いかかる。
双刃が舞い散る中で、天花は防戦一方。
鋼と鋼が激突して奏でる音の中、生鐘の連撃を前に天花は耐え忍ぶしかなかった。
「どうしたのですか? 最初の一撃のような威勢が見えませんよ」
「……ぅ!」
生鐘の微笑みを交えた揶揄に、天花は言葉を返せない。
これほどの連撃に耐えている時点で評価されるべきだが、実際の勝負を行っている最中では何も為す事ができなければ優劣は明らかだろう。
だが、天花はすぐに攻めに転じない。
無理やり踏み込めばその隙を狙われる。強引に切り崩す真似はしない。
焦って物事を進めてはいけないと教えられた。
そうやって学んだ事を、心と体に刻まれて記憶によって、自然と体を駆動している。
雨の隙間を狙い定める様に神経を研ぎ澄まし、好機を待ちながらも、生み出そうとした。
ひたすら好機を待ち望んだ、瞬間。
生鐘の振り終わった刀が引かれ、もう一本の刀がその隙間を埋める如く振り落とされようと二本の刀が交差する時、天花は纏めて二つの刀身を纏めて薙ぎ掃う。
強烈な剣戟。
その重さに、生鐘の双刀は敢無くバランスを乱す。
天花が崩した。崩された生鐘は態勢を立て直すために後ろに退いた。
そこで引いた生鐘を追い、白刃が迫る。
斬!
先程まで生鐘が居たアスファルトの地面が、大きく削られた。
常人ならば顔を青ざめる光景を目の当たりに、生鐘は動揺をする前に両腕を動かした。
突風。
大気が悲鳴を上げ、残像すら生み出す高速の打つ込みを生鐘は何とか受け止めた。
爆発如き火花。絶叫はぶつかり合った鋼と圧し潰された空気。
大砲でも当たったかの様な衝撃を肌で感じながら、生鐘は驚愕する。
何という、剛剣か。
初撃に見せた、人を吹き飛ばす程の居合い斬りに劣らない威力。
これでは《不殺外装》があっても、只人ならば間違いなく致命傷になるだろう。
だが、真に驚愕すべき個所は、その威力だけではない。
場の苛烈さが増した。
鋼の爆発が鳴り響く。
幾度も。幾度も。
花火の如く轟音と共に、夜闇の中で剣戟の大輪を咲かせた。その種を捲く白い刃は、恐るべき速度で在りながら、流れるように次々と一瞬の火花を芽吹かせている。
剣の威力の激しさに対して、その技は何処までも美しかった。
さながらそれは、流麗な演武ようである。
天花の剣には無駄がなかった。
計算され、研磨し、練達した技によって肉体の全の力を振るいながら、それを呼吸の様に行っているため、同じ剣を何度も重ねて打ち込める。
柔は剛に勝る言葉があるが、これは柔と剛が合わさった剣技だ。
(無駄のない理想的な動きで、最大限の力を発揮する。これが──武天一刀流か!)
