第7話 挑戦


 弦木つるぎタケルは自分の教室を出た後、目的地である図書館へと目指す。

 前もって学園敷地内を調べていたので迷うことなく、足を進める。

 事前に学園内の場所をある程度把握しておくことで、いざ必要な時に向かう際迷うことをなくす為の配慮だったが、朝の一件はその事前調査が役に立った。

 そんなことを考えながら、タケルは図書室を目指す。

 図書室ではなく、図書館だ。

 教室がある校舎とは別にして、建物一つがその目的のみで存在している。

 セレブも通う学園であって、所々に金銭が掛かっており、今が向かう図書館もその一つ。

 実際行ってみなければ保存されている書籍の多さは把握できないが、地図で見た大きさから考えるにちょっとした市立図書館はあるかもしれない。

 そんな図書館に態々脚を運んでいるものの、タケルの趣味が読書というわけでもない。

 目的は本日貰った教科書を見ての予習勉強であり、教室などよりも静かに勉強するならばその場所が適しているから選んだだけである。

 タケルは自身の教室があった校舎から出ると、赤茶色の煉瓦で舗装された並木道をゆったりと歩く。

 同じ敷地内だというのに、目的の図書館までは五分か十分は掛かるだろう。

 広い学園だな、とタケルは思う。

 セレブ以外の一般家庭である生徒も通う学園なのだが、この規模ならば下手なセレブ校よりも大きいかもしれない。

 ふと、騒がしくて賑やかな声が聞こえため、タケルはそちらへと目を向けた。

 

 正しくは、眼を向けてしまった、と言ったところか。

 

 場所は正門や、校舎の到るところで彼等は居た。

 そこらには下校中や散策する新入生に早速とばかり多くの部活動が部員獲得のために勧誘を勤しんでいる。

 やる気のない者も中にはいるが、大半が必死に声を上げて己の部活をアピールしていた。

 中にはその場で披露する者たちもいる。

 文化系は自分の作品見せたり己が部活で得た知識を語り聞かせたり、運動部系の方はサッカー部がその場でリフティング、バスケット部は3ON3の試合を実践していた。

 そして、この学園にも存在する武術に関する部活もその輪の中にあった。

 空手だろう。

 脇で瓦割りをし、その中央では白い道着を着た部員たちが様々な型を披露する。

 脚を止める者もいれば、野次を飛ばす者、見向きもしない人間もいる中、新入生たちへ直接勧誘を進める部員以外、すなわち己が武道を行っている部員たちは、周りの騒音を見向きもせず打ちこんでいた。

 汗が飛ぶ。

 もう何度も同じ型を繰り返し行っているのだろう。しかし、彼等の顔は倦怠な色は見せず、真剣な面構えで掛け声と共に拳を振るう。

 その張りつめて、どこか他人を寄せ付けない空気でありながら、思わず圧倒されてしまう光景に何人かの生徒は見惚れていた。

 タケルも彼等の姿を見て思う。

 彼等は武術が好きなのだろう。毎日疲れた思いをしながら心血注いでいるのだと解った。

 ああ、なんて羨ましい。

 その眩しさに、タケルは胸を焦がした。

 

