第14話 不穏な噂
廊下に生徒たちがざわめく中、
「昨日ぶりです、
「むっ? 弦木に輝橋か。三年が居る階で何用だ?」
タケルが声をかけたのは昨日、自身と戦った葛馬
生鐘は一彦に対して、タケルの一歩下がった場所で頭を下げ、一彦は思わぬ人物との遭遇に眉を上げる。
「葛馬先輩に会いに来たんですよ」
「俺に?」
あっさりとしたタケルの言葉に一彦は眉を寄せる。
「ええ、体の調子はどうかなって思いまして。本当につまらないモノですが、これは見舞品代わりですね」
そうやって、ポケットの中から自分たちの飲み物を買う時に余分に買ったドリンクを取り出して、ひらひらと見せる。
「ふむ。弦木は倒した相手の醜態を眺める趣味でもあるのか?」
「おや? 先輩はそういうのを気にする
「冗談だ。そちらに悪意がないことは分かる。此方こそ、冗談とはいえ、好意を侮辱した言葉を謝罪しなければな」
「別に気にしないですよ。それよりも、思った以上に体は元気そうですね」
「見た目はな。だが、まだ本調子ではない。思った以上に後に響く、まったく凄まじい突きだったぞ」
「それはどうも」
胸を擦りながら一彦が軽口を叩く。
巨体を吹き飛ばす程の刺突を繰出す事をしたタケルは当然ながら、刀身が無かったとはいえ、まともに衝撃を受けてながら、次の日には歩いている一彦の体も中々強靭な肉体だ。
「それで、飲み物どうします? それとも施しは受けない人ですか?」
「いや、ありがたく頂こう。丁度、飲み物を買いに行くとこだったのでな」
「無駄にならなくてよかったです」
そうやってタケルは飲み物を一彦に手渡した。
「しかし、弦木は色々と気にかけるのだな。これといい、武術部の勧誘に関しても根回しをしてくれたな」
「おや、なんのことです?」
首を傾げるタケルに対して、一彦はにやりと笑う。
「今朝からだが、何やら校内で武術に関する好評が広がっていてな。詳しく探ってみると、ある新入生たちが武に関心のない生徒たちに、色々と触れ込みをしたのが発端だそうだ」
「へぇ。生鐘、何か知っているか?」
わざとらしく後ろの生鐘へタケルが話を振ると、彼女は「はい」とにこやかな声で頷いた。
「タケルさまの指示通り、武に関する良い事を周囲に広めました」
「ぶっ!? って、そこは誤魔化せよ! 知らぬふりをした俺が恥ずかしいだろうが!」
正直に話すとは思っていなかったタケルは顔を赤らめながら講義をすると、生鐘は申し訳なさそうに顔を伏せる。
「これは失礼しました。タケルさまの思惑が上手くいっていることが喜ばしく、つい正直に答えてしまいました。
ああ、自身は関わりのないことなのに気にかけて配慮までするタケルさま。なんてお優しく、素晴らしい御方なのでしょう」
「せめて、謝るか、褒めるか、からかうか、どっちか一つにしてくれ」
「ふむ。想像以上に信頼のある主従関係のようだな。今どき珍しく良いと思うぞ」
キラキラとした視線を向ける生鐘を見て、疲れたようにタケルが項垂れる。そんな二人を一彦は両腕を組みながら感心した。
「時に、弦木。会ったついでに訊ねたいのだが、今週末にこの市で開催される新人戦を知っているか?」
「新人戦? 俺に訊くということは武術系ですか?」
「ああ、そうだ。その口ぶりからすると知らぬようだな。簡単に言うと、この辺りの高校が集まり、今月入ったばかりの新入生を代表にして試合をする大会だ」
「随分と急な大会ですね。
前もって学校側が参加すると決めることはできても、参加する肝心の新入生が一人もいなく、いても強制じゃない限り希望者がいなければ参加できないじゃないですか、それ」
「元々は小規模なものであり、強豪校は予めスカウトした人間を事前登録しているので開催には支障も少ない。更には部活動にも入っていない人間も、学校側から通せば今からでも参加可能だ」
「成程、つまり先輩は俺をそれに参加させたい訳ですか?」
「その通りだ」
一彦のはっきりとした言葉にタケルは思わず笑う。
「誤魔化さないのですね」
