第16話 弟子ができた①


 

 園原そのはら天花あまかという少女を語る事はそう多くない。

 平凡な二人の間に生まれた子供。

 何か特別であったわけではない。

 両親より受けた愛情に応えて、真っ直ぐと育った子供に過ぎなかった。

 だが、彼女は一つだけ、周りと異なっていた。


 それは──周りの人間達と比べて、外見があまりにも駆け離れていたことだった。


 †


 二一二二年──六月 倉木くらき市、某所小学校、ある教室。


「くらえ、このお化け!」


 男の子がいきなり叫んだ後、頭に何かぶつかった。


「げほっ! ごほっ!」


 小さい枕でも当たったみたいであまり痛くなかったけど、当たった瞬間、白い粉が舞い上がって、思わず目をぎゅっと閉じ、次は急に息苦しくなった。


「こらっ! 男子いきなりなりするの!」

「あ、天花ちゃん大丈夫?」


 近くに女の子の一人が叫んで、もう一人の女の子が心配そうにわたし、園原天花に声をかけてくれた。

 そこで、ようやく目を開くと、わたしは足もとに黒板消しが落ちていることに気づく。

 ああ、これを当てられたのか……。

 悲しくなりながら顔を上げると、先まで一緒に居た女の子の一人。

 同じ小学校。同じクラスでお友達の女の子。わたしの大事な友達の一人。

 その子が手に持った箒を振り回し、廊下で嗤いながら逃げて行く男の子たちを追いかけているところが見えた。


「天花ちゃん、ほんとうに大丈夫……? どこか怪我してない? 保健室行く?」


 もう一度、心配そうな声。教室の中でわたしの傍に残っていてくれた女の子。

 その子も大事な友達。その子が不安そうにこっちを見ている。


「うん、大丈夫だよ。痛くなかったから、ちょっと驚いただけ」


 口の端を必死に上げると、女の子の顔が安心したようになって、わたしもほっとした。ああ、よかった。なんとか、うまく笑えたみたい。

 ここで泣いてしまったら、余計に心配かけてしまう。


「ほんと? もう、どうしてあんなことするんだろ……。あ、髪、はたいてもいい?」

「うん」


 怒ってくれている女の子が思い出したようにわたしの髪を見て訊ねてきたから、返事をして頷いた。

 はたく、といっても出来るだけ優しく、撫でるようにだったけど、その動きはどこかぎこちない。

 この髪だったら、どこが汚れているか解りにくいと思う。

 さっき、女の子が疑問に浮かべていたけど、ほんとは女の子も、もちろんわたしも、男の子たちがこんなことをした理由を知っている。


 わたし、髪は白い。

 おばあちゃんのようにまっしろ。目の色も他の人と違う。

 

 アルビノ。お医者さんが言うには先天性白皮症ていうものなんだけど、わたしは頭がよくないから詳しく解っていない。

 ただ、他の人は目が悪くなるらしいけど、わたしは大丈夫みたいだ。

 とにかく、わたしは普通の人と変わっていて、髪の毛が白い。目の色も変わってる。少なくともお母さん以外でわたしと同じ人に遭った事が無い。

 周りと違う。最近はこれが原因で男の子たちに『おばけ』とか『おに』とか、そんなことを言われて、からかわれていた。

 もっと悪い言い方をすれば、いじめられている。

 でも、よかったのは、いじめてくるの男の子はちょっとだけ。

 クラスにいる女の子の友達は仲良くしてくれていた。少なくとも、わたしが何かされたら怒ってくれている子がいて、悲しんでくれる子がいる。

 

 だから、悲しいのは少しだけだ。

 

 それに、男の子たちは他の子にもからかっていた。

 ある男の子たちは違う女の子たちに迷惑かけているし、わたしは直接見たことがないけど男の子たちが別の男の子の一人だけをいじめている話も聞いた。

 男の子たちだけじゃなくて、女の子がそういうことをするのも聞いた事がある。

 でも、最後には先生や周りの友達が解決してくれて、そういうことがなくなったという話も聞いた。

 実際、わたしも喧嘩した子同士が、次の日は仲良くなっていたことを見た事がある。


 だから、少しだけ、がまん。

 

