第18話 心の名は


 二一二五年──四月 倉木くらき市内、某中学校。


「えっと、園原そのはら、園原……」


 中学校の入学式。

 私、園原天花あまかは、自分と同じ新入生が騒ぐ中、校門前の掲示板に張り出されたクラス分けを見て、自分のクラスを確認していた。


「あった。二組」


 同じクラスに、小学校から一緒に入学した友達の名前もあった。これで心細くはない。

 後はこのまま入学式の会場である体育館に向かえばいいのだけど、私はもうしばらくその場で立ち止り、ある名前が何処にあるか確認した。


「…………。弦木つるぎくんは、五組か……」


 残念な気持ちを隠せず、声に出してしまう。

 小学生の時、私の師匠である弦木タケルくんとは毎回違うクラスだった。

 近くのクラスになったこともない。私が二組で弦木くんが五組だから今回も同じだ。

 私が弦木くんに剣を習っていることを周りにはまだ秘密にしてある。

 理由はいっぱいあって、その一つが周りにからかわれないため。

 だから、弦木くんが小学校に転入してきた頃は、一緒にいることはほとんどなかった。

 でも、私は学校でも弦木くんと一緒に過ごしたかった。

 剣の修行の時は一緒だけど、せっかく仲良くなれたのだから、できるだけ色んな時間を一緒に過ごしたいと思うのは普通だと思う。

 けど、押しかける様にして会いに行ったら弦木くんは嫌がるだろうし、せめて同じクラスなら自然と一緒に居られるようにと思ってたけど、結果は三連敗。

 弦木くんの紹介とかで色んな人と武術の試合をして、ここ最近は弦木くん以外なら勝ち越しだけど、こういう運頼みは昔から負け越し。

 いや、くじけるな私! そうやって落ち込んだ気を自力で取り戻す。

 本命は二年生。この中学校には修学旅行があるし、他にも団体行動が多い。そういうイベント盛り沢山の学年で一緒になればいい。

 三年生は受験でそれどころがじゃない。

 あっ、けど、受験勉強で弦木くんと一緒に居ることもできるかな?

 って、剣以外にも色々と頼ってしまってるのにこれ以上弦木くんを頼ったら迷惑だよ。

 そもそも、頼る前提というのがそもそもおかしい。

 昔に比べたら勉強も少しはできるようになったんだから、受験ぐらい一人で頑張らないと! もっとも、ここまでのレベルになったのも弦木くんのおかげなんだけど。

 

「ねぇねぇ、あの人だれ?」

「うわぁ、すごっ!! なに、誰かのお父さん? お兄さん?」

「超絶イケメン! えっと、芸能人であんな人いたっけ?」


 そうやって入学早々受験の事で悩んでいたら、なんだか急に周りがさっきよりも騒がしくなった。

 誰か芸能人でも来たのかな?

 そう思って私が周りの視線が集まっている場所に目を向けると、見知った顔を見つける。


「弦木くん?」


 校門前に停めてある車の前に、中学校の制服を着た弦木くんが居た。

 何故か迷惑そうな顔をしている弦木くんだったけど、制服姿の弦木くんは初めて見たのでなんだか新鮮でカッコいい。きりっとした印象が増した感じ。

 けど、どうやらみんなは弦木くんを見て騒いでるんじゃないみたい。

 如何にもお金持ちが乗ってそうな車に驚いてる人もいるようだけど、ほとんどの人が弦木くんの隣にいる男の人に注目していた。

 第一印象は、弦木くんに似た男の人。

 背は高く、見るからに凄そうな大人。見ただけで芸能人だとか解る人ってあんな人だろう。周りの女の子たちもみんなキャーキャー騒いでるし、中には声を出さず顔も赤くして見惚れてる子もいる。

 家族の人も一緒になってはしゃいでる人たちもいた。あれ? なにか倒れている人いる。大丈夫かな?

