F:鍵

 眼球型機械、eyesroidアイズロイドは、もう少しでできそうだ。サクラの要求、あと2ミリ小さく、は性能を考えると難しくはあるが、クリアできそうだ。

 アキは自宅の作業台で、製作途中のeyesroidアイズロイドをケースに収めた。

 こっちの作業に集中しすぎて、監視チップのLABの締切を、もう過ぎている。

「まぁ、催促されてないし」

 ただ、催促されない理由に、思い当たるフシがある。

 それが、目の前に静かに鎮座するこの眼球。

 先日、LABで調整をしているときに、最初に会ったあの男に、突然声をかけられた。


―― 面白いものを作っていますね ――


「さすが、軍人……ってことか?」

 声をかけられるまで、まるで気づかなかった。集中していたのもあるが、物音ひとつしなかったように思う。

 しかし、あれは、監視チップを見に来たのではない。確実に、このeyesroidを見に来たのだろう。わかっていて見に来た、そんな表情、そんな態度だった。

「すでに、監視してますって?」

 監視チップの依頼を受けてから、サクラと協力して探しているものがある。

 20年前に4区で行われていた、研究の資料だ。そこに、リュータにつながるデータがあれば、取り出して消去しておく必要がある。ここに、いられるうちに。

 4区はアナログ世界だったとはいえ、研究をしていたのは、こちらの世界。おそらく、データはあるはず。あの若い男が、20年前の研究を知っていて、サクラの著書に興味を持ったというのなら、十分にあり得る。

「なぁ、リュータ?お前に、あそこは似合わない。自由でいてくれ」

 できることなら、珪と共に。

「俺たちに、監視、なんて合わないだろ?」

 始まりは、サクラの著書。LABに興味を示され、サクラの出入りから、恐らくは、自分の仕事が結びついた。そして、自分の存在は、同期の珪を引っ張って、サクラも自分も、身動き取れない。

 eyesroidは、彼らに引き金をひくきっかけを与えてしまったのかもしれない。そもそも、これを世に出す気はないのだ。LABを知ってしまった、今の自分としては、なおのこと。

 作り出したことに、後悔はない。悔やむのは、リュータのデータを見つける前だということ。

 これ以上、あそこに長居をすれば、本当に抜けられなくなってしまう。

 あと少し、時間がほしい。データを盗み出し、サクラを説得して、そして――――。


*  *  *  *  *


「えー、グロいぃ……」

 嫌そうな顔と声音にもかかわらず、リュータは、アキが持ってきた試作品を、ケースごと掲げて眺めていた。

 eyesroidを見せた時のサクラと同じリュータの反応に、アキは、半ば呆れ顔で目の前の彼を見た。半月ぶりに、アキは珪とリュータの元を訪ねていた。自宅近くにある、創作和菓子屋のいちご大福を手土産にして。

「グロいって割には、がっつり観察するんだな?」

「うっわぁ。目玉が浮かんでるぅ」

 気持ち悪いと言いたげな顔のまま、角度を色々変えて、リュータは、観察を続けた。

 彼のとなりで、好物の大福を片手に緑茶を飲む珪が、やや興味を示していた。

「これって、いつだったか、サクラと話してたアレ?」

 アキは、珪の言葉に嬉しそうに笑った。

「そう。まだ、完成じゃないけどな。サクラが名前つけてくれてさ」

「なに?」

「なに?」

 珪とリュータの声が揃う。

「eyesroid。アイズとアンドロイドでeyesroid」

 珪は、「へぇ」と呟いて、リュータから眼球型機械の入ったケースを受け取った。

「すっげー。良くできてるなぁ。目玉にしか見えない。いつの間に、っつーか、どこでつくってたんだよ?」

 珪の問いに、アキは、さらりと答えた。

「LAB」

「マジか……」

 半分呆れぎみに、珪はアキを見た。

 LABは、政府機関だ。私的に使っていい場所ではない。そもそも、バレたら利用されるのがオチだ。

 実際、サクラが今そんな状況なのだから。

「わかってるって」

 アキは、そう言って爽やかな笑みを浮かべた。珍しく大人の表情で。

「俺にも、色々考えがあんの」

 そんな顔をされたら、珪も、何も言えなくなる。

「でさぁ、しばらく泊めてくれない?」

 アキのお願いを聞いて、珪は、手元のいちご大福を見つめた。テーブルには、まだ、箱に入ったままのいちご大福がある。大福の片側に切り込みが入り、そこから、つややかで真っ赤ないちごが覗いている。大福の中にいちごが隠れている、翠晶堂のいちご大福とは違うタイプの大福だ。