 ──子供の頃の話だ。


 タケルは剣を振るっていた。剣術を──武術を学んでいた。


 今もまだ、歳を重ねた大人から見ればタケルは、世間を知らない子供なのだか、それよりも遥か彼方、無垢な幼少時代。

 剣が好きだった。

 剣が振るうことが好きだった。

 太刀と呼ばれるこの国の多くの剣士が振るっていた剣を握らなかった日は無い。

 他者と競い合っていた。己の技を高めていた。

 いつ始めたのか覚えていない。何故始めたのか覚えてない。

 習い事の一環として家に伝えられる剣術を学び始めたのか、あるいはどこまでも眩しい兄に少しでも対抗するための反抗心だったのか、絵本で読んだ英雄に憧れたのか解らない。

 ただ気づけば、タケルは毎日のように剣を振っていた。

 幼馴染の輝橋かがやばし生鐘うがねと遊ぶよりも、尊敬している家族と話す時間よりも、何よりも剣に時間を費やした事は確かだ。病に侵された時でも鍛錬を休まなかった。

 速く、まっすぐに振り落とす感覚が心地よかった。

 試合で勝つった時には嬉しくかった。

 負けた時も悔しかった。

 より強くあろうとし何度も何度も剣を振るい続けた。

 何でもできる兄に対して唯一自分が対抗できるものだと信じて研磨した。

 伸び悩む時期すらも振るい続けた。

 苦しかった、辛くなかったと言えば嘘になる。

 だが、それ以上に剣に振るう事が呼吸をするよりも当たり前で、楽しかったのだろう。

 幸い、自分は次男であり、家のことは良くできた兄が継いでくれる。

 だがら、自分はこれからも剣だけで生きられると無意識に想っていたのかもしれない。

 武術が、剣の道が好きなのだ。その道を歩んで生きると思っていた。


 だが、それが大切な願いだと自覚した時、タケルは剣を振るえなくなっていた。


 怪我をした。


 大きな怪我だ。危うく命を落としかねないほどの惨事だったが、タケルが今でもこうして生きているので事細かに語る必要はないだろう。

 ただ、肺に大きな損傷を負った。

 日常生活に支障はでない。

 だが、激しい運動をしてしまうと呼吸が不調になる。

 少し走るだけでも、体に異常を起こす。武術のような激しい動きはもっての他だ。

 最初は信じられなかった。

 こんなはずではないのだと。自分はまだ振るうことができるのだと。周りの止める声も聞かず、倒れるまで何度も剣を振るい続けた。

 苦し気に床に伏せて、自分の不甲斐なさを呪いながらも、いつかは、やがていつかはとこの錆び切ってしまった体も、前の様に、いやそれ以上に鍛え抜かれた刀の如く、強靭なものへとなると信じた。

 それが叶わぬとようやく知ったのは、いったい誰の涙を見たからだろうか。

 タケルは、剣の道を諦めた。

 剣のみで生きる事を、永遠に失った。

 多くの人の前で己が剣舞を披露する事も。数多くの強敵と自ら技を競い合う事も。その果てに最強になる夢を、諦めた。

 以後、タケルは武術をする誰かを見るのが拒むようになった。

 前の様にできなくなったからとて、嫌いになったわけではない。

 だが、どうしても妬む気持ちがある。

 羨む気持ちが芽生える。

 焦がれる気持ちが現われてしまう。

 以前は研究や好奇心で見ていた武術の観戦は勿論、空想の、つまりは本の中ですら拒むようになった。

 ゆえにタケルはあまり他人の武術を眼にしたくない。

 失った願いを思い馳せてしまうからだ。

 本当は高校を運動部活動が全くない学校を選びたかったが、生憎とタケルは弦木の家の人間。武術が満足にできなくなくとも、其れ相応の場所に通わなければ示しがつかない。

 名家が通う場所で部活動が盛んでない学校というのは、この時代にあまりないだろう。

 それに剣の道を諦めたタケルは別の道も探していた。

 今までお世話になっている礼の一つで家業の仕事を手伝うことも考えている。それには相応の知識が必要であり、学歴も必要だろう。

 よって、タケルがこの学園を選んだ理由は、タケルの学力の範囲でもっとも上の場所を厳選した結果だ。

 そこに運動部系の部活動や、あまり力を入れてはいないとはいえ武術系の部活動が存在することは受験をする前から知っていた。だが、そんな自分の嗜好だけで別の道を探すのは、逃げる事と己を断じた。

