第3話 護衛者


 とある少年がいた。

 

 少年には夢があった。

 好きなことがあり、それをずっと続けていきたいという夢だ。

 全ての人間が一度は抱いて、叶えた者は僅かな、有り触れた理想の形。

 幼い頃、少年は叶わないと知らず、ただ夢を見る心地良さにまどろんでいた。

 夢を手に入れる為、努力しなかったわけでない。

 重ねた時間で言えば、とても長い時間を費やした。

 経験したものは、痛みを伴うものも体感した。

 それでも、瞳に輝きを失わせることなく、彼は研鑽を重ねていた。

 

 しかし、全ての人間が夢を掴めぬように、少年が想い描いた未来は砕け散った。

 だが、願いがけして届かないものになってしまっても、羨望は失っていない。


 ああ、だからこそのだろう──あの日に見た景色が─今にはこんなにも遠い。


 †

 二一二八年──四月 日本、倉木市。


「はぁ、はぁ、はぁ──!」


 朝日が昇って間もない早朝。

 長い階段を上り、鳥居を潜って、境内に一つの人影が足を踏み入れる。

 リズムがあった呼吸は可憐な少女のもの。

 彼女は白くて長い髪を靡かせながら、真っ直ぐと奥まで進む。

 そして、ポケットの中から取り出した五円玉を賽銭箱に入れて、鐘を鳴らした。

 祈る。

 ここ最近と同じ願いを、黙して祈る。

 これは些細な願い。それでも叶えたい願い。

 自身の努力次第ではどうにでもならないことなので、彼女は祈るしかなかった。

 結果は既に出ているだろう。それでも、最後の願掛けとしてここに訪れたのである。

 胸に抱くのは、淡い思い。

 そうやって、しばらく手を合わせて祈りをした後、彼女は来た道を駆け足で戻る。

 願わくは、自分の願いが神様に届きますように。


 †


「はぁ、はぁ、はぁ──!」


 彼女もまた、息を切らしながら走っていた。

 逸る気持ちを抑えながらも、体は正直に目的地まで長い廊下を進んでいく。

 そして、一つの扉の前に辿りつくと、その場で立ち止まる。

 だが、部屋には入らず、扉の前でじっと佇んでいた。

 入るのは合図があってからである。

 呼吸を整えて、身だしなみに乱れがないか確認する。

 問題ない。とは思いつつも、何か不備がないか不安を隠しきれない。

 会いたい人がいた。ずっと会えなかった人がいた。

 その人がすぐ傍に居る。ようやく再会できる。

 後は扉を見据えながら、待ち焦がれた時を待つだけだ。


 †


「っ…………」

 

 空気に耐えられず、ある少年が息を飲んだ。

 弦木本家屋敷。

それは倉木市の住宅地に聳え立つ、豪奢な洋館だった。

 弦木家は古くから武術に優れた人材を世に輩出した武の名家。その一方で遠くの富を築き、現在の世も各界に精通する強大な一族。

 現在では昔から有った弦木家自身が立ち上げた会社で様々な利益を生み出し、更なる繁栄と富を積み上げている。

この貴族でも住んでいる洋館だけでも、片鱗とはいえ、強大な力を示しているだろう。

 日本の古い名家にも関わらず、住む場所は洋式である理由は、建造した代の当主の趣味によるもの。時代によっては奇人に見られた一族だったが、他よりも速い段階で海外文化を受け入れたことによって財をより増やしていった。洋式の風習が染みついたのはこの頃の名残である。

