第2話 無関係な非日常


 二一一七年──十一月 某国。


 ヨーロッパ内にあるこの国は、数年間、内部抗争で血の歴史を歩んでいる。

 だが、それは水面下なものであり、一般的被害は極少数に留められていた。


 しかし────ある冬の晩。


 一つの爆発が、ギリギリのところで保たれていた平穏を砕いた。

 現の政策に異議を唱える反対派が現国代表と為政者を襲ったのである。

 突然の来襲は悲劇と暴動を連鎖させ、首都が戦禍の紅蓮の炎に包むことになった。

 爆撃が建造物を破壊する。

 砕かれた破片で人間が潰された。

 自分の敵である人間を、手にした武器で、身に付けた武術で葬る。

 殺せ。

 殺せ。

 殺せ。

 刃向う者は全て敵だ。

 力を持たぬとも、我等の意に反する者は老若男女問わず葬れ。

 武力を携えた人間は同国の血で自らを汚し、獣のように雄叫びを上げる。

 この場でもっとも多く消費される命は、そこに住んでいた人民だった。

 数時間前までいつもの日常を過ごしていた彼等は、爆撃音の共に平穏を奪われる。

 誰かが断末魔を上げた。

 泣き叫びながら逃げ惑う。

 避難誘導は行われていたが、突然の襲撃で国の対応は遅れていた。

 ただ己の道を歩んでいただけの人間が、何百もその生涯を強制的に終わらせる。

 極限まで磨耗された理性は焼き切れ、狂った行動を起こす者まで出現した。

 もはや何が正義で何か悪なのか定まらない。燃える炎の影で、己の欲望を叩きつけるものがいる。混乱によって裏切りと殺戮が激増する。

 

 そんな地上の地獄にて、五歳になる少年は幼馴染の少女を連れて、炎の中を走っていた。

 

 少年は青い瞳で、何処に繋がっているか解らない先を見て走る。

 時折自分の赤毛の前髪が鬱陶しい。そんな少年の背中を、少女は同じ青い瞳で追いながら、煤で汚れたブロンドの髪を靡かせていた。

 彼等の両親の姿はいつの間にか居なくなった。

 死んだか、はぐれたか。

 それを考える時間を世界は与えてくれない。

 速く安全な場所へ逃げなければならいと、少年は生存本能に身を任せた。


「あっ!」


 途端、少年が必死に走っていると、後ろで引っ張っていた少女が転ぶ。

 先行する少年の駆け足に合わせるあまり、脚が縺れてしまったのだ。


「大丈夫?」


 慌てて少年が駆け寄ると、少女が足を擦り剥いて怪我をしていた。

 少年が手を差し伸べても、少女は一向に立ち上がらない。

 足の怪我は立ち上がる事が出来ないほどのモノでなかった。

 しかし、体力が限界だった。少女は苦しげに息を乱すばかりで一向に動かない。

 足手纏いだと、少女は理解した。

 しかし、自分を置いていって欲しいなど、怖くて言えない。自己犠牲を五歳になったばかりの少女に求めるのは酷だろう。

 寂しくて、怖くて、泣きだしそうになり、振りほどかれる事を恐れながら、震えた手は少年の手をしっかりと掴んでいた。

 そんな内心を知らない少年は、彼女が動けないことを解ると、何処か隠れない場所がないか探した。

 自分もそろそろ体力の限界だ。闇雲に走るよりか、地下で身を潜めた方が安全ではないかと、立ち止った事で考える余裕もできた。

 

 少年が周囲を見渡すと、ある光を見つけた。

 

