第13話 ランチタイム


「よろしかったのですか?」


 昼休み、教室よりも更に騒がしい廊下に出たタイミングで後ろから輝橋かがやばし生鐘うがね弦木つるぎタケルに声をかけた。


「何がだ?」

「失礼ながら、園原そのはらさんがタケルさまに御昼食を御誘いするのを聞きました」


 やや顔伏せながら、生鐘はタケルに話しかける。


「タケルさまが命ずるならば、昼食の確保など僕が代わりに購買に行けば済むこと。それならば園原さんの誘いを断る必要もなかったでしょう」

「生鐘、それは二つともいらないことだ。俺の近くに来たのならば、会話は嫌でも耳にするから、それに対して謝る必要もない。あと、俺は自分の脚で購買に行ってみたかった」


 その言葉を聞いて、何とも言えない顔をする生鐘を傍らに、タケルは前を見ながら更に言った。


「単純に探求心を満たしたかった訳だ。というか、その程度の事で俺はお前を使いに出したりはしないぞ」

「僕の身はタケルさまの為にあるので、どのような些事でも喜んで従いますよ」


 と言いつつ、生鐘はやや咎めるような顔でタケルを見た。


「それよりも、先程のタケルさまのお言葉を借りるならば『その程度の事』で園原さんの誘いを断った、ということになりますが?」

「なんだ、文句か?」

「そのようなことは……何故、楽しそうな顔をしておられるのです?」


 生鐘は綺麗に否定しようとしたが、その前にタケルの顔が笑っていたので思わず訊ねてしまう。

 彼女がタケルに対して不満を表すのは珍しい。

 今回、明らかに自分に非があるとタケル自身が思っている。

 しかし、それを生鐘に糾弾されるとは考えもしなかったので、彼は思わず口を緩めてしまった。


「いや、別に。だが、お前が言い分は最もだ」


 声に出して認めながら、自分の意を曲げるつもりはない言葉も続けて繋げる。


「けど、実際問題、飛び入りで他の奴がいきなり参加しても迷惑だろ? ましてや男をだ。

 どうせ天花あまかだから、女ばかりだろうし、変な冷やかしを受けるに決まっている」

「おやおや、つまりタケルさまは御自身が恥をかきたくないから園原さんの誘いを無下にしたと言いたいのですね?」

「そういうことになるな」


 そこで得心したのか、納得顔で生鐘が頷く。


「成程、では僕は主の言葉に従いましょう。例えその裏にどんな意図があったとしても、預かり知らぬことです」

「……裏って、なんだよ」

 その言葉を聞いて、やや機嫌を悪そうにタケルが訊ねた。

 しかし、生鐘は何処吹く風の如く、素知らぬ顔で言い退ける。


「ですから、預かり知りません。無遠慮に主の思惑を暴露するのは罰則ものでしょう」


 その言葉を逆算するなら、生鐘はタケルの心中を察したように窺える。

 そして、彼女の読みはほとんど正解だった。

 只でさえ注目が多い天花に男の影があれば、その反応は様々。

 例えば、彼女に嫉妬した相手が、自分の体を使って名家の男に言い寄っている有りもしない悪い噂も、今なら簡単に流せる。

 変なところで恥ずかしがり屋の癖に、武家の癖に体力なし等の自身の醜聞には平気なタケルだが、身近な相手まで被害が及ぶのは見過ごせなかった。

 気にし過ぎかもしれないが、その気にし過ぎで防げることならば防ぎたい。


 少なくとも、自分達の関係が周囲に浸透するまでの間は、他の交友関係を広げてほしい。

 それならば、在らぬ噂も、その新しい交遊関係によって未然に防ぐ事もできるだろう。


