第12話 名前の意味
二一一八年──一二月
「なるほど、ウガネは生きる鐘と書いて、生鐘と読むのですね」
私、
お互いに多くの漢字を学び始めたので、私たちは自分達の名前がどんな字をしているのか教え合っているところだ。
タケルさまと仲良くなってから、私が弦木家の御屋敷に来る時、私達はいつも一緒に居た。別に用事がなくても、弦木家の屋敷を訪問することが最近は多い。
最初の方は、頻繁に会う事が迷惑でないかと不安だったが、いつもタケルさまは温かく迎えてくれるので、一緒に居るのがいつの間にか当たり前になった。
学校も同じ場所に通う事になった。
親たちの配慮か、偶然なのか。どのみち同じのクラスにもなれるので本当に嬉しい。
この頃から、私はタケルさまのお陰で、まともに他のものへ接するようになっていた。
相変わらず怖いものは怖いが、一人でも向きあうことができる。本当に駄目な時は、タケルさまに助けてもらっていた。
他の子達と遊んだり、二人だけで遊んだり、一緒にご飯を食べたり、お話もする。
タケルさまの稽古の時も、私には楽しかった。
タケルさまが剣の振るい、私はそれを眺める。
最初は何をしているのか全く解らなかったが、最近では何とか目で追えるようになった。
私はそうやってずっと修練場の隅で邪魔にならないように見学するだけだったが、タケルさまの真剣な表情は見ていて気持ちが良く、試合に勝った時に見せる笑顔は眩しくて、逆に負けた時に見せる顔を見るとタケルさまは泣いてないのに自分が泣きそうになった。
そうして稽古が終わってから、私は真っ先にタケルさまの許へ駆け寄り、タオルを受け取るタケルさまから「ありがとう」と言われる事が堪らなく嬉しい。
小さな事だと自分でも知っていたが、タケルさまに何かしてあげられること、その事が私にとって何よりも喜びになっていた。
この時も、タケルさまに何かしてあげることが嬉しくて。
そして自分のことを知ってほしくて、少し照れながら名前の意味も伝える。
「はい。意味は周りに響き渡るように生きてく、というものだそうです」
「なるほど。他者、あるいは外界など、自身以外に影響を与えられるような立派な人間になるということでしょうか」
「そこまで大層な事だとしても、今の私には名前負けですね」
「そんなことはありませんよ。少なくとも僕は生鐘のおかげで色々な事を知ります。影響を与える人間はここにいますよ」
「勿体ない言葉、ですね」
くすぐったい気分になりながら、表情が緩む。
本当に勿体ない。
私がしたことなど、私がタケルさまから頂いたモノと比べたら些細なモノだろに。
タケルさま。貴方から私は色んなモノを頂きました。
弱さの容認。
それに立ち向かう気高さ。
尊敬。言葉にすれば、本当に数え切れない宝物ばかりですよ。
「タケルさまは、カタカナでお書きになられるのですね」
「そうですよ。ただし、意味は複数あります。一つの名に様々な思いを込めて名付けるのが、弦木家の習わしなのです」
「左様ですか。それはとても名家らしい素晴らしい風習です。よろしければ、どのような意味が在られるのか教えて頂けませんか?」
私がそう訊ねると、何故かタケルさまは驚かれましたが、すぐに笑顔になって頷いてくれた。
「良いですよ。本当はあまり教えることでもないのですが、調べれば見当はつきますしね。生鐘は友人の中でも特別なので、自分の口から一つだけ教えましょう」
『特別』。という言葉に心が惹かれる。
自分にとって、タケルさまは最早両親以上の『一番の特別な存在』だった。
だから、そんなタケルさまが『特別』と言ってくれるのは嬉しい。
でも、タケルさまの特別はどの辺りまでの特別なのだろうか?