 泣いたらお友達やお母さん、お父さんにも心配かける。

 落ち込んで静かにしたら、ほんとうに『おばけ』とか言われて嫌われてしまう。


 できるだけ、明るく元気に。


 みんなが痛い思いしているわけじゃない。でも、わたし以外誰も痛い思いをしているわけじゃない。

 わたしだけ我儘を言っては駄目だ。頑張らないといけない。

 できるだけ明るくして、話しかけて、お話を聞いてあげて、みんなが悲しいことがなくなるまで頑張れば、いつかはみんなで楽しくなれる。

 だって、それはけしてありえないことじゃない。

 みんな良い子であればみんな笑い合える。

 だから、わたしも負けたら駄目だ。頑張って良い子にならないといけない。

 

 そう自分に言い聞かせて、今日も学校が終わった。

 明日も同じように頑張ろう。


 †


「そういえば、一組に転校生が来たんだって」

「え、そうなの? 男の子? 女の子?」

「男の子だって」

「ええぇ……」


 帰り道の会話。友達の女の子が別のクラスの転校生の話をしてきた。

 転校生が男の子だと知ると、友達の一人が残念そうな顔をする。

 それは仕方ないかもしれない。その子も男の子たちにはあまり良いようにはされていないので嫌な気持ちになるのは解る。

 でも、その子がいじめをする子とは限らない。男の子だからって、みんながそういうことをするわけではないじゃない、と思う。

 自信がないのは、最近男の子たちに優しくして貰ったことがなかったから。

 でも、みんなそうじゃないって言えるのは、わたしのお父さんは優しいから、男の人はみんなそうじゃないって思える。


「どんな子?」


 わたしがランドセルを背負いながら訊ねると、その子は「う~ん」と首を傾げる。


「一組の友達にから聞いたけど、よくわかんない」

「ええ、なにそれ? なんでそんなよくわからない子の話をしたの?」

「いや、ちょっと思い出したから言っただけで、面白い話とは言ってないよ!」

「あははは、そんなことあるよね」


 不満そうにする女の子に対し、慌てて言い繕う女の子。わたしはその子の言葉に賛成するように笑った。

 そうやって色々とおしゃべりしながら、いつもお別れする場所に到着した。


「それじゃあね!」

「天花ちゃん、また明日!」

「うん、ばいばい!」


 そうやって手を振りながら、わたしだけ別の帰り道を歩く。

 わたしがお友達と遊ぶ事はあまりない。家でお母さんの手伝いをしているから、学校帰りに何処かに寄って行くことは珍しいほう。

 お母さんは家の事はいいから友達と遊びなさいというけど、お母さんは家のことを色々としてたいへんで、それなのに何時もわたしやお父さんのことを大切にしてくれてる。

 だから、わたしは半ば無理を言ってお手伝いをさせてもらっていた。少しでもお母さんの力になりたかった。

 そういえば、今日は帰って何するんだけ?


「あっ! そういえばお母さん今日遠くでお買い物してるんだった!!」


 声に出して、思い出す。

 今日はお母さんに「遅くまで出かけてるから、帰って来る時間までお友達と遊んでなさい」と言われていた。でも、今更戻って、友達に一緒に遊んでというのは恥ずかしい。

 どうしよう。勝手に他の家のことしたら怒られるかな?

 前に一度洗濯物を畳むのに失敗したことを思い出しながら、家の用事はしないことに決めた。

 じゃあ、帰って何をしよう?

 家にある本はほとんど読んだし、今日は宿題もない。好きなテレビもこの時間ではやっていない。

 何もしないのはつまんない。


「……久しぶりに近くの公園、行こうかな」


 時間つぶしに昔遊んでいた公園に行くのを考えた。

 しばらく全然行ってなかったけど、久しぶりに行くのも偶にはいい。

 新しい遊具はあるのかな? あの遊具は残ってるのかな?

 ちょっとした探検気分で進む脚を変えて、少しだけわくわくしながら鼻歌交じりに目的道に向かう。

 思ったより時間がかかり、何とか目的地を見つけたわたしはちょっぴりだけ迷ってしまった反動か、目的地を見つけた途端駆け足で公園の中に入る。


「あ」


 声を上げた時に、わたしは自分が駄目なことをしてしまったことに気づいた。

 本当なら見つけた途端に帰ればよかったのに、わたしは予想外の光景に驚いて声を出してしまった。


「ん? なんだ、おばけじゃん!」


 わたしをおばけと言ったのは同じ学校の男の子。

 他にも顔を知っている男の子たちがたくさんいる。

 

 ど、どうしよう?