「なるほど、そのためのコレか……」

「アキ、泊まるの?!やったぁ!」

 リュータは、単純に喜んでいるが、珪は、何かあるだろうとアキを見つめていた。

「珪ちゃん、」

 アキが、まだ口をつけていない大福の中から、いちごをつまみ出す。

 満面の笑みを浮かべて、正面に座る珪へ身を乗り出して、指の先でつまむいちごを差し出した。

「はい、口開けて」

「は?」

「は、じゃなくて、あー」

「あー?」

 訝しげなまま、珪は聞き返す形で口を開いた。そこに、問答無用でさしこまれる、大福の中にあったいちご。

 珪は口いっぱいになったいちごを、斜め上を向いてモグモグ噛み締めた。爽やかな甘さが、口の中に広がる。

「幸せの味。うまいだろ?」

 アキの言葉に反応したのは、珪ではなく、リュータだった。

「いーなー。アキ、俺もー」

「はいはい」

「あーん」

 同じようにいちごを頬張らせてもらい、リュータは、とろけたような表情で味わっている。

 珪が、それを見て小さく笑った。

「幸せの味、したか?」

「ものすっごく」

 答えを聞くまでもなく、リュータは、「幸せ」を噛み締めているようだった。

 ただ友だちのところへ遊びに来たわけではないことは、珪はわかっていた。それでも、それが、思うほど深刻ではないとも、珪は考えていた。

 その日の夕食は、豪勢なものとなった。

 珪がアキに何が食べたいか聞き、それにリュータが便乗し、栄養素的にはどうなんだ、と、珪の配慮が加わり、いつの間にか、宴会のような状態となっていたのだ。

 アキが滞在する間の部屋は、珪の料理中に、リュータが用意した。とはいえ、2階奥の客室に、布団を用意して、予備の歯ブラシといった必要品を出してきただけではあるが。

 友だちと一緒に過ごす時間が、積み重なっていく。大切な思い出が、増えていく。リュータには、それが嬉しくて、アキの泊まる客室で、一緒に寝ると言い出した。

 アキも、あの瞳を見ると「NO」とは言えず、リュータは客室で眠っている。

 夜中、アキは、1階のPC関連の置かれたスペースから、デスクチェアに座り、斜め上にある客室を見上げた。

「珪ちゃんが甘くなるのが、分かる気がしてきた」

 PCは起動していて、画面にはたくさんの記号がならぶ。珪の許しをもらい、アキは、作業を進めていた。eyesroidのプログラムデータを。

「アッキー、なにやってんの?」

「うわぁー!!」

 突然、リュータがアキの肩口からひょこっと顔を覗かせた。ここの階段は鉄製で、登り降りをするときには、カンカンと高い音をたてる。考え事をしていたとしても聞こえるはずなのに、まるで気づかなかった。