 そんな女性陣に対して、男の人たちは嫉妬するよりも先に圧倒されているようだった。

 周りが騒ぐ中、私は少しだけ近づいて様子を窺う。

 本当は弦木くんに声をかけたいけど、家族の人と話してるなら、そんな時間を邪魔したらいけないので我慢をした。


「ふむ、賑やかな学校で何よりだ」

「兄さんのせいだ、兄さんの」


 周囲の様子を眺めて涼しげな声を出した男の人に弦木君は文句を言った。

 どうやら、あの人は弦木くんのお兄さんのようだ。

 そして弦木くんの言うとおり、これだけ賑やかなのもこのお兄さんのせいだろう。

 みんなに注目されていうのが迷惑なのか、弦木くんの顔はかなり嫌そうだった。私も入学早々、自分の周りであんな風に騒がれたら、あまり気分は良くないと思う。

 けど、注目を集める原因のお兄さんは特に気にした様子はなく、弦木くんに語りかける。


「そう機嫌を悪くするな、タケル。今日から晴れて中学生だ。少しは喜んだらどうだ?」

「ガキじゃあるまいし、今更その程度のことで騒ぐかよ」

「おや? 貴君と同じ年頃の子は私を見た程度で騒いでいるぞ?」


 どうやら、自分を見て周りが騒いでいるという自覚はお兄さんにもあるようだった。

 それでいて平然としたお兄さんが気に入らないのか、益々弦木くんは仏頂面になってく。


「一緒にするなよ。ていうか、理解しているなら少しは自重してくれませんかね?」

「可笑しなことを。私は何もしていない。ただ、愛する弟の門出を見送りに来たまでのこと。そこに恥じる必要も、自重する理由も存在せぬだろうに」

「ぬぅ……」


 微笑みながら言うお兄さんの言葉に、弦木くんは悔しそうに唸る。

 確かにお兄さんの言い分は尤もだ。

 別にお兄さんが特別注目されるような事はしてないし、ただ家族の入学式の見送りしただけなら遠慮する必要もないと思う。

 けど、周囲の反応を当然として受け入れていることに関しては、確信犯に見えるし、それで迷惑そうにしている弦木くんを面白がってるようにも見える。

 あと、悔しそうにする弦木くんの顔は珍しいので、私としてはお兄さんの登場は弦木くんには悪いけど色々と得もした気分だった。


「さて、名残惜しいがそろそろ車を駐車場に止めて、来客者の席に向かわなければならない。タケル、あそこで写真を撮るぞ」

「本当に撮るのかよ」

「ユキにも見せると約束を交わしたのだ。解っていると思うが、カメラの前ではそれ相応の顔をするのだぞ」

「解っていますよぉ……」

「おや? ネクタイが曲がっているぞ?」

「ああ、そう、って自分で直せるから!」


 お兄さんが弦木くんの首元を弄ると『キャ──────!!』と、異様な空気を感じる黄色い悲鳴に驚く。

 なんで? 良く解らない。ただお兄さんがネクタイを直しただけなのに。

 そうこうしてる内に二人は入学式と書かれた看板に背を向けて、車の運転手さんに写真を取られる。その写真欲しいと誰かが言った。

 これは良く解る。私も何だか欲しい。

 その後、二つ三つ、言葉のやり取りをしてから、お兄さんは車の中に入っていった。

 動き出した車を見送りながら、溜息を吐く弦木くん。そこに声をかけようと私が近づこうとしたけど、その前に色んな人達が弦木くんへ群がる様に集まりだす。


「ねぇ、弦木君! さっきの誰!? お兄さん!?」

「弦木くんのお兄様何者ッ!? 何をしてる人!?」

「実家がお金持ちだったのは本当だったんだな!!」

「兄上殿を御名前は何と!? できたら紹介を!!」

「あれは天使様なの? 神様なの? 仏様なの!?」


 質問の大半が弦木くんのお兄さんこと。小学校から弦木くんを知っている人もいるので遠慮をまったくせずぐいぐいと質問攻めをする。

 そうやって四方八方から同じような事ばかり訊ねられる弦木くんの顔は、さっきとは別の意味で迷惑そうだった。

 胸の奥が、ざわついた。

 なんだか居ても立てもいられなくなったので、私は弦木くんに集まる人達に近づく。


「な────」

「こら、君たち何をしてるの!? こんな所にずっと居たら入学式遅れてしまうわよ!」


 私が何か言う前に、後ろから女の先生らしき人が大声で注意した。

 確かに入学式までまだ時間はあるけど、そこまで余裕があるわけでもない。

 注意された人達は仕方ないとばかりに各々、入学式の会場に向かう。


「ほら、貴女も行く」

「あっ、解りました……」


 会場に向かう前に弦木くんに一声だけでもかけようとしたけど、さっき他の人に注意した女の先生が言ってきたので仕方なく私も行く事にした。


 †


 入学式が終わった後、自分達に割り当てられたクラスで今後のことを説明されると今日やるべきことは全部済んだ。

 本格的な授業は明日からで、先生が教室から出てからクラスの人達と話す人が半分、もう半分が家族や他のクラスの友達と合流して何処かに出かけるため、少し話ししてから教室を出る人達。私は後の人の側だ。