確かに同じ年頃の子供で、自分程タケルさまと親しくしている人間を私は知らない。
だが、それは知らないだけで他にもっといるのではないか。
不相応な考えだとは理解している。
今の関係すら光栄だというのに、自分は見も知らない誰かに嫉妬しているのだ。
「いいですか、良く聞いてください」
そんな心を抱いた私を知らず、タケルさまは微笑みながら自分の大切なモノを伝えた。
「
「なんと!? それは剣士を目指すタケルさまにお似合いではないですか!」
私がそう賛辞すると、タケルさまは恥ずかしそうに顔を崩す。
タケルさまは恥ずかしがり屋だ。
全部に反応するわけではないが、自身が言った雅な言葉や、他人に貰った淡い言葉で己を乱す事が多い。
その時に見せる照れた顔が大変可愛らしいので、ついつい失礼とは存じながら、出来心で不敬を犯してしまうのも自分の悪い癖だろう。
「僕のほうこそ、名前負けです。まだ一度も兄さまには勝っていませんし……」
「ジン様以外には連勝ならされていたはずです。それにタケルさまならば、あのジン様すら破ることも夢ではないと私は思っていますよ」
過剰な言葉だとは、重々承知している。
タケルさまの兄君でおられる弦木ジン様は、誰から見ても雲の上の人だ。
いや、そもそも眼に見える雲の上にすら居るかどうかも妖しい、別次元の存在。
模擬戦で置いても、あの方に一太刀すら当てたものはいない。振るわずに降された人間も多かった。
だが、そんな中、タケルさまだけは毎度機会があれば果敢に挑み、己が剣を届かせようとしている。
誰しもが届かないであろう天の頂き。あるいはその彼方まで、その身を飛ばそうと研磨しているのだ。
「そう……でしょうか」
しかし、この時のタケルさまは珍しく、弱気な顔を見せる。
それを見た私は、わざとらしく溜息をした。
「おやおや。やはりタケルさまもジン様の事では後ろ向きですね」
それは仕方ない事だと思う。
タケルさま贔屓の私でも、何かと比べられる兄弟二人の優劣は明白だった。
けしてタケルさまが不出来な御方ではいのだが、兄と比べて全てが劣っている。
なまじ、タケルさまも人並み外れた才覚を御持ちなので、そのような目で見られることは多い。これが人並みの実力しかなければ、そもそも比べられることすらなかっただろう。
だからこそ、タケルさまには自信を持ってほしかった。
「でも、私は知っております。挫ける度に、背ける度に、タケルさまはすぐに前を向き直っていて立ち向かってます」
「…………」
タケルさまは、いつの間にかじっと此方に黙って視線を向けていた。
少し恥ずかしかったが、私はそのまま続きを語った。
「そう、一度見れば誰しも背ける、あるいは跪いて眺めてしまうあの輝き……。
その光りに向かって、眼を逸らさず、タケルさまは歩いておりますよ」
そもそも、挑む者が現れることすら稀なのだ。そんな希少な挑戦者たちは、皆、敗北し、その輝きに屈服する。
ただ、一人の例外を除いて。
「歩いていたら、いつかは目指した場所に辿りつけると私に教えてくれたのは貴方です。
私がタケルさまから頂いた言葉は全て真実だった。だから、私はタケルさまがいつか望んだ場所に辿りつけると信じております」
遠回しに自身で言った言葉で元気付けて貰おうと、私は願いを込めて言った。
本当は自分自身の言葉だけで立ち直ってくれたら、これほど喜ばしいことは無いのだが、残念ながら今の自分では、借り物の言葉でしか誰かにまともな言葉を伝えられない。
だけど、タケルさまが悩んだ姿は胸が苦しいから、贋作ででもそこに宿った意味は真実だと願って、できるだけの思いを伝える。
タケルさまはしばし黙った後で、僅かに微笑んだ。
「そうですね。自身で言った言葉ならば、尚更真実であったと証明しないと」
よかった。元気になってくれた。
私も微笑みかけたが、その次に出された言葉で、表情が凍った。