 幸い、ここ拘束に部活は強制参加というものは存在しない。

 時折、目に眩しい光景はちらつくだろうが、武術の盛んなこの時代ではどこにいても結局は一緒なのだ。ならば多少は静かなほうか勉学にも励めるというもの。

 憧憬の瞳を静かに閉じて、タケルは真っ直ぐと前を向き、眼を開いて歩き出す。

 さぁ、速く勉強を始めなければ。

 あの人の理に外れた兄の力になりたいのならば、次のテストでは学年一位になるほどの気概でなければならない。

 自分は頭が悪いわけでもないが、抜きんでるほど優秀というわけでもないのだ。

 数多くいる優等生たちに自分が勝つためには今からでも勉強をしないといけない。

 そう思いながら、あるいはそう自分に言い聞かせながら。

 タケルはその場を離れようとした。


「なぁ、ちょっといいか?」


 だが、そんな思惑とは裏腹に、見知らぬ男子生徒が数人タケルの行く手を遮るように立ちはだかる。

 ああ、今日はとことん自分の思い通りにならない日なのだな、とタケルが心で嘆いているのも知らずに、最初に声をかけた男子生徒がタケルを何時でも掴みかけれそうな位置まで近づくと凄味の効いた声で告げる。


「あんた、輝橋てぇ奴の御主人さまだろぅ? ちょっと顔かしてくんない?」


 †


 タケルは言われるがまま彼等へと従った。

 やろうと思えば、無視する事もできる。

 彼等はそれぞれ刀や警棒などの武器を携帯していたが、逃げる事も可能だった。

 だが、タケルは素直に彼等の指示通りし、とある場所まで案内される。

 場所は学舎から少し離れた区画。

 小さな体育館サイズの建物が三つほど立ち並んでいた場所であり、その建物一つに案内されたタケルは開かれる扉の共に、中に入るようにと促された。

 タケルが脚を踏み入れると、そこは天井が遠く、ただ空間ばかりが広がる場所。

 体育館と呼ぶには些か殺風景だが、中身がない倉庫というには換気が行き届いており、床も綺麗なフローリングの広々とした空間だった。


「ここは?」

「武術系の部活に貸し与えられる修練場の一つだ」


 タケルは近くの人間に訊ねたのだが、返って来た答えは奥から聴こえた。

 重々しくも、騒がしくもない、豪胆な足音と共に彼はやって来る。

 タケルたちと同じ黒い男子生徒の服装を着ているが、同年代とは思えないほどの貫録を持った強面。身長もここにいる誰よりも高く、体つきも服が張り裂けそうなほど盛り上がっており、布に巻いてある棒状の物体も片手で軽々と持ち上げている。