 もっとも、ご飯とか遊ぶとかじゃなくて、修行なんだけど。

 最初はお休みと弦木くんは言ってたけど、お母さん達とは家でいつもよりも豪華な夕飯を食べる予定だし、できるなら今日は弦木くんと剣の修業をしたかったこともあったので私からお願いした。

 弦木くんの都合もあるから無理かなとは思ったけど、特に用はなかったそうなので、これから待ち合わせの場所で合流したら、いつもの修行場に一緒に向かうことになってる。

 そうやって待ち合わせの場所に私が先について待っていると、しばらくしてから疲れた顔をした弦木くんがやって来た。


「悪い、待たせた」

「ううん、全然。……もしかして、走って来たの?」


 弦木くんは中学に上がっても、周りと比べて体力がない。

 それを他の子たちが馬鹿にするのはよく見かけるけど、私は気がかりで仕方なかった。

 私が心配そうに訊ねてみると、弦木くんは苦笑ながら首を横に振う。


「駆けつけたかった気持ちは山々だったが、そうすると余計に気にかけてしまいそうだったからしてない。これは別件だ」

「別件? ああ、もしかしてクラスでもお兄さんのことで質問攻めにされたのかな?」

「……見てたのか?」


 朝の出来事を思い出したのか弦木くんの顔が暗くなった。

 嫌な事を思い出せてしまったことに申し訳ないと思いつつも、今更誤魔化しても可笑しいので正直に答える。


「うん……。なんか、凄いお兄さんだったね。周りのみんなが夢中になってたよ」

「……。…………? それだけか?」


 出来るだけ触れたくない内容だと思ったから手短に言ったんだけど、少し黙っていた弦木くんは不思議そうな声で再び私に訊ねる。


「え? ああ、私のクラスでも話題になってたよ」

「……園原はどう思ったんだ?」

「私? どうって、弦木くんのお兄さんのこと?」

「そうだ」


 言われてから、改めて弦木くんの隣に居た男の人を思い出す。


「ううん……やっぱり兄弟だから似ているとこもあるな、ってくらいかな」

「それだけか? もっとこう、俺に訊きたいこととかないか?」


 ますます不思議そうにする弦木くんにちょっと私は困惑気味になった。

 質問の意図が解らなかったけど、何か訊ねたい事はないかもう一度考えてみる。


「えっと、じゃあ、普段お兄さんと何を話してるの?」

「別に変ったことは話してないと思うが?」

「そうだよね。家族と何を話すって訊かれても、そうなるよね」


 質問を間違えたと思って内心項垂れる。

 ええと、他に何をどうやって訊けばいいのかな?


「園原は、兄さんにまったく興味ないのか……」


 そうやって私がうんうんと悩んでいると、弦木くんがそんなことを言った。


「興味ないこともないよ。できたらお兄さんに弦木くんの昔のことを訊きたいし、家で弦木くんがどんなことをしてるか教えて欲しい、かなって。他には」

「それ、全部俺のことじゃん……」

「え? 何か言った?」

「何も言ってねぇよ。ほら、行くぞ」


 何故か弦木くんはそうやってそっぽを向いて、先に行ってしまう。

 私は慌てて追いかけると、弦木くんは私と話したくないのか顔を合わせてくれない。

 それは残念なんだけど、なんだか弦木くんがさっきより機嫌は良くなったみたいなので私は思わず笑み浮かべた。


 †


「それじゃあ、私、着替えるけど。絶対に。ぜぇぇぇたいにっ! 覗いたら駄目だよ?」

「覗かねぇよ!! つうか今まで覗いたことが一度でもあったか?」

「ないけど、今日は覗いたら絶対に駄目なの。じゃあね」


 そうやって私は道場に備え付けられた女性用の更衣室に入る。もっとも、ここは私しか使ってないから、ほとんど専用みたいなものなんだけどね。

 更衣室に入った私はいつも使っているロッカーの扉を開いてから、肩からバックを降ろし、いそいそと中身を取り出してから着替えを始める。

 準備が終わると部屋の中にある姿見で何度も自分を確認してから、ゆっくりと開いた出入り口の扉から顔だけ出して外を様子を窺う。


「……なにしてんだ?」


 そこには既に着替えを済まして弦木くんが待っててくれていて、怪訝そうな顔で私を見ている。

 