「時にはそういった搦め手を使うが、相手にも寄る。で、どうだ? お前ならば優勝することも容易だろう」
「せっかくの誘いですけど、辞退します」
考える間もなくタケルは断った。
「先輩も昨日の試合で知ってるでしょうが、俺って体力ないんですよ。一回ならともかく、間を置いた連戦となると無理ですね」
「ふむ、そうか。では輝橋はどうだ?」
タケルの言葉を聞いた一彦はそれ以上無理強いをせず、隣に居た生鐘へと誘いをかける。
声をかけられた生鐘は答える前にタケルをちらりと見た。タケルは好きにしろと言わんばかりに黙っており、それを理解した生鐘は頷いてから一彦を見る。
「せっかくの誘いですが僕も辞退させていただきます。タケルさまが赴くことがないのならば、僕もそれに従うまで」
「そうか、残念だ。ならば後目ぼしい人間は
天花が去年まで中学の大会で優勝していた有名な武術者。一彦が目をつけるのも不思議でなはない。
だが、一彦の誘いに天花が乗る可能性は低いだろうとタケルは思っていた。
天花は去年まで、学生行事以外での大会も多く出場していたが、今年は積極的に参加しないとタケルに告げている。
それを一彦に教えるのは簡単だが、天花の心変りもあるのでタケルは言わなかった。
他にも、言ってしまえばタケルが園原天花とも親しいと知られてしまい、今度は自分を通して天花に交渉するかもしれない。
もしかしたらまた面倒事になるかもしれないので、タケルは口を閉ざしたまま、一彦の溜息交じりの愚痴を聞く。
「はぁ……正直、持ち直しては居るが出だしが悪かったせいで部活側からの参加希望者は、望みが薄い。せめて個人参加でも誰か見繕わなければ、我が校の恥だ」
「部活動してないのに熱心ですね。もしかして、生徒会とか入ってたりするのですか?」
随分の周りのことに気にかける一彦にタケルが訊ねると、彼は曖昧な笑みを浮かべる。
「なに、多少事情があってな」
それ以上は一彦も何も言わなかった。
昨日の他の生徒たちのやり取りを見る限り、彼にも、それなりに立場があると窺える。
もっとも、深く知ろうとは思わなかったので、タケルは追求はしなかった。
「っと、お前たちとの長話は悪くないが、人を待たせてあるのでこれで失礼する。
弦木、飲み物助かったぞ」
「ああ、こっちこそ。知らずとはいえ止めてしまい、すみません」
「いや、買って戻って来ることを考えれば問題のない時間だ。では、これで失礼する」
そうやって来た道を戻って行こうとした一彦だったが、何か思いだしたようにタケルたちに振り返った。
「そういえば、あくまで噂の範疇だが、最近辻斬りを仕掛けてくる輩がいるそうだ」
「辻斬り……」
珍しい言葉でもない。
武術が繁栄される世界にて、その単語は探せばよく見つかる、物騒事だった。
「メディアにも乗らぬので、あくまで噂、更に二人共無用の気遣いだと思うが、一応気をつけておくがいい」
そう言い残して今度こそ一彦はその場から去った。
「何だが最後まで人に気にかける人だったな」
タケルはその大きな背中が生徒たちの雑踏の中に消えるのを見送りながら、思わず呟く。
「はい。豪胆な体に広い心を持つ人のようです。しかし、辻斬りですか。あまり穏やかな話ではないですね」
「俺も今初めて聞いたことだし、新聞やニュースでも乗ってないのなら、大方、野試合を仕掛けてくるのが流行って、それが大袈裟に広がっているだけかもしれないぞ」
流行は誰もが真似したくなる。
元々、武術者は勝負を好む傾向が多くの者にあるので、不作法だと理解していても、周囲がやっていたら自分もと真似をする人間もいるだろう。周りが煙草を吸っていたら自分も吸ってみると同じだ。
もっとも、それを街中で行えば警察が駆けつけるだろうし、武術を嗜んでいる人間が多い今の世の中ならば、周りの者に袋叩きに遭う可能性もある。
人目につかない所で行って取り返しのつかない事態まで陥ったら犯罪だ。人の目から隠す事は簡単ではないので、犯した人間は早々に警察へお世話になるだろう。
だが、それでも法を犯す人間は犯す。道理を破る人間は常にいる。
