第10話 修羅場


 弦木つるぎ家は古い血筋の家だ。

 現存している記録を調べれば平安時代までの歴史が残されているが、その誕生事態は更に昇って紀元前の弥生時代に存在した戦士の末裔だと伝えられている。

 一方、輝橋かがやばし家は室町時代初期に歴史の片隅でその名を刻み、弦木家との交流は安土桃山時代から始まった。

 どちらの家が力を持っているのか? という疑問は語るまでもないだろう。

 輝橋も歴史は古いが、弦木には遠く及ばない。両家が出会った頃、輝橋家から見れば弦木家の富や実力は遥か彼方にあった。

 戦乱の世、いつ自分の家が潰れるか不安だった輝橋家は弦木家に仕える事でその存在を保った。よって二つの家の関係は、古くからの主従関係であると断言して良いだろう。

 輝橋家は弦木家の庇護から抜け出し、自立しようと試みたことは何度かある。

 だが、両家の関係は変わる事はなく、今の時代まで続く。

 それは古きから育まれたえにしだとある代の輝橋は誇った。

 また、別の代ではある種の呪縛とも嘆いたが、結局は絶縁することもなかった。

 運命とも誰かが例えた。輝橋家の人間は弦木家の人間に必ず惹かれて、従うのだと。


 しかし、そんな輝橋の家に生まれたある少女は、その言葉を全て否定する。


 永遠に不変なものは存在しない。

 在りように違和感が生じ、時間を得て纏われた物が更なる時間を得て取り払われるように、綻びは彼女から生まれたのだろう。

 その感情を自覚したのは、幼い頃だった。

 始まりは親に連れられて弦木家の屋敷に訪れて、そこで見た人物に少女は心が震えた。

 

 弦木ジン。弦木家の本家長男にして次期当主である男。


 当時はまだ成人したばかり彼ではあるが、既にその才覚は発揮されていた。

 海外有名大学を飛び級の首席卒業し、幾つもの業績を上げている傍ら、武術に置いても達人を脱した超人とまで謳われた、文武両道の貴公子。

 既に彼は多くの偉業を成している。

 偶然訪れた海外にて起きた紛争を、彼は立った一晩で解決してみせたのだ。

 数年、近隣国が助力しても収まらなかった戦火を、彼は個人で終結させた。その所業はまさに、英雄と呼ぶのにふさわしい。

 弦木家の歴史どころか、世界的にも彼ほどの逸材はいったいどれほどいようか?