「えっと、別に」


 と言いつつ、一向に首から先を扉から出そうしない私を見て、弦木くんは益々眉間を寄せていた。

 いざとなると、ちょっと恥ずかしくなってきた。

 でも、これ以上弦木くんに変な目で見られるのは嫌だし、途中まで開いていた扉を全部開けてちゃんと外に出る。


「あの……どうかな?」


 自分の着ている服の両袖を手で持ち上げながら、弦木くんに感想を求めた。

 私が今着ている服装は道着だ。

 小学校の頃は剣の修行の時は体操着だったり、ジャージを着てたんだけど、中学に上がったので心機一転し、今日初めて自分で買った道着を着てみた。

 修行をやる時、服装は動きやすい格好なら何でもいいと弦木くんは言ってたんだけど、弦木くん自体は今も着てるように白の上衣に紺の下衣だった。

 その姿に憧れた私は去年知り合いの新聞屋さんにお願いして、朝刊配達を走り込みがてら手伝わせて貰い、そのお小遣いで貯めて自分が今着ている道着を買ったのだ。

 弦木くんの口が動く。

 私が訊ねてから、ほんの一秒しかかかってないのに、私にはその僅かの間がとても長く感じられた。


「似合ってるよ。中々、様になってるじゃないか」

「!! ほんと!?」


 嬉しくて、自分でも解るくらい声が明るくなる。

 中学の制服は以前、寸法合わせの時、偶然ばったり会って、その時に感想を貰ったけど、弦木くんが初めて見た相手でもなかった。

 だから、今回の道着姿は弦木くんに初めて見て貰って、感想も言って欲しかった。

 些細なことだけど、小さな望みが叶って、口元がにやけるのを抑えられない。

 そうやって嬉しそうにしている私に、弦木くんは苦笑しながら再び声をかけてくる。


「下手なお世辞はしない主義だ。で、その道着どうしたんだ?」

「去年に新聞の朝刊配達をやってたの知ってるよね? そのお手伝いで貰ったお金を溜めて買ったの。私も弦木くんと同じで道着を着てみたかったから」

「……、言えばこっちで用意したのに……」

「使う道具はみんな弦木くんが用意してくれてるから、これくらいは自分でって思ったんだ」

「なるほど。んじゃ、せっかく道着着たんだから立ち話だけじゃなくて、とっと修行を始めないとな」

「うん! 今日もよろしくお願いします!」


 そうやって、今日も剣の修行が始まる。

 中学校でも一緒に居られる時間はほとんどないけど、剣の修行の時は一緒にいられる。

 剣の修行の時間の方が学校よりも過ごす時間が多い時もあるので、学校で授業するよりも修行するほうが全然楽しかった。けして勉強が苦手だからじゃない。


 これからも同じように過ごすのだと思っていた。

 それに気づいたのは、あの日、弦木くんの『あんな姿』を見てから。


 †


「ごめん! 弦木くん待った!?」


 ある日の夕方前。

 ガラガラと、道場の扉を開いて私は中に駆け込んだ。

 思っていた以上にHRが長く、その後も抜け出せない状況が続いたので何時もの時間に遅れてきた。

 こういう時、携帯があると便利だとは思うけど、私はまだ持っていない。今度、お母さんとお父さんにお願いするか、また修行を兼ねる様なバイトを探そうかな。


「弦木くん?」


 声をかけたのに返事が来ない。でも、まだ着ていないという事はないはずだ。

 修行の成果で私は気配を読み取れるようになって、何度も会ってる弦木くんの気配だったら絶対に間違えない自信がある。

 靴を脱いで奥に進むと、やっぱり弦木くんが居た。

 弦木くんは既に着替えていて、腰を落としながら手に持った紙のようなモノを読んでる。

 集中して周りが見えなくなる、という弦木くんの姿は珍しいけど見た事はある。

 もっとも、だからって隙だらけという訳でなく、一度だけ悪戯半分で不意打ちしてみたけど見事に失敗して痛い目を見た。

 こういう所を見る度に改めて私の師匠は凄いんだなって思う。

 あと、集中してる時の弦木くんはとても静かで、抜身の刀の様にすっとした顔をしている。

 それを覗き見したかった私はゆっくりと近づいて、紙に視線を落としている弦木くんの顔を見た。


「……弦木くん?」


 本当はまだ声をかけるつもりは無かったんだけど、予想外の顔で声が出てしまった。

 紙を見ていた弦木くんの顔は初めて見るものだったから。


 まるで、昔から大切にしている宝でも眺めているような、温かくて、優しい顔。

 