 振り返ると、アキの驚く顔を見て、楽しげに笑うリュータがいる。

「タローちゃん、驚かさないでよ。心臓止まるかと思ったわ!」

「あはは。ごめーん。気づかれないように歩くの、俺得意なのー。ドロボーだからね」

 言いながら、リュータは、アキが座るデスクチェアの背に手をかけて、PC画面を覗いた。

「寝てたんじゃなかったの?リューノスケくん?」

「だって、起きたら、アッキー、いないんだもん。これ、何のデータ?」

「おめめのプログラム」

「おめめ?って、昼間見せてくれたヤツ?」

「そう。色々ね、弄ってあげなきゃいけなくて」

「手のかかる子なんだねぇ」

「まぁねー。もうちょいやってるから、タローちゃん、寝てな?」

「……アキ、部屋に戻ってくる?」

「もちろん」

 アキの言葉を聞いて、リュータは、安堵の笑みを浮かべた。

「おやすみ、アキ」

「おやすみ、リュータ」

 リュータが、パタパタ足音をさせて2階へ戻っていく。それを少しの間見送って、アキは、作業に戻った。

 2階に戻ってきたリュータは、吹き抜けとの境の柵に両腕を預け、階下を見下ろしている珪を見つけた。彼は、戻ってきたリュータを笑顔で振り返ると、体を反転させた。

 リュータが近づいていくと、やや乱暴に頭を撫でられた。

「安心しましたか?」

 珪の問いに、リュータは、少しむくれ顔で答えた。

「しました……。起こして、ごめん」

「いいよ。おやすみ」

「ありがとう、珪ちゃん。おやすみ」

 リュータは、自室ではなく客室へと入っていった。

 それを見届けて、珪は、数分前を思い出して小さく笑った。

 数分前、そっと1階に降りる前、リュータは、珪の部屋に忍び込んでいた。

 眠っていた珪は、ぼんやりと目を開けて、あるはずのない隣からの寝息に、心底驚いて半身を起こしたのだ。見下ろした先にいたのは、枕を抱えて眠るリュータで、珪は、盛大にため息をついた。起こして訳を尋ねると――――。


―― アキがいない……。――


 リュータは、眉尻を情けないくらいに下げて答えた。珪は、自室へ戻る際に、アキからPCを使っていいかと訊かれていたので、1階で作業しているであろうことが、すぐに予想できた。