 

 目の前の男の子はよくわたしに悪戯をする。

 今日、教室で黒板消しを投げてきたのはこの子だ。今だって意地悪そうな顔でわたしを見ている。

 周りに他の人はいない。学校じゃないから助けも呼べない。

 逃げても、きっとこの子たちは追い掛けてくる。脚が遅いわたしじゃ捕まっちゃう。


「なんだよ、お前、何しに来たんだよ?」


 わたしがぐるぐる悩んでいると、意地悪な男の子が訊ねてきた。

 ここで黙っていたら、また、なにか言われる。

 わたしは少しだけ考えて、正直に言った。


「あ、遊び来たの……」


 震えながら、何とか声を出せた。

 嘘じゃない。それに、単に遊びに来たと知ってくれたら、一緒に遊んでくれて、仲良くなるかもしれない、そんなことも少しだけ期待した。

 でも、わたしがそう言った途端、何でか男の子たちが可笑しそうに笑いだした。


「馬鹿じゃん!! ここは人間の子供の遊び場なんだから、おばけが遊ぶなんて駄目だぜ」


 頭が叩かれてもないのに、凄く痛くなった。

 悲しかった。

 ここは昔、お母さんとお父さんと一緒に遊んだ場所で、みんなの物で、わたしだけ遊んだら駄目とか、本当はそんなことないはずなのに、男の子たちは駄目って。

 

「まぁ、特別にあることしたら認めてやってもいいけどよ。お前さ、目隠してるじゃん」


 わたしが泣きそうなのを必死で堪えてると、また何か意地悪な男の子が言ってきた。


「なぁ、それ見せろよ。おばけの瞳って髪と同じですっげえんだろ?」


 ぞわりと、寒くなったような、何かが肌に走ったような気分になった。

 わたしは髪を伸ばして、目を隠してる。

 それは髪が白いのと一緒で、目の色も違うから、余計に目立たないように前髪で隠しているからだ。

 見せたら、絶対今以上に酷い事を言う。

 

 ──うわ、ありえない。自分達と違う。やっぱりおばけだ。

 

 以前言われた言葉を思い出して、私は声を上げる。


「い、いや!」

「なんだよ、別にいいじゃんそんぐらい。どうせなら俺がその髪も切ってやるよ。誰かはさみ持ってなかったか?」


 わたしが嫌だと言ったのに意地悪な男の子は気にせず、周りの子に訊ねた。

 あのこ、なんていった? はさみ? きる? かみを?

 さっき以上に体が震えてきた。最近は温かくなってるのに、冷たくて、息苦しい。

 逃げなきゃ。絶対逃げなきゃ。


「あ」


 気づいた時は、見ている景色が下がった。

 逃げようと後ろに下がった拍子で脚が縺れてしまい、その場で転んじゃった。


「お、あった。って、なんで転んでだ、おまえ?」


 はさみを持った男の子が、近づいてくる。


「やだあああああああああああああああ!」


 もう動けなかった。必死に髪を庇うようにして頭を両手で抱える。

 

「!?」


 でも、いきなり体が誰かに触られたと思うと、脚にあった地面の感触がなくなって、わけが分からなくなった。嫌なものを何も見えないように目を閉じ、泣くのを抑えながら、せめて髪の毛を守る様に両手で更に抑えて、助けて助けてと叫ぼうとしてるのに怖くて声が出せない!でも耳は男の子の声が聞こえる「なんだよ、てめぇ!」「五月蠅い黙れ屑が! 公共の場を我がものにして、あまつさえ女の髪を無断で切ろうなんざ、逆に斬られても文句は言えないぞ!」男の子たちの騒ぐ声「な、いきなり出てきてなに言って」「黙れと言ったんだよ馬鹿かてめぇら。こっちとお前らにかまってやる義理もないんだ。せいぜい俺が無手で本調子じゃなかったことに感謝しろ!」分からない「は? だからなに言って」「次は斬る」「き、斬る? て、待って、とん────」