 そんな弦木くんは、近くで声をかけられて気づいたのか、一瞬前まで見せていたモノの名残がある笑みで私に振り向く。


「? あぁ、園原か。悪い、気づかなかった……」

「ううん、別に。あっ、私の方こそ遅れてごめんね。HRとか長引いて」

「そういう理由なら仕方ない。何か事故でなくて何よりだ」

「うん、ありがとう。ところで、……それって、手紙?」

「これ? ああ、そうだ」


 手に持っていた物が気になっていた私の問い掛けに、弦木くんはすぐに答えてくれた。

 そのまま再び視線を落として、また、あの表情をする。

 それは、今まで一度もなくて、とても温かいはずなのに、普段の私なら思わず見惚れてしまいそうなくらい綺麗な笑みで、実際私も釣られたように笑ったのに。

 心の端で、気分が悪くなりそうな予感がした。


「なんだか、弦木くん嬉しそうだね。どこから来た手紙なの?」


 私が訊ねると、弦木くんは視線を落としたまま答える。


「昔から文通してる友達」

「へぇ、どんな子?」


 文字通り、後で悔いる。


「俺達と同じ歳の女の子。小さい時からずっと仲良くしてるんだ」


 何故か、胸が、グサリ、痛くなった。

 視線を落としたまま、弦木くんは本当に楽しそうに笑う。

 そんな弦木くんに私は、明るい声で他にも訊ねてみた。


「そうなんだ! 幼馴染なんだね。ずっと文通してるの?」

「文通事態は二年前からだな。それより前は毎日のように会って、一緒に遊んだな」

「それじゃあ、小学校の頃弦木くんが転校して来たんだから、弦木くんが引っ越しして、その子に手紙を送ったのが文通の始まりかな?」


 私は予測したことを口に出すと、弦木くんは首を横に振った。


「いや、違う。引っ越しして遠くに行ったのは向こうで、俺の転校の理由は別件だ。

 手紙も向こうから来たのが最初で、いつの間にか文通するようになってた。今日は朝に届いてから、そのまま貰って、さっき時間潰しで読んでた訳」


 それを聞いた私は納得して首を縦に振った。


「そっか。なんだか、弦木くん楽しそうにしてるけど、何か面白いことでも書いてたの?」

「別に。何時も通り、お互いの近況報告。他人からしたら取るに足らない何気ない内容だろ」


 何でもないように話すけど、弦木くんの口は緩んだままだった。

 別に嘘をつく必要もないので、手紙の内容は本当に些細なモノなんだろう。

 そんな些細なことで弦木くんがここまで気を緩ませていることで、私は弦木くんと手紙の人がかなり信頼していることが解った。


「じゃあ、何気ない内容で楽しそうにするなんて、本当に仲良しなんだね」

「俺自身はそう思ってるんだけどな。向こうは、さて、どうなんだか……。

 あっちの家、俺の家に世話になってる立場だから、音信不通させない為に大人たちからの指示で仕方なくしてるかもしれないぜ?」


 ちょっと落ち込み気味になった弦木くんを見て、思わず私は声を少し大きくした。


「もう、そんな思ってもないこと言ったら駄目だよ」

「園原?」

「本当にそうなら、そんな人が書いた手紙で弦木くんは笑わないでしょ?」


 そう、弦木くんは優しい微笑みを浮かべながら、その手紙を見つめていた。

 書いた人が大切な存在じゃなければ、そんな顔はできない。

 そして、きっと書いた人も、弦木くんのことが大切なんだろう。じゃないと、手紙で相手を笑わせることなんてできない。


「だから、こうやって手紙のやり取りを何度もしてる友達はちゃんと大切にしないとっ!」

「うん、そうだな……。大切に、したいな。いや、するだな」

「そうそう!」


 私が何度も頷くと、弦木くんはしばらく考えてから苦笑し、先程以上の温かくて優しい顔を浮かべた。

 とてもいい顔だと思う。

 弦木くんがそんな顔してくれたのは、いつもの私なら嬉しいはずなのに、今は何故か切なかった。