 それでも、柵で覆われた広い敷地内には、瓦の屋根や畳の床など和式で作られた建物も存在する。

 何より、武の名家と言われるだけあって、血族たちは皆、何かしらの形で武術に精通していた。

 習い事で武術の一つや二つを学ぶのは当然のこと。本家、分家問わず、弦木の血筋で武の道に進んだ者のほとんどが達人、あるいはそれ以上の域まで至っている。

 その弦木の本家、直系の血筋である少年は、自分が住む屋敷の一室である人物と相対ししていた。


 少年の名前は、弦木タケル。


 彼は今日から通う倉木市内有名高校の一つ、私立鳴川学園の真新しい制服を着て、目の前の人間を見つめる。

 平均的な身長、能力も同年代の若者たちに比べれば優秀な部類。それは本人の努力と名家である環境が齎したものだろう。

 しかし、彼は弦木家全体からすると、不憫な部類で扱われていた。

 何度も述べたように、弦木家は優秀な武の血筋。

 優れた武の血とは重要だ。それだけで、才能の優劣が決まる。

 弦木家の血筋ならば、例え武術に身を浸さなくとも、持ち前の力だけで大抵の困難を打破するだけの力量はある。

 そんな武の血族の中で、弦木タケルという少年は『欠落』している部分があった。それゆえ、彼は不憫に扱われている。

 だが、理由はそれだけではない。

 彼が息を飲んで相対する相手、その存在は少年と最も近しい存在でありながら、何処までも駆け離れた存在であった。

 そもそも、兆名な傑物たちですら、彼の前では存在が霞んでしまう。


 男は、見るからに常軌を逸していた。


 木製の執務机に両膝をつき、大きな窓から漏れる朝の陽ざしを背で浴びながら、豪奢な椅子に腰をかけて悠然とした笑みを浮かべる。

座った状態からでも解る長身。皺のない黒のスーツ。その下には計算されて造り出した人体黄金比の体があり、顔立ちも性別人種関係なく全ての人間が見惚れるほど端整だ。

 だか、彼が凄まじいのは外観だけの問題ではない。

 男から滲み出ている覇気が、自然と見る者を畏縮させる。

 身内であるタケルですら、目の前の男には常に圧倒されていた。

 この男には、それほどの存在感がある。

 彼は確かに優れた、という言葉すら陳腐に思えるほど、才覚に溢れた存在だ。

 人格も、常人とは違う。

輝かしい容姿、恐るべき能力、そして推し量ることのできない精神。

 瞳に映しただけではその全ては解らぬとも、太陽のように一目でその眩さと熱さを実感できる。


 名を、弦木ジン。


 それが、この男の名である。

 眉目秀麗と威風堂々が合わさった、次元が違う男はタケルの兄。

 そして、この弦木家の現当主である。

 ジンの唇が動いた。それだけで数人の女性が彼に溺れてしまうだろう。

 彼は、多くの者を陶酔させる魔性の声を発し、少々時代錯誤な言葉遣いで目の前の弟に語りかける。


「そういう訳で、タケルには新しい護衛者をつけることにした」

「いや、そういう訳って。兄さん、何も言ってねぇのに結論だけ言わないでくれる?」


 タケルは困惑気味に顔を歪めた。

 ジンはそれを見て、ふっ、と鼻で嗤う。その仕草だけで彼に惚れてしまう乙女たちが増えるほど絵になる光景だが、彼の弟であるタケルにはイラッ! としかこなかった。

 タケルが登校しようと思った矢先での、急な呼び出し。言いたい事があるなら前もって言えよと不満に思いながらも、彼は素直にやって来た。

 そして、「やれやれ、態々説明しないと理解できないのか、我が弟は? よろしい、この兄が特別に説明してやろう」とでも言いたげな鼻嗤いを見せつけられたタケルは、相手が次元違いだろうとも殴りかかりたい衝動が芽生える。

だが、それではまたややこしくなるので、彼は必死に抑えた。

 その内心を見透かしたジンは、その反応を楽しみながら、悠然な笑みのままでタケルに説明する。


「先日、貴君の護衛者していた者が老年のため退役しただろう。

ゆえに新しい護衛者をつけるのに対して、何故躊躇う必要がある?」


 その内容を聞いたタケルは、不満そうに更に眉を寄せた


「確かに爺やは引退したけど、だからってなんで俺に護衛者をつける必要があるんだ? 今日から高校生だし、もう俺だけの護衛なんて必要ないだろ?」


 先にも説明した通り弦木家は力を持つ家柄だ。それに魅かれて善からぬ考えを持つ人間が這い寄って来る事も珍しくもない。

 そんな弦木家の人間を守るため護衛する存在がいる。

 名を《影》。古くから弦木家に仕えし、守るべき主をその名の如く影の如く守ってきた。今現在も一見二人しかいない室内だが、見えぬ場所で多くの《影》達が何時来るか分からぬかもしれぬ外敵に備えてそれぞれ配置についている。