その剣を生鐘は受け止めながら理解し、驚愕した。
彼女の細腕からは想像もつかない威力もこれならば納得ができる。
体全体、あるいは細胞一つ一つの力を余すことなく一本の刀に宿し、磨かれた技がその力を増大させている。
一瞬でも気を許せば、生鐘はその時点で斬り伏せられるだろう。
このような剣は簡単に身につけることはできない。
柔と剛は基本的に相反するモノであり、どちらかに重点を置いているかによって武人の性質が決まる。
しかし、天花の武天一刀流は柔と剛を均等に伸ばして、互いを殺すことなく伸ばし続けた先の剣だ。生来の武人であっても、辿りつくことは困難な理想の一つ。
いったいどれほどの修練を重ねれば、これほどの技を身につけることができるのか、生鐘には想像もできない。
園原天花は武家の出身ではない。生鐘の予想では彼女はタケルに出逢い、彼の指導の元、力を身に付けていたはずなのだ。
だが、生鐘の贔屓目を入れても、タケルの指導だけでこのような剣が鍛え上げられるはずがない。
彼女の武の経験はほんの数年間。生まれながらにして身近に武術があった自分とは違う。元々、そのような血筋でないなら持って生まれた身体能力も良くて並だろう
どれだけ、剣を振るったのか。
その綺麗な手の内側は、どれだけボロボロになった。
生鐘は園原天花に驚愕の念を抱いた。
それ以上に、その剣を、天花を賞賛する。
しかし、驚愕と賞賛は天花とて同じなのだ。
(すごい……)
天花は別に、自分が最強だとは思っていなかった。
師であるタケルには未だ一本も取った事が無く、タケルの計らいで自分よりも格上の武術者と相対したことは何度もあった。
自分の苦手な所だって理解している。
タケルから指摘的されていることや、彼女自身でもこれはまだまだ改善しないといけないと思う場所は何個も存在する。
同時に、己の剣に自信もあった。
自分の倍ほど武を経験した相手を打ち負かしたことは数知れない。
いつの間にか、自分では気に入らない《白阿修羅》などという異名をつけられたが、武術の大会で優勝もしている。
自分でも上手にできたと思う技を、師であるタケルに褒められた時は更に自信を身に付けられた。
だからこそ思う。
この人はすごい、と。
武術を始めたばかりはともかく、今の自分とここまで競い合えた同年代の女の子は、天花にとって稀だった。
異名とつけられ、大会で優勝を経験した天花の実力は、プロの世界で戦う武術者に負けない剣だ。
熟練された武術者でも、天花の剣を受ければ、仮に防御できたとしてもそのまま切り崩されてしまう。
だが、生鐘は二本の刀を巧みに操って、天花の刃を次々と凌いでいく。それどころか、合間で、己も攻撃を仕掛けていた。その攻勢は天花の刃で押し返しているが、自分の連撃の渦中に填まりながら打開する機会を何度も作っている様子は、圧している側の天花自身がその度に追い詰められたようにも思える。
一見防戦ではあるが、数刻前自分がギリギリで行った防戦とは明らかに実力が段違いだ。
天花は生鐘と同じように二刀流、または盾などを使用した武術者と対峙した経験があるが、これほどの打ち込んでも崩せない防御は見たことない。
綺麗な剣だと天花は感じた。
生鐘の性質は柔と剛なら、間違いなく柔だ。
だが、思わず見惚れてしまいそうな冴え渡る技巧もさることながら、真に評価すべき点は見切りだろう。
武術の世界でおいて、見切りとはすなわち相手を予測すること。それは直感、経験則、観察眼で養われて見に付ける予知技術。
生鐘は天花が攻撃の動作に入る前に、防御姿勢に移行している。それはどういった類で見切られているのかまでは天花も判断しかねるが、少なくとも相手は自分の剣が何処に向かって来ることを解っている。
もっとも、仮に本物の予知能力を備わっていたところで、対処する方法がなければどうしようもない。だが、見切った相手の行動を、生鐘は鍛錬された技で見事に防いでいる。
まるで、掴もうとしても、次の瞬間には自分が包まれる水にでも相手しているようだ。
加減抜きの勝負であれば、天花も相手に対処できない程の剣を試みるが、手合わせの範疇ならばここが限界だろう。
いったい、どう訓練したら、こんな剣になるのだろうか?