 何か大きな風が当たった。

 男の子たちは何かに驚いたような声をしたが、その声も遠ざかっていた。

 わたしがようやく考えるようになったのは、お尻と脚が冷たい地面の感触がした途端、近くで何かが倒れた音。

 それから静かになって、何があったのか恐る恐る目を開く。


「あ、れ?」


 目を開くと、公園ではなかった。

 どこかの家の塀と塀の間。薄暗くて、狭く、静かな場所だった。


「ぐ──」

「!?」


 近くで声が聞いた途端、わたしは立ち上がって──気づいた。

 誰かが、近くで倒れている。男の子だった。

 だけど、さっきいた男の子たちの中にはいなかった子だった。


「く、そ──たがが走法でこんなざまか。はぁ、はぁ、これも改善しないと踏鳴数回で息が乱れ、ぜぇ、ああ、ちくしょう、だりぃ」


 男の子は息を切らして蹲りながら、ブツブツと何かを言っていた。

 言葉は何だか怖いが、とても辛そうにしている。


「……あの、どうしたらいい? 背中、さする?」


 しゃがみ込んで男の子の様子を見た。大丈夫かなどは訊けない。辛いのは見て解る。

 そうやって心配そうに見ていると男の子はわたしの視線に気づく。


「あぁ? ああ、いきなり悪かったな。変な連れて来方して。怖かったよな?」

「あっ……」


 そこでようやく気づいた。

 目を閉じてて、どうやってかは解らないけど、この子が助けて、ここに連れてきてくれたんだ。


「助けて、くれたの?」

「そうだけど、こんな恰好じゃ全然優雅じゃない。ださい。情けない。あとだるい」


 確認すると、男の子は苦しそうに笑って、何故か自分も胸が苦しくなった。

 目が熱くなる。でも、さっきとは違う気持ちで、泣きそうになった。


「ああ、心配してくれてるとこ悪いけど、恥ずべきことにそこまで距離を稼いでない」


 男の子はそう言うと残念そうに「はぁ」と溜息を吐く。


「悪いが俺は無視してくれていいからこのまま帰ったほうがいいぞ。あの馬鹿たち、下手をしたら追いかけて来るかもしれない」

「え、でも……」


 男の子の言っていることは解る。

 でも、このまま見捨てて行くことなんて絶対にできないし、したくない。

 どうしたらいいかな? なにかないかな? わたしは周囲をきょろきょろと見渡すとあることに気づく。


「あれ、ここって?」


 自分達がいる場所の向こう側、明るい場所にはかなり見覚えがあった。

 自分の家の近くだった。

 男の子が狙ってしたことじゃきっとないけど、あの公園からはそこまで遠くないので、移動できる距離と言えばたぶんそうだ。自分にはあの短い時間では無理だけど。

 

「ねぇ、立てる? 歩けたり、できる?」


 軽くゆすりながら男の子訊ねると、機嫌が悪そうな返事がきた。


「一応できるけど、こんな状態、万が一見つかったら、まずい。まぁ、まずいのは主に馬鹿達の方だけど。何かされたら加減できんし、最悪影が来る。だから、ここで休憩」

「? よく解らないけど、歩けるなら一緒に来て。ここじゃ汚いから。うち、近くだよ」


 わたしがそう言うと、一瞬黙った男の子は驚いたように声を上げようとして、そのままむせてしまった。


「あわわ!」


 とにかく、少しでも楽になるように背中を擦ってあげると、しばらくしたら何故か男の子は顔を赤くしてこっちを見てる。


「今日遭ったばかりの女の子の家に行けるか!?」

「!? い、いや?」


 拒絶された言葉に泣きそうになった。


「!? いや、違う。いや、じゃなくてだな、普通、身も知らない男を上がりこますなんて淑女として慎みを持つ上で」

「??? ごめんなさい、よく解らない」

「いや、謝れても困るだけど」

「わたしも来てくれないと困る。お礼とかじゃ、来てくれない?」

「うっ…………」

「じっ…………」


 わたしがずっと見つめていると、男の子は顔を赤くしたまま大きな声を上げる。


「ああ、もう行くよ! お邪魔させて貰いますよ! くそ、余計に疲れた」

「ご、ごめんなさい」

「だから、謝れても困るって。ああ、もう案内して」


 ヨロヨロしながらも立ち上がった男の子を見て、わたしも慌てて立ち上がる。

 そこで、ようやく男の子の顔をしっかりと見た。

 綺麗な瞳。前にお母さんに見せてもらった琥珀、という宝石みたいだ。

 多分、歳は同じぐらいなんだろうけど、難しい言葉を使ってたから年上かな?