 誉め讃える言葉は星の数。地上に太陽。伝説の体現者。神話から抜け出した英雄。

 あるいは、既に人の枠組みから逸脱した、超越者。

 彼を知らぬ者がいたとしても、一目見ればその存在に圧倒される。

 幾人の令嬢たちを病的までに魅了する外見も然る事ながら、本人が抑制しても滲み出る空気だけで平伏す人間も多かった。

 少女の両親も彼に屈服した人間の仲間だ。二人の公的な主は彼の父親である現当主であり、確かな忠誠心を抱いたが、弦木ジンを前にすると周りと同じように崇め讃えている。


 ──だが、その少女は違ったのだ。


 その存在が、美しいとは思う。

 だが、過ぎた眩しき輝きは時として全身を痛めつける。

 簡単に言ってしまえば、少女は弦木ジンを恐れた。

 強大な存在を前に恐怖は抱くのは誰しも感じることであり、自然なことでもあるのだが、彼を見たものはそれを超えて、讃え、時には崇拝する。

 それは老若男女、有象無象無関係なく起こった事であり、少女と同じ歳で出会った子供たちは幼くして彼に忠誠を抱く者も後が絶えない。

 しかし、その少女は恐怖のみを抱き、他の者らが彼に見惚れる中、一人だけ怯えていた。

 魔性のカリスマ。普通の人間では彼の輝きに憧憬を抱く。ある意味で異常であり、ある意味に置いて正常、当然と言うべき現象。

 逆に、その逆の現象も生じて不思議でもない。


 より率直に表すならば、その少女は人よりも怖がりだった。


 高い場所が苦手。

 ある動物が苦手。

 彼女が持つ感情はつまりはそう言った、人によれば些細な、とるに足らない感情だ。


「怖がるのは失礼だろ? しっかりなさい」


 その感情を告白した時、両親は少女を窘めた。それは当たり前の行為かもしれない。

 化け物ならばともかく、相手は多くの者が慕う人間。

 ましてや、相手は自分達の一族が絶対に従わなければいけない存在。その存在に対して尊敬ではなく、恐怖を抱くなど合ってはならない事だった。

 告白された人間が少女の両親でなければ、必ず彼女を罰していただろう。

 両親は優しく少女を窘める。

 だが、それでも少女には無理だった。

 どうしても怖いものは怖いのだ。

 そんな少女の顔を見て、両親たちは酷く残念な顔をする。

 そんな両親の顔を見て、少女は悲しくなり、彼等のことも怖くなった。

 それまで大好きだったはずの両親ことも怖く思ったのは、これが初めてかもしれない。

 他にも彼女には怖いものがあった。

 武術。

 世間では多く広まっている一つの伝統を、彼女は痛みの側面を見て、恐怖していた。

 輝橋家の人間は武術を学んでいたが、他の人間達が誰しも学んでいた歳になっても少女は武術を学ばなかった。

 何故なら怖かったからだ。

 痛みが嫌だった。傷つけるものが嫌だった。

 不得手ならば雷鳴の如き叱られる様子が怖かった。

 次第に、情けないと少女を責める人間が増えていく。

 両親は叱りをしなかったものの、周りと同じ気持ちで我が子を残念そうな瞳で見ている。

 それからは更に怖いものが増えていった。

 恐怖という感情が日を重ねるごとに強くなる。

 武術が前よりも怖くなり、親しくしれた人間たちも怖くなり、出掛ける時も人目に隠れて蹲る。

 そんな少女が、あの少年に出逢ったのは、その時だった。


 †


 二一一八年 一〇月──弦木本家屋敷。


「どうしたのですか?」


 私、輝橋生鐘生鐘は出掛けた先で周りの輪から外れ、独りぼっち項垂れていた。

 声をかけられても項垂れていたままなので、相手の顔は窺ってないが、きっと自分の同じくらいの年頃だろう。

 私がこうやっていると、こうやって声をかけてくれる人が偶にいる。

 けど、私が何故項垂れ、その理由を、何を怖がっているのかと知ると、みんなが同じようにことを言うのだ。


 ああ、それはいけない。

 怖い事なんて何もないのだから、前も向かないと。


 それができないからこそ、自分は今でも一人でいる。一人でいたいのだ。

 怖い気持ちが消えるのならば、そうしている。

 前を向かないといけないのは、解っている。

 でも、目に広がる光景を直視するのができなかった。

 私の瞳では、私のいる世界は、眼に痛みを感じるほど、眩し辛ら過ぎた。

 ああ、新たに自分に声をこの人にも説明しないといけない。

 理由を言うのも怖いが、声に出して伝えなければもっと怖い事になる。

 そのことになると知っていた私は、小さな声で気持ちを吐露した。


「ああ、なるほど……」


 気落ちした声が返ってくる。

 次の瞬間には、この人も私を咎めるのだろう。

 仕方のないことだ。悪いのは私なので耐え忍ぼう。

 やって来るであろう叱責を少しでも耐えるように、私はスカートをぎゅっと握りしめる。


「うん、怖いのは仕方ないですよね」


 ──最初、何を言ったのか私には解らなかった。


「僕もですね、先生方や兄さまの刀を見ると怖いです。相手の全てを見なければ此方が斬られるのに、僅かな恐怖が拭い去れません。相手よりも速く斬らないといけないのにね」


 かなり物騒な例え話である。

 普段の私ならばそれだけで逃げ出したくなる内容だが、恥ずかしそうに語る声に不思議と耳を傾けていた。


「でも、爺やが言っておりました。恐怖を感じることは大切なことだって。その本質が見抜ける証拠ですから、大切にしないといけないと」


 その爺やという人物が言ったらしき言葉を、私は理解できない。

 本質を見抜ける? どういう意味だろう?