 タケルと付き合いが長い生鐘は、彼の心中をそこまで把握した。

 そんな、なんでも分かっていますよ~。と言いたげな顔を浮かべている生鐘を見て、タケルは面白くなさそうに顔を顰めた。


「……いい性格してるな、お前」

「お褒め頂き、感謝の極みです」

「褒めてねぇよ。というか、注目が多いのはお前も一緒だろ。お前の方こそ、色々なとこから誘われなかったのか?」


 生鐘はその端整な容姿丁寧な物腰から、女生徒たちの間で小奇麗な美男子と評価を高めている。

 タケルの目を盗んで昼食の誘いがあっても不思議ではなかった。


「ありましたが、タケルさまの許可なく誘いを請ける訳にはいきませんので全て丁重にお断りしました」


 そんなタケルの問い掛けに、生鐘はあっさりと答える。


「仮にタケルさまから承諾を得ても、僕はタケルさまに付き従う為にこの場にいますので結果は変わらないでしょうが」

「……お前、それだと学校で友達できないぞ」


 生鐘を誘おうとした顔も知らぬ女子達を憐れみながら、タケルは疲れた声で彼女に忠告をする。

 タケルは高校という新しい環境で、自分以外の交友関係で天花を気にしたが、それはこの傍にいる生鐘も例外ではない。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、彼女は態度も変えずに、先程の言葉に対して返す。


「不要でしょう」

「…………」


 笑顔のまま、切り捨てるような言った彼女に、タケルは一瞬言葉を失う。


「これも先に言いましたが、僕の役目はタケルさまの御側に居て従う事。有事の際には身を挺して御守りする。その他のことは二の次です」

「……お前はそれでいいのか? せっかくの高校生活だぞ?」

「僕にとっては、タケルさまの御側に居られること自体が幸せですので、それ以上望むのは罰が当たってしまうでしょう」


 本当に、それだけで満足などだと言いたげに、生鐘は笑った。


「ですので、僕の事は気にせず、タケルさまは思うがまま過ごしてください」

「生鐘、お前は──」

「失礼。タケルさまのお言葉を遮るのは大変恐縮ですが、そろそろ向かわなければ、購買の品も食堂の食券も売り切れになります」

「むっ……」

「今日は授業が本格的に始まった初日。タケルさまと同じ考えの人も多いでしょうから急ぐべきかと」

「はぁ……、とりあえず、少し歩くのを速めるぞ」

「はい」


 そうやって二人は食堂と購買がある場所に向かう。

 話しに集中していた為、他の購買に向かう者達と比べると完全に出遅れている。

 だが、昼休みが始まって五分とも断っていない。

 売れ残りぐらいはあるとタケルは考えた。


「そういえば、タケルさまに質問したいことがあるのですがよろしいですか?」


 最悪の場合、学園を抜け出して、近くのコンビニまで買いに行くことも考慮していたところで、生鐘が彼に声をかけてきた。


「なんだ? 話の内容による」

「園原さんが昼食の件。あれが二人っきりでしたいという誘いでしたら、タケルさまは御請けになりましたか?」


 やや迷いながら態度で訊ねる生鐘に対し、タケルの返答は速かった。


「その場合も断ってたな」


 迷う暇もない。

 以外だった即答に生鐘は一瞬、目を丸くする。

 どう訊ね返すべきかと後ろで悩む生鐘に対し、タケルは前を歩いたまま更に答えた。


「もしもそうなったら、生鐘は気を利かして席を外すだろ?