 まるで巨木にでも相対しているような存在感がある男であった。


「御足労すまない。失礼だが、そちらの者たちは手荒な真似をしなかっただろうか?」


 男の問い掛けにタケルを連れて来た男たちは心外そうに顔を歪める。


葛馬くずまさん、別に俺たちは脅して連れて来たわけじゃありませんぜ」

「戯け。無力な者であったのならば、武器を持った数人が押し掛けただけで脅迫であろう」


 厳しい眼光を向けられて、タケルを連れてきた者たち達は揃って尻込みをした。

 そんな彼等を余所に、タケルは平然とした様子で葛馬と呼ばれた男に語りかける。


「別に俺は気にしちゃあいないですよ。で? 貴方が俺、というよりも──輝橋に用がある人なんですか?」


 そうやって肩を竦めながらタケルに訊ねると、彼は少々驚いた顔で目を見開く


「むっ──輝橋当人ではなく、主の方か。いや、敬語は不要だぞ。むしろ此方が敬語で話すべきかな? 護衛をつけるのだから大層な家柄であるのだろ?」

「別に構いませんよ。家が裕福だからって、俺自身が大層な存在じゃないですしね。先輩、でいいんですよね? 敬語使うのならば、後輩の俺がするのが筋でしょう」

「ふむ、要らぬ気遣いだったか。重ねてすまない。名乗るのが遅れたが俺の名は葛馬一彦かずひこ、二年だ」

「知っているかもしれないですけど、弦木タケルです。で、要件はなんです?」


 名乗りあってから、改めてタケルは本題を切り出そうとする。

 見たところ、自分を連れて来た人間はともかく、目の前の男──葛馬一彦はそれなりの人格者だとタケルは判断した。

 同時に武術の腕は熟練されたものだと察する。手に持っている袋から考えると、得物は長物だろう。

 そんな男が自分、正確にはタケルの護衛である生鐘に用とは如何なるものか?

 仮に一彦が武術系の部活に所属しており、朝の騒動で活躍した生鐘を勧誘することが目的ならば、主であるタケルを通すことで無理強いでも生鐘を部活に引き込むことも考えられた。

 それならば、態々一目の付かないこんな場所に連れ込むことも納得できる。このままタケルを脅迫染みた交渉をするのには最適の場所だろう。

 だが、一彦と男はそのような手段を取る様な人間とはタケルには思えない。

 武器を持って自分を連れて来た人間を叱咤した様子から見ても、その誠実さは窺えた。

 ならば目的は自分を脅して生鐘を引き込むことではない。

 また、誠実な人間であるならば、態々主を通さずとも本人に直接交渉するであろうから、そもそも部活に勧誘以外の目的があると考えた。

 そうやって頭の中で考えを巡らせるタケルに対し、一彦は簡潔な解答を述べる。


「単刀直入に言おう。俺は輝橋生鐘に果たし合いを申し込むつもりだ」

「……訳を訊いても?」


 タケルが眼を細めて訊ねる。

 一彦は一瞬眼を見開くと、難しそうな顔してから首肯する。


「今朝の一件は聴いている。不躾にも同じ二年であり、武術を学んだ者が新入生に馬鹿な行為をしたそうだな。すまなかった」

「それは貴方が謝ることでもないでしょう。で、そこで活躍した生鐘が純粋にどれだけ強いか腕試しをしたい、ということですか?」

「それもある。だが、根本の理由はもっとつまらなく、下世話なものだ。単純に面子の問題で俺は輝橋生鐘に勝負を挑み、勝たなければならない」

「面子?」


 タケルは怪訝に眉を寄せた。


「ああ、面子だ。朝に仕出かした彼等は愚か者ではあるが、同時に二年で皆武術者であり、それぞれ部活に所属している。それが、年の新入生に全く手足も出せなく負けた、というのは正に笑い物だろう」

「確かにそうですね。けど、自業自得でしょう?」


 タケルの言葉に対して、一彦も同意するように頷く。


「そうだ。彼等が愚行によって恥をかくには当然の報いだろう」


 そうやって一彦は厳格な顔を呆れさせながら、「だが──」と続きを喋る。


「──他の武術者まで軽んじられてしまうことは良しとしない。

 朝の一件、それだけで既に武術部の信用は落ち、実力も軽んじられている。

 少なくとも新入生はこの学園の武術者は年下に負けるような弱者だと認識しただろう」

「風評被害ですね」


 言い分は間違ってはいない。

 元々はこの学園はそこまで部活動の中での武術に力がなかった。

 更に朝の一件よって、ここの武術の質が悪いという認識が高まっても不思議ではない。


「つまり先輩は汚名返上のために生鐘──輝橋に勝ちたいと?」

「ああ、その通りだ。今朝活躍したのは彼の他にも一人いたが、彼女の相手は一人であり、尚且つ調べれば誰しも解るほどの実力者だ。あの園原そのはら天花あまかに負けたのならば、情けないことには変わりないが、ある程度は周囲も容認できよう」

 