―― 起きたらいないんだもん……。さみしー。ここで寝るぅ ――


―― 下行ってみろ。どうせ、PC使って作業中だ ――


 いくらリュータが小柄とはいえ、狭いベッドに、大の大人、しかも男が2人は厳しいと、珪がアキの居場所を伝え、先ほどのやり取りへと繋がる。

 あくびをひとつ漏らして、珪は、一度1階を見下ろして、部屋に戻った。

 ここでなければ、できない作業なんて、正直想像もしたくない。ただ、親友の行動を信じるしか、珪にはできなかった。


*  *  *  *  *


 アキが珪宅で寝起きするようになってから、1ヶ月が過ぎた。

 1階のソファーにうつ伏せに寝転がり、リュータが1人唸っている。

 PCのスペースをアキが作業に使っていて、珪は、やることなく、リュータの向かいのソファーで、雑誌を見ていた。

 唸るリュータの手には、ケータイ。

 なんとなく、珪にはその理由が思い当たる。

「唸っても、穴空くほど見つめても、画面は変わんないぞー?」

 珪が、雑誌に視線を戻して指摘する。リュータは、さらに大きな不満の声をあげた。

「あー!サクの返信がなーいー!」

 半ば拗ねているような、半べそのようなリュータの声に、アキが困ったように笑って、振り返った。

「あいつ忙しいと、プライベート忘れるからなぁ」

「えー?!忘れられてんのぉ?」

 リュータの顔は、ますます泣きそうになっている。

 そこへ、珪がだめ押しをする。

「優先順位は、下がってるかもな」

「サークぅ……」

 項垂れて、ソファーに顔をうずめるリュータに、アキが仕方ないと言うように声をかけた。

「明後日、LABに行かなきゃいけないから、ついでにサクラに伝言してきてやるよ」

「……花束持って現れて、って言っといて」

「了解」

 答えて、アキは珪と顔を見合わせて、2人でやれやれと言うように笑った。

 とはいえ、アキも心配をしていた。

 メッセージも見ていない。ウチには帰ってない。史那の診療所にも、行ってない。もちろん、遊びにも来ない。今まで、こんなことはなかった。

「(集中してるだけならいいけど、なんかあったか?)」

 LABという場所を思えば、何があってもおかしくはない。

「(急いだ方がいいかもな……)」

 考えていることがある。これからやろうと計画していることがある。未来さきを考えて計画していることではある。

 しかし、実現した時のこの2人を思うと、特に、リュータの気持ちを思うと、アキの胸は痛んだ。

「ねぇ、アキー」

 ソファーに膝立ちになり、背に体を預けるようにして、リュータがアキに声をかけた。

「んー?」

「LABって、どんなとこ?」

 アキは、手を止めて振り返った。

「なに?突然」

「だって、LABって、国際政策機関の研究施設なんでしょ?しかも、アキもサクも行き来できる距離。この辺に、そんなのあったかなぁ、って」

 アキは、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。

「不自然な中に、ひっそりとね」

「不自然な?なにー?なぞなぞー?」

 アキは、愉しげに笑って続けた。

「でも、真っ白なとこだから、好みは分かれるかもな」

「床も壁も真っ白?」

 リュータは、ソファーの背を正面にぺたりと座り、背に顎を埋めた。

「んー。床は明るい色の木で、壁が白いの。でも、印象は、白」

「じゃあ、サクのいるとこも、そんな感じ?」

「あー。似たような感じ。俺、あんまり好きな空間じゃないんだよなぁ。あちこちにカメラあるし、扉には指紋やら静脈やら、網膜やらのセキュリティもあるし、鬱陶しいったらないの」

 リュータは、アキからの情報を頭に刷り込むように、小さく小さく呟く。

 アキは、デスクの方へとチェアを回し、作業に戻った。

「アキ、サクに会いに行く度、毎回セキュリティをあちこちクリアしてんの?」

「近道教えてもらったから、そっち通ってる」

「……近道」

「構造、複雑でさ。いくつか入り口あるから、間違えると大変なんだよ。サクラに会う時は、先にそっち行くようにしてんの」

 リュータは興味津々の顔をして、無邪気に聞いているが、向かいのソファーで雑誌を手にしたまま2人の様子を見ていた珪は、気づいていた。アキとの会話が始まる前のあの顔は、ドロボーの顔。この会話は、情報を拾うもの。