 武術の代わりとばかり、座学は励んでいたのだが、その言葉の意味、それこそ本質を私は見抜けなかった。

 内心、私が苦悩している前で、語らいは続けられている。


「怖く感じるのはいいことです、戦場では怖がりの人が生き抜けるとも言うので、恐怖は大切です。それを色んなところで感じとれる貴女は、とても凄い!」


 余計に意味が分からなかった。

 周りや自分自身でも情けないと思った弱さを、目の前に居る人が褒め称えてくれた。

 怖くてもいいと、それは大切なのだと、凄いと言ってくれた。

 その言葉は──私にとって革命だった。


「凄い事、なの?」


 思わず、顔を上げて訊ね返す。

 その時初めて、私は目の前の、少年の姿を直視した。

 綺麗な琥珀こはくの瞳を真っ直ぐ向けながら、彼は笑う。


「はい! 僕に足らないモノだと周りの者達から言われているので尊敬してしまいます!」


 それが、とても眩しかった。

 こくこくと、微笑みながら頷く少年の姿を、今でも覚えている。

 気づくと、胸の奥が温かくなっていた。

 今まで眼の眩む輝きに眼を伏せていたのに、同じように輝くその姿をもっと見たいと思ってしまう。


「しかし、その怖がりだがら一人でいるというのは少々勿体ないと思いますね。一人では自身の力量も試す機会も巡られませんし、困りました」


 そうやって少年は両腕を組みながら、うんうんとしばらく悩む。

 私はただ驚くばかりで、その様子を黙って見ていた。

 しばらく私がその悩む姿を眺めていると、少年は思いついたようににっこりと笑う。

 その微笑みに、心臓が大きく高鳴った。


「提案があります。貴女がよろしければ、僕と友達になってくれませんか?」

「え?」

「貴女と共に居れば学ぶ事も多そうだ。代わりに僕が貴女を怖いものから守ります」


 友達、守る、そんな言葉を聞いて私が惚けていると、彼は自信に満ちた顔を浮かべた。


「腕にはそれなりに自信があるのでご安心を。何よりもきっと貴女と共に過ごすのはきっと楽しい!」


 晴れやかな声で告げた少年の言葉を受け取った。

 何故か私は、まるで夢でも見ているかの様に呆然としてしまう。

 そうやって私が黙ったままでいると、何故か少年は突然顔を赤らめながら慌てだした。


「ぼ、僕では役者不足ですか? ああ、それとも改めて思えば恥ずかしい台詞だったので引いてしまいました?」


 先程の威勢は何処に消えたのか、彼は顔を赤くしながら歪ませる。


「うう、兄さまならば麗しく魅せてくれるところで失敗してしまいましたかね!?」


 何やら泣きそうな顔になった少年に対して、私は慌てて首を横に振った。

 その姿が愛らしいものに見えたが、それ以上に少年が哀しむ姿を見たくなかった。

 私が否定するのと見て、少年は安堵したように息を吐く。


「失敗してないなら良かったです。では、レディ。貴女の御返事を貰えませんか?」


 微笑みながら手を差し伸べてくる少年の姿に昔読んだ御伽話の王子様を幻視した私は、自分でも解るほど顔を赤らめながら自分に向けられた手をそっと握って、こくりと頷く。


「私でよければ、此方こそお願いします」


 自分と同じくらいの小さな手のはずなのに、石でも触れているような感触と、感じた事のない温かさを少年の手から伝わりながら、自らも懇願する。


「はい、よろしくです! 名乗り遅れましたが僕の名はタケル。弦木タケル!」

「弦木、タケル、さま……」


 そこで、ようやく私はこの方が誰なのかを知った。