 一彦の言葉はまたも事実だった。

 朝の一件に携わったもう一人、園原天花。

 彼女は数々の武術の大会で実績を上げているのである。その手のことに詳しくなくても、調べようと思えば誰でも解るような実力を世に知らしめているのだ。


「だが、もう一人。失礼だがそちらの護衛者ガーディアンたる園原生鐘は武術の世界では無名だ」


 そのことも何ら不思議ではない。

 生鐘が無名なのは当然と言えば当然だろう。彼女は今まで都会から離れた辺鄙な場所で鍛錬を重ねており、仮に彼女が何か実績を世に残すようなことをしていればタケルが知らないわけがないのだ。

 そのこと踏まえて一彦は難しい顔のまま語る。


「例えどれほどの修練を重ね、実力があろうとも大衆に解る様な名がなければ無名は不変の事実。その無名相手に数人ががりで負けたのであれば、敗者の程度もたかが知れると思われても仕方ないだろう」


 それは受けるべき真っ当な評価だと彼自身理解していた。

 しかし、納得できないことがあった。

 だからこそ、一彦は自分の想いを吐露する。


「それでも、軽んじられるのは我慢できないのだ。

 確かにこの学園の武術者は弱い。他の高校と比べれば意識も希薄であろう。

 だが、そうでない者もここにいるのだ」


 全員がそうではない。惰性で入り浸っている者も確かにいるのだ。

 武術を不遜な行為ための手段としか見ていない者もいる。今朝の人間がそうだ。

 だが、中には真剣な心で、この学園で力をつけようとする者もいる。

 この学園の名で、己たちの武を示したい者も確かに存在するのだ。


「そいつらは己の関係ない場所で見下されるのを嫌うだろう。少なくとも俺はそうだ」

「誰も先輩を見下したり、弱いとは思ったりしないでしょう」

「俺自身が弱い強いは関係ない。僅かでも、この学園にいる武術を学んだ生徒たちが卑下さることが許せないのだ。弱くとも、自ら望んだ高みに行けぬとも、切磋琢磨に励んでいる者たちがいることを俺は知っている」


 それはタケルも知っていた。

 ここに来る前に見た空手の実演。

 彼は皆、見向きされなくとも、時には揶揄をされようとも懸命と武術に打ち込む。

 彼等の拳は石を砕けぬとも、尊く、真っ直ぐで、ある種の尊さを感じさせた。


「朝の一件によって武術系の部活の評価は下がった。だが、それでも己が武術は輝かしいものであると今も自身の部活、武芸を誇示し、新入生の獲得を励んでいる者たちがいる」


 それはタケルが目撃した空手部の他にもいるだろう。

 皆が皆、意識が高いとは思わない。だが少数、あるいはタケルの想像以上に武に対して向き合っている人間は多いかもしれない。


「あるいは話題の渦中にいる二人何れかを引き込んで、悪評を晴らすことを企てている者もいるな」


 その話を聞いて、タケルは生鐘や天花に対し、勧誘を進める人間を思い出す。

 皆明るい態度で話しかけていたが、あの中には一彦が言ったように必死の思いで懇願する生徒もいたかもしれない。

 なるほど。

 確かにこの学園自体は武術系の部活にあまり力を注いでないかもしれないが、部活をしている生徒達はその中でも努力を重ねているのだろう。

 そういった人間は、皆、武術が好きなのだ。


「俺自身は偶に顔出すくらいで正式にどこかの武術部に入籍しているわけではない。

 しかし、同じ学び舎にいて同じ武を目指す者同士。ある意味において同門である彼等のために何かしたいと考えた」

「それが輝橋と戦うことですか?」

「そうだ」


 それを訊いたタケルは僅かに眼を細める。


「別に先輩が輝橋に戦って勝っても、二年の先輩が仕返しにきたと思われませんか?」

「そういう捉え方をする者もいるだろう」


 一彦は認めつつも、己が描いた可能性を口にした。


「しかし、この学園の武術者が弱者であることは拭えるかもしれない。正当な勝負であれば違った見方もあるだろう。そもそも、俺と朝に粗相をした輩は顔が知る程度の関係だ。ならば仇討と思われることも少ないはずだろ」