「でも、そこもセキュリティはあるんでしょ?」

「外から入るのに、ナンバー入力いるけど、それだけだから。入っちゃえば、研究棟だしな」

 それでも、構造は複雑だと、アキはぼやいた。

「アキ、設計図とか得意だったよね?描いて、描いてー」

「今?」

「それ見て、サクのこと思うから。あ、アキの働く場所も忘れないでね」

「わかったよ。待ってろ」

「はーい」

 ソファーに座り直すリュータを見て、珪は心の底から思った。

「(小悪魔……)」

 正面にいるリュータは、満足げに笑っている。

 テーブルに置いていた珪のケータイが、不意に光る。メッセージを受信したらしかった。

 手にしてよく見れば、リュータからのメッセージ。

 リュータに視線を戻すと、にっと悪戯な笑みを浮かべてこちらを見ていた。


―― 珪ちゃん、お仕事でーす ――


―― そんな気がしてました ――


 リュータのことが、だんだんとわかるようになっている自分がいる。珪は、そんな自分がおかしくて、愉しげに微笑んだ。


*  *  *  *  *


「LABなんて、儲かりそうにないけど、ホントに行くの?」

 夜、珪はリュータの部屋にいた。部屋にある、一人がけのソファーに座り、膝にあるクッションをポンポンと弄ぶ。

 昼間のメッセージを、再確認しに来たのだ。

 リュータは、ベッドにあぐらをかいていて、枕を抱えている。

「行くよー。何のために、アキとあのやりとりしたと思ってんの?」

 リュータは、当然といった顔をしていた。

「だって、LABでなに盗るの?」

「サク」

 2人の間に生まれる沈黙。

 珪は、少しして、口を開いた。

「え?なに?」

「サ、ク、ラ」

「サクラ?」

「そう。お医者してる、俺たちの親友。只今、LAB勤務」

 リュータが冗談を言っているようには、とても見えない。しかし、「サクラを盗む」が、珪には上手く理解できない。

「…………お金とかじゃなくて?」

 リュータが、眉尻を下げて珪を見る。

「儲けがないと、イヤ?珪ちゃん、やりたくない?」

「そうじゃないけど」

「サク、全然顔見せないし……史那のとこにも行ってないんでしょ?メッセージ返って来ないし。俺、嫌な予感するんだもん。サクを取り戻したい」

「俺も、心配はしてたけど……そうか、それがあったか……」

 珪は、最後は、独り言のように呟いた。

「珪ちゃん?」

 リュータが、小首をかしげて珪を見る。

 珪は、晴れやかな笑みを浮かべた。

「そうだな。取り戻そう、サクラを」

 珪の言葉に、リュータの表情が、パッと輝いた。

「うんっ」

「お前が行けば、なんか大丈夫な気がする」

「俺、ホント、珪ちゃんと出会えて嬉しい!」

 リュータの顔が、嬉しさであふれる。

「珪ちゃん、ありがとう。ホント、珪ちゃんすきー」

「お前、本当にストレートだな……」

「あはは。これからもよろしくー」

「はーい」

 LABへの侵入となると、慎重に情報を集めなければならない。今までより、確実に盗めるように。

 しかし、相手は政府特別研究所。そう簡単に行くわけがない。珪は、そう思っていたが、なぜか、リュータは余裕の表情だった。

 翌日から、珪は、システム系の情報を探し始めた。幸い、アキが施設の見取り図をくれている。

「リュータは、あぁ言ってたけど……」

 珪は、サクラを盗むと決めた夜の、リュータとの会話を思い出していた。


―― どこを当たれば、情報盗れるかな?極秘だろ?あんなとこ ――


―― 珪ちゃん、俺が今までどんなとこに侵入してたと思ってんの? ――


 ニヤリと笑うリュータを見て、珪は、すごいという言葉しか出てこなかった。

「(あいつの情報網は、何なの?)」

 調べれば調べるほど、そう思う。

 確かに、今まで大企業を狙うことが多かった。ただ、それは、裏利益を上げている企業という共通点だけでなく、そのすべてが、国際政策機関との繋がりを持っていた。

 リュータは、かつて珪に話していた。自分がドロボーをしている訳を。

 それは、サクラにも話していた、あのセリフ。


―― 俺は、俺たちを見捨てた奴らから、取り戻してるだけ ――