 自分の輝橋家が仕える弦木家。その本家筋であり、『あの方・・・』の弟君だ。

 血の気が引く。

 立場的に絶対敬わなければならないお人なのに、かなり失礼な態度をしていたのではないかと私は不安を抱いた。

 けど目の前の御方──タケルさまのにっこりと笑う姿に気づくと、自然と気が落ち着く。

 不思議と安心させてくれる微笑みを浮かべながら、タケルさまは私に問いかけた。


「それで、貴女の御名前はなんですか?」

「えっと……輝橋生鐘、です」


 問われて、どう名乗っていいのか迷いながらも、結局は普通にする。

 私の名前を聞いたタケルさまは、今までで一番輝いた笑みを見せてくれた。


「ウガネ! 可愛らしい響きで、貴女に似合っていますね!」

「あう……」

「わわ、ど、どうしましたウガネ!? いきなり顔を伏せてしまって!? 何か怖いモノでもありましたか!?」


 そんな、恥ずかしくて、温かくて、眩しい、尊い日を、記憶に刻む。

 自分が自分である限り、その記憶は永遠に失うことないと確信できる。

 輝橋の人間が弦木家の人間に従うのは定められた運命だと誰かが言った。

 生鐘はその言葉を否定する。

 何故なら、この胸に宿った温かさは、その人にしか向けない。

 血筋など関係ない。それが真であるならば、『あの方』も恐怖ではなく羨望を抱くだろう。

 真に、私が慕うのはこの人だけ。

 仮の話、この世に定められた運命が本当に在るならば、きっとこの気持ちなのだ。


 例えその人が何者で在ったとしても、自分はこの想いを抱いていたのだから。


 †


 二一二八年 四月──私立鳴川なるかわ学園一年A組教室。


「──では、次の授業は体育だ。以前の説明通り男女は分かれて更衣室に向かい、時間までにグランドまで集合すること」


 入学式から翌日。

 最初の授業の一時限目、続けて二時限目が終わると、初めての体育の授業ということもあり前の科目の教師から改めて生徒たちは説明を受けた。

「おい、速く片付けないと遅れるぞ?」


 タケルはそう言いながら既に教室を出る準備をし、隣の席の園原そのはら天花あまかに声をかける。


「うぅ~。もう少しだけ休憩したら」


 天花は難しい顔で机の上に項垂れていた。

 タケルがちらりと覗き見ると、まだ片付けられていない先程の授業の教材と書き込んだノートから察するに授業は真面目に受けられたようだ。

 しかし、その様子から察するに、それを僅かでも理解しているのか不安である。

 天花の学力はそれほど高くない。

 別に万年赤点といった酷いモノでもないが、学力偏差値が高いこの学校の授業はついてくのに必死な度合いだ。

 ここの入試の時も本人にとっては地獄的猛勉強の果てで何とか合格できたのである。

 しかし、合格できたからといって、学力偏差値が高いこの学校の授業についていけるかは別問題。

 ようやく机の上を渋い顔で片づける天花の姿に、タケルは苦笑を浮かべる。


「その様子からしてやっぱり一週間は授業に慣れるため、自己鍛錬以外御休みすることは正解だったな」


 弦木タケルは体力がなく、昔抱いていた剣士の道も諦めた。

 だが、公的な場で活躍できなくとも剣事態は今でも続けており、その剣の技術をとある時から園原天花に教授している。

 しかし、現在、剣を教授は、学業が疎かになることを避けるため、天花が学校の授業に慣れるまで間は指導を休止した。

 もっとも、天花はそれが不満だったりする。

 授業と受けた直後とは違った難しい顔になり、天花は拗ねる様に口を尖らせた。

 