 ちょっと、怖い顔をしてるけど、他の男の子たちと比べて、なんだか大人のような感じだった。

 うん。大丈夫。怖い子じゃない。

 わたしはそう思って、男の子に手を伸ばした。


「うん。じゃあ、こっち!」

「え!? ちょっと!!」


 わたしは男の子の手をぎゅっと掴んで歩く。

 見晴らしが良い場所に出ると、自分が知ってる風景に間違いはなかったことに安心して、そのまま男の子を連れて歩いた。

 家はすぐ着いて、わたしは空いた手でカギを取り出すと、カギを開き、中に入る。


「ただいま」


 いつもの癖で挨拶をするけど、同然ながら今の家に誰もいないので返事は来ない。


「お、お邪魔します。……誰もいないのか?」

「うん、留守。ちょっと待って…………風邪ひいた?」


 わたしは振り向いて男の子の汚れた服を叩こうとしたが、何故かその顔が少し赤かったので驚いてしまう。

 そういえばさっきから顔が赤くなっているのを何度も見ていることを思い出した。

 本当に風邪をひいたかもしれない。


「やっぱり、あんな場所で寝てたから」

「んなことで風邪なんてなったら、国中風邪だらけだ」


 そう言いながら男の子は自分の汚れた服を叩いている。

 わたしは良く解らず首を傾げて、そのまま服を叩くのを手伝った。


「もういいかな? こっち。靴脱いで、来て」


 わたしは靴を脱ぐと、そのまま一緒に靴を脱いだ男の子の手をつないで二階に上がると自分の部屋の扉を開いた。

 男の子の手を放してから、ドアの近くに背負っていたリュックを置くと、振り向いてからお願いする。


「ついた。じゃあ、ベッドで寝て」

「!? いや、ここまさか君の部屋!?」

「? そうだけど? 勝手にお母さんたちの部屋を使うと怒られるし……。また顔赤い」

「何度も言うが風邪はひいてないからな。横になるならソファとかでいいよ……」

「駄目、ちゃんと休めない。はい、ベッド」

「いや、でも、服汚れて」

「さっき叩いた」

「まだ汚れてる。君のベッド汚れる」

「気にしない。はやく」

「……ああ、もう! 分かりましたよお姫様!」

「えッ!?」

「そこで何で赤くなんだよ! 冗談だよ! 言っとくけど、今までの行動の方が一般的に赤面ものだからな!」


 そんな、いきなりお姫様とか。何で褒められるか、解んない。

 わたしが顔を真っ赤にして混乱してると、ずかずかと男の子はベッドに潜り込んで横になった。


「ほら、これで満足か?」

「う、うん」


 まだ顔が熱いけど、ベッドで横になった男の子を見たわたしは、そのまま近くによりしゃがみ込んで、さっきと同じように男の子の背中に手を廻してから擦ってあげる。

 そうしたら男の子は何か言いたそうな顔をしたけど、何も言わず黙ってしまう。


「? まだ、辛い?」

「ああ。さっきよりかはマシになったよ」

「そう――」


 良かった。という言葉を言いかけて飲み込む。

 まだ男の子は疲れてるだから、良くはない。

 でも、わたしにできることはもう、風邪とか引いた時にお母さんがやってくれたように背中を擦るくらいだ。だから、丁寧に、できるだけ優しく、まんべんなく擦る。


 †


 ──どれぐらい、たっただろう。


 わたしがずっと擦っていると、もぞりと男の子がベッドの中で動いた。


「むぅ、少し寝た。……まだやってくれてたの? もう大丈夫だからやめていいよ」

「ほんと!?」


 私が手を放してそう訊ねると、男の子はベッドから抜け出して、何故か少し離れた場所に座る。


「ああ、おかげで助かった」

「えへへ……。あっ、わたしもさっきはありがとう!」

「いや、これはイーブン。むしろ、そっちの方が功績は高い。ありがとうな」

「? えっと、どういたしまして?」


 知らない言葉があったが、最後にお礼を言われたわたしは照れ臭くなった。

 そのまま、お互い何も言わず見つめあっていたが、男の子は何故か耐えきれくなったように顔を逸らした。あれ? いつの間ににらめっこをしてたんだろ?