 しかし、それとは別に影ではなく、常に傍に居て守る護衛役も別に存在するのだ。

 ボディーガード。側近。シークレットサービス。

 呼び名はそれぞれで違うは、要人を常に守る存在は珍しくもない。

 当然とは言えば当然。

 隠れて離れた位置で護衛するよりも、見える近くの位置で護衛したほうが効率の良いのは明白だろう。何よりに見える壁というものは外敵に対しても有力な抑止になる。

弦木家の場合、そのような存在は護衛者と呼ばれる。

 つい先日までタケルにもそのような存在がいた。

 横長厚樹。弦木家を守る《影》の中でも古参になる部類で、タケル自身彼を『爺や』と呼び慕いながら世話になっていた。

 その護衛者である横長厚樹は世間では定年を迎える年齢になったため、先日引退。

 代わりの新しい直護衛者の話も聞かなかったため、タケルは自分に新しい護衛者はないのだろうと思っていた。

 しかし、本日初登校をしようとした矢先、ジンに呼び止められて、今の流れに至る。

 不意打ちを食らったので気に食わなさそうにしている弟のタケルに対して、彼の兄であるジンは笑みを崩さず語る。

 

「貴君が護衛者を不要と断じる気持ちは理解できる。私も貴君と同じ年頃の時はそのような存在は煩わしいだけと思っていた」

「だったら──」

「貴君だけ護衛者をなくした場合、もしかしたらユキまで同じことを言いだしかねんぞ」

「む」


 その言葉でタケルが開こうとした口を閉じて押し黙った。

 対するジンは困ったと言いつつ、笑みを浮かべたまま、まったく困った様子が見えない。

 ちなみにユキとはいうのは、今年で九歳になるタケル達の妹である。


「ユキは今の護衛は気に入ってはいる。しかし、万が一、ユキがそう言いだした時の為、事例は作っておきたくないのだ。流石にユキまで護衛者を外すわけにはいかん。

過保護とは自覚していても、最大限の警衛はしておきたいのが兄心だ。

武の栄えるこの時代。不遜な輩から身を守る術を持つ者も多いが、その逆もまた然り、というのは貴君にも理解できるだろう?」


「…………」


 タケルは押し黙る。

 妹も年頃になったので、自分と同じく周囲の目を気にしているのかもしれない。

 むしろ女性であるから男である自分よりも感度が過敏だろう。


 だが、この世の中、何があるか解らない。


 ジンの言葉通り、多くの人間が自衛のために武を身につけていることはあるが、不遜な人間が鍛えた武と共に害を振りまくことのあるのだ。

 弦木家は名家の一つであり、その血族であれば通常の人間よりも狙われやすいだろう。

 タケルとしても安全のため、妹の警護はしてほしい。

 だが、そうなると自分だけ不要と、と文句を言う訳にもいかなくなってしまう。


「そんな顔はするな。私も愛する弟のために最大限の配慮をした。故に認めろ」

「許せ、じゃないのかよ。そこは?」

「可笑しなことを言う。私は何か貴君に対して何か不利益な事でもしたか?」

「いや、単なる御配慮だな。今後とも素直に護衛者にお世話になりますよ、お兄さま」


 そうやってタケルは皮肉気味に言ったが、ジンは特に気分を害した様子も見せず頷く。


「よろしい。ならば、そろそろ新しい護衛者に入って来てもらおう」


 その言葉で部屋の出入り口、タケルが背にした扉が開かれる。

 タケルは部屋で会話している途中から、外で誰かが待機していることは把握していたので、タイミングを見計らって入室することには特に反応はなかった。

 