 リビングダイニングの端、PC作業棚を前に、珪は、デスクチェアに凭れかかり、感嘆を漏らした。

「そういうことか、あいつ……」

 リュータは、今、表の仕事のためにでかけていた。

 今はいない彼の姿を、視線の先に浮かべる。

「またひとつ、あいつが分かった気がする」

 珪は、嬉しそうに微笑んだ。

 そこからの仕事は早かった。

 企業を調べ上げ、何において、国際政策機関と繋がりがあるのか。過去に侵入した場所からデータを集めるのは、珪にとって、造作もないことだった。

 そこから、LABに関係のあるモノだけを選別していく。最新の情報、今のLABを集めていく。

 1/3の企業を調べ終わった珪は、休憩をしようと手を止めた。

 固まっていた体を伸ばして、首もほぐす。

「おつかれー」

 背中からした声に、珪は、デスクチェアに座ったまま、首を後ろへ倒して、声の主・アキの姿を確認した。

 アキは、少しも驚かない珪の反応に、不満そうな顔をしていた。

「おかえり、アキ」

「えー。なんで、そんな普通なの?」

 珪は、体をもとに戻して、デスクチェアを回転させ、アキに向き直った。

「リューノスケで慣れた」

 珪の答えに、アキは、少々不満げな納得の顔をした。

「俺、夜中に、マジで心臓飛び出るかと思ったことあるわ」

「はははっ。だろ?」

 笑って、珪は、デスクチェアから立ち上がった。キッチンからよい香りを漂わせているコーヒーを、カップ2つに注ぐ。豆は、もちろん、以前サクラにもらったものと同じ豆。

 ひとつを、ソファーに座るアキに手渡す。

「珪ちゃんに、お願いがあるんだけど」

「ん?」

 聞き返して、珪は、立ったままでコーヒーを一口喉に流した。

「LABから、盗ってきてほしいものがあるんだ」

「それ、俺じゃなくて、リュータに言ったほうがよくないか?」

「リューノスケじゃだめ」

 真剣な表情が返されて、珪はコーヒーを飲むのをやめて、アキの向かいに座った。

「なに?システム系?」

「盗ってきてほしいっていうか、消してきてほしいっていうか……」

 アキの顔は、真剣なままだ。

「20年前の研究のデータ、なんだけど」

「20年前?」

「探してるんだけど、見つからなくて。残ってると、マズいんだ、俺たちにとって」

 アキのはっきりしない言い方に、珪は、眉を寄せた。

「俺たちって、俺やリュータ含め?そんなものが、なんでLABにあるんだよ」

「…………頼む。何も聞かないで、20年前のデータを消してきてほしい。珪ちゃんにしか、頼めないんだ」

 縋るような表情を見て、珪は、小さくため息をついた。

「わかったよ。で?20年前の、何のデータ?それがわかんなきゃ、探せないし消せないんだけど?」

 少し間をおいて、アキは、決意したように口を開いた。

「20年前に、生命の神秘に手を加えた、そのデータだよ」

「(20年前……生命の神秘……?)…………消しておけばいいの?」

「うん」

「わかった。任せといて」

 アキの表情がゆるみ、安堵したように笑う。

「ありがと!珪ちゃん」

「高くつくけどな?」

「……はい」

 珪は、コーヒー片手に、PC棚に戻る。

 アキの話は、半分も理解していない。わかっているのは、LABから、データを盗ってくること。そして、リュータには、できないこと。

 20年前――――。

 生命の神秘に手を加えた――――。

 考えないほうがいいような気がして、珪は、コーヒーを一口飲んで、そのことを忘れるように、止めていた作業を再開した。

 そこへ、左後ろから、スッと小さなカードが作業台に置かれた。珪は、手を止め、それに視線をやった。アキの手、彼のマイクロSD。

「LABに侵入する時に使って。カギになるから」

 珪は、アキを振り返り、心配そうな顔で見上げた。

「……何考えてる?」

「俺たちの愉しい未来」

 アキはそう言って、ニッと笑った。その顔に、硬い決意を感じる。しかし、そこを追求して思いとどまらせたいような気も、珪の中にはあった。アキが何を考えているのかは、正直わからない。なぜなら、彼の頭の中の世界は、想像の上をいくからだ。