「と、というかさ。さっきの奴らなんなんだよ? 君をおばけとかさ」

「あっ……」


 さっきまで、わくわくした気分だったのが凋んでしまう。

 でも、ぐっと堪えた。ここで泣いたら、助けてくれた男の子に心配かけるから。

 不思議しそうな顔をして男の子がわたしを見てくる。あまり話したくないことだけど、助けてくれたんだから、言わないといけないよね。


「あの、さっきの子たち、同じ学校で。偶に悪戯されるの」

「あんなん悪戯の範疇なんざとっくに超えてる。犯罪だよ犯罪。つうか、俺が聞きたいのは理由だよ。なんで君がそんな目にされねぇといけねぇんだ」

「……髪、白いから」

「は?」


 男の子は本当に訳が解らないように口を開けている。


「目の色も変わってるから。みんなと違うから、だって」

「肌も白いし、アルビノ? だから、おばけ? なんだよ、そんな幼稚な理由……」


 男の子はそのまま呆れたように背中を傾け、両手で体を支えた。

 そして、眉を寄せた顔で、また訊ねてきた。


「他にもいんの? 先生とかは?」

「えっと、他にはいないよ。先生も注意してくれてる」

「で、止めないか。馬鹿は真実(マジ)で死ななきゃ治らないか」


 ぐがあああ、と怒った怪獣みたいにする男の子を見て、わたしは恐る恐る訊ねる。


「ねぇ。えっと、わたしの髪と見てどう思う?」

「俺? 俺は真っ白な雪原みたいで、美しいとは思うけど?」

「…………」


 さらりと言った言葉に、驚いて黙ってしまう。

 そんな私を見て男の子は更に眉を寄せた。


「なに? 誰にも褒められたことないの?」

「う、ううん。お母さんとかお友達、女の子の友達は綺麗とか言ってくれるけど。お父さん以外で男の人にあまり褒められたことなかったから……」

「はぁ、そりゃあ男運ないことだ」

「だからね、ちょっと嬉しかった。初めて遭ったばかりの子に、髪、褒めて貰えるの」

「んなんの、褒めるか褒めないかに言われたら、褒めるに決まってんだろ。

 俺、海外の色んな人に会うから、髪の色が白だろうが赤だろうが、金だろうが、銀だろうが、果ては何を思ったのか虹色とかな」


 それを訊いたわたしは納得して、少し残念に思った。

 自分と同じ歳ぐらいの男の子だけど、どんな訳か色んな外国の人たちに会った事がある。それならば髪、瞳、肌の色に区別着けることなく、どれも同じに見えるだろう。

 だから、わたしの変に思う事もないし、褒める時は普通に褒めるだろう。

 でも、それはわたしの髪が良い意味でも特別じゃない、ってことでもあるよね。


「そんな中で、君の髪は一段と綺麗だよ。虐めされる理由にして、は結構大事にしてんだな、それ」


 条件反射、というのはきっとこれなんだろ。

 一番最初に褒められた時とは比べものにないほどに、胸の中がふわふわする。

 きっと、大事にしていてることに気づいてくれたから。あと他の髪と比べて綺麗って、言われたのも嬉しかった。

 気づけば、何度もわたしは髪を撫でながら頷いていた。


「うん。うん! これ、お母さんとお揃いだから、ずっと綺麗にしてるの! 他の人とは違ってて、わたしも好きで! だから! だから……」


 浮ついた心がまた凋んでしまう。

 わたしの気持ちを気づいてくれたのか、男の子はつまらなさそうに息を吐く。


「大事にしてる物で虐められるとか、堪らないなぁ……」

「うん……」


 お母さんは学校でわたしが虐められることを知っている。でも、理由は知らない

 言ったらきっと悲しむ。そんな顔は見たくないし、わたしも余計に悲しい。

 だから虐められても、頑張るって言った。友達もいるから平気だよって伝えた。いつかは虐めた子達とも仲良くなるから安心して、てお母さんと約束した。

 でも、まだ、虐めはなくならない。


「なんで、わたしを虐めるのかな? なんで違うと駄目なのかな? 友達は良いよ、て言ってくれてるのに。わたし、好きなのに」

「なら……虐められないようにするしかないだろ」

「……どうやって?」


 虐めを無くす方法。これは他の人にも相談したけど、みんな原因を無くそうと言った。

 髪を染めよう。コンタクトレンズをつけよう。それで、虐めがなくなれば、また元通りになる。

 それは何時になるのだろう? そして、また次に虐められたら、同じ事を繰り返すの?