 主としても、友達としても、お前が独りで昼食を過ごすことは見過ごせない」


 思わず立ち止まってしまうのを、何とか生鐘は堪えた。

 そのまま黙って、タケルの背中に着いて行き、誰も聞こえないような声で、彼女は呟く。


「……、それは……、ずるいです」


 その言葉を生鐘がどんな顔で言ったかは、前を歩くタケルには分からぬことだった


 †


 私立鳴川学園の購買部は昨日天花達が話しあった食堂の中ににあった。

 購買部のメニューは様々。オーソドックスなおにぎりやパン。一般家庭では中々お目にかけにならない高級弁当まで販売している。

 そして、そんな購買部にまだ昼食を確保していない生徒たちが長蛇の列で並んでいた。日が浅いので物珍しさから、並ぶのは殆どが新入生である。

 これならば、諦めてまだ席もある食堂のメニューで食事を済ますのが賢い選択だろうが、一度並んでしまうと意地でも最後まで辿りつきたくなる。

 そして、やっと商品が陳列する場所までやってくると、ほとんど無くなっているラインナップに絶望し、まだ見ぬ商品を食する為、再挑戦の闘志を宿すのだ。

 そんな購買部の列ら少し離れた場所の柱に、タケルは背中を預けて立っていた。

 そのタケルの下へと、購買部の列の先端から抜け出す様にして、紙袋を持った生鐘が彼の前に駆け寄って来る。


「タケルさま、只今戻りました。お待たせして申し訳ございません」

「いや、大丈夫だ。御苦労さま。飲み物は適当に買ったが生鐘は緑茶で良かったか?」

「はい。タケルさまが選んでもらったものであるなら喜んで何でも頂きますが、緑茶は僕の好みに合います」


 そう言いつつも、何故か生鐘は曇った顔を浮かべた。


「しかし、代わりに飲み物を買いに行って貰った上に、僕に対して更なる気遣いをしてくださったとは、どうお返しをしたらいいものやら……」

「そこで畏まるな。俺が二手に別れて買い物を提案して、お前は承諾した。なら、これ以上この件に関して言う事は無いだろう」


 タケル達がここに来た時には、既に購買部の前には長い列を作っていたのだ。

 そこでタケルが飲み物と食料、二手に別れて買いに行くことを提案した。

 購買部の場所で飲み物も購入できる可能性はあったが、これだけ人が多ければ売り切れの可能性もあり、そもそも準備してない場合だってある。

 最初はタケルに労働させることに生鐘は反対したが、効率を考えればその方が良いのは事実なので、渋々承諾する。

 もっとも、購買部の列に並ぶ役目は断固として譲らなかった。


「……解りました。では、煩わしい言動を口にしてしまったことを謝罪します」

「それに対する謝罪はこっちも素直に受け取ろう。それに関しての罰則は何もしないし、受付けもしない」

「はい、解りました。タケルさま、遅れましたが僕の分まで御飲み物を買ってくれてありがとうございます」

「お前に比べるまでのなく、大したことはしてない」


 タケルがした事は、少しだけ自販機を探して、購入し合流地点に戻っただけのこと。

 あの列に並ぶことに比べれば、本当に大したことはしてないのだ。


「代わりと言ったら可笑しいが、食事をする場所の目星は付けた。

 自販機で飲み物を買う途中で外を見てみたんだが、外はテラスの他にもベンチが設置されている。今日の外は温かいし、空いているベンチは多かったからそこで食べよう」

「かしこまりました」


 生鐘は頷いてから、何やら思い立ったのか、彼女はにっこり笑う。

 それは、女子生徒に見せるような紳士的な笑みでなく、恥じらいつつも懇願する乙女の微笑みだった。


「では、今の僕はこのような格好ですが──エスコートお願いできますか?」

「手を取ってという訳にはいかないが、謹んで承ろう」


 冗談めかしで言った生鐘に対し、タケルも芝居がかった台詞を返す。

 二人は互いに笑いながら、そのままタケルの先導で外にあるベンチまで足を運んだ。

 今日の昼空は雲ひとつない晴天。

 春なので風が吹けば冷たいが、それ以上に日射しの温かさがあるので過ごすには問題はない。外に出れば建物で感じた喧騒にも似た賑やかさは遠のき、聞こえてくるのは同じく外に足を運んだ者達の話声。それも耳をすませば解る程度なので落ち着いて食事を取るのは良い状況だろう。