 ──だが、現われたその人物を目の当たりした時、タケルは自分の目を疑った。

 

そこには自分と同じ鳴川学園の男子制服を着ていた人間がいた。

 歳はタケルと同年代。

身長はタケルよりも低い。肩まで伸びる艶やかな髪に人形のような綺麗な童顔。両腰に刀を納めた鞘がぶら下がっていなかれば本当に護衛者なのか疑うだろう。

 しかし、タケルは目の前に現われた人物を見て、弱いとは感じなかった。

 出で立ちに隙がないこともそうだが、自身の直感に間違いがなければ、自分はこの人物を知っている。

 そして、新たに現われた若者はタケルを見た瞬間、瞳を潤ますとそのまま膝をついて、呆然と立ち尽くすタケルを見上げた。


「再び御会いする日を心待ちにしておりました。タケルさま……」

「お前、まさか、生鐘うがねか?」


 タケルがそう訊ねると、生鐘と呼ばれた者は眼を輝かせて驚く。


「何と!? 数年も会っていなかった僕のことを一目で解るなど、身に余る光栄です!」

「いや、それはお前も───って、何で泣いている!?」


 生鐘と呼ばれた者は微笑みを浮かべながら、その大きな瞳から涙を流していた。

 驚愕するタケルに対して、当の本人は今気づいたかのように頬に流れていた滴を拭う。


「申し訳ございません。心が高ぶる余り、タケルさまの前ではしたない姿を……」

「いや、はしたないとかそんなことないから。だ、大丈夫か?」

「嗚呼! このような僕なんかにその様なお言葉をっ! 相変わらず心がお優しい御方だ。幼き頃から想っていましたが、やはりタケルさまは素晴らしいです!」

「なんつうか、お前も相変わらずだな」


 驚きは何処かに行き、タケルは多少大概な気持ちで此方にキラキラとした眼差しを向けている生鐘を見下ろす。

 輝橋(かがやばし)生鐘。弦木家と輝橋家は昔から付き合いがあり、その流れでタケルと生鐘も幼少の頃から交流があった。

昔はほとんど毎日一緒に過ごしており、その頃から生鐘はタケルを慕っていた。 

 生鐘が数年前に地元から離れてからは会う機会が無くなったものの、手紙のやり取りで交流は続けていた。

 そして、数年ぶりに直接会った幼馴染に対してのタケルからの印象は、あの頃のままの生鐘がそのまま大きくなった、という感じだった。

 昔から、やたらタケルの後に付いて来て、褒め称えては、世話したがる。

 別に生鐘は大人たちのように弦木家の人間に付き従うようにと教育も命令もされてなかったのだが、気づいた時には生鐘は忠誠心の塊かのようにタケルの傍に居た。

 タケルとしては昔から付き合いが長い幼馴染だと認識しており、離れてから行った手紙のやり取りでは、ここまでの過剰な物堅い印象なかったので変わったのだろうと思っていたが、実際に数年ぶりに会うと以前同様かそれ以上の忠義ぶりである。