 そもそも、変えてしまったら、お母さんに虐めの原因を知られてしまう。


「髪も、目も、変えるのは嫌。それくらいなら、今まで通りがまんしたほうがいい。好きなものをがまんするより、嫌なことをがまんするほうがずっといい」

「んなもん、当たり前だ。好きなモノを犠牲にして、貰えるもんが何でもないモノなんて割が合わな過ぎる。だからさ、もう二度と好きなモノを奪えないようにするしかないだろ」

「……どうやって?」


 再び、訊ねる。

 男の子の言葉なら髪も目も変えないという事になる。なら、どうすればいいのだろう。


「強くなるしかないだろ。虐めるくだらない連中が寄りつけなくなるほど強くな。

 ……例えば、武術を習うとかだ」

「無理だよ……」


 名案を聞けると思った私は項垂れてしまった。

 それはある友達にも言われたこと。この国も武術が文化として流行してるから、その気になれば何処に行ってでも習う事ができる。

 でも、武術は、誰かを傷つけるもの。


「わたし、誰かを傷つける、ことなんて……無理」

「もう、自分が傷ついてるのにか? それに、このままだったらお前以外も傷つくぞ」

「え?」

「このまま虐めが続けば遅かれ速かれ、母親にも気づかれる」


 その言葉に息を飲んだ。

 本当は、ずっと解っている。

 ずっと隠すことなんて、無理だ。いつかはお母さんにも知られてしまう。

 お母さんと同じ髪だから、虐められてるって。


「そうなったらもう次はお前が護っていたもんすら失ってしまう。

 失わない保証なんて何処にもない。失ったものは、戻って来る保証もない」


 その言葉は胸に響いた。

 一度、大切にしていた物を無くしたことがある。

 必死で探して、警察にもお願いしたけど、結局戻って来る事はなかった。

 それからは、前よりも大切な物は大事にするようにした。

 けど、あの時無くした物は、二度と帰って来なかった。

 私がそんな事を考えていると、男の子は言う。


「なら、強くなるしかないだろ。別に最強になれとか言わない。けど、世界は優しくないんだから、せめてどっかの誰から自分の大事なモノだけでも守れる強さは必要だ」

「…………」

「この国で武器の所持が認められてるのも、その一種だろう。定めた道理無視して襲ってくる奴らから、道理を持って自分の大切なモノを守るためにな」

「…………」


 ずっと、黙ってしまう。

 男の子の言っている言葉は難しくて、全部は解っていないけど、どんなことを言っているのかは理解できた。

 自分の大切なものを守るためには、守るための強さが必要。

 その事が、わたしの胸に、重く圧し掛かる。

 そんな黙っていたわたしに、男の子は言った。


「それとも何か? 傷つけたくないから、自分や、大切なモノまで傷ついてしまってもいいのか? そこまで博愛主義なら、俺はもう話す言葉なんてないけど」

「──だよ」


 思わず呟いた。


「ああん? 聞こえないな?」


 挑発するような言葉に、思わずかっとなる。


「嫌だよ! 大事だから! 大切だから! 傷ついてほしくないよ!」


 わたしは、泣きながら叫んでいた。


「わたしだって痛いのは嫌だよ! なんで何時も何時も、怖い思いしなくちゃいけないの!? がまんなんて、本当はしたくないの!」


 くやしくて、大切なモノすら守れない弱い自分が惨めで。

 泣き叫ぶことしかできない自分が、堪らなく嫌で。

 きっと、聞いてて、見ていて。情けない姿だと思う。

 けど、そんな、わたしに。


「なら、強くなれ」


 その子は言ってくれた。

 眼を逸らさず、目の前の男はしっかりと聞きてくれて、話しかけてくれた。


「大丈夫だ。君はずっと耐えれたんだから、ちょっとくらいの厳しい特訓くらい耐えられるだろ」


 優しい言葉ではなかった。

 何処までも真っ直ぐで、真剣な言葉。

 手を引っ張ってくれるのではく、背中を押してくれる言葉。

 だからかな? わたしの胸に、よく届いた。

 強くなろう、て思える様になった。


「……ぐす。できる、かな?」


 涙交じりの問い掛けに、男のは難しそうな顔をする。


「正直、強くなる保証はできないな。才能とかあるし、向き不向きすら当然ある」


 そうだ。努力したからって、必ず強くなるわけではない。

 けど、少し不安になりかけたわたしに、彼は言ってくれた。


「けど、ここまで炊きつけたからには俺にも責任はある。

 だから、ここで放置ていう訳にはいかないよな、やっぱ……」

 