「学校の勉強と修行は別だよ。中学の時だってそれでずっとしてたんだし……」


 タケルが天花に剣を教えることは周囲に秘密にしているので、天花は小さな声で不満を口から出す。

 タケルと天花の過ごした時間はほとんどが剣の鍛錬だ。

 学校が終わればほぼ毎日、指定の場所で剣の指南を受けることが天花の日課である。

 休日でも特別な用事が無い限り、タケルから剣を教わっているのだ。

 天花は、それが嫌だと感じた事はない。

 むしろ彼女はは、タケルと二人っきりで過ごせる楽しみにしている。

 それが一旦休止していることは天花からすると難解な授業を受けるよりも、かなり苦痛なのであった。

 そうやって不貞腐れる天花を、諭す様にタケルは語る。


「小中は問題なかっただろうが、この学園のレベルは高いんだから今まで通りは無理だろ。実際、授業にはあまりついてけれないだろ?

 良いからしばらくはここの授業に慣れろ。友人が留年するのを見るのは嫌だぞ、俺」

「……タケルくんを先輩って呼ぶのはちょっと魅力的だけど。

 うん、一緒に卒業できないのは嫌だから、これも修行の一環だと思って頑張るよ」

「ああ、その意義だ」


 ようやく苦渋の色を顔か落した天花を見ながら、タケルは口元を緩める。

 そんな二人の元へ、一人の生徒が近づく。

 

「タケルさま、お話のところ大変申し訳ございませんが、そろそろ更衣室に向かわないと授業に遅れてしまいますよ」


 支度を整えた生鐘がタケルの下にやって来のだ。

 周りを見ればほとんどの生徒が教室から姿を消している。


「ああ、確かにそうだな。じゃあ、天花またな」

「うん!」


 タケルの言葉に対し、天花は元気の良い声で返した。

 そんな彼女に、生鐘も一言声をかける。


「失礼いたします。園原さんも遅れないように気をつけてください」

「うん。私も速く支度して行くね」


 淡々とした態度で会釈する生鐘に対し、天花も返事をする。

 何でもない普通のやり取りだ。

 しかし、それを見たタケルは、胃が重たくなったような気分になる。


 この二人、タケルは昨日の放課後、改めて彼の方からそれぞれ紹介しのだ。

 