 タケルは久しぶりに再会した生鐘を見て、人は中々変われないものだと半ば諦観と残りは懐かしさの安堵を抱く。

 そこでようやく多少の落ち着きを取り戻したタケルだったが、改めて状況を確認すると疑問が浮かび上がった。


「生鐘」

「はい。なんですか、タケルさま?」

「その格好は何だ?」


 タケルは生鐘が着ている自分と同じ鳴川学園に通う男性生徒の制服を指差した。

 その『可笑しな格好』にタケルは不可解な気持ちを隠せず顔を歪めており、生鐘は不思議そうにしながら坦々と説明する。


「これですか? 僕も本日からタケルさまと同じく鳴川学園に入学することになっています。護衛だけではなく、同じ学校に通えるなんて夢にも思ってませんでした」

「俺も思ってなかったよ」


 気が滅入った顔をタケルが浮かべると生鐘は不安そうに尋ねる。


「……御不満ですか? ならば、脱ぎましょう」

「何故そうなる!?」


 突拍子もない返しにタケルは戦慄した。


「僕が同じ制服を着ていることが御不満のようですので。そうですね、僕なんかがタケルさまと同じ物を着るなどおこがましいにも程がありますよね……」

「待て待て!」


 いそいそと脱ごうとする生鐘。

 シャツの中身が露わになる前に、慌ててタケルは生鐘の両腕を掴んだ。


「脱がんでいいから! そのままでいいから! ていうか節操を持て!」

「お言葉ですが、タケルさま。僕もタケルさま以外ではこのようなことはいたしません」

「兄さんがいるだろ!」

「ジンさまでしたら先程から席を外しております」

「いつの間に!?」


 驚愕するタケルだったが、すぐに冷静になる。

彼の兄は強烈な存在感を常に放っているが、やろうと思えば気配を断って誰とも知れず去ることも可能であろうと納得した。

 兄は兄なりに気遣ったことかもしれないが、タケルとしては気を廻し過ぎだと考える。

 苦渋の顔で恐らく扉の外に居るだろう兄に対し、タケルが気配を向けていると、何やら生鐘が頬を赤らめながら顔を横に逸らす。

 その様子に気づいたタケルは生鐘に不可解な視線を戻した。


「……生鐘、どうした?」

「あの、タケルさま。タケルさまの御手で脱がせたいのでしたらどうぞ、ご自由に」

「なんでそうな────っと悪い!!」


 状況を把握したタケルは慌てて生鐘の両腕の拘束を解放し、勢い良く後退するものの、そもそも何故自分が謝るのか腑に落ちなかった。

 残された生鐘は湯から逆上せたように頬を赤らめたままで、顔も視線を逸らしたままおずおずと喋り出す。


「タケルさま。タケルさまも立派な青少年に成長なさったので『そういうこと』に興味津々であっても不思議ではありませんし、それは人間男児にとって当たり前の生理現象であって何も恥じる必要もなく、タケルさまが望まれるのでしたら不得手ではございますが誠心誠意『御奉仕』をさして頂く所存ですが、僭越ながら申し上げますと何事も情事には順序が大切かと想いますが、タケルさまがどうしても欲求を抑えられないと言うなら僕は──」

「待ていぃい! それ以上は言うなっ! そっから先は絶対に言うなぁああ!」


 タケルが気合いを入れて大喝すると、生鐘はぴしゃりと口を閉じて、じっとタケルを見つめていた。

 強く言い過ぎたかと後悔しながら、タケルはばつの悪そうに息を切らしながら言う。


「はぁ、はぁ……ったく、おいそれとそんなことは言うなよ。お前は『女の子』なんだから、俺が変な奴だったら危ないぞ、本当に。少しは自分を大切にしろ」

「ああ、僕を気遣ってくれるなんて! 貴方様のためならば僕は全てを捧げられます!」

「お前、全然反省してないだろ……」


 自分の両手をぎゅっと包むように握りながら、キラキラとした視線を送ってくる生鐘を、タケルは呆れながら見下ろす。

 