 そう言った男の子は、何処か感情が抜けた、本当に無表情でわたしを見てきた。

 なんで、そんな顔をするのか解らず、わたしが悩む前に、男の子が言う。


「俺が剣を教えよう」

「え?」

「醜態を曝したが、俺は昔、これでも剣を学んでいた。最初だけでもいい。きっかけでもいい。勿論、断って手頃な道場で学ぶのも悪くない」


 苦笑いする男の子。わたしはその子の顔をじっと眺めた。


「それでも、俺の教えでいいとうなら、俺は君だけに技術を教えてやる。俺が可能な限り、君を強くしてやる。どうする?」

「うん、お願い」


 すぐに返事をした。


「まぁ、考えてる時間は、って即答!?」


 何故かいきなり男の子は驚いて、わたしをじっと見てきた。

 なんだかちょっと恥ずかしい……。


「……誘った俺が言うのなんだけど、俺、君に醜態を見せたんだけど。情けないとか、口だけとか思わない?」

「思わないよ」


 これもすぐに返事をする。

 さっきまでの真剣な顔は何処行ったのか、男の子は更にすっごく驚いて、次に訳の分からなそうな顔で聞いてくる。


「……ちなみに理由を聞いても?」

「危ないところを助けてくれた」

「いや、その後。俺はへばって情けない姿をだな」

「それはわたしを助けてくれたから。たぶん自分が辛くなると解ってたのに助けてくれた」


 わたしがそう言うと、今度もまた男の子は声は上げなくとも驚いた顔になっている。

 わたしはそのまま自分の気持ちを声に出して、続ける。


「さっきも色々と言葉をくれた。良い人だって、私は思った。

 言ってくれた言葉を信じたいと思った。

 だから、お願いします。わたしを強くしてください!」


 頭を下げる。

 人にモノを教えてもらう時は頭を下げなさいて、お母さんも先生も言っていた。

 わたしがそうやって頭を下げたまま待っていると、溜息が聞こえてきた。


「あぁ……。もう、いいから頭を上げろ」


 言われた通り頭を上げると、男の子が頬を少し染めながら視線を逸らしてる。


「まぁ、あれだ。俺が誘ったんだから、お願いされたら、もちろん引き受ける。

 女の子だからって手加減せず、結構、厳し目にするので、それでもいいなら、よろしく」

「うん! ありがとう! これからよしくね!」


 自分でも解るくらいはっきりとした声でお礼を言った。

 まさか、今日会ったばかりの人に剣を教えて貰う事になるなんて。

 でも、全然不安に感じない。

 とても、これからのことが楽しく思える。

 勿論、男の子の言葉通り、きっと厳しいことがあるけど、それでも嫌な気持ちじゃない。

 弟子入りするなんて、まるでお父さんが読むような漫画の話みたいで不思議だ。

 そうして、わたしに剣を教えてくれることになった男の子は、ごほんと咳払いをした。


「おお、先生ぽい」

「茶化すな。あと、先生よりも師匠と言ってくれた方が個人的な好み」

「はい、師匠!」

「本当に言うか。まぁ、いいや。名乗りが遅れたが俺の名前は弦木つるぎタケル。楽器とかの弦に生える木と書いて、弦木。タケルはカタカナでタケルだ」


 弦木タケル。それが男の子の名前。

 弦木タケルくん。弦木タケルくん。

 私は忘れないように心の中で何度も呟きながら、今度は自分の名前を教えようとする。


「じゃあ、次はわたしだね! わたしは園原天花。花園の園に原っぱの原で園原。天花は天国の天にお花と書いて、天花! 本当はこの字は『てんか』って読むんだけど、『あまか』って読んだ方が可愛いからって」

「天花。つまり、雪か……」

「! そうだよ!」


 その呟きに私は思わず声を上げる。

 わたしも自分の名前だから覚えていた事なんだけど、天花が雪のことなのは、あまり知られてないことだ。少なくとも、友達はわたしが教えてあげるまで知らなかった。

 

「やっぱり、賢いんだね」

「たいしたことない雪、髪白いから……か? というか、雪って妹もそうなんだけど」

「へぇ……、妹いるんだ。わたし一人っ子だから羨ましいなぁ」

「ふぅん、そうなんだな。あと、雪つっても俺と同じでカタカナでだけど、って」


 言いかけて、何故か改まったように彼はしまった顔をする。


「俺の兄妹談義はどうでもいいんだよ。とりあえず、師匠としてビシビシいくので、頑張るように」

「はい、師匠! よりは弦木師匠? 弦木タケル師匠? 弦木師匠くん?」


 どれがいい呼び方なんだろうと悩んでいると、わたしの師匠さんは何故か「しまらねぇ」と言いながら、がくりと項垂れる。


「……何でもいい」

「じゃあ、弦木くんで!」

「師匠なくなった。もう、好きにしてくれ。では、改めてよろくしくな、我が弟子園原」

「うん! 改めてよろしくね、弦木くん!」

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