だからこそ、守るべき力が必要なのだ。
「御心配してください、タケルさま。有事の際には貴方の周囲を含めて、僕が火の子を振り払いますよ」
「そうか。まぁ、頼りにしている」
タケルは連戦ができないので、数で来られたら苦労をする。
助けて貰うばかりは癪に障るが、生鐘の役目は自分を守ることだ。頼りにするべきところで頼りにしなければ悪いだろう。
そう思っていたタケルの言葉を聞いた生鐘は、本当に嬉しそうな顔で微笑んだ。
「はい、お任せください。タケルさまは僕が守ります」
†
タケル達が自分たち教室に戻ったのは昼休みが終わる予鈴が鳴り響いた時だった。
タケルが生鐘と別れて自分の席に戻ると、隣では天花が既に次の授業の準備をしているところだった。
「天花」
そんな天花に声かけながら、タケルはまたもポケットから飲み物を取り出し、彼女の机に置く。
タケルが自販機で買ったのは自分と生鐘、お見舞い用の葛馬一彦の分。
そして、この天花に渡すつもりの物もあったのだ。
「あれ、タケルくん? いつの間に……というか、このオレンジジュースは?」
どうやら天花は声を掛けられて、初めてタケルが居た事に気づいたようだ。
そして、自分の机に置かれたオレンジジュースの缶とタケルを不思議そうな眼で交互に見ていた。
「お詫び」
「お詫び?」
まだ不思議そうにする天花に、タケルはやや視線を逸らして説明する。
「本当に安い物だけど、昼食の誘いを断ったお詫びだ」
「え? そんな、気にしなくていいのに……」
天花はそう言いつつも、タケルが自分に気遣ってくれたことに対して嬉しさを隠し切れないのか、にこやかな笑みを浮かべる。
「いいからとっておけ。もう昼休みは終わったから、後にでも飲んでおけよ」
「タケルくん……うん、ありがとう」
そうやって天花はタケルから貰った飲み物を、大事そうに自分の鞄をしまった。
「…………」
そのやり取りを離れた席で生鐘が見ていたことを、二人は気づいていない。
黙って二人のやり取りを見ている生鐘の顔は、切なく、眩しいものを見る目だった。
だが、間もなくして教師が入ってき、彼女自身も切り変えるように表情を消したので、それを知る人間は誰もいない。
†
全ての授業が終わり、各々の生徒たちが下校して、時刻は夜。
生鐘は使用人に用意された弦木家の自室にいた。
部屋に備え付けられているシャワー室で汗を流し、学園の制服から私服に着替えると、彼女はそのまま部屋に寛いだ。
使用人の部屋にしては広い部屋の中に、ベッドにクローゼット、本棚に机。年頃の女の子の割には物が少ない味気ない空間だった。
生鐘の私服は長袖の白いシャツに黒のジーンズ。
完全に男物だが、彼女は好んで着ていた。
別に女物の服を持っていないわけではないが、自室で寛ぐだけならば、この方が色々と便利なのだ。
身支度する暇も無く、呼び出された場合でも最初から男の格好をしておけば、輝橋生鐘を男と偽ることが必要な相手に遭遇しても問題ない。
生鐘の仕事はタケルの護衛。
彼女は身の周りの世話までするが、職務的にはタケルが何か行動する際に傍に居ることが基本であり、タケルが自室で休む場合は彼女も自分の部屋で待機する。
あくまで待機であり、基本的にタケルが完全に寝るまでは、彼女も眠ることはない。
待機中の行動は、就寝以外で自由に過ごしていた。
昨日の場合は、弦木家の使用人のまとめ役の人間に業務報告の後で自室に戻り、武術の自己鍛錬の後で学校の教材に目を通していた。
そして、今夜。彼女がどのように自室で過ごしているかと言えば、椅子に座って机に向かい、とある紙をじっと見ていた。
手紙。
古い手紙であったが、大事に保管しているのか痛みがほとんどない。生鐘はそれを机に広げて、何度も飽きることなく眺めている。
この手紙は昔、タケルと生鐘が離れてからタケルと文通した物の一つであって、彼女にとっては何よりも変えが効かない宝物の一つだ。
手紙に、何度も助けられた。
手紙に、何度も教えられた。