 外に出た二人はしばらく歩くと空いたベンチを見つけると、そのまま先にタケルが席に座ってから懐からハンカチを取り出して自分の隣に敷く。

 その様子を見ていた生鐘は、右手で座る事を促すタケルと敷かれたハンカチを交互に見てから可笑しそうに笑った。


「ふふ、タケルさま。少々、やり過ぎではないですか?」

「は?」


 本当に自然な行動だったのだろう。

 訳の解らなさそうな顔をするタケルに、生鐘は親切に教える。


「僕は男子生徒ですよ? 従者の関係は抜きにしても、殿方が同姓の友人のためにハンカチを敷くなど僕は聞いたことがありません」

「おっと、わ、悪い」


 明らかに動揺したタケルは頬を染めながら、慌ててハンカチを回収する。

 その様子を生鐘は更に可笑しそうに眺めながら、タケルから一人分離れた位置に腰を下ろした。


「まったく、僕はできるだけ男性として装う様に振舞っていますが、これではタケルさまの行動から怪しまれる可能性が出てきますよ」

「それに関しては今後気をつけるようにするが、仕方ないだろ……」


 タケルは、拗ねた様に口を尖らせながら、ぼやいた。


「どんな格好をしたって、俺にとって生鐘は昔馴染みの女の子に変わりないのだから、自然とそう扱ってしまうのが普通なんだ」


 タケルはそう言った後で、また面白がっているのだろうと生鐘の様子を確認すると、予想とは裏腹に、何故か彼女は頬を染めて硬直していた。

 不思議そうにタケルは眉を寄せるが、先程の自分の言葉を思い返したタケルは自分も頬を染めてから、気まずそうに顔を逸らす。

 そのまま顔を赤くしたまま黙ったままの二人。

 その様子を仮に他の人間が目撃したのならば、男二人が何故顔を赤くして黙っているのかと怪訝するか、在らぬ誤解を生みだすだけだろう。

 幸いにもそんな二人を見る者が現われる前に、タケルは気を取り直すが如くワザとらしい咳払いをした。


「ごほん! ……とりあえず、食べるか」

「…………はい、了解しました」


 タケルの言葉に生鐘も片手で胸を押さえながら大きく息を吐き、調子を落ち着かせてからもう片方の手に取っていた紙袋の中身をガサゴソと探る。

 そして、二人の昼食は生鐘が買ってきた鳥肉、チーズ、レタスが挟んだ同じクラブサンドを揃って静かに食べて、何を話す訳でもなく終了した。

 元々、タケルと生鐘は子供の頃の教育で食事中に喋ることは基本せず、会話をされれば返すこともするし、話題を振ればそれなりの対応は見せるが、他の人間が何もしなければそのまま黙々と食事するだけになる。

 人によればそれは何処か寂しく、味気のないことだが、タケルと生鐘が二人っきりで食事をする時は昔からこのような様であり、当人たちはこの時間で満足していた。


「そういえば、二人で食事するのも久しぶりだな……」


 その事を思い返していたタケルは食事が終わると、思わず口から言葉を零した。


「そうですね。僕も在住は弦木邸ですけど、基本的に主従の食事は別にしていますから、この様な機会は今後とも珍しくなるでしょう」

「別に二人きりで食事をしたいと思えば何時でもできるだろ」


 何処か寂しげな笑みでそう言った生鐘に、タケルは思わず反論するような物言いをする。


「……本当に、その様な機会を多く頂けるのならば、僕はとても幸せですね」

「お前は──」


 まるで遠い出来事でも話すようだった。

 それではまるで、今後この様な機会はなくなる、その様に感じたタケルは何か言おうとして、微妙な笑みを浮かべる。


「……相変わらず、変なところで欲がないよな。もう少し我儘の一つや二つでもしたほうがいいぞ」

「それは心外です。僕は結構自分の思い通りに動いていますよ。現に僕はタケルさまの御側に居る。これ以上を望むことはそれだけ罰当りでございますよ」

「お前がそれで本当に満足ならば、今はこれ以上言わないがな」

「おや? 何やら随分と引っかかるようなお言葉ですね」

「それはお互い様だろ」


 タケルはそう言いながら立ち上がる。


「さてと、昼休み中に少し寄りたいとこがある。お前も来るか?」

「無論です。僕はタケルさまの護衛者ガーディアンですから」


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