奇遇にも天花は相手と同じことを考えた。
以前、喫茶店での出来事。
殆どタケルの話題だったが、その中で生鐘は、タケルを守る為に技を磨いたと言った。
幼い頃に別れて、その先で仕えるべき主と為に武を学んだと。
相手にも指導者はいるはずだ。この剣は独学ではない。長年培われていた技術の集大成。
しかし、生鐘は一人で学んだのだ。生鐘が長い間、タケルと離れて、ずっと一人で武を磨いていたのだ。
友は居たかも知れない。師も優れたかもしれない。
けど、タケルには逢わなかった。本当は逢いたかった筈だ。生鐘が泣きそうな瞳でタケルを見つめていたのを。天花は知っている。
自分にはタケルが居た。修行事態が楽しい逢瀬でもあった。
でも、生鐘は、焦がれた相手に会わず、一人でこの剣を磨いたのだ。
すなわち、この剣は彼女自身を映し出しているようなもの。必ず大切な者を守るのだと、傷つけることはさせないようにと、一生懸命励んだ証なのだ。
認めよう、ここままやっていても、自身の剣は相手に届かない。
だが。
「強いね」
拮抗した状態で、幾度目かの間。そこで天花は生鐘に賛辞を贈った。
しかし、止まらない。語りかけても、彼女の剣は夜闇に剣閃を描き続けている。
剣戟の舞踏。一歩間違えれば、命すら危うい渦中で生鐘も口元に笑みを浮かべたまま相手を褒め称える。
「貴女も。特に攻撃に関しては超人染みた剣です」
「他はまだまだ、だよ。それに褒めてくれた攻撃も、貴方に届いてない」
天花の白刃が、右脇からの斬り込みを生鐘の右手に持った刀で弾かれたかと思った矢先に、そのまま弧を上から描きながら相手の脇腹に斬り込む。
「謙遜の必要はございません。僕はやり過ごすのでほとんど手一杯です」
言いながら、脇腹に向かっていた斬撃をもう左手の刀で受け止め、もう片方の刀で斬りかかる。だが、既に天花は後退しており、刀は空気を切り裂いた。
その一連のやり取りの後で、天花も笑みを口に刻み、再度刀で打ち込みながら問う。
「貴方も控え目にならなくていいよ。誰に教わったの?」
天花の問い掛けに、生鐘は少し黙してから答えた。
「──難しい質問ですね。様々な流派に教えを頂き、この剣に辿りついたので」
「そうなんだ。じゃあ、本当に一人で今まで頑張ったんだね……」
天花はぎゅっと、自分の剣を強く握りしめ直す。
「私は、タケルくんに教えて貰った」
「存じております」
首肯する生鐘を前にして、天花はどこか沈痛な面持ちで語る。
「最初は弱い自分を強くする為。次は剣そのものが好きになった。けど、何時の間にか、一番の理由は、剣を通じてタケルくんと一緒に居られるのが嬉しかったからなんだよ」
「左様ですか」
天花の言葉を、同時に来た左薙ぎを共に生鐘は微笑みを浮かべたままでやり過ごす。
正直、その時間は羨ましいと感じた。
その気持ちを、天花はそれとなく察する。
「貴方からしたら、ふざけてるとか思うよね」
次は上から下、唐竹割。
その一閃を生鐘は二本の刀を十字に交差させて迎える。
一際強烈な金属音が鳴り響いた。両手が電流でも受けたかのように痺れたが、天花の剣を生鐘は見事に受け止めていた。
「貴方はタケルくんの為に、一人でここまで剣を独りで頑張ったのに。私はタケルくんと二人で楽しみながら、この剣を磨いた」
無論だが、天花が行った剣の修練は楽ではない。
むしろ、知れば生鐘すら教えたタケルの正気を疑うかもしれない、過酷な行いすら天花に経験させているのだ。
そうまでしなければ、このような超人染みた剣は身につかない。
タケルは妥協がなかった。痛みを伴うものなど、数知れない。
それを、武も戦いも知らぬ、暴力を忌避していた少女に叩き込んだのだ。
「そんな剣なら、貴方に届かないかもしれない」