「でなければ、生鐘に嘘をついたと嫌われてしまいますよね」
「私がタケルさまを嫌う事など有り得ません」
なんてことを言うのだろう。
「え? どうしたのですか? 怖い顔を、して? な、何か怒らすことを言いましたか?」
「私は何も怒ってはいません」
そう怒っていない。ぜんぜん怒っていない。
何故なら私の中に苛立ちはない。逆に心は冷静だ。永久氷土のように健在だ。
「ただ、間違いを指摘しただけございます。何があっても、私がタケルさまを嫌うことは絶対に在り得ぬ事なのだと、タケルさまには知ってほしいだけでございます」
「あの、えっと…………」
「ええ、本当に。そんなことは絶対にないのだから、間違ったことを覚えてしまうとタケルさまが困りますよ。今ここで認識を改め、先程の言葉も訂正してください」
「は、はぁ? で、では、嫌いでいてくれない生鐘の為にも自分の言葉に嘘はつかない、というのはどうでしょう?」
「わ、私の為なんて……」
「怒ったと思ったら、今度は照れましたか。最近、生鐘は色んな顔を見せるようになりましたね……」
何やらタケルさまがしみじみとしているが、私は歓喜のあまり、熱くなった顔を両手で冷やすので必死だったので、それどころではなかった。
†
二一二八年──四月 私立
時は四時限目の授業が終わり、昼休みになった頃だ。
タケルは早々に先程までの授業の準備を終わらし、席から離れようとする。
「あ、あの、タケルくん!」
そんなタケルが椅子から立とうした直前、隣の席の
「なんだ?」
「えっと、これからお昼ご飯だけど、一緒に食べない? 他の子たちと食べる約束をしたから、良かったらどうかな?」
やや緊張気味、後半はしぼむような声で天花が昼食の誘いをする。
それを聞いたタケルは少し考えてから、申し訳なさそうな顔を浮かべた。
「悪いな。せっかく誘ってくれたが、俺は当分購買なんだ。飛び入りが購買部から戻ってくるのを待って貰うのは悪いし、昼食は俺抜きで楽しんでくれ」
「あっ……、そうなんだ。ううん、私もいきなり誘ってごめんね!」
「本当に悪いな」
一瞬、寂しそうな顔を明るく笑って誤魔化した天花を見て、再度タケルは謝る。
「嫌だな、タケルくん! そんなに畏まらなくてもいいよ」
そう言いながら、天花は逆に申し訳なさそうな顔を浮かべた。
「呼び止めた私の方こそ本当にごめんね。速く行かなきゃ人気なモノとかなくなっちゃったり、混んじゃったりしたらタケルくんに迷惑になるね」
「いや、混み具合を把握するのなら、最初の内は体感して見るのも悪くないと思うぞ。この時間で既に混むと解るならば、次に生かせる。
それに購買にあるハズレ商品を食べるのも、それはそれで面白いしな」
「……ふっ、ははは! なんだかタケルくんらしいね」
タケルがした冗談めかしの言葉を聞き、天花は可笑しそうに顔を緩める。
くだらない雑談で紛らわせる結果だが、目の前の彼女の機嫌が僅かにでも良くなったことにタケルは安堵した。
「俺らしいとは俺自身で解らないが、まぁ、悪くない。
──というわけで、俺は購買と食堂に行くがお前はどうする、生鐘?」
タケルはそう言いながら、いつの間に二人の傍に来ていた生鐘へと振り向きながら問いかける。
当然の如く、生鐘は静かに頷いた。
「無論、何処までもお供します」
「了解。じゃあな、天花。次の授業で」
そんな生鐘の反応を確認したタケルはそのまま立ち上がり、再び天花の方へ顔を向ける。
「うん、いってらっしゃい。輝橋君も」
「ええ、行って参ります」
別れを告げた後、天花に見送られながら、タケル達は賑わう教室を一緒に出て行く。
二人の背中を見つめていた天花が、その姿が見えなくなった途端、寂しげな顔をしたが、すぐに気を取り直して、自分も昼食の準備に取り掛かった。
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