手紙に、何度も痛みを覚えることあったが、そんな手紙でも彼女は大事に閉まった。
だって、この手紙は自分の大切な人が、自分の為だけに贈った言葉がたくさん詰まったもの。どんな内容であっても、生鐘にとって大事なモノに代わりはなかった。
そもそも、最初は貰えることすら不安だった、尊いものなのだ。
手紙を最初に贈ったのは、生鐘。
タケルから返事を着てから、生鐘も返していき、結果として文通するようになったが、初めはこんなことになるなんて思っていなかった。
最初に手紙を書いた時のことを、彼女は今でも覚えている。
後悔と不安と懺悔、そして自分勝手な浅ましさが詰った、自分の見苦しい一面が見てとれるもの。
それでも手紙を送ったのも、自分勝手な思い。
そう、自分は自分勝手な人間だ。
臆病な癖に、自分を偽って、自分の思う様に動く身勝手な人間。それが輝橋生鐘の自己評価だった。
大切な人間の為と言いながら、結局は自分と為にしか行動できない薄情な存在。
あの時もそうだった。
そうやって、生鐘は過去を思い返す。
色褪せる事のないタケルと自分の幼い頃の日々。
笑って、騒いで、共に過ごした温かな光の先にあった、冷たい記憶を。
†
二一二一年──二月 弦木本家屋敷。
「はぁ、ぐはぁ、はぁ、ひふぁ、はぁ────!!」
タケルさまが苦しそうに息を吐きながら倒れている。
私は、輝橋生鐘は、それを見ていることしかできなかった。
ある日、タケルさまは大きな怪我をした。
幸いにも日常生活には支障がでない程度のものだったが、それが原因でタケルさまは今までのように剣を振るうことができなくなった。
激しい運動は控えるようにと、お医者様から忠告されている。
だが、鍛えたら治ると思っていたタケルさまは剣を握り、振った。
そして、何度も息を切らして倒れる。
疲れ切って稽古中に倒れて動けない姿は何度も遭ったが、それは何時も清々しい顔であった。そんな顔を見るのも好きだった。
でも、今の顔はとても苦痛で溢れていた。
辛そうだった。掠れた息をするその姿は今にも消えてしまいそうで儚かった。
そんな姿を見て、周りの大人達は止めようとしたが、タケルさまは言う事を無視して剣の鍛錬を打ち込む。
今まで素直に言いつけを守って来たタケルさまの反抗に、周りの人間は戸惑うばかりで、最終的には何も言わなくなってしまった。
そして、今日もタケルさまは倒れる。意識を失えば、大人たちがタケルさまを部屋まで運んだ。
以前のタケルさまならば、大人達顔負けで剣を振るい続けることができたが、今は誰よりも先に倒れてしまう。
苦しそうに倒れるタケルさまに、私は何もできなかった。
自分がどうなろうと構わない。
体を取り変えられるならば、変えよう。
タケルさまが元の体になるならば、悪魔にすら契約しよう。例え自身の先が不幸しかなくとも、大切な人が苦しむよりはずっといいと思った。
だけど、そんな奇跡も誘惑もなく、日々は過ぎて、とうとう私は耐えられなくなった。
泣いてしまった。タケルさまの前で泣いてしまった。
一番辛いのはタケルさまなのに、苦しく息を切らしても、泣き叫ぶことを見せなかったのに、今も倒れて部屋に運び込まれてさっきまで気を失っていたのに、辛いはずなのに、突然泣き出してしまった私なんかを宥めようとする。
そんなタケルさまに、私は言ってしまったのだ。
「やめて、ください。剣を、やめて、ください……」
「生鐘?」
「タケルさまが、苦しそうなのは、いや、です。だから、やめて、ください」
苦しくても、必死で頑張っていた。
だから、いつかはと信じて、大人達は最後には止める事をしなくなったのに、私は泣きながら頼んでしまった。
辛いのは頑張っているタケルさまが一番解っている。
それでも手放したくなかったから、倒れても、立ち上がって、前に進もうとした。
それを知っていたのに私は、自分が見るのが嫌で、自分だけのために、自分の我儘を泣きながら口にしてしまった。
そのまま泣き続ける私を呆然と眺めていたタケルさまが、言った。
「わかり、ました」
「タケルさま……?」