「ちょっと、アイツにも悪いこと言ってしまった────園原、どうした?」


 弦木くんが話しながら顔を上げると、突然様子が変って私を見てくる。


「え? 急にどうしたの?」

「それはこっちの台詞だ。何で泣いてる?」

「え……?」


 言われて頬に触れてみると、確かに濡れていた。

 本当に自分が泣いてる事に気づかなかった私は、不思議そうに顔を捻る。


「あれ? ううん、もしかして弦木くんにちゃんとしたお友達がいて感動したのかな」

「は?」

「いやだって、弦木くんてあんまりお友達の話とかしないでしょう?」

「なんだ、それは。お前は俺が友達の一人もいない寂しい奴だと思ってたのか」

「ああ、思わず泣いちゃったから、心の何処かで思ってたのかもしれないね」


 うんうんと頷く私の前で、弦木くんが引きつった顔を浮かべる。


「上等だ。師匠に舐めた態度取るなら覚悟はしてんだろうな?」

「へぇ?」


 間が抜けた声を上げた私の前で、弦木くんは仁王立ちし怖い笑みをしている。


「とりあえず、今日の準備運動いつもよりも二倍な」

「え゛ぇ!?」

「その後、すぐ俺と模擬戦」

「えええええ!! き、きつくないかな? いや、すっごくきつ過ぎるよ、それっ!?」

「修行がきついのは当たり前だ」

「そんな怒ったからって、その事を武術に持ち込むのはどうかと──」

「あれぇ? 園原は、何か俺を怒らせることでもしたのかな?」

「そ、それは……」

「つべこべ言わずに準備して始める! 一分以内で準備しないと四倍で」

「!? うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」


 私は泣き叫びながら支度をして、その日は必死に修行を励んだ。

 

 弦木くんの今日の修行は最初に言った通りのことはしたけど、後はいつも通り。


 でも、前半の酷使が響いたのか、私は何時もよりもくたくたになりながら家に帰った。


 †


 家に到着した私は、そのまま自分の部屋に入って、倒れるようにベッドに飛び込む。

 静かな部屋。私の部屋。自分以外、誰もいない部屋。

 何も響かない、明かりもつけてない自分だけの場所で、自然と私は今日の事を思い返してしまっていた。

 本当は考えたくないこと。

 何時もよりも剣だけに集中するようにして、結果として中盤からは普通にできた。

 いつも以上に頑張って、剣を振るって、そして、今は疲れて体が動かない。

 だからなのか、動かない体の代わりに頭の中だけが勝手に動いて、あの時の光景が自動再生される。


 見た事もない、弦木くんの顔。

 私の知らない、仲の良い女の子。


 別に弦木くんが女の人の話をするのは初めてじゃない。家の付き合いで綺麗な人に遭ったとか、そんな話をしていた。

 今考えれば、その時だって今と同じ感情は抱いてたんだ。

 でも、今日、私の知らない女の子を話す弦木くんは余りにも楽しそうだったから。

 私に気づかず、私の顔を見てくれず、優しい顔をする弦木くんが、堪らなく嫌だった。

 

「私、馬鹿だぁ……」


 言って、また涙を流した。

 本当に馬鹿だ。

 もっと速く解っていたら、弦木くんの前で動揺して、泣く事もなかったのに。

 いつからだろう?

 初めからだろうか?

 ──解らない。

 だって、考えて思い返してみても、こんな気持ちばかり溢れて止まらなくなる。

 武術に真剣に打ち込んでいる弦木くんが。

 恥ずかしそうに照れる弦木くんが。

 厳しくても、私の事を確り考えてくれる弦木くんが。

 色んな弦木くんを想うと、胸の鼓動が高まる。

 今すぐ弦木くんに会って、甘えたくなる。

 

 ああ、そうか。

 

 私はずっと前から、こんなにも弦木くんの事が……。


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