 最初は星かと思った。

 だが、周りの炎で明かりを灯された街中では、夜天の輝きを地上から眺める事は困難だ。

 その輝きは、少年が今まで見た事があるどんなものよりも、眩しかった。


 黄金。黄金の瞳だ。 


 本来、琥珀の瞳が、炎に照らされた事で鮮やかな黄金に輝いている。

 黄金の瞳を持つ存在は、少年の遥か先、とあるビルの屋上から下界を眺めていた。

 少年の目からはその全貌が距離からして、はっきりとは解らない。

 それでも、遠目でも解るほど、その存在は壮大であった。

 若い男だ。この国の人間ではない。

 いや、その端麗な容姿は同じ人間ですら思えない。

 絢爛にして苛烈な威容は、他にも彼に気づいた全ての人間が、皆、言葉を失うほどだ。

 長い髪を夜風に靡かせて、男は無言で炎に彩られる街を見下ろしている。

 隔離された空間から眺める様に、悠然とした王者の姿勢。

 遠く聞こえる悲鳴や破壊の音を耳にしても、男は眉ひとつ動かさなかった。

 絶対者のような荘厳の姿は、遥か彼方昔に存在したと云われる、悪魔か。神か。

 少なくとも、この惨状を眺めて口端を緩めているのを見ると、悲劇に嘆く聖者ではないことは確かである。

 不意に──、男の瞳が、自分を見上げる少年の姿を映す。

 見られて少年は、戦慄した。

 距離からして、確りと自分の姿が相手に解る筈が無いのにも関わらず、少年は身動き一つとれない。

 周囲の炎が周りの空気を奪っていたが、それとは別次元の息苦しさが、体を蝕んだ。


 だが──、その戒めは、頭上の瓦礫が崩れた音で解かれた。


 慌てて見上げると、今まさに自分達の近くにある古い建物が、度重なる衝撃で崩落しかけるとこだった。

 今から走れば逃げられる。

 だが、少年はしゃがみ込んで、少女を背負った。

 戸惑う少女を無視して、何とか少年は立ち上がる。

 しかし、疲れた足では思う様に前に進まない。

 途端、彼等の近くにあった建物が、完全に崩壊した。

 一瞬の間に二つの幼い命は、瓦礫と共に埋もれて消える。

 世の中には、この現状でも逃れられる人間がいるらしいが、少なくともその少年はそのような人種ではなかった。

 次の瞬間には、自分達が死ぬ事など考えていない。

 ただ、不安で、心細くて、耐え切れず、こんな世界から逃げ出したくて、叫んだ。


「助けて!!」


 ここで彼等の命運が決定する。


「よかろう」


 聞く者に影響を与える、魔性の声。

 それを聞き、初めて少年は先程自分が見上げていた男が、何故か目の前に立っていたことに気づく。

 夢でも見ているかと思った。

 男と自分の距離はかなり離れていたのだ。世の中には時速百キロ以上で疾走する人間もいるそうだが、そのような人間でも同じ距離を瞬時に詰めることは不可能。

 少年が呆然とする。その間に自分達を潰そうとしていた瓦礫の山が砂塵の如く消えていたことにも全く気付けなかった。

 原因は、少年の目の前に立つ男。

 いったいどんな魔法でも使ったのか、男は数百メートル離れた距離を一瞬で消失し、崩れた瓦礫を微塵に砕き散らしたのだ。

 男が少年たちを助けたのは、ほんの気まぐれだった。

 助けを呼ぶ声に応じたが、それを聞いて救ったわけでもない。

 ましてや突然正義の心が芽生え、慈善行為を行った訳でもなかった。


 男には弟がいた。


 だが、この少年が彼の弟に似ていたからなど、そんな理由で彼は助けたのではない。

 愛する家族。愛する弟少年は、その弟と歳が近そうだった。

 だから、助けた。

 たった、それだけの些細な理由で、彼は少年の命を助けたのである。

 しかし、彼の救いはそれだけに終わらない。

 彼はたった一言だけで、少年の願い全てを理解し、聞き届けた。

 見も知らぬ少年が求めたのは、この世界からの脱却。

 ならば、この炎に彩られた世界を壊そう。

 行うならば、徹底的に。完膚なきまでの絶対を作り上げる。

 男は誰に言う訳でもなく宣言した。

 それを行う自身への鼓舞ではなく、当然のことをするための儀礼式。


「では開戦だ。抗いたい者はついてこれば良い。無論、傍観者でも構わん。私は、私が降した決定を実行するのみ」

 

 そして、いつの間にか男は、少年たちの目の前から消えていた。

 今宵、下界に降臨した超越者は、気まぐれで煉獄を駆け巡る。


 生き残った無力な民は、彼が眩しき救世主に見えた。

 だが、仇なす者は、彼が無慈悲な悪魔に見えただろう。


 某国で数年続いた争いは、一人の異邦人が、たった一夜で幕引きをした。

 救世主とも悪魔とも呼ばれた男は、現代において英雄を呼ばれることになる。

 

 そして、彼の者の軌跡は、今のまだ続いていた。

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