その言葉を。
「ぼくは……剣を、やめます」
「!?」
どれほど口にしたくなかっただろう。
「もう、無茶な真似はしません。だから、泣かないでください」
「タケルさま……!! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!!」
叫ばずにいられなかった。
みっともなく、涙を流す。ああ、きっと今の自分はとても醜い。
「なんで謝るのですか? 僕の為に止めてくれたじゃないですか」
そんな私に、タケルさま切なげに笑いかける。その笑みが、更に私の心を抉った。
「ちが、私は……!!」
「むしろ、謝るのは僕の方です。今まで心配かけて、すみません」
「タケルさま!? 本当に、ごめんなさい! 私は、私が、悪いのに、ごめんなさい!!」
泣きながら謝る私を、タケルさまは優しく頭を撫でてくれました。
ああ、その優しさが嬉しく、思ってしまった自分は何と醜いのか……。
自分が泣いた事で、誰の言う事を訊かなかったタケルさまの意志を曲げた事に、歓喜した自分は、何と浅ましいのか……。
泣くことしかできない、自分は何と無力なのか。
本当に大切な物ならば、大事にしないといけないのに、私は眺めるだけで、結局何もしてこなかった。
──なんて、汚い人間なのだろう。
結局はその時、泣き疲れて眠るまで、タケルさまは傍にいてくれた。
その後もずっと居てくれた。それが分かったのは、自分が目を覚まして、私の頭に手を差しのべながら眠るタケルさまを見た時だ。
それが嬉しくて──情けなくて、だから──だけど。
思わず縋る様に眠りにつくタケルさまの体を抱きしめる。
どれほど大きいと感じた体は、とても小さく感じた。
だから、その時、思ったのだ。
これからは強くなろう、と。
大切な人を守るために、強くなろうと。
今から自分が望む強さに行くには、きっと努力しなければいけない。
手始めにまずは武術を学ぶ必要があるだろう。
だが、自分が剣をやめろと言ったにも関わらず、その自分が何か武術を始めたら、タケルさまはどう想うだろう?
隠し通す事はできない。幻滅されても、不思議ではない。
それでも、守りたいと思ったのだ。
嫌われたって構わない。
この人だけは守りたい。
その力が欲しい。
泣くことしかできなかった自分を、強くしたい。その為ならば、何だってしよう。どんな苦痛も受ける。
これまでの様に会えなくなろうとも、強くなれるならば、かまわない。
だから、今だけは、誰より近くで、そばにいさせてください。
†
別れの日はすぐに訪れた。
青い空は初めてタケルさまと出会った時を思い出すが、今はその光景が何処までも遠い。
より深い勉学や武術の修行の為、遠くにいる親戚のお世話になる。
本当は何も言わずに去りたかったが、お世話になった手前、そんな訳にもいかない。
私は最低限の挨拶だけして、それ以上は何も言わなかった。
そんな私をタケルさまは最低限の会話だけした。
社交辞令のみの会話だったが、初めてタケルさまとのやり取りで冷たい物を感じた。
丁寧な言葉。だが、その裏でどんな思いが隠されているだろう。
裏切り者。自分はやめたのに、お前は離れて、自分が捨てたものを手にするのか。
そう想っても不思議ではない。でも、私は怖くて聞き出せなくて、平静を装うことしかできなかった。
そして、最後の時、私は振り返ることなく歩いた。タケルさまがどんな顔で自分を見送っているのか怖くて、逃げる様に歩いた。
ああ、駄目だ。こんなことでは、この先、くじけてしまう。
せめて、心でも、外見だけでも、装って、勇ましくならなければ、早々に折れる。
だから、想像した。誰よりも強い人。
思い描くのは、簡単だった。
だって、ずっと見てきたのだから、真似をするのは簡単だ。
私はその人にはなれないけれど、せめて少しでも近づけるようにと願った。
思い描くのは何時だって、眩しい、あの男の子の姿。
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