「先輩が負けたら恥の上塗りになるかもしれませんよ?」


 あからさまな一彦への侮辱とも取れる言葉を聞いた周囲がタケルを揃って睨む。だが、言われた本人は「だろうな」と認め、「たが──」と続いた。


「──結果など戦った後でしか解らない。行動を起こした先で更なる厄が舞い込むなら、今度はその厄を取り払うことへ行動しよう。目の前に広がる厄が一掃するまで永遠にな」


 ガン! と一彦が手に持っていた長物を床かに叩きつけると、はらりと布がとれて、その全貌を晒す。

 そこには槍であった。

 十文字槍。柄の部分は細かな傷が幾つもあるが、矛先は何処までも研ぎ澄まされている。幾度の戦いを主と共に渡った武器。それは見れば誰しも解るほど、担い手似た勇ましいほどの豪槍であった。

 その豪槍の主は己自身も槍であるかのように穿つ如く宣言する。


「それに言っただろ? これは意地だと。俺は最善を尽くすために行動する、それだけだ。決めたのならば貫くのみ」


 確固とした意志。一彦が手にしている槍同様、彼の意識もその豪槍のように真っ直ぐで、また豪胆であった。


「ゆえに何としても輝橋と試合うために主であるお前を招いた。後はお前が輝橋をここに呼び出し、戦い、勝利する」

「……こんな人目の付かない場所で戦って、先輩が勝っても、それはそれで意味がないのではないですか?」

「あくまで俺個人でしたことでな。人目は避けたい。だが意味はある。無暗矢鱈に流布するつもりはないが勝利とした事実があれば僅かな活路はある」

「…………」


 軽く噂を流して、この学園の武術に対する悪評を少しでも払拭する。

 その事実作りが目的であり、仮にここで一彦が負けたところで、タケルたちが喋られなければこれ以上の汚名は増えない。

 朝の一件の行動で、タケルたちが敗者を貶めるような人間ではないことを考慮しての行動なのだろう。

 いや、と、タケルはその考えを改める。

 負けることを考えてはいないといえば嘘だろうが、少なくとも目の前にいる葛馬一彦という男は敗北を恐れない上で勝利を求めている。

 これで勝ったところで彼に得られるものは少ない。

 ただの自己満足を満たす行為。人によればそれは無駄な所業だと馬鹿にするだろう。

 

 しかし、武術者の中にはそんな人種も珍しくはない。


 名誉や富を得られなくとも、己の技や誇り、魂のために戦い、渇きを満たそうとする。

 タケルが言えば生鐘は承諾し、一彦と素晴らしい名勝負を披露するだろう。

 生鐘の実力は朝の一件で推し量る事ができ、一彦という男も彼自身の体や使い込まれた槍を見れば一目瞭然だ。

 タケルの推し量りでは二人の実力は同等に近い。

 両者が試合をすれば、激しい戦いになるのは間違いないなかった。

 武術に関することを極力避けていたが、その戦いを目の当たりしたいという気持ちがタケルの中に芽生え始める。


 だが──。

 タケルは今一度、脳裏に生鐘の姿を思い浮かべた。

 

 昔、共に駆けまわった姿。再会した時に見せた涙。自分を慕う声。

 タケルの言葉一つで様々な表情を見せてくれる。眩しいまでに嬉しそうな笑顔。それは、成長しても失っていなかった輝きだった。

 その顔を胸に秘めながら、タケルは心を決めた。


「いいですよ──」


 タケルの言葉に一彦は一瞬安堵を浮かべる。

 だが、次の瞬間、その場にいる全員が、タケルの言葉に戦慄した。


「正し、俺に勝てたならで。それでいいですか?」





■あとがき■

 真面目なタイトルより、こっちの方が伸びが良い件。

 感想待ってます。

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