 珪は、少しばかり不満げな顔をした。

「信じるからな?」

 アキは、声を立てて軽く笑うばかりだった。

 そして、ソファーに戻っていき、入れてもらったコーヒーに口をつける。

「任せといて。ちゃんと、護るから」

 アキのその言葉は、胸の奥にしまったもの。確かな思いに満ちていても、音は小さく小さく、背中の向こうにいる友の耳には、届きはしなかった。


*  *  *  *  *


 LABでの時間が、生活の殆どになって、どれくらいが立つのだろう――――サクラは、自分の研究室の天井を見上げて、ため息をついた。

 ここに来て、リュータの過去についての仮説に気づいたり、親友・アキがLABの罠に嵌ってしまっていたり、それから、あとは――――。

 自分が、ここから抜け出せなくなっている理由を、次々と頭に浮かべて、片腕で、両目を覆う。奥歯を噛み締めて、こみ上げるものを必死に堪えた。

 ここにいると、覚悟したのは自分。

「(帰りたい…………)」

 目頭が熱くなる。

 白衣の袖が、少しだけ涙に濡れた。

 ピコンと、PCがメールの受信を知らせて、音を立てた。見れば、それは、親友からのメールだった。

「……アキ。今日、こっちに来るのか……って、もうすぐ来る時間?!」

 発信元は、彼のケータイらしかった。サクラは、慌てて返信を送る。


―― 見せたいものがあるから、先にこっちに来てくれる?あと、来るならもっと早く言って ――


すぐに、アキから返信がきた。


―― はーい。あと2、3分かな? ――


 サクラは、慌てて研究室を片付けた。

 と言っても、書類はほとんどない。すべては、PCかタブレットの中にある。片付けるのは、散らばっている食事と衣類だ。

 コンコン――――。

 扉を叩く音がして、サクラが廊下を見れば、透明なアクリル板の向こうで、アキが笑顔で手を振っている。

 自然と笑みが溢れた。

 嬉しさを抑えて、扉を開ける。

「いらっしゃい、アキ」

「お邪魔しまーす」

 アキは、慣れた様子で椅子を出してきて、ため息とともに腰を下ろした。

「花束は手渡せそうか?」

 リュータがアキに伝言を託してから、しばらく経っている。

「ヘコむからやめて……。っていうか、わかってて聞かないで」

 サクラが、コーヒーを入れる。珪とリュータのお土産に持っていったものと同じ豆から淹れたコーヒーだ。

「お前の仕事に、終わりとかあるの?」

「さぁ?俺がいなくても進むようになったら、終わるんじゃない?あとは、俺より優秀な人が来たら」

「しばらくは、こき使われそうだな」

 サクラからコーヒーをもらって、早速口をつける。

「サクラ、ここからは、真剣に聞いてほしいんだけど、」

 サクラは、デスクチェアに腰を下ろしてコーヒーをひと口飲むと、室内を見回した。

「ここで、真剣な話って……」

 カメラもあれば、盗聴もされているだろう。サクラは、不安そうな顔をしている。

 しかし、アキは、ニヤリと笑った。

「カメラまでは弄れなかったけど、盗聴は、弄っといた。話は聞かれないよ」

 そこまでするのは、サクラが親友だからということもある。監視ばかりされているのは、親友としてどうにかしたかった。

 もちろん、それだけではない。

「サクラ……俺、しばらく姿くらますわ」

 サクラの表情が、驚きで固まる。

「なん、の……話?」

「Eyesroidは、俺とサクラの頭の中を具現化した宝物で、それ以上はない。お金にするつもりも、もちろん、世に出すつもりもない。でも、知られた以上、放っておくとは思えない」

 アキは、真剣そのもの。

「この宝物と一緒に、俺は、しばらくいなくなる」

「……アキ」

「それで、サクラに提案なんだけど……一緒にどう?」

 サクラの中で、喜ぶ本能とそれを押し留める理性とが、ぐるぐる渦巻いていた。

 アキの話は続く。

「隠れる算段はつけてるし、ここから抜け出す方法も、ちゃんと考えてる。20年前のデータに関しては、珪ちゃんに任せた。俺はともかく、お前、これ以上ここにいたら、本当に危ないだろ。抜け出せなくなるし、要らなくなったら……」

 サクラは、泣きそうな顔で笑った。

「……わかってる。ここは、極秘の研究施設。しかも、重要な研究を任されてるということは、要らなくなれば、間違いなく消されるよね。情報が漏れる恐れがあるんだから」

「だから、」

「でも、アキ、俺は……まだ、ここにいなきゃいけないんだよ。まだ、もう少し……」

 サクラは、デスクチェアから立ち上がった。そして、儚げな笑みを浮かべる。

「見せたいものがあるって言っただろ?ついてきて」

 LABに関わるようになって、どれくらいが経つのか、複雑な構造だという感想は、アキもサクラも変わらない。それでも、この通路が、どこと繋がっているのか、どこに行こうとしているのかは、把握できるようになった。

「あの、サクラ?ここの先で、俺に見せたいものって……」

 ここは、医療関係の設備がある場所だ。LABの中にある、つまりは病院だ。

 サクラは、アキの言葉に応えず、黙って前を歩いている。

 周りは、やがて、小児病棟のようになってきた。

 サクラが、一つの部屋の前で立ち止まる。

 そこは、廊下に面して、透明なアクリル板が嵌められた、広めの部屋。小さなベッドが並べられている。中では、ヒト型のアンドロイドが、ベッドにいる赤ん坊の世話をしていた。

「ここ」

 サクラが、ようやくアキを振り返った。彼が、笑顔を浮かべて見つめる先には、一人の赤ん坊がいる。

 サクラの視線の先を見て、アキは、目を疑った。

「え??マジ?何あれ」

「今のところ、順調に、スクスクと」

「いや、スクスクっていうか、すげーな。俺のちっさいときそっくり!」

「サンプル、ありがとうね。おかげで形になりました」

 それは、サクラの研究の成果だった。

「あの子が、俺がここにいる理由。もう少し、あの子を見ていたい」

 アキは、それを聞いて、短く唸った後で、諦めたようにため息をついた。

「……サクラだもんなぁ」

「ありがとね、アキ」

「方法は、伝えとく。出る時期が来たら、まともに出ようとしないで、それを使えよ?」

「わかった」

「タローちゃん、まだ花束待ってるからさ」

 Eyesroidも、この人工生命体も、あの頃、2人でした冗談のような話。それは、ただの好奇心。ただの、遊び心。

 人生を、変えてしまうなんて、思いもしなかった――――。

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