天花は生鐘に受け止められた刀を退かずに、そのまま押し通す様に力を込める。
両腕だけではない。微動もしない態勢から全身の膂力を運用する。
「届かなくても、止めない」
確かに天花の剣は生鐘には届いてない。
だが、同時に天花が攻撃止めない限り、生鐘は攻めに転じられない。
精々、僅かの間を作りだして牽制する程度。
天花の剣は其れほどの猛威。生鐘の技も素晴らしいがそれは天花も同様なのだ。
だが、先程の言葉が、それを意味しているのではないのを生鐘は理解している。
天花は言った。
「馬鹿にされても仕方ない。誇っても良い様な剣じゃないかもしれない」
純粋に追究して武術を学んでいる者からすれば、天花が剣を握る理由の大部分は不純だ。
武に対して真摯であろうという心もある。
しかし、重要なものは煩悩で満ちていた。
「でも、私にとっては、剣はとっても大切なモノなの」
天花にとって剣とは、ある少年との絆なのだ。
真に武を励むならば唾棄すべきもの。女々しく、不安定で、縋りつくような、けれど、彼女には温かくて、眩しく、強い力だ。
その力で、多くのものを手に入れた。
「これで守る事ができた。これで知った事がたくさんあった。忘れられない思い出が、技と一緒にいっぱい刻まれている」
ぞわり、と生鐘の全身に悪寒が奔った。
「だから、負けたくない。特に、アナタだけには負けたくない!」
──なにより、この剣が。
同じ人を思う気持ちならば、負けて良いと思えるはずなどない。
重くても、醜くても、身勝手で、苦しくて、自己自慢しかならない汚いものでも、己で抱き続けたのだから、簡単に挫けてしまう訳にはいかないのだ!
鋼の轟音ッ!
三本の刀が密着した状態から弾け、生鐘の二本の刀は左右に散らされ、天花の刀は真っ直ぐ生鐘に振り落とされる。
(これは────
徒手空拳の格闘技の中で、相手に密着した状態から全くその場から動かず、打撃を放つ技能が存在する。
恐るべきことに、天花はそれを剣術で行ったのだ。
完全に生鐘の虚を衝いた真っ直ぐに振り落とされ──誰もいない地面を抉った。
確かに、天花は虚を衝く事に成功した。
だが、生鐘は虚を衝かれる前に危機感を覚えて、後退の準備に入っていたのだ。結果として、彼女は渾身の一撃を回避する事に成功する。
直前に生鐘が感じた悪寒。
これが危機感であり、何よりも彼女の慧眼如き見切りの正体。
生鐘は『怖がり』だ。それは今も昔も変わっていない。
如何なる時も絶えず微笑みを浮かべているが、その殆どが周りに悟らせない様に装った虚勢に近いものにある。
彼女は物事に敏感に反応し、誰よりも危険を察知する。
タケルに出逢うまで罵倒されたその悪癖を、彼女は武の才能として昇華させたのだ。
誰よりも危険を察知し、磨かれた技で対応する。
それが天花の剣に耐えたカラクリだ。
生鐘を傷つけたければ、彼女の予想と技量を遥かに上回る芸当を行わければならない。
しかし、生鐘の洗練された剣と人並み外れた危険予知を前に、それがどれほど難関であるかは対峙した者が理解できよう。
多くの武術者は、その難攻不落に為す術を見出せず自棄する。崩したければ、最低でも達人以上の実力がなければ不可能だ。
だが、今まさに彼女と対峙する天花は諦めず剣を握っている。
天花は、自分でも虚を衝く事に成功したと思った。
実際、生鐘の刀は相手に触れていない。
その理由など熟年の武術者と比べて、経験の浅い天花には見当もつかない。
勝機が見えなかった。
それでも天花は刀を掲げて、次の行動に移ろうとする。
彼女の姿を目の当たりに、生鐘は虚勢もない笑みを浮かべた。
「やはり、僕達は似ていますね」
「え?」
相手の空気が急に変ったことで、天花は思わず間抜けな声を上げてしまったが、剣を握る姿に鈍りを見せない。そこは流石だと生鐘は思いながら、彼女は語る。