輝橋生鐘は女性なのだ。


タケルと同じ私立鳴川学園の男子生徒の黒い制服を着ているが、紛う事なき女の子。

美少女といっても過言ではない。それなりの身だしなみをすれば、見惚れる人間は少なくないだろう。昔から綺麗な顔立ちはしていたが、その魅力は格段に成長していた。

 それに加えて自分に対しての心酔が増長している。タケルは年頃の青少年であり、自制は当然するものの、魅力的な相手がこんな態度では何かの手違いで一歩踏み外しかけない。

もっとも、生鐘が自分に対して大きな信頼を寄せているからこその態度なのだ。

ならば、その信頼を裏切るような間違いは起こすまいとタケルは心に誓った。

何故ならば、タケルにとって生鐘も、大切な存在の一人なのだから。


「タケル。それに輝橋生鐘」

「うぉ!」

「これはこれは、ジン様」


 先程まで席と外していたはずのジンが、いつの間にか二人の近くに立っていた。

 突然の登場にタケルは同様したものの、生鐘は平然とした様子である。


「ほう……」


 そんな二人を興味深そうに交互に眺めるジンにタケルは口をへのにして文句を言う。


「に、兄さん、いきなり現われて驚かすなよ……」

「私としても愛する弟が久しぶりに再会した友人との逢瀬に水を刺す様な事はしたくなかったのでな。先程までは席を外していたのが──」

「別にそんなことしなくてもいいんだけど……」

「お気づかい感謝します」

「──そろそろ、家から出ぬと学校に遅刻をするぞ?」

「なっ!?」


 ジンの言葉にすぐさまタケルは部屋に設置されている時計へ目を向ける。

 時間は八時十五分。入学式の時間は九時からであり、ここから学校まで普通に徒歩で行けば最低でも四十五分はかかるので本当にギリギリの時間だった。

 謀られた。とタケルは瞬時に結論した。

 未だ自分は生鐘の護衛者を完全に認めていない。

生鐘と再会したことは喜ばしいが、自分の護衛者になることは話が別だ。

その問答を封じるためにジンはギリギリまでこの事を隠していたのだろう。普通に考えれば同じ制服を着ている生鐘もタケルと共に鳴川学園に入学する。ここで拒否して生鐘を家に残すわけにもいかない。


「時間が惜しいのならば私が車を出すが?」

「断る。金持ちも通う学校だし、車での登校なんざ珍しくもないだろうが、アンタが来てしまった日には目立ってしょうがない」


 タケルは過剰に目立つことを好ましく思っていない。よって悪いとは思っていても、兄が入学式に保護者として出席することも辞退してもらっていた。

 これほどの存在感に満ちた男が学校に現われれば、それだけで軽い騒動になるだろう。

 いや、確実になる。何故なら前例があるからだ。

 中学校の時、ジンがタケルの入学式に保護者として参加したが、ジンの常識外れの容貌と滲み出る覇気により姿を見ただけで卒倒する者や、自分の家族そっちのけで彼の姿を眺めた人間が多発、最終的には閉会と共にジンの元へ殺到する者が絶えなかったのだ。


「やれやれ、我が弟ならば恥ずかしがり屋なことだ。弦木家の男児たる者、常に堂々していろと貴君も父上から言われていたであろう?」

「おいそれと目立つものでもないとも言っていたよ。どうせ兄さんのことだ。車を出せる人間は自分しかいないように根回しもしてるんだろ?」

「人聞きの悪い言葉だが、私以外にこの家で貴君等に車を出してやる人間がいないことは事実だ」

「あぁ、そうですかぁ……」


 根回したことも否定していない。最早、選択肢はないのは明白だ。


「仕方ない。マジでそろそろやばいから行くっ! 生鐘も準備しろ!」

「!? はい、どこまでもお供します!」


 満面の笑みを見せる生鐘を確認してから、タケルは部屋の隅に置いてあった自身の鞄を担ぐように手に取った。


「タケルさま、鞄を御持ちします」

「必要ない。それよりも生鐘の鞄は?」

「廊下に置いてあります」

「そうか、なら行くぞ。兄さん、いってきます!」

「では、ジンさま、行ってまいります。タケルさまのことはお任せください」


 余計な根回しをしてくれたが、タケルはジンに律義に挨拶して、生鐘もそれに続く。


「ああ、行ってくるがいい。道中、気をつける事だ」


 部屋から飛び出し、駆け足で廊下を走り去る二人を見ながらジンは言葉を投げかけた。

 タケルは急ぐ。

 時間がない。ギリギリ間に合うかもしれないが、それはかもだ。

 不測の事態など、万が一よりも高い確率で起きるものなのでタケルは少々無理しても急ぐ事にした。


「生鐘、少し走るぞ。ギリギリ到着は避けたい」

「!? しかし、タケルさま───」


 心配げな顔を浮かべる生鐘を余所に、タケルは『少し』本気を出して、速度を上げる。

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