 †


 葛馬くずま一彦かずひことの一戦してしばらくした後、タケルの考案で天花と合流し、最寄りの喫茶店で三人は話をすることにした。

 そして、タケルの方から改めて二人を紹介する。


「つまり、輝橋──君はタケルくんの幼馴染で、その縁で護衛者になったわけなんだね」

「その通りでございます。此方も確認させていただきますが、園原さんは小学生の頃に転校されたタケルさまとお知り合いになり、とある御指南も受けているわけですね」

「う、ん。そうだよ」


 わざわざ言葉を濁したが、御指南というのは剣の教授だ。

 予め、自分が天花に剣を教えていることは秘密にするようにとタケルに言われていた為、生鐘はそのような言い回しをしたのだが、何か含みを感じる。

 生鐘はこの喫茶店に入ってから終始笑顔だ。それは男女問わず見惚れるものであり、天花に対する態度も丁寧なのだが、間近だとそれら全てには妙な寒気があった。

 圧力。まるで敵対する相手を観察するような態度にタケルは咎めようと思ったが、その思考は一瞬の内に消えてしまう。

 圧力は天花からも発せられていたのだ。

 やや口調は拙いものの、相手の仕草や言動を全て見極めるような目線。今からでも剣を抜き放てるような臨戦態勢である。

 両者共、油断はしたいと気負いながら相手を値踏みしていた。

 そんな二人が発せられる空気を間近で浴びているタケルはうっすらと冷や汗を浮かべる。


「タケルくんとは、すっごく・・・・仲良くさせてもらってる」


 沈黙を避けたかったのか、あるいは牽制か。天花はそんなことを言った。

 生鐘は笑顔のまま、ピクリと反応する。


「そうですか、ありがとうございます」

「…………。なんでアナタがお礼を言うの?」

「いえ。ただ僕がこの辺りにいた頃は、僕が一番・・・・タケルさまと仲良くしてたので、僕が離れると仲の良い方ができるか心配だったのです」


 それを聞いた天花がにっこりと微笑む。

 途端、タケルはその場の温度が更に下がった気がした。

 遠巻きに眺めれば可憐な笑み、しかし間近であると生鐘同様妙な寒気を発している。

 氷の花。美しくも冷ややかな笑みを浮かべて、天花が口を開いた。


「へぇ、そうだったんだぁ。友達思いだねぇ……」

「ええ、とても友人であり、主であり、とても大切な人です」

「私もタケルくんは大事な友達で、とても大切な人だよ」

「おやおや、そうですか。何だか園原さんとは気が合いそうです」

「私もそう思うよ」

「ふふふ……」

「ははは……」


 笑い合う二人を前に、タケルは注文した紅茶を飲む。

 予想よりも良い茶葉を使っていたが、温かい飲み物のはずなのに全然温まらない。

 注文したダージリンには疲労回復とリラックス効果があり、落ち着く時にタケルは良く飲んでいるのだが、今回は全然心が休まらなかった。

 そんなタケルを余所に二人の会話は続く。

 静寂な応酬。当たり障りない会話なのだが、言葉一つ一つが鋭い。

 まるで、刃を向かい合わせで対峙しながらもその場から動かず、相手の隙を探る死合いのような緊張感が場に充満していた。

 しかし、戦いの状勢が常に一定とは限らない。

 自然に落ちた一石だけで場が変動することもある。

 二人との会話も、何気ない言葉で流れが変わった。


「──ええ、本当に。昔からタケルさまにはお世話になっています。

 ……思えば、その頃からタケルさまは逞しく、優しくて、可愛らしかった」

「! その事を詳しく!」

「え?」


 何故かタケルの昔を語った生鐘に、天花が態度を変えて反応した。

 その急代わりにタケルは思わず変な声を上げる。


「いいでしょう」

「え?」


 そして、天花の反応が気に入ったのか、あるいは自分が話したいのか彼女は意気揚々に頷く。

 またもタケルが変な声を上げ、すぐさま己の醜態を暴露されるのを阻止したかったが、生鐘はぺらぺらと嬉しそうに語り始めた。


「こんなことがありました。僕の前任者である横長厚樹様は、昔からタケルさまが御世話になっており、ある日、日頃のお礼を自分の力でしたいと言ったタケルさまは、お手製の肩叩き券を作り、厚樹様にプレゼントしました」

「おい、待てコラ。何でその話を今した!?」

「お手製のかたたき券を作るなんて、優しい。それに可愛い……」

「おいおい、天花も何勝手に想像している?」

「でも、後で素人の肩叩きは逆に悪化させると知ったタケルさまは、泣きながら厚樹様に謝りました。その姿は見ていてお労しく──最近の言葉ですと萌えていました」

「なにぶっちゃけてんだ」

「泣く、タケルくん? 私はどっちかというとカッコいいとこばかりしか見れてないかも」

「カッコいいタケルさま。例えばどんな!?」

「えっとね──」

「訊くな! 答えるな! というか、なんで急に意気投合してるのですか──!?」


 しかし、タケルの絶叫は届かず、結局そのまま二人は、本人そっちのけで彼の昔話に花を咲かせる。

 自慢するように、あるいは共有するように。お返しとばかり相手も思い出を披露した。

 最初は止めようと思ったタケルも、またあの重苦しい空気になるのを恐れた為に状況打破を断念する。

 外が暗くなって解散するまでの間、タケルはずっと自身の気恥かしい話しを黙って聞き流すしかなかった。



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