「ええ、僕は貴女が羨ましいし、妬ましい。でも、それはお互い様ですよね」
「…………」
天花は否定せず、黙したまま生鐘の言葉に耳を傾けた。
天花は生鐘が羨ましかった。
自分よりも昔からタケルと知り合い、今は誰よりも傍に過ごしている。
だが、それは当然の権利と言えば、権利。その為に、生鐘は今まで一人で頑張ったのだ。
「僕は、ずっとタケルさまを守る為だけに剣を学んだ」
そして、自虐するような笑みを生鐘は浮かべる。
「武の歴史を重んじる方々から見れば、そこに武士道精神は一切存在しない。
あるのは己の願いを叶える為だけの、自己満足だけでしょう」
その顔を見て、天花は既知を感じた。
あの顔は、自分を利用したと告げたタケルの顔に何処か似ている。
だが、その顔はすぐに消えて、何処か晴れやかな笑みを生鐘は見せた。
闘いの最中だと理解しながらも、思わず見惚れてしまうような綺麗な笑み。
生鐘はこれまで何度も微笑みを浮かべていたが、これに比べるとどれもこれも空虚に感じてしまうほどの、眩しい笑顔だった。
「だから、僕も負けたくありません。他の誰でもない、僕のいない間、ずっとあの人の側に居てくれた貴女には、絶対に負けたくないです」
「か──」
天花は目の前の相手を呼ぼうとして、黙ってしまう。
元から彼女は生鐘の正体に薄々気づいていた。
生鐘がタケルに見せる素振りから予感はあった。
その予感は直接剣を交える事で確信に変わっている。
だから、呼び方に迷ってしまい、口に出来なかったのだった。
そんな天花を前にして、生鐘は少し残念そうに顔を曇らせる。
天花が自分の態度に気が触ったのかと焦ったが、どうやら違ったようだ。
「けど、このまま続けたところで意味がない。ここから先は命のやり取りになる。それは貴女も本望じゃないでしょう」
「それは勿論だよ」
これに天花は即答した。
別に自分達は邪魔者を排除したい訳ではない。
目の前の相手が居なくなった所で、自分の望む結果にはならないことは重々互いに承知している。
命のやり取りを抜きにしてどちらかが勝ったところでも、根本なところは何も変わりはしないだろう。
これは単に、競い合う相手を理解する為の前哨戦に過ぎないのだ。
「しかし、このまま片方が我慢できず倒れるまで、ずっと斬り結ぶのも楽しそうで悪くないのですが、そうもいかないようです」
「あ……」
そこで天花もようやく気づいた。言った生鐘自身も会話中に気づいたことである。
先程まで暗かった空が、徐々に白く染まっていた。
二人の実力は拮抗している。
特に天花が攻め、生鐘が防御に転じてからは、鋼を鳴らした数は万に届く。
彼女達は自分が思った以上に長い時間激闘を繰り広げていたのだ。
二人共、お互いに疲弊は多少あるものの、まだまだ剣を振るえる事はできる。
しかし、ここまま同じように再開する訳にもいかない。拮抗した状態が続けば、時間が只過ぎるだけだ。
「そろそろ、互いに戻らないといけない時間ですよ」
「うん。あんまり遅いとお母さんたちに心配かけるね」
今日は平日なので二人共学校があるのだ。
天花は両親が心配する前に家に戻りたいし、生鐘も職務の為、弦木の屋敷に戻らないといけない。
まさかこのまま学校を休んでまで白黒をつける、という程二人は野暮ったくなかった。
「えっと……じゃあ、終わり?」
「そうですね……」
天花は剣を構えたまま、首を傾げて訊ねる。
生鐘も物凄く微妙な顔を浮かべた。
「……それでは、かなり締まりませんね」
「うん。このまま終わるとモヤモヤしそう」
「ですね……」
お互いに「う~ん」と唸りながら考え出す。
先程まで熾烈な剣を交じり合っていたとは思えぬ、どこか和やかな光景である。
「あっ! じゃあ、こんなのはどう?」
天花が妙案でも思い付いたのか、声を上げた。
「一緒に自分が今できる、一番の技を出し合うのはどうかな?」
「一番の技? つまり全力の技をぶつけ合って勝負を決めるのですか?」
「うん!」
天花のその提案を聞いて、生鐘は少し迷った。
剣の威力は、天花の方が遥かに上である。技のぶつかり合いならば、天花に軍配が上がるだろう。
もっとも、天花が自分の有利な勝負を持ちかけたとは考えにくい。
単純に互いの全力を出し合ってから終わらせた方が、互いに後腐れもない。そんな思惑だと生鐘は察した。彼女と過ごした時間は僅かだが、それくらいの内心を把握できるくらいは生鐘も天花のことを知ったのだ。
だが、それだからと言って、真っ向に勝負を挑むのは愚策である。
「いいでしょう」
しかし、生鐘はその勝負を受け入れた。
それを聞いた天花は意気込みを表すように力強く、頷く。
「うん! じゃあ、タイミングどうする?」
天花の問い掛けに、生鐘は刀を持ったままの片手で懐に手を伸ばして、元々は遠くの対象にぶつける為に持参していた投擲用のコインを取り出した。
「これを僕が投げますので、地面に落ちたら開始ではどうですか?」
「なんだか西部劇みたいだね! でも……、それだとアナタが不利じゃない?」
投げてから落ちるまでの間に、生鐘は勝負を挑む態勢を整えないといけない。
それに対して、何も問題がなさそうに生鐘は首を横に振った。
「ご心配なく。高く投げるので構えには支障がありません」
そう言いながら生鐘は微笑みを浮かべた。
「何なら落ちる前に仕掛けても構いませんよ? どんな時だろうと、僕の技は貴女の剣を見切ってみせます」
生鐘の挑発に対し、天花はむっと表情を強張らせる。
「そんなことしないよ。正々堂々と、真っ正面から今度こそ切り崩して見せる!」
その発言に、やはり天花は自分の有利関係なく、この勝負を提案したのだと生鐘は確信した。
「そうですか。・・・・・・ならば、開始です」
ピン! と生鐘は明るくなる空へ高くコインを飛ばす。
すぐに生鐘は自分が動きやすい構えと、体を変動した。これならば、即座に己が思う動きに転じられる。
生鐘が一見自分に不利に見えるこの勝負に乗った理由は、勿論勝算があるからだ。
確かに攻撃は天花の方が上だが、防御は生鐘の方が上。
ならば、生鐘は相手の攻撃を封じてからの反撃狙うのみ。
例え天花がどれだけ常人離れした剣戟を放っても、完璧に見切ってみせる。先程天花に見せた挑発は一切の虚勢でもなく、自信であった。
さあ、どんな技が来る?
コインが落ちる僅かの間、生鐘は正面の天花を見据えた。
────危機感が、生鐘の体に電流の如く駆け巡った。
何だ──それは?
生鐘はいつも以上に危機感を抱き、内心の動揺が収まらない。
天花は既に構えを取っていた。
両足を確り地面へと固定するかのように立ち、腰を大きく捻って、刀身は相手側からでは見えないようにしている。
まるで、その位置から斬るかのような構えではないか。
天花と生鐘の立ち位置は大きく開いている。
距離を詰めなければ、どちらの刃も届かない距離だ。当然、その場で刀を振るった所で天花の刃は生鐘に触れることはないだろう。
常道に考えるならば、その構えは向かって来る相手を迎え討つものか、そこから更に動きを加速させる前段階。
しかし、前者の迎撃に関しては、相手が馬鹿正直に突っ込まなければ意味がない。
後者に置いても、股から開く両足がそのまま駆け出す様には到底思えない。
生鐘は直感に従った。
予想はできない。しない。ただ、己の防衛本能に身を任せた時、コインが地面に落ちる。
刹那